第30話
「……今更ですけど、この隠し通路って、私も見て大丈夫なんですか?」
「エマニュエルに誰より信頼されているリリーリアさんなら、問題ないだろう。それに……、ああ、やはり最近ここを通った者がいるな。であるからにはここは封鎖か……、まあ、なにかしらの対処をするつもりだ。現状を知る者がもう一人増えたところで同じことさ」
「なるほど。では遠慮なく。……確かに、足跡がこんなに……。大きさからして成人男性、女性もいますかね……?」
「ああ、この辺りはヒールの細い靴の跡に見えるな。なんにせよ、エマニュエルの自殺だった可能性は、ぐっと低くなったと言えるだろう」
エマの寝室、ルースが開いた隠し通路の先。
普段は秘され利用されることはないその床にはほこりがつもり、そこにくっきりと、幾人もの足跡が残されていた。
それらを眺めながら、リリーリアとルースはそんな会話を交わしていた。
おそらくはエマを殺そうとした人物たちの足跡をしばらく眺めていたリリーリアは、いつもの通りの無表情で、そっと口を開く。
「……さて、どうしてやりましょうかね」
「まあ、ただ殺すだけで済ませられるものではないな」
ひどく冷静な声音で物騒なことを言い合ったリリーリアとルースは、さっと足跡から視線を外し、アイコンタクトを交わしうなずき合った。
「エマニュエル様であれば、司法の裁きに任せるべきとおっしゃるでしょうが……」
「ああ、それもいいんじゃないのか?」
今すぐにエマを害した存在に殴り込みでもかける勢いのリリーリアに対し、ルースはあっさりとそう認めた。
「は? え、辺境伯様までそんなぬるい感じです……?」
信じられないようなものを見る様に、リリーリアはそう言ってまじまじとルースを見る。
「そうか? 夫で辺境伯である私、父君の公爵閣下、恩義と負い目のある国王と王太子、とどめに女神のいとし子。彼女を大切に思う人物がこれだけ中枢に食い込んだ国家の法の裁きにゆだねるとなると……」
淡々と答えたルースの目に自分と同じかそれ以上の怒りと決意が潜んでいるのを見て取ったリリーリアは、ルースが濁した言葉の先を読み取り、うんうんと満足そうにうなずいている。
「そうですね、被害者の心理的負担になるようではいけませんからね。やはり国に任せましょう。……エマニュエル様の知らないところで、どんな不慮の事故や手違いが起こるかはわかりませんけど。そんなのは知ったことではありませんから」
後半ぽそりとリリーリアが付け足した言葉に、ルースもしっかりとうなずいた。
「さて、この道を使われたことが判明した以上、ここを知る関係者すべてに話を聞くだけの理由にはなるだろう。まずは……」
「待ってください辺境伯様。なにか、来ます」
「……!」
近寄ってくるなにかの物音に最初に気づいたリリーリアがルースの言葉を遮り忠告し、それを受け気配を探ったルースも何かに気づき表情を変えた。
コッ、カッ、カツカツカッカッ
いらだっているかのように荒く感覚の短い足音が、隠し通路の先から響く。
隠す気すらもなさそうな妙に堂々としたそれに二人は訝しげな表情をしつつも、ルースは剣を、リリーリアは拳を構えて油断なく待ち構える。
「お前、いったい私になにをしたっ!」
やがて現れた人物がそう叫びながら放った炎の矢を、ルースは斬撃で打ち消しつつ、首をひねった。
「なにをと言われても……、そもそもあなたは誰だ?」
「もしや、コレは辺境伯様の母とかいう人じゃないですか? ここを通って来たわけですし。それにお二人、お顔立ちに似ているところがなくなくなくもない気がしますし」
「しかし、その人の髪は紫だと聞いているんだが……」
「お前がなにかしたに決まってる! わ、私の髪、髪が……。……あああ! これではまるで、お前じゃないか!」
余裕すら感じるようなのんびりとした調子で現れた人物の正体を推測しあうリリーリアとルースの声をかき消す勢いで、ひどく取り乱した様子の白髪の女は髪を掻きむしりながら叫んだ。
「あ、わかりました。辺境伯様、こいつがエマニュエル様を襲った犯人です。あなたの母かどうかは後で確認するとして、とりあえずとっ捕まえましょう」
