第36話 番外編「確定悪役令嬢」3

「安心してくれ、兄さん。俺、おっぱい星人だから。胸の寂しい女に興味ないから」

 ソファに座りなおし、ひどく真剣な表情で。

 その整った顔面を蹴り飛ばしてやりたくなるような言葉を、あまりに堂々とラウルは宣った。


 誰が胸の寂しい女だ。豊かとは言えなくても無でも貧でもないわ。貧……でもない、はず。たぶん。あまり自信はない。でも、寂しいとまで言われる筋合いはない。


「は、はあ……」

 胸の大きさを気にする文化すら初耳だろうルース様は、弟の謎宣言を聞かされて非常に戸惑っているようなのだが、非常に戸惑っている様子がわかる程度には顔を上げてくれているので結果オーライだろうか。

 いやそれにしたってラウルはあまりに最低。


 戸惑う兄と、軽蔑のまなざしを向ける私を見たラウルは、気まずそうに言い訳する。

「いや、そこまでの反応されることじゃないと思うんだけど。そもそも、この世界、なんかみんな美形ばっかりだし。顔、みんな良い。髪、どうでも良い。ってきたらもう、体じゃん。おっぱいじゃん。おっぱいでしか優劣つかないじゃん」


「そこでどうして、性格とかじゃなくて、体を見るのよ。しかも、それを堂々と言っちゃうのはあまりに最低でしょ……」


「そんなこと言われても、俺、辺境伯夫人と違って、天下無敵の黒髪黒目ではないし、家なき子だし。なにもかも自分の理想って女の子を狙えるほどの自信はないよ。だから、一点突破戦法を取るのさ。それを端的に言うと、こうなるってわけ。……だいたい、兄さんに変な誤解させとくよりは良いだろ」

 私のツッコミに、ラウルは不満げに唇を尖らせそう返してきた。


 まあ、最後の一文だけは同意できる。


「うん、それはそうね。ルース、ねえ、安心してよ。私、こんな最低男は絶対に無理だから。あちらも、胸の寂しい女はお断りですって」

「胸、ですか。愛する人のそれならどんな大きさでも尊いものでしょうに、その大きさで愛するかどうかを決めるなんて……。まったく理解できない価値観ですが、まあ、くるぶしで妃を選んだ王がいたくらいですしね……。そんなこともあるのでしょう」

 私がふむ、と頷いたのに続いて、ようやく立ち直ったらしいルース様も、ふんふんと頷いてくれた。


 ありがとうくるぶし陛下。あなたの業の深さのおかげで、ルース様が納得してくれました。さすが後世に広く伝わるほどの伝説の特殊性癖。

 よかったよかった。いやこれでよかったのだろうか。よかったと思っておこう。よかった、ということにしておいて。

 とりあえず誤解がとけてよかったけれど、ルース様にまた変に不安になられてはたまらない。


 カランシアとの件から学び反省して、ルース様のいないところでラウルと話をするのは止めておこうまでは考え付いたのだが、それでも足りなかったのよね。

 それならば。

 私は彼との距離をぐっと詰めて腕を組む、というか、もはやルース様の腕をぎゅっと抱きかかえて座りなおす。


「えっ、エマ、あの、う、うで、なに、なんで……」

「もうルースに変な誤解をされないように、こうしてルースに引っ付いて話をするわ。ラウルさんも、かまわないわよね?」

 顔を真っ赤にしてうろたえているルース様を遮ってにーっこりと微笑んで返し、ついでに対面のラウルにも確認した。


「ああ、良い良い。こっちだって、いちいち殺気飛ばされるのも泣かれるのも、疲れるし。それで兄さんが安心できるなら、存分にいちゃついててくれ。……そこまでしてもあたるものがほぼない女とか、目の前でいちゃつかれても羨ましくもな……」


