フルフル

 不登校してた頃、パソコンやスマホはなかったので、部屋に引きこもってゲームばかりしていた。でもゲームは得意じゃなかった。


 PSPって携帯ゲーム機で、はじめて買ったのが「LocoRoco」ってソフト。ロコロコ、かわいい。ミカンをふにゃふにゃにした感じのゆるキャラが、飛んだり跳ねたりするゲームだ。LとRボタンしか押さなくていいので、これなら私にもできると思った。甘かった。


 チャカレチャパッパ、フニャラカラッパ、チャッパリスッポンポン♪みたいな気の抜ける音楽とともに、かわいいミカンが「ワヒョーイ」と元気に飛び出していって、野に咲いている花をむしゃむしゃ食べると、ミカン君は大きくなる。大きくなりながら飛び跳ねて、ゴールを目指すのだけれど、道の途中で黒いオバケに襲われてあっけなく死んだ。かなしい。死ぬ間際に「ヒュー! ギャララッパポーイ!!」とミカンは叫んだ。ミカンは、私に何を伝えようとしたのだろう。




 次にやったゲームは「モンスターハンターポータブル」だった。まだ学校に通っていた頃、クラスの男子たちが休み時間によく話題に出していた。私は血が出たり生き物を殺したり、そういうゲームは苦手だし、そのときはまったく興味がなかった。でも昼休みになると図書室で、ホラーの短編集を読んでいた。なんでホラー小説は好きなんだろう。うまくは説明できないけれど「私が今ここに生きていること」をホラー作品は肯定してくれているような気がした。


 兄の勉強机の本棚に、「モンスターハンター」のソフトが立てかけられていて、思わず手が伸びた。「やっていい?」と訊いたら、兄は振り向かずに「やるよ」と言った。兄は今日もパソコンとにらめっこしていた。就職のサイトを見ているのだと思う。


 モンスターハンターは画面が綺麗でびっくりした。ロコロコはシンプルなイラストだったけれども、モンハンは目の前に現実が広がっている。雪山のふもとにある村にたどり着いて、私は村長からお仕事をもらった。はじめのうちは、森でキノコを採取する簡単なお仕事だったけれども、やっぱりモンスターハンターだから生き物を狩ってこなければダメだよと村人に言われた。




 湖のほとりで、牛みたいな生き物がのほほーんと草を食んでいた。私は手に持っていた刀で、恐る恐る牛を斬り付ける。その草食動物は人間に慣れているのか、近づいても逃げないのだ。鮮やかな赤の血が飛び散って、私はびっくりした。牛は悲鳴をあげて力なく地面に倒れ込む。ポケットに入れていた小型ナイフで毛皮を剥いで、肉を手に入れた。私はモンハンを貴族の嗜みのようなものかと考えていたけれど、誤解だった。《狩猟》は人間が生きるための行為そのものだった。


 その後、私は狩人として生き始める。かわいい鹿とか、ペットにできそうな子豚とか、切り刻んで殺した。はじめは罪悪感がすごかった。世界は弱肉強食なんだ。現実では明らかに強者に食われる、こんな弱い私が、罪のない命たちを殺生していて良いのだろうかと悩んだ。


 ある日、山で暴れていた凶暴なイノシシの討伐依頼が出た。危うく死にかけながらも、なんとかやっつけた。山から村に戻ると、みんなに「よくぞ村を救ってくれた」と感謝されて、嬉しかった。私でも役に立てることはあるんだと思った。



 朝、家を出て朝日を浴びていると、村長さんがやってきて言った。


「そろそろお主も一人前の狩人じゃし、フルフルを狩ってきて欲しいのじゃ」


「フルフル、ですか……?」


 聞いたことのない生き物だった。かわいい名前。きっとハムスター、いや真っ白でモコモコしたうさぎちゃんみたいなモンスターなのだろう。私はそんなかわいい生き物を狩るのは嫌だったけれど、村長さんの頼みは断れなかった。