一人納得したようにリリーリアがそう言うと、ルースの雰囲気ががらりと変わった。
すっと目を細め剣を構え直したルースの剣呑な雰囲気に、女はヒュッと息を呑む。
「ま、待て。待って。な、なにを根拠に……」
「ソレ、エマニュエル様のオリジナルの呪いなんですよ。まだ髪の色だけみたいですが、そのうち髪そのものも抜けるらしいですよ。あはははははははっ! ざまあみろ!」
「リリーリアさんでも、そんなに全力で笑うことがあるんだな……。エマニュエルに呪われた、突然不法侵入をしてきた不審者。斬らない理由はないな」
心底楽しそうに大笑いしながらリリーリアが、それに若干ひいた様子でルースが、様子は異なりながらも息のあった動きでじりじりと女との距離を詰めていく。
「そ、そんな、術者が死んだ後に継続して効果を及ぼす魔法なんて、あるわけが……」
顔色を悪くし首を振りながらも、女は自身の前に炎の壁を作り出し二人との距離を保とうと試みた。
「あはは、語るに落ちてますねぇ! あなた、なんでエマニュエル様が死んだと思ってるんです? もう犯人確定じゃないですか!」
「エマニュエルは生きている。生きていない方がいいと言う人物がいるなら、私が全力で排除する」
リリーリアは水をまとった回し蹴りで壁をかき消し、ルースがそこから踏み込み彼の剣が女の顔面に肉薄する。
「ちょ、っ、とぉ! は、母になにをするのよこの親不孝者!」
後ろに下がり剣を避け、牽制にしかならない水をひねり出し撒き散らしながら、女は叫んだ。
ルースはそれを、なんなく躱す。
「やけどをするほどの温度なら水も立派な凶器だと思ったが、そうではなさそうだ。詠唱なしでは大したことはできないと見える。……弱い、な。こいつだけでエマニュエルに勝てたとは思えない。リリーリアさん、今ここにいない襲撃者の方が脅威だ。あなたはエマニュエルの元へ」
ルースの言葉に、怒りでか羞恥でか女はカッと顔を赤く染め、リリーリアは一瞬だけ考える素振りを見せたが、すぐに頷いた。
「あちらはカランシアがいるのでまず平気だとは思いますが……。かしこまりました。ご武運を」
「なんなのよあんたたち、ブサイクの分際で!」
去って行こうとするリリーリアの背中に向かってそう叫びながら、女は炎の矢を指先から放った。
けれどそれは、あっさりと途中のルースの振るった剣に、かき消されてしまう。
「はっ。今やあなたの方が私たちよりよっぽど醜いですけど? ああ、今どんな気分か教えて下さいよ。我が主への土産話にするので」
ちらと視線だけで振り返り、実に嫌らしく鼻で笑いながら、リリーリアはそう言い放った。
「……っ殺す!」
「ああ残念。まともに感想を語る知性も理性もないようですね」
激高し顔を真っ赤にした女が叫ぶと、リリーリアはもう興味を失ったかのように背を向け、エマニュエルの眠る部屋へと駆け出した。
「あちらには行かせない。あなたの相手は私だ」
リリーリアを追いかけようとした女の前にルースが立ちはだかりそう言うと、女は怒りと憎しみのこもった視線を、まっすぐにルースへと向ける。
「出来損ないの分際で、私を止めようと? 髪の色は奪われたけれど、私は魔力は少しも失っていないのよ」
「剣の届く距離まで寄って来た魔術師など、脅威でもなんでもない、ただの馬鹿だ。あなたは先ほどから、まともに詠唱もできていないだろう。私の母という人は、ずいぶんおそろしい存在だと聞いていたんだが……」
いっそ哀れみすらこもったまなざしで、ルースは女を見下げた。
「……っ! まあ、ずいぶんと生意気に育ったのね!」
「そうだとすれば、きっと生みの母のせいだろうな!」
怒りのままに叫んだ女は腰に着けていた鞭に炎をまとわせ振るい、ルースはそれを剣で払った。
攻撃ではなく距離を開けることこそが目的だったらしい女は追撃はせずに三歩下がり、ルースを睨む。
「……そして、ずいぶんとお優しく育ったものね。あなた、防戦一方じゃない?」
女は一つ深呼吸をすると、いくぶん冷静さを取り戻した様子でそう言ってルースに微笑みかけた。