 ヒュンッ


 私の放った氷の短剣が彼の頬をかすめ、ラウルは言葉を失った。つ、と、わずかな血が彼の頬を伝う。

 それを片手で押さえながらそろ……と後ろを振り返った彼の斜め後ろに浮かせたまま固定してあった氷の短剣を、今度は真っ青な炎で包んで跡形もなく消してみせる。


 ジュッ

 そんな音と、ぶわり広がった熱気と蒸気。

 それらを間近で体感したラウルは、ぎぎ、とぎこちない動作でこちらに向き直った。

 ふん、私、一流の魔法使いだし、得意なのは氷の魔法だけど、炎だって苦手ではないのよ。


「エマは使う魔法も、相変わらず美しいですね。無詠唱で瞬時にこれほどの精確さで放てるなんて、さすがです。ラウル、エマを侮辱しない方が良い。エマは優しいから今回は威嚇で済ませてくれたが次はわからないし、私なら首を刎ねるから」


 私を高らかに褒め称え、ソファに座る際に腰から外し足元に立てかけてある剣をチラと見ながらラウルに兄らしい助言をしたルース様は、なかなか大物かもしれない。

 妻のいきなりの蛮行にどん引かないなんて。それどころか、追加の脅しまでかけてくれるなんて。


「は、ははは、……はい。いや、すみません、辺境伯夫人。人の体の事をあれこれ言うのは、最低ですよね。あまりにデリカシーがない。うん、この話やめにしましょう」


 こちらはきっちり引いたらしくひきつった笑いでそう述べたラウルに微笑みと頷きを返してから、私は改めて切り出す。


「そう、私とラウルが、同じ異世界転生者だったという話よね。お互いに、色々と訊きたいことがあるでしょう。では改めて、敬語なんかなしで、ざっくばらんに話しましょうか」


 どうもラウルは、敬語があまり得意ではないみたいだし。

 そんな気持ちでした提案に、ラウルはほっとしたように息を吐いた。


「そうだな。俺としてはまず気になるのがさ、悪役令嬢さん、あんた、なにがしたかったわけ? うまいことやって王太子の婚約者におさまってたからあいつ狙いかと思いきやさっくり婚約破棄とか、意味わかんないんだけど」


 うまいことやって王太子の婚約者にというのが、こちらこそ意味がわからない。

 普通にしてたら自然とそうなってただけなんだけど。年頃、家、能力的に王太子殿下と釣り合いがとれるのは私くらいしかいないとかで。

 結局は、女神様のいとし子ディルナちゃんというワイルドカードが奇跡的に現れてくれたおかげで、前提からひっくり返ったけどね。


 でもそういえば、さっきラウルは【原作】とか言っていた。

 この人は、この世界の原作なるものを把握しているっぽい。

 原作とやらの知識がある人からすると、わたしはよほど奇妙な動きをしていたのかな?

 いや、単にそんなもの知らなかったんだけど。こうも知っている前提でこられると、なんか気まずいな。


 なんて答えようかなぁと悩む私に気づいていないらしく、ラウルは疲れた様子でぶちぶちと言う。

「で、そこから原作だと立ち絵すら無いサントリナ辺境伯と謎に結婚してるし、シナリオぐっちゃぐちゃにするだけぐっちゃぐちゃにしやがって、予測立てづらいのなんの……。しかもなに、トドメにうちのお袋が事件起こして逮捕とか、聞いてないんだけど」


「お義母様の件は、やっぱり私がこういった立ち回りをしなければ、起きなかった事件なのかしら。謝って済む問題でもないけれど、ごめんなさい」


「ああ、いや、謝らせるつもりなんてない。なかった。あんたは全面的に被害者だし、どう考えてもあの人が悪いんだから。俺が家にじゃぶじゃぶ金を入れたせいで、おかしくなった部分もあると思うし」

