第35話 番外編「確定悪役令嬢」2

 ルース様の弟ラウルは、使用人からあれこれ聞き取りをされた後、そのまま応接室で待たされているとのことだった。

 初対面の人間であり先日凶行に及んだばかりのお義母様の子でもあるということで急遽騎士カランシアまで呼び出され、彼とリリーリアを引き連れ、ルース様と並んでそちらに向かう。


 部屋の中には、これがラウルだろうなと思われるルース様とよく似た顔立ちだがまだ幼さの残る少年と、彼となにか話をしていたらしい執事さんがいた。


 慌てて立ち上がった少年は、身長は私と同じくらい。

 身長差から自然と見下ろす形になるルース様は、堂々と背筋を伸ばしたまま、どこか冷たく告げる。


「私が、一応は血縁上君の兄であるルース・サントリナだ。そしてこちらは、私の最愛の、エマニュエル」


 おうおう。妻、のところが妙に力強かったな。圧が強い。


 あまり歓迎されていない空気を感じ取ったらしいラウルは、申し訳なさそうに深々と頭を下げた後、そろ……、と視線を上げ、ルース様、私、リリーリア、カランシアの姿までを確認した。

 口を開いて、でもなにも言わずに閉じて、しばしの逡巡の後、キリっと決意したような表情で、ラウルは再び口を開く。


『なあ、明らかに原作とキャラが違ってるからお前らのどっちかだと思うんだけどさ。暗黒騎士と悪役令嬢の、どっちが転生者なんだ?』


 ラウルは確かに、日本語でそう言った。

 こちらの世界に転生してからずっと耳にすることはなかった前世の母語は、けれどしっかりとこの魂に根付いたままで、私に魂から歓喜で震える程の衝撃と感動を与えた。


 暗黒騎士とはなんぞや。もしやルース様にそんな二つ名がついていたのか? 白銀とかじゃなくて?

 なんて疑問はあったが、感動のままに、私は答える。


『わ、私。悪役令嬢って、私のこと、よね? 私が、日本からの、転生者なの』


 それを聞いたラウルの反応は劇的なものだった。

 やっぱりか! と確信したような顔を見せた後、周囲の戸惑いとなによりルース様の射殺さんばかりの視線に気づき震え、目をうろうろうろと泳がせた後、なんとかごまかそうとするように言う。


「あ、あー、失礼。ちょっと、あの、今のは、外国の、昔使ってた言葉の、あの、そんな感じの挨拶でして。えっと、辺境伯様の、半分だけ血のつながった弟、ラウル・……俺家名ってまだ名乗って良いのかな……、なんか取り潰しになるだろうとか聞いたんで、ただのラウルってことで、あの、よろしく、お願いしますっ!」


 勢いで流そうとしているな。

 日本はこの国から見たら外国なのは確かだし、私たちがここに転生する前というのは昔で確かに合っているけれど、外国の古語ともとれる表現をしたのはとっさにしてはうまい。でもそれでごまかせるだろうか、今の。

 まあごまかすしかない。私ものってやろう。


「そう、外国の、昔使っていた言葉よね。そんな珍しい言葉を聞いたものだから、思わず返してしまったの。王太子妃として教育された私くらいしか、まず知らない言葉だと思っていたのだけれど……。ラウルさんが知っているなんて、とても驚いたわ」


 いや『王太子妃として教育された』は、関係ないんだけどね。これ付けとけば説得力でるかなって。

 私の言葉に、案の定幾分か納得した様子のみんなに微笑んでから、私は告げる。


「ラウルさんは、どこであの言葉を知ったのかしら? ああ、生まれの秘密に関係することだったりする? それなら、人払いをするから……」


「あの、はい。まあ、そんな感じで、あんま人に聞かせたい話でもないんで、最小限の範囲にとどめてもらえるとありがたい、です。いや、貴族の奥様だし、うちの母がアレなんで、護衛が必須というのは、よくわかるんすけど」


「そうね。といっても私をどうこうできる魔法使いなんてまずいないでしょうし……。護衛なら、ルースさえいれば十分よね? 私とあなたが揃っていて、勝てない相手なんているわけないもの」


 ラウルの意見を受けての私の発言に、リリーリアは不服そうに眉根を寄せ、カランシアは心配そうにちらちらと私とリリーリアを見比べ、執事さんは軽く頷き素直に部屋を出て、ルース様は仕方なさそうにため息を吐いた。


「エマのことは、私の命に代えても護る。任せて欲しい」

「リリーリア、そんな顔しないで」


 ルース様と私の言葉に、リリーリアは拗ねたような表情で、渋々頷く。

「まあ確かに、辺境伯様の剣の腕もエマニュエル様への愛も、疑う余地はないですね。承知しました。下がります」

 リリーリアは、ぺこりと頭を下げながらそう言った。

 そして、面を上げるや否やぎくりとするほど強い瞳でラウルを睨みつけながら宣言する。

「ただし、そこの、ラウルとかいうの。エマニュエル様にかすり傷一つでもつけてみろ、どこに逃げようとこの世の果てまででも追いかけて必ずやお前を捕らえ、どうか殺してくれと懇願するまで痛めつけてから殺してやるからな……っ!」


 自分が部屋から追い出される苛立ちも籠っていたのだろうその表情と言葉は、恐ろしい程の迫力である。

 いや、実際対面してみたら、この子ずいぶん大人しそうだし、そんなに強そうでもないし、そこまで警戒しなくても良いんじゃないかなぁ……。正直、これならカランシアまで呼ぶ必要なかったと思う。なのにここまで牙を剥かれて、ラウルが可哀想。