ルースは何かを考えるように視線を流すと、ぽつりぽつりと言葉にまとめていく。
「私の妻が、エマニュエルが、あなたの話を聞くたびに、嫁姑戦争(物理)だ、と、ずいぶん楽しみにしていたんだ。ボコボコにしたい、苦しめたい、無様な泣き顔が見たいと。折に触れリリーリアさんに語っていたそうだ。一番やってやりたかったらしい白髪の呪いは、どうやら成功したようだが」
「なに、を……?」
女は戸惑った様子を見せるが、ルースは意にも介さず、淡々と続ける。
「エマニュエルの望みは、なんだって叶えたい。私だって、彼女を害した人間など、ただ死なせるだけで済ませるつもりはない」
そう断言したルースは、ひどく冷たいまなざしで女を見る。
「痛みに苦しみ屈辱にまみれ恐怖に震えありとあらゆる苦難を味わい、いっそ死にたいと望んでも救済などどこからも与えられない絶望に染まって欲しい。……女神のいとし子殿は、どんな瀕死の重傷者も癒せるそうだ」
そのまなざしと声音の冷たさにルースの本気を感じ取り、がたがたと震え始めた女を、ルースはやはり無感動に眺めた。
「ただ、私はどうやら、手加減が苦手らしい。日頃相手にしているのが魔獣ばかりのせいか、人体なんて、どこを切っても死ぬビジョンしか見えない。人間は多少の出血であっさり死んでしまうからな。例えば首だが……」
ヒュッ
そんな音が先だったのか、首の皮一枚を切るかというところまで刃が迫ったのが先だったのか。
「この細さ、魔導障壁すらも張れない愚鈍さ。あっという間に跳ね飛んでしまう。それじゃああなたは、何が起きたかもわからないままに絶命してしまうだろう? それでは、いけない」
ルースはそう言って剣を下げ、シャンと鞘に納めた。
離れていたはずの距離をまるで無視して、ルースがなぜか目の前にいた。そうとしか感じ取れなかった女の首は、確かに先ほど跳ね飛ばされていても不思議はない。
「あ、あ……」
今己の首がつながっていることが信じられないとばかりに首を抑え、女は床にへたり込んだ。
そんな女を冷徹に見下ろしながら、ルースは『防戦一方』の理由を、引き続き淡々と説いていく。
「だから、攻めあぐねていたんだ。どこまで手を抜けば良いのか悩むほどに、あなたは弱すぎる。あなたは魔法が多少使えるのに、それに頼ってばかりで肉体はひどく惰弱だ。動きが遅い反応が鈍い考えが足りない、その上覚悟すらも感じられない。……これなら、色なしの私の方が、よほどマシだ」
ルースはそう自分で言ってから、ハッとなにかに気づいたように顔を上げた。
「……ああ、そうだな。あなたより、私の方が優れている。魔力がない分重ねた努力が、確かに実になっているのだと、今、よくわかった」
その瞬間、エマが見れば黄色い歓声を上げそうなほどに美しい笑顔をふわりと浮かべたルースは、一転柔らかな声音で告げる。
「感謝するよ、母上。あなたのおかげで、よくわかった。エマニュエルの言っていた通りだ。私もそう、悪くはない」
「魔力は足りなくたって、実際に辺境伯をやれているんだ。髪色が自分より優れていたあなたにだって、負ける気はしない。そう、私はエマニュエルの役に立てる。やはり洗練されたやり方ではないかもしれないが、彼女はこんな自分を、望んでくれたんだ!」
歓喜に震えながらそう言ったルースを恐怖のまなざしで見つめる女は、床を這い距離を取ろうともがいているが、その動きは悲しいくらいに遅い。
全て児戯のようにいなされてしまった魔法にもう一度頼る気力も、もはやない。
「もし将来生まれた子が私に似てしまい容姿が悪くとも、私やリリーリアさんのように、それ以上の武器を得ればいいと言ってやればいいんだ。この見目でもどこまでも幸せになる親の背中も、見せてやりたい。……だから私は、彼女と生きていくよ」
晴れやかな笑顔でそう言い切ったルースが剣を鞘ごと振り下ろすのを、女は絶望に染まった表情で眺めることしか、できなかった。
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