 軽く頭を下げた私に慌てた様子で、ラウルは言った。

 しかし。


「まだ子どもの君が、家に金を……?」

 ルース様がいぶかし気に尋ねた通り、そこがよくわからない。


「いやほれ、俺異世界転生者なもんで。中身はけっこうな歳だし、知識チートってやつ? この世界にとっちゃ新しい発想の道具を、作ったし作っていくつもりなわけ。今のところ魔力で動くドライヤーが代表作。このやたら髪を重要視するせいで男も女もだいたい長髪なこの世界じゃ、アホほど売れたのさ」


 ふふん、と自慢げに告げたラウルに、納得する。

 乙女ゲーム世界だからかなとなんとなくスルーしていたけれど、この世界、文明の発展度合いがなんかチグハグなのよね。オーバーテクノロジーを持ち込んだラウルがいたせいもあったのか。


「そういえば、いつからかあったわね、そういうの。ああ、それがあなたの実績ってこと? 隣国の専門学校の特待を狙えそうなほどの」


 私の問いかけに、ルース様も納得したように、ラウルはどこか誇らしげに頷いた。


「そうそう。で、めちゃくちゃ儲けたから、家にもけっこういれてたんだけどさ。うち、ただの男爵家だから、まあ、取り潰しになるんだけど。そんなうちが、いくら抜け道があっても辺境伯家に侵入できるようなプロを辺境伯家敵に回す覚悟ができる練度で雇えるわけがないんだよ、本来なら」


 そこで一転落ち込んだようなため息を吐いてから、ラウルは続ける。


「それをひっくり返しちゃったのが、俺が稼いだ金ってこと。あぶく銭を手にしたから、もっともっと、辺境伯家の財産もってなったのかもだし。金は人をおかしくさせるよな。なので、辺境伯夫人と辺境伯様には、むしろこっちから謝罪しなきゃいけないんだわ。……うちの母が、申し訳ありませんでした」


「いえ、こちらこそ魔が差すような立ち振る舞いをしてしまったのだし、罪は当人に償ってもらうわけだから。お義母様の件は、私たちの間では気にしないことにしましょう」


「母の話をすれば、私にとってもアレは一応母だから。子は子で、あくまでも独立した存在と思っておこう、お互いに。あの人の罪は、あの人だけのものだ」


 びしりと深々頭を下げたラウルに、私とルース様はそんな言葉をかけた。

 ゆっくりゆっくり顔を上げて、それでも気まずげな表情だったラウルは、そっと私たちの表情を窺い、ちゃんと私たちの気持ちが伝わったのか、ふうと肩の力を抜く。


「……ありがと。で、さ、話戻すけど、悪役令嬢様は結局なにが狙いだったの? 一番シナリオ変わったのは暗黒騎士か? あいつを闇落ちさせたくなかった、推しのしあわせを近くで見守りたいってタイプ?」

 

「え、まず、暗黒騎士って誰のことなの……?」


 私の問いかけに、ラウルは『はぁ?』とばかりに表情を歪めた。

 薄々何かを察したらしい彼は、若干焦った様子で告げる。


「誰って、カランシア・グラジオラスに決まってんだろ。あいつ、原作だと初恋の女の子を悪役令嬢に殺されたせいで復讐を心に誓ってる影のあるイケメンだっただろ? そのくせ相手が公爵令嬢だからと復讐を果たせてなくて自分の無力さと度胸のなさに鬱屈しているっていう。暗黒騎士は俗称だけど、いかにもそんな感じの」


 へー。暗黒騎士ってカランシアのことだったんだ。それでラウルは、あの場で即座に切り出してきたってわけね。異世界転生者候補が揃っていたから。『暗黒騎士と悪役令嬢の、どっち』って言ってたもんね。なるほどなるほど。


 ……いやなるほどじゃないが!!

 え、カランシアが!? 暗黒騎士!? 闇落ち!? 復讐!? あの暑苦しくてまっすぐで、愛のために近衛騎士の立場を捨てるような、ちょっとおバカな男が!? 影のある!? 噓でしょ!?


 そりゃ、魂が別人なんじゃないかって疑うくらいにキャラが違うわ!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る