第29話

 うーん、自殺じゃないんだけど……。


 ルース様が言っていた通り隠し通路から賊が侵入してきて、私を殺そうとしたのだ。

 ルース様のことは変わらず愛しているから、さっさとキスしてくれたらそれで私の目は覚める。

 そうすれば、犯人のこともすべて証言できるのになぁ……。


 ……目は覚める、はず、だよね? ルース様は私のことを、愛してくれている、のよね?

 カランシアとリリーリアは、ルース様の誤解を無事に解いてくれたのだろうか……。

 いや誤解が解けたとしても、一度私が軽率な言動で、ルース様を思い切り傷つけてしまった事実は変わらない。直接の謝罪も、できないままだ。

 もう、嫌われてしまったかもしれない。

 そしたら、私は……、ああ、いやでも確かに女神さまのお考えの通り、愛し合う人のいない世界に生き返ったって意味なんてないなぁ。母の家族愛に期待をするよりは、彼でダメならダメと思おう。


 まあ、ルース様の愛に対する疑問はリリーリアもルース様自身も特に言及していなかったし、きっと、大丈夫。

 今はとにかく、私は彼のことを信じて、待とう。待つことしかできないとも言うけど。


 肉体は眠ったままなのに意識だけ目覚めているというなんとも気持ちの悪い仮死状態のエマは、こうなった原因、私が殺されかけた昨日の深夜のことを思い返す。



 ――――



 夕方に夕飯を断った後、自室に戻った私はソファでぼーっとするままに、ドレスから着替えることも忘れて、うたたねをしてしまったようだった。

 ハッと気が付いたときには、すっかり夜も更けていた。

 いつの間にか部屋のランプがおそらくは燃料切れで消えていたこともあり、すっかりと暗くなった部屋の中、軋む体をぐーっと伸ばしているところに、そいつらはやってきた。


 一度だけルース様に見せてもらった後は、特に活用することもなく存在すら忘れかけていた、隠し通路。

 その鍵の役目を果たす壁飾りがぽうと光ると音もなくその横の壁が動き、人一人が通れるほどの隙間が、開かれた。


 次の瞬間、おそらく魔法か魔道具で生み出されたのであろう煙がそこから寝室内に流れ出て、ぶわりと部屋中に広がっていく。

 くらりと意識を奪われそうになるにおいと、濃い闇の魔力の気配。

 反射的に防ごうと障壁を組むことを試みたが、寝起きのぼんやりとした頭と、ここ数日弱っていた体はうまく動いてくれなかった。


 あ、ダメだ。これ、息を止めていても、この煙に触れた手足の力すら奪われているような気配がする。


「ぅ、くっ……!」

 それでもどうにかひねり出したささやかな抵抗と、自前の高魔力が自動で防いでくれたらしい分があり、意識を保つことにはなんとか成功した。

 しかし手足からは力が抜けきってしまい、私は再びソファへと沈む。

 突然の異常事態に焦る私を尻目に、ゆっくりゆっくりと、解けるように消えていく煙。


 カツン


 硬質な靴の音が、いやに響いて聞こえた。それに続く、足音を殺し切れていない幾人かの気配。

 誰か、それも複数人が、この部屋へとやってくる。この屋敷の、歴代の当主夫妻しか知らないはずの、隠し通路を通って。


 やがて現れたのは、4、5……? 私が見える範囲に立っているのは5人の、皆背は高く体格がよさそうだが男性とは断言できない、体の線がわかりにくいローブをまとい、顔を隠した集団。先頭の一人が、ランプを持っている。

 そして集団の中心に守られるように立つのは、露出の高い派手なドレスを身にまとい、おそらく先ほど響いた靴音の原因であるハイヒールを履いた――、


「うっわすごい迫力美人。ハリウッド女優か?」

 その女性を見た瞬間、色々と重なりどうやら混乱していたらしい私は、ぱっと脳に浮かんだ言葉を、そのままぽろりと口から漏らしていた。

 前世知識を言葉にするべきではないという常識も、長年の猫かぶりで染みついたはずの公爵令嬢らしさも、すっかり抜け落ちたままに。


「は? コイツなに言ってんの? ってか、なんで喋れているのよ」

 中心の女性は苛立たしげにそう言うと、彼女の目の前の人物の腿の辺りを蹴りつけた。

 蹴られた人物はぺこぺこと頭を下げているが、言葉を発しない。周囲の人間も一様に沈黙していることから、集団は私に声を聞かれることを警戒しているのかもしれない。


 それにしても、この美人になら蹴られるのもご褒美なのかもなと思う程に、めっちゃくちゃ美しいな。

 年の頃は30代、もしかすると40くらい。手足が長く、髪は紫で瞳は瑠璃色。

 下品にもなりかねない派手なドレスと装飾品を纏っているのに、圧倒的なスタイルの良さとため息が出るほど整った顔立ちが、それらを彼女の美貌の引き立て役でしかなくさせている。