「ひえっ。あ、あのぉ、親がアレなんでぇ、信じてもらえないのはわかるんすけどぉ、ほんと、なんもする気ないんで……。するわけないじゃないっすか、無力な家なき子が。この家に見捨てられたら、後ないっすよ、俺。だから、ほんと、大丈夫です。マジで。なんもできないししないっす」


 小物っぽさ全開でそう言ったラウルにふんと鼻を鳴らし、私とルース様に改めて綺麗な黙礼をしてから、リリーリアはカランシアを引き連れ部屋を出ていった。


 ぱたりと閉まった扉を見て、ほっと、というか、へにょ、ふら、と力を抜いたラウルを横目に見ながら歩を進め、私とルースは並んでソファに腰掛ける。


「君も、座ると良い。どうやら、長い話になりそうだから」

 ルース様の勧めで、ラウルは私たちの対面のソファに、ふらふらともつれ込むように座りなおした。

 

「なにから話そうかしら。ええとまず、夫には、ルースには私の事情を全部知ってもらっているの」

 私がそう切り出すと、ラウルは納得したように頷く。

「ああ、そうなんすね……。じゃあ、さっきのやり取りと合わせてだいたい察してるんかな……。その、俺も、たぶん辺境伯夫人と同じ世界の同じ国から、異世界転生ってのをした人間でして」


 明かされた事実に、やはり、という気持ちと、まさか、という気持ちが同時に沸いた。


「もうダメだ……」

 しかし、私がなにかしらのリアクションを取る前に、私の傍らのルース様からそんな絶望に満ちた声が漏れ出て、慌ててそちらを振り返る。


「えっ、な、なにがダメなのルース? どうしたの? 落ち着いて?」

「ダメだもうダメだ終わった……」

 両手で顔を覆った彼の肩をポンポンと叩いて尋ねたのだけれど、まともな返事は返って来なかった。


 っていうか、泣いてる? なんかうちの夫が、すんすん言ってるんだけど?


「え、おい、どうしたどうした、なにがあった辺境伯様。……あっやっべ衝撃で普段の雑い言葉出ちゃったな……」

「いえ、いえ、けっこうですよ。ええ。私ごときゴミカスに、敬語なんて使わなくて。まあ一応兄弟ですし。その顔で、その色で、しかもエマと同じルーツを持つなんて特別なお方ですし。敬語なんてなしでかまいませんとも。どうぞどうぞ」


 ラウルは動揺のあまり、素が出てしまったようだ。

 けれどなんだか謎に落ち込んでいるルース様は、そのことを怒るでもなく粛々と受け入れ、それによってますますラウルの混乱は深まっている。


「お、おう、ありがとな兄さん。いや、なんで兄さんが逆に敬語になってんだよ。さっきまでちょっと威厳ある感じだったじゃん。兄弟だからってんなら、兄さんこそ俺にさっきみたいな感じで話してくれよ」


「あ、えっと、ラウルさん? 私も一応、なんか転生者仲間っぽいから、私にも敬語はなしでかまわないわ、ってルース! どうしたの!?」


 私がラウルにタメ口を許可した途端、ルースはますます身をかがめ、ううーとうめき声のようなものを上げて、うん、たぶん泣いている。なんで?


「う、うう……、エマ、ど、どうぞ、そいつとおしあわせに……」

「え?」

「は?」


 うめき声としゃくりあげの合間に、意味のわからないことを言われ、私とラウルは揃って首を傾げた。

 え、さっきあれだけ言ったのに、ルース様と比べると顔が同じレベルで色が優れているラウルを、前世の事を分かり合えるという加点があれば最愛の夫を捨ててまで選ぶと思われてるの、私?

 そりゃ、同郷の人に出会ってちょっとはしゃいだのは確かだけれども。

 そんなこと、あるわけないのに。

 自尊心が低すぎるせいだろうとわかっていても、私に対してもちょっとだいぶ失礼ではなんて思ってしまう。


 私は割とショックで呆然としてしまったが、その誤解がよほど不服らしいラウルは顔面を蒼白にさせてガタリと立ち上がり、叫ぶ。

「やっ、やめてくれよ! 俺、せっかく髪色気にしないでいられる感性があるんだから、こんないかにもモテそうな黒髪の女なんかわざわざ狙わねーよ! 好みじゃねぇし、心外だ! こちとら、よっしゃ巨乳の価値をわかってる男はこの世界にほぼいねぇなライバルが少ないぜひゃっはーの気持ちでいるってのによぉ!!」

「サイテー……」

 あまりの言い様に、心からの軽蔑の言葉が私の口からこぼれ出た。


 最低すぎるな、この男。

 確かにこの世界、胸の大きさを気にする人はほぼいないけれど。いたらくるぶし陛下レベルの特殊な変態扱いだけど。

 よって、あちらの世界ほど、巨乳の女の子がモテるわけではないけれど。みんな髪とついでに瞳しか見ていない。


 そうかそうかラウルは髪色でも顔でもなく胸を基準に女を選ぶつもりなのか。

 はいはいどうせ私はそんなにありませんよ。

 いや別に、私もルース様以外に興味ないからこいつの恋愛対象外であることはむしろ良い事なんだけど。

 それでも、なんか悔しいというか。あまりに屈辱というか。プライドが傷つけられたというか。

 普通に私に対する悪口で侮辱だからな、さっきの。


 ああでも、ラウルが最低な男で良かったかもしれない。

 私の軽蔑がふんだんに籠った声を聞いたルース様が、そろ……、と顔を上げて、顔面蒼白のラウルと、ゴミを見る目で彼を見下げる私の様子を伺っている。


 ここにロマンスが生まれると思う? ないよ。

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