きっと何者にもなれない僕は

 今日の昼過ぎ、税務署に開業届を出してきた。無表情で無感情のまま、坦々とした道を淡々と歩いて帰った。起業する、といっても特別な感情はない。なぜなら開業届を出すのはこれが二度目なのだから。せめて廃業届だけはもう二度と書くものかと、かたく口を引き結んで空を見上げた。


 僕は就活生の頃、仕事は「選ばれる」ものだと思っていた。会社から、面接官から選ばれるためにエントリーシートを書き、志望動機を話し、OB訪問に回った。けれども失敗した。百通を超えるお祈り手紙を前に、自分が「選ばれない」人間であることを悟った。きっと何者にもなれない僕は、死んでしまった方がよいのだろう。当時、就活自殺を本気で考えた。苦しみから逃れるように、生にしがみつくようにして、僕は何作も小説を書いては主人公たちを皆殺しにした。主人公には自分自身が投影されていた。


 無い内定で大学を卒業したその年に、起業をした。「それしか道がなかったから」としか答えようがない。対人恐怖の症状もひどく、アルバイトの面接さえ何度も落ちる。残されたのは「Webライターとして生きる」という道だった。もしも当時の僕がイケダハヤトさんの存在を知っていれば、ブロガーを志していたかもしれない。社会のレールから外れてしまった自分のような若者には、イケダハヤト氏は生きる希望となり得ただろう。


 ところが、Webライター起業は初年で躓いた。月に十万円も稼げない。結局その年のクリスマスには廃業届を出す羽目になった。普通預金の通帳に刻まれた数字はついに三桁となり、おのれの実力不足と甘さを痛感する。家賃一万八千円のボロアパートだったが、それすら支払うのが厳しかった。薄い壁の向こうでは、たびたび市役所の人が押しかけて、隣室の無職の住人と大喧嘩をしていた。飛び交う罵声を聞きながら、次は自分がこうなる番かと畳の隅で泣いていた。


 あれから二年、僕は短期のアルバイトを転々として食い繋ぎ、一方でWebデザインとWebマーケティングの独学を積んだ。クラウドソーシングでも仕事を受注し、そこそこ大きな案件を任せてもらえるようになった。何とかWebライターとしての独立の目処が立ったのが、去年の十一月だった。そして冒頭の「二度目の開業届」の話へと繋がる。


 自分が成長できたとも変われたとも思わない。まだまだ自分は甘すぎるのだし、おそらく今のままでは未来がない。けれど、生きていて良かった。それだけは良かった。


 きっと何者にもなれない僕は、今ライターとして生きている。この仕事は果たして自分が選んだものだろうか。たとえそうではなかったとしても、神が「生きるために書け」と囁くならば、僕は死の果てまでも言葉を紡ごう。


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