 ちょっとサディスティックな感じも様になっている。ヴィラン的魅力とでもいうか。


 ああいや、見とれている場合じゃない。相手はおそらく私に敵意のある侵入者だ。


「私、闇の魔法が得意ですの。魔法は、術者より格上の相手には通りにくいものでございましょう?」

「ちっ、つくづく嫌な女ね」

 私が気を引き締めきちんと猫をかぶり直し、正直やられかけていることなんて悟られないようできるだけ余裕そうに挑発すれば、美人が心底嫌そうに舌打ちをした。


「あなたとは初対面かと存じますが……、そうとまで言われるほどのかかわりが、過去にありましたでしょうか?」

 いや絶対ないけど。一回だって会ったら忘れないわ、こんな美人。

 そう思いながらも慎重に問うと、美人はふんと鼻を鳴らした。

「直接の知り合いではないわ。あんたが、私の産み落とした過去の汚点を、ずいぶんとかわいがってくれているようだから」

「過去の汚点……?」


 曖昧過ぎる表現に私が首をかしげると、それを忌々し気に睨みつけながら、彼女は吐き捨てるように言う。

「こう言えばわかるかしら? ここ、元々私の部屋だったの。ずっと昔に出て行ってやったけど、【道】は変わらず使えたわね」

「ま、まさか、お義母様、ですか……!?」

「あなたに母と呼ばれる筋合いはないわ」


 おお、実に姑っぽいことを言われてしまった。

 いや実際、姑なのだろうけど。この美人はおそらくルース様の生みの母、先代辺境伯の元妻だ。

 私だって事前情報だけならクソババアとでも言ってやりたかった相手だけど、なるほどルース様のお母様だと思わせるほどの迫力ある美貌のせいで、思わずお義母様とか言ってしまった……。

 よくよく考えたら彼女の髪の紫色はそれほど濃くはないので、この世界的にはまあそこそこくらいのルックスかつほどほどに水と炎が操れる魔術師だろうと推測されるが、この顔の人をクソババアと呼ぶ勇気は私にはない。

 ルース様の年齢から考えて、おそらくは40なんてとうに過ぎてる可能性が高いが、嘘でもババアとすら言えない。


「まあ、認めたくはないことではあるけど確かに、私はあの失敗作、色無しの辺境伯の母親よ」

 しかし、吐き出す言葉は、間違いなくクソババアだ。


「仮にも母である人が、かわいいわが子を失敗作呼ばわりだなんて……、心底軽蔑いたしますわ」

 私がきつく彼女を睨みながらそう言っても、美人はそれを鼻で笑う。

「私の親が金と権力におもねって差し出した先の、少しも愛しくない、どころかひたすら気持ち悪いとしか思えなかった男に生まされた子だもの。私が望んだ存在じゃないわ」


「貴族の子女であれば、政略結婚など当然のことだと思いますが。その相手がどのような方でも、敬意を持って親愛を育み、パートナーとして支え合える関係を構築すべきかと」

「あーあーいかにも優等生ですこと。だから大っ嫌いなのよ、あんた。さすがアレとうまくやっているだけのことはあるわ」

 心底嫌そうにそう吐き出した彼女に、私はまっすぐに反論する。

「いえ、ルースとのことに関しては、義務とかしがらみとか関係なくただ彼のことが愛しいから結婚したまでです」

 王太子殿下の婚約者をしていた時は、さっき口にしたような考えから、トキメキとかはなくても仕事として仕えるつもりでいたけれど。


「あ、あんた、ずいぶん変わった趣味をしているのね。街の人間が噂していた通り、本当にあんなのと相思相愛なの……? そういえば、さっき私のことも美人とか言ってなかった……?」

 嘘偽りなど一つもない私のまなざしにひるんだかのように、美人はひきつった笑みでそう言った。


「ええ。あなたは美人だと思います。性格は最悪ですけど、それすらも危険な魅力に変えてしまうくらい素晴らしい顔面とプロポーションをお持ちですから」

「……な、なんなのよコイツ。私、自分で言うのも悲しいけれど、どう見たってそこそこの外見なのに……。こんな完璧な美貌の人間にそんなこと言われたって嫌味でしかないわ……」

