第31話

 かすかな音と風の流れの変化で、私の眠るルース様の寝室の扉が開けられたことをなんとなく察する。

 ほぼ同時に、私の眠るベッドのすぐ横に、おそらくは椅子を置いて座っていたリリーリアが、立ち上がったようだ。


「辺境伯様、今のところ、こちらにはまだ誰も来ておりません」

 リリーリアの言葉から判断すると、入ってきたのはルース様らしい。

「ああ。執事が、痕跡から見て襲撃者はプロだろうと言っていた。アレの周囲にここまで上手な仕事をやれる人間はいないはずだから、おそらくどこかに依頼したのだろうとも。怒りに任せて犯行現場に戻るなんていう愚行に付き合う義理はないのだろうな。まあ、あちらから来なくとも、必ず全員捕らえるが」

 確かにルース様がそうおっしゃる声が、少しずつこちらに近づいて来ている。

 あの人、『怒りに任せて犯行現場に戻』ってきたんだ……。私の呪いが発動して、ってことかな。


「ええ、必ず捕らえましょう。ただその手間を考えると、正直来てくれた方がよかったくらいですが……。そもそもこの屋敷、護りが固過ぎて隠し通路でも使わなければ侵入自体困難なんですよね。……どうせ来ないなら、私もそちらに残って、あのクソアマのツラを原型なくなるまで殴っておけばよかったです」


 !?


 普段から毒舌なリリーリアにしてもあまりに乱暴すぎるその物言いに私はかなりぎょっとしたのだが、ルース様は気にした風もなく、迷いのない足音でこちらへとたどり着いた。

 二人は私のすぐ近くに立って、会話を続ける。

「顔か……。多少怪我をさせてしまったが、顔はわざわざ痛めつけなかったな……」

「ちっ。あのツラ、絶対エマニュエル様好きですよ。ボコボコにしておくべきです」

「アレは今は意識を失っているので騎士に身柄を任せてきたが、もし目覚めた後にひどく暴れるようなら、顔に傷がついてしまう可能性もあるな。、言っておこう」

 苛立ちを隠そうともしないリリーリアと対照的に、こちらは落ち着いた声音でルース様がそう言った。……なんか、若干『気を付ける様に』に妙な含みがあった気がしないでもないけど。


 いや大丈夫だよね……?

 傷なんかつけないように気を付けるよう言うってことだよね……? なんならリリーリアの強襲は止めるよ、くらいの。

 仮にもルース様の母だし。あれだけ整った顔面だし。


「意識はないとのことですが、あちらの怪我の状態は?」

 そういくらか冷静な声でリリーリアが問うと、ルース様が淡々と答える。

「ああ、それはもうのでな。鞘でだが、思い切り頭部を殴らざるを得なかった。意識を失ったのはそれだ。せいで脚部の骨折と肩の脱臼、腹部は打ち身程度だとは思うが、内臓に多少ダメージは入っている。ああ、それと、魔法の詠唱をさせないために顎を外させてもらった」


 そ、そんなにか。そんなに暴れたのかあの人。

 まあ割とヒステリックだったし魔法乱用するタイプっぽかったけど。

 でもそこまでしなきゃ無力化できないほどまで暴れに暴れたとは、信じがたい。

 一体何があったんだろう? リリーリアが毒舌全開で挑発しまくったとか?

 ルース様はそれほどまでに暴れられて、よく無傷でいられたものだ。

 ……無傷なんだよね? 二人とも、そこに関しては何も言ってないし。

 こわいなぁ……。


 私がひそかにあの人の思わぬ激しさに慄いていると、ルース様のさわやかなお声が響く。

「まあ、犯罪者であっても王都への護送の前に治療を受けさせてもらえるはずだから、特に問題にはならないだろう。侵入者に対する正当な対応の範囲だ」

「でももし神官の手配が付かず王都まで護送されたら、さぞや痛むでしょうねぇ。脱臼なんかはうまく治さなければ癖になってしまいますし……」

「この地にも神官はいるが、それでも中央に比べるとという部分もある。こちらでの雑な処置のせいであちらで治療のが必要になることもあるらしいな」


 そんな会話を交わした後、うふふ、あはは、とリリーリアとルース様が楽し気に笑いあうのに、なぜか寒気を感じてしまった。

 声しか聞こえないからちょっと自信がないけど、普通に怪我をしてしまったあの人のことを心配してる、んだよね……?

