「文才」と私たちの「ネコ」の話

 信じてもらえないかもしれないが、今この文章を書いているのは、キーボードの上をぴょんぴょんと飛び跳ねている小さなネコで、その真っ白なネコは名前をマシロという。実のところマシロが僕のゴーストライターで、ほら今もキーボードをぽんぽん叩いて一文がムダに長い読みづらそうな第一段落を生成している。


 マシロは機嫌が悪くなるとすぐゴロンと横になってしまって動かない。こうなると「書こう、書こう」とどれだけ焦ったところで無駄のスケで、思考は空回りするばかりで書くべき言葉が思い浮かばない。マシロの力無しでは僕は書けないのだ。


 書きたいという気持ちが先走ってまったく筆が進まないとき、やるべきことはただひとつで、それはやるべきというよりもやらないべきと述べた方が良いのだが、とにかく書こう書こうと頑張ってしまってはいけない。


 リラックスをして、肩の力を抜こう。


 深呼吸をして、脱力。


 少し眠くなる。


 そのくらいがちょうどいい。


 小説を書いていると、自分では何も考えていなくても手が勝手に動いて文章が自動的に紡がれていくような、不思議な感覚が生じる瞬間があり、人々はそれを「執筆の神が舞い降りた」と表現する。変性意識やトランス状態を意図的に生み出すことは難しいが、とにかく文章を書き進めるには精神と身体のリラックスが重要だ。


 そう、ちょっとダンスするつもりで、キーボードを叩いてみればいい。指先が軽やかに踊りだし、カタカタ、と景気のいい音を立てる。陽気なリズムにおびき寄せられ、ネコがやってくる。


 ネコは「ナー♪ ナー♪」と鳴いて、キーボードの上をぴょんぴょん跳ねまわる。自由を手に入れた言葉のうたが、原稿用紙に刻まれてゆく。悩まなくていい。苦しまなくていい。文章を書くのに必要なのは、ネコと仲良くすること。どこまでも自由に軽快に、あなたの創作を邪魔するものなど、どこにもいない。


 文才があるとかないとか、金になるとかならないとか、羨まれるとか蔑まれるとか、気にしなくていい。くだらない。取るに足らない。書くことそのものの尊さに比べれば、瑣末である。


 僕のネコは真っ白なマシロだが、文章を書く者なら誰しも心のうちにネコはいる。三毛猫だって黒猫だってペルシャネコだって何でも良いさ。書けないときは自分の精神の奥底に隠れているであろう創作のネコを探してみよう。


「文才」という言葉を正しく使うのは、大変難しい。僕たちが文才について語るとき、その背後には、嫉妬、軽蔑、諦観、卑下、羨望、さまざまなドス黒い感情が取り巻いている。足枷のように纏わりついて、書くことを重くさせてしまう。


 誰から何と馬鹿にされようが、書いた文章を卑下してはいけない。大いに愛せよ。まず第一に大切にすべきなのは、ネコと飼い主の信頼関係だ。「私には文才がない」という言葉は、創作するネコを傷つける。ネコが逃げ出してしまう。


 文章は「私の」才能によるものではない。「私が」持っているのは脚本理論と修辞技法の知識であり、これは勉学によって身に付けるものである。そしてセンスやアイデアは、「私の」頭から生み出されるものではない。蝶の羽ばたき、あるいはネコの気まぐれ。神と呼ぶのでも良い、超越的な自然から齎される偶発的事象の産物である。散歩中にアイデアが出やすいのは、太陽と風と花の精霊のおかげだ。


 知識と技術は、自分のものに。才能は、ネコのものに。


 文才があるとかないとかいう話で、自分が潰れてしまわないためには、きれいさっぱり棲み分けた方が心は軽い。つまり、努力でいくらでも高めることのできるレトリックやシナリオの知識と技術は、自分の領域と考える。努力でどうにもならない才能とやらは、ネコにお任せすればいい。創作はかつて、作者と精霊の共同作業によってなされるものだった。


 ツァラトゥストラが神の死を告げようとも、創作の神までをも殺す必要はなかろう。自分たったひとりだけの力で、書こうと頑張らなくていい。いざとなったら神頼みしよう。


 文才などといった仰々しいオバケはどこにもいない。おどけたネコが歌って踊っているだけだ。そしてネコは、すべての人の精神に住んでいる。


 自由を愛する、ネコが――。


 ナー、ナーと歌い出す。


 飛び跳ねながら。


 だから文章をスラスラ書く方法は、神のみぞ、いやネコのみぞ知るところで、僕たちはもっと気軽にこのネコに頼っても良いのではないかと思う。

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