 フルフルはやはり雪うさぎの類なのだろう。雪山に生息するとのことだった。


 私はホットドリンク(味はおしるこである)を飲んで寒さをしのぎ、雪山の頂を目指した。手がかじかんでいて、刀の柄を握るのが痛かった。はやく済ませて帰ろう。  


 山頂にたどり着く。あたり一面が雪に覆われていた。


 ふいに、バサッ、バサッと頭上から羽ばたく音が聞こえた。カラスかな?と思って見上げると、5メートルくらいはある巨大な、雪見だいふくみたいな物体が落っこちてきた。


 不気味な白い巨体からは、ちくわのような首がにょきっと突き出ていて、真っ赤な口紅をつけた大きな口がひとつ、笑っている。体は白いが、毛は生えていない。ゴムみたいにぶよぶよしている。四本足で直立していて、おしりからはトイレのモップのような形のしっぽが、ぴょんぴょんと揺れていた。それはモンスターというより、ホラー小説に出てきそうなオバケだった。オバケは顔をこちらに向けてにやりと笑った。目はない、のっぺらぼうだ。口だけが笑っている。


「フョオオオオオオオ!!」とそいつは叫んだ。


 私は一目散に逃げ出した。洞窟のなかに入り込むと、さすがに奴は追ってこれないようだった。


「なに。あれ……」


 ホットドリンクの効果が切れた。私はうずくまって、身体を震わせる。まさかあれがフルフルなのか。ネーミング詐欺ではないのか。  


 詳しくは知らないけど、都市伝説で「くねくね」というのを聞いた。くねくねは正体不明のオバケで、それを見ると発狂してしまうらしい。まさにそんな感じだった。


 戦わなければならない。足はまだがくがくしていたけれど、刀を杖代わりにしてなんとか立ち上がった。こんなことなら、弓か銃を持って来れば良かったと、後悔した。


 山頂に戻ると、白いオバケ、フルフルはまだそこにいて尻尾を地面に突き立ててなんかプルプルしていた。


 刹那。


 フルフルの体からほとばしる、無数の稲妻。


 辺り一帯の地面が焦土となり、積もった雪が黒く融ける。


 フルフルがこちらを振り向いて、目が合った。いや、フルフルには目がないから、口と口が合ったというべきか。すごく嫌だ。


 私はもう恐いけどやけっぱちになっていて、訳の分からない言葉を咆哮しながら突撃する。両手で持った大太刀をめちゃくちゃに振り回しながら。フルフルは醜く口を歪めると、大きな巨体を一回転させる。しっぽのゴムに刀身が弾かれて、私は体ごと吹っ飛ばされた。


 間髪を入れず、フルフルが電気をまとった体で飛びかかってきた。なぜ絶縁体の塊のようなこいつが電気を操れるのか不思議だったが、私は刀を捨てて逃げる。でも寒さでスタミナが持たず、転んでしまう。背負っていたリュックの紐が切れて、雪の上に落ちた。すぐ目前に、悪魔の唇が近づく。フルフルは大きく口を開いて、それは私の身体丸ごと飲み込もうと迫った。嫌だ、死にたくない。


 一瞬、村長さんや村人たちの優しい笑顔が記憶を過ぎった。そうだ、これは神から私への罰なのだ。ずっと現実からも自分からも逃げて、前を向かなかった私への。私はここで死ぬ、殺される。でも嫌だ、こんなブヨブヨのちくわオバケなんかに――。


「殺られてたまるかあああああああああ!!!!!!」


 コンマ一秒の差で初撃をかわす。巨大な歯と歯が空を切ってかち合う音が聞こえた。背後には断崖絶壁、次は避けられない。だが時間は十分だった。なぜならリュックのなかの大タル爆弾には、すでに着火準備がされていたのだから。


「フョョョョョョョョョョョョ!!」


 フルフルが全身から電気を発生させる。それが奴の死にどきだった。


 ……、……着火。


 合計3個の大タル爆弾が、一斉に爆発する。


 爆風に巻き込まれる瞬間、私はふっと笑った。思えば、私もフルフルも、同じだったのだ。醜くて、疎まれて、寂しくて、彷徨って、ただ孤独に叫んでいる。誰にも理解してもらえない。だからせめて、私がこいつと一緒に、死んでやるのだ。



 さようなら、そしてごめんなさい。


 その日、村の北方に位置する雪山から、一筋の煙が立ち昇ってゆくのが観測された。村人は事態を察し、手を合わせて祈ったのだという。その後捜索が行われたが、若い狩人と、討伐対象であるフルフルの遺体はついに発見されなかった。




「ミユキ! ミユキ!」


 扉の向こうから、兄が私の名前を呼んでいた。


「いったいいつまでゲームしてるんだ。夕食だぞ」


 兄はあきれた様子で言うと、すぐにリビングの方に歩いて行った。


 私は、扉を開ける。



 そうだ、私の戦いは、ここから始まるんだ。

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