 せっかく素直にほめたのに、美人はむしろますます訳が分からなくておそろしいとばかりに、一歩後ずさってしまった。


 そんな彼女の背を支えるように、集団の中の一人がそっと手を添えた。

 彼女は気を取り直すように頭を振ると、背筋を伸ばして私に問う。

「ああ、いえ、あんたが変だとかは今はどうでもいいのよ。とにかく、アレと結婚できるような人間に、生きていてもらうわけにはいかないの。……一応訊くけれど、あなた、私が手引きをしてあげると言っても、他のもっとまともな相手、そう例えば黒髪の近衛騎士とかとどこか遠くで生きていくつもりは、ないのよね?」

「ありませんわ。私は、ルースに生涯変わらぬ愛を誓っております」


「……そう、残念ね」

 私の返答を聞いた美人がそう呟いた瞬間、集団の中から炎の矢が飛ばされた。


「どうして、私が生きていてはいけないのでしょう? この屋敷この部屋に戻りたい、とかではないですよね?」

「なんでこの距離で当たらないのよ! 私がこの家に戻る!? 冗談じゃないわ!」

「私、この色ですのよ? 格下の魔術師の魔法を乗っ取って逸らす程度のこと、できないわけがございませんでしょう。この家に戻る気はないのであれば、なぜ私の排除などしますの? もはや関係ないのではなくて?」

 矢継ぎ早に撃ち込まれる魔法をやり過ごしながら、私は問うた。


「アレはね、どうしょうもない出来損ないではあるけれど、金を稼ぐ能力だけはあるの。ここの領主が相手をするような大物の魔獣は、高く売れるから。アレの父親も、金払いだけはよかったわ。けれどアレはあの姿、きっと生涯結婚も子を成すこともできないまま、力が衰えた時にでもきっと不慮の事故で死ぬ。そうすれば、アレが蓄えた財産は、母である私のものでしょ?」

「確かにこの地は危険が多いようではありますが、ルースを早死になんてさせませんわ。私どもが護ります。あなた、どれだけ長生きする気ですの?」

 あまりに身勝手な言い分に呆れてしまった私は、ため息交じりにそう尋ねた。

 いや、この美人はルース様と同世代と言われても納得する若々しさだが、実年齢はそんなわけはない。子より長生きするつもりだなんて……。


 ところが、私の呆れの視線の先で、美人はにやりと勝気に笑った。

「私にはね、ちゃんと愛する人との間にできた子どもがいるの。アレにとっては異父兄弟になるわね。アレが独身のまま死ねば、あの子にはその財産を受け継ぐ権利がある。だから困るのよ、アレを受け入れられる妻とか。まして、子どもなんてできたらもう最悪」

「ああ、そういうことですの……」

「わかったら、さっさと観念なさい! さっきから反撃はできていないし、動くのは達者なその口ばかり。この人数相手に勝ち目はないでしょ!」


 ……バレたか。


 そう。何度も動かそうと試みているのだけれども、手足はしびれてしまったようでまったく動かない。

 魔法は今のところいなせているけどいつまでできるかわからないし、まして刃物でも出されたら、この人数を相手取って生き残れる気はしない。

 さっきからこれだけ騒いでいるのに、扉の外にいるはずの護衛も駆けつけてくれる気配がない。おそらく、そこら辺も対応されているのだろう。

 入念な準備に恐れ入る。勝ち目がないとは、事実だろう。


「……もういいわ」

 やがて美人はそう言って集団の魔法を止め、ドレスのスリットからその長い足をするりと出した。彼女の太ももに巻き付いているホルスターには、存外武骨なナイフ。

 それを取り出し握りしめこちらに歩みを進める彼女から逃れようと身をよじってみたものの、やはりまだ動かない私の体は、べしゃりと床に滑り落ちただけだった。


「ああ、やっぱり動けないのね。……せめて一思いに殺してあげるわ、腹立たしいくらいに美しいあなた」

 そう言って残虐な笑みを浮かべて私を見た彼女に、攻撃魔法の一発くらいは、放てる気もした。


 けれど、残る5人の実力はわからない。

 他にもなにか、準備をしているかもしれない。

 だから私は、まっすぐに振り下ろされるその刃を、ただ受け入れることにした。

 ディルナちゃんと、愛の女神様を信じて。


 温存した魔力をささやかな呪いに代えて、目の前の彼女に、放ちながら。


『腹立たしいくらいに美しいのは、あなたの方だと思うわ、クソババア。

 私、あなたに会ったら、やってやりたいことが前々からありましたの』

 言ってやりたかったその言葉は、切り裂かれた喉から先には、発することができなかった。

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