 顎とかの痛みって、脳に近い分キツイとかって聞くし……。


「……こんなこと、エマニュエル様にはとても聞かせられませんね。優しい方ですから、仕方のなかったことと言っても、お気に病まれてしまうでしょう」

「ああ、そうだな。私はもうどうとも思っていない相手だが、一応血縁上は私の母だしな」

 ぽつりとリリーリアが言った言葉に、ルース様は同意した。


 ごめん二人とも、しっかりばっちり聞こえています……。

 いや、私自身仮死状態ってこんなに色々聞けるものとは、思ってなかったんだけど。

 体はまったく動かないし呼吸や脈動すらも私の意志や感情の影響を受けてはいないのだけれど、なぜか耳は聞こえていて、こうして色々考えることはできているのだよなぁ……。ふしぎな感じ。

 ふと私の頬にそっと触れた少し硬い指の感触が、なんとなくルース様の指っぽいとドキリとしても、私の鼓動は、実際には一定のままだ。


「……リリーリアさん、グラジオラス殿、少し、エマニュエルと二人だけにしてもらえるだろうか」

 ルース様がぽつりとそう言うと、すぐにしゃらりとリリーリアの動く気配がする。

「かしこまりました。あのクソアマの様子でも見てきますね。行きますよ、カランシア」


 あ、カランシアもいたんだ!?

 退出したっぽい感じはなかったけど、あまりにずっと静かだからいなくなったかと思ってた。

 気配を消すのが上手いのかな。護衛とか騎士とかのスキルなんだろうか。

 私がそんなどうでもいいことを考えているうちに、部屋から人の気配が減っていく。

 えっ。待って。本当に二人きり?

 使用人も誰もいない、本当の本当に二人きり?

 あ、ドア閉まった! しっかりパタンって聞こえた! 完全に閉められた!

 いや夫婦だからいいんだけど、私何気に異性と部屋で二人きりとか初めてっていうか、ましてここルース様の寝室で心の準備がもう少し……!


 体は変わらずなんの反応もできないのに、私は内心パニックを起こしつつあった。


「やはりエマニュエルは美しいな……。こうして動かずにいるのを見ていると、完成された芸術品のように思えてくる。人類が到達できる美の域を、超越しているのではないか……?」

 ほう、とため息交じりにルース様がそう言って、気まずさと緊張が加速する。


 いったいなにを言っているのだ。

 私は普通に普通の人類だしあなたの妻だ。身近オブ身近。そんなほれぼれするようなものじゃない。

 確かにこの世界では美人らしいけど、三日で見飽きておいて欲しい。

 いや私はルース様の顔を見るたびに好きな顔過ぎて見とれているけど。それはそれとして。


「目覚めて色々な表情を浮かべれば、また更なる魅力を発揮するのだから心臓に悪い。そう考えると、エマニュエルの姿をこんなにじっくりと眺め落ち着いて相対していられる機会は、そうないかもしれないかもな……」

 そんなよくわからない独り言を重ねたルース様は、ひとつ深呼吸をすると、きしり、と、おそらくは先程までリリーリアが腰掛けていた椅子に座ったようだ。


「あなたが聞いていない今だから言えることを、いつかあなたに伝えられるようになるために、今から言葉にしていきますね」

 先程より近い位置から聞こえた彼のそんな宣言に、私は内心首を傾げる。


 ん? んんん?

 いや、普通に聞こえてるんだけど、いいのかな……。

 聞こえてないから言えることってなんだろ? 実は不満なこととか……?

 私に聞かれていないつもりなのだろうけど、口調は普段私に対するものに切り替わったようだし、私に伝えたい気持ちはある……?


「……私も、あなたを愛しています。私と本当の夫婦に、なってください」


 そう聞こえてきた刹那、疑問も混乱も焦りもなにもかもが吹き飛んで、妙なくらいに心が凪いだ。

 次の瞬間心の底から湧き上がってきた歓喜が爆発し、全身が包まれる。


 叫びたいほど嬉しいのに叫べないもどかしさに臍を噛む思いの私の耳に、そっとルース様の声が届く。

「……愛して、しまったんです。元々、愛しているつもりではいたのですが。けれど当初私があなたに抱いていた感情は、たぶん崇拝かなにかで、対等な相手に対するものではなかったのでしょう。少なくとも、恋ではありませんでした」


 薄々、そんな気はしてた。

 全てに過去形が付いていることに安堵する私に語り掛けるように、ルース様は続ける。

「いつから恋愛感情に変わっていたのかは、わかりません。気づいたのは、【エマ】と呼んだあの男に嫉妬をした瞬間です。私ごときにそうする権利はないとわかっているのに、あなたほど美しい人であれば、皆に愛されて当然だというのに。それでもどうしても、『私の妻なのに』と、思ってしまって……」


 いや当然。それでいい。むしろ嬉しい。

 それなのに、まるで罪の告白をするかのような苦し気な声で心情を吐露し続ける彼を宥めることもできないわが身が、歯がゆくて仕方がない。


「……そう思った瞬間、自分が恐ろしくて、こんな執着をあなたに向けることがあってはならないと思って、私は、屋敷を出ました」


 いやかまわないってば! 執着大歓迎!

 嫉妬されても束縛されても、それだけ愛されているって喜ぶけど!?

 そう叫んでしまいたいのになにもできない私に、ルース様はゆっくりと語り掛け続ける。


「けれど、リリーリアさんとグラジオラス殿があちらに来て……。ふふ、リリーリアさんに、『エマニュエル様のしあわせを、勝手に判断なさらないでください』と叱られてしまいました。他にも色々と話をしたのですが……、なにより、二人の様子を見て、すごく、しあわせそうだと思ったんです」

 リリーリアが失礼なことを言ったのではないかと一瞬焦ったものの、愉快そうな感じさえする穏やかな声で、ルース様は続ける。

「正直うらやましかったです。私もあなたに会いたいと、思わされました。なにより、グラジオラス殿が、本当にしあわせそうで。もし私があなたの求めに応えたら、あなたもこんな風に笑ってくれるのだろうかと思い……、なにより大切なのはあなたのしあわせだと、気づけたんです」


「嘘でも、いつか捨てられることがあっても、今あなたが喜ぶならなんだってかまわないじゃないか。あなたがあんな風に笑ってくれるなら、それこそが私の望みだ。そう、心の底から思いました。嫉妬も執着も、あなたの笑顔のためなら絶対に抑え込める。抑え込もう。この愛という感情の綺麗な部分だけをあなたに捧げようと決意し、こちらに戻ろうと決めました」

 一段引き締まった、決意の固さを思わせる声に変わったルース様は、私の頬をそっと撫でながら、そう告げた。


 嘘じゃないし捨てないし嫉妬も執着もしてくれていいのになぁ……。

 汚いと思っているらしい部分まで、その愛のすべてを私に示して欲しい。

 ただこれに関しては、『色より、腕っぷしとそこに至るだけの努力を重視』という嗜好とその前提になっている『一族と彼の性質』を明確にしているカランシアと違い、『顔と性格が大事。正直色とか魔法とかどうでもいい』とその前提になっている『私の前世』について話してない私が悪い。

 あなたこそが私の好みなのだとちゃんと説明していないから、私の愛が今一つ信じられないし私が他に行く可能性を思い浮かべてしまうのだろう。申し訳ない。


「……なのに、私が戻る前に、あなたが倒れたと聞いて……。心臓が凍り付いたような心地がしました。世界の色がすべて失われるかのようで……、私はもう、あなたなしでは、呼吸もままならないと痛感したんです」

 そう絞り出すように語ったルース様の声は、かすかに震えていた。泣いているのかもしれない。

 申し訳なさが加速する。今すぐ飛び起きて土下座でもしたい。できないけど。


「今までいかに幸福だったかを実感し、なのになぜそれを大切にしなかったのかと、後悔しました。

 ……だから、もう、なりふり構わないことにしました。あり得ないとしても、あなたに愛されていると信じ、しがみついてやろうと。愛され続けるように、努力をしようと。そう、決めました」

 どうやら、ルース様が先ほど言っていた『嘘でも、いつか捨てられることがあっても』の『嘘でも』の部分は、前世の開示を待たず、私が死にかけたことで吹っ切れたらしい。

 まあ私がルース様のキスで目覚めれば相思相愛の証明になるというのもあるんだろうけど、失われると思って初めて今まで確かにそこにあったものに気づいたのかもしれない。


 やっぱり申し訳ないような、前向きになってくれたことは嬉しいような。

 そんな微妙な心地の私の頬を撫でていた彼の指がとまり、その手のひらが、そっと私の顔に添えられた。


「どんな色の相手にだって、負けません。私が誰よりも、あなたを愛していますから。どんなことでもします。なによりあなたを尊重します。見目の悪さはどうしようもありませんが……、それ以外の部分で努力を重ね、あなたをつなぎとめてみせましょう」

 そう決意表明をする彼の声が、気配が、もはや吐息が顔にかかるほどに近づいて来ている。


「だから、きっとあなたは目覚めてくれると、私たちは愛し合っているのだと信じて、キスを、贈ります」


 そんな宣言の少し後に、そっと柔らかな感触が、私の唇に重なった。

 頬に添えられた手も、唇に触れたおそらくは彼の唇も、少し冷たくて、震えていて。

 彼の緊張と恐怖が伝わってくるかのようだ。


 もし、目覚めなければ。

 私はそのまま、死んでしまうかもしれない。

 私が彼を愛していないことにもなってしまう。


 それはさぞや、怖いことだろう。

 けれど。


 ふわり、と、あたたかな何かが、唇から広がって、全身を撫でる。

 徐々に血が巡っていく感触。

 何かに撫でられた箇所から、私の体が私のものに戻っていくような心地がする。


 桜色の光を瞼の向こうに感じとった目が、開けられた。


「エマ……」

「私もルース様のことを愛しているわ! いっしょにしあわせになりましょう!」

 嬉しそうに私の名を呼び掛けた目の前の人に抱き着いて、私は勢いよく叫んだ。

 色々、それはもう本当に色々と言いたかったことはあるけれど、一番伝えたいことを。


「えっ、えっと……?」


 戸惑う様子のルース様からそっと身を離し、ずっと眠っていたところからいきなり動いたせいで少しクラクラする体を根性でねじ伏せ、ベッドの上に座った状態で背筋を伸ばす。


「まずは、謝罪を。伝える手段がなかったしわざとではない、とは、ただのいいわけね。……全部、聞こえていたの。ごめんなさい」


「…………ぜん、ぶ?」

 ルース様はそう言って首を傾げ、硬直してしまった。


「全部。ええ、もう、全部よ。お義母様、ずいぶんと暴れたのね。びっくりしたわ。それから、あなたの嫉妬も執着も大歓迎。それが迷惑になるのって、一方的なときでしょう? 私もめちゃくちゃ嫉妬すると思うしあなたに執着しているから、双方向、相思相愛、なんの問題もなし! ってことで!」

 私がそう畳みかける間に、じわじわとルース様の顔が赤く染まっていった。


「ぜ、全部! 全部聞かれていたんですか!? うわ、うわぁっ……!」

 ぐわっと両手で顔を覆い、彼は呻いた。


 かわいい! かっこいいのにかわいい! もう大好き!


 正直そう言ってしまいたかったけれど、ますます恥ずかしがってしまうかもなと思った私は、ちょっぴりと猫をかぶって、そっと落ち着いた声音で伝える。

「私はあなたの本音が聞けて嬉しかったわ、旦那様」


「…………エマニュエルが喜んでくれたなら、なにより、です」

 ちらりと手のひらから視線を上げて、満面の笑みの私を見たルース様は、若干涙目だったけれど、確かにそう言ってくれた。


 本当にかわいい。愛しさが爆発してしまう。

 彼への愛しさと、ようやく彼と会話ができる喜びとをかみしめて、私は勇気を振り絞る。


「では、あなたが隠したかったことを聞いてしまった代わり……、というわけではないのだけれど、私もひとつ、私の秘密をあなたに伝えるわ。

 ……聞いてくれるかしら?」


「秘密、ですか……?」

 ふしぎそうに顔を上げたルース様は、まだ顔は赤かったけれど、それでも真剣な表情に変わって背筋を伸ばした。

 私の秘密を真剣に聞いてくれるつもりらしい。


「私、この世界の美醜の感覚に、今一つ納得していないの。それというのも、私にはこことは異なる世界で生きていた記憶があって――」

 そう切り出した、私の長い長い話。


 あまりに信じがたいだろうそれを、ルース様は真剣に聞いて、何度か質問は挟んできたものの、疑うことも笑い飛ばすこともせずに、受け止めてくれた。

 最後には『まあ、そうでもなければ、あなたが私を好きな理由に説明が付きません』と言ってくれた彼は、私の早世した前世に涙を流し、その分まで今これからの人生を幸福で満たしていこうと、誓ってくれた。

 その優しさに、私はまた改めて、彼に惚れ直したわけなのだけれども。


 こうして私たちはこの日、真実心を通じ合わせた夫婦となったのだった。

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