第28話
「夕方、確か16時ごろですね。エマニュエル様が寝室外の廊下に出てこられ、そこに控えていた私どもに夕飯は不要と伝えられました。体調について伺うと、『少し昼を食べ過ぎてしまっただけだから』とおっしゃっておりましたね。了承するとすぐに、寝室に戻っていかれました。そこまでは間違いなく、ご無事、だったと思います」
「あの日はリリーリアさんがまだ戻らず、他の者はしばらく部屋には入らないで欲しいとエマニュエル様がおっしゃっていたので、それからの部屋の中の様子はわかりません。ただ、屋敷、それも一番奥深くにある奥様の部屋へ、外部の者が侵入したような形跡はないように思います」
「我々護衛はずっと交代で外に控えておりました。庭も警備が巡回しております。自分は扉の外にいたのですが、23時ごろですね、ふと、なんだか嫌な感じがしたというか、変に静かすぎるように思いまして。一度扉の外から奥様にお声がけをしましたが返事がなく、かなり強めに扉をたたいたのですが、それが響かなかったことで、音を遮る魔法が使用されていたと確信しました」
「奥様が安眠のために魔法を用いた可能性も考慮して、部屋に最初に入ったのは、私たちメイド2名です。
……エマニュエル様が床に倒れ伏し、血にまみれ、意識を失っておられるのを、発見いたしました」
「すぐに大きな騒ぎになりましたが、よくよく見れば奥様に外傷はなく、ただ眠っておられるように見えました。ただ、そのときほんのりと桃色の光を奥様がまとっているように私には見えたのですが、部屋の明かりをともした瞬間には消えていて、他の者はそんなものは見なかったと言っており、見間違い、だったのでしょうか……」
「騎士の中に治癒魔法の使い手がおりましたので急ぎその者を、次いで神殿から高位の神官を呼び奥様を診てもらいましたが、両名ともに奥様は体に悪い部分はなく眠っておられるだけとの診断を下しました。ただ、いくら呼びかけても、意識が、戻られません」
――――
エマが倒れたとの知らせを受け取ったルースは、単身闇夜の中を馬を駆けさせ、馬車で戻る途中であった老執事、リリーリア、カランシアを僅差で追い抜いた。
エマが意識を失った翌日、皆が揃った屋敷の中、血で汚れ、また中を検める際に鍵を破壊されたために使用できない状態の自室から運び込まれたエマの眠る、ルースの寝室にて。
屋敷にいた者たちの報告を受けたルースは、沈痛な面持ちで三人と情報の共有と整理を行っていた。
「おそらく、エマニュエル様は一度、死にかけておられますね。ドレスと部屋に残っていた血痕から見て、首の太い血管を、掻っ切られているかと」
一度、エマが死にかけた。
リリーリアの出したその衝撃的な結論に、残る三人は愕然とした。
けれど同時に現在眠る彼女には外傷がないことに気づいたルースだけは、顔色を悪くしながらも、尋ねる。
「今、彼女に傷がないように見えるのは、エマニュエル自身が治療した、ということだろうか?」
「いえ、桃色の光の目撃情報もありますし、あの桃色娘、失礼、ディルナ・ラークスパー男爵令嬢様……、ああ、王太子との結婚のために、今はどこぞの侯爵家の養女になったのでしたっけ? まあとにかく、女神のいとし子の祝福が発動した、のかと」
「祝福、とは……?」
「ああ、カランシアは知りませんでしたか。エマニュエル様は祝福を受けているので、殺しても死なないんですよ。自動で回復します。現在は体を回復させるための深い眠りについている状態かと」
リリーリアの言葉に、情報は知ってはいたものの信仰の薄さもありあまり信じてはいなかったルースと老執事、初めて知ったカランシアは、揃って感嘆と安堵のため息を漏らした。
「ただし、このまま放っておいては目覚めません。愛し合う者からのキスが必要です」
けれど続いて、愛し合う者と目されるルースにまっすぐに視線をやりながら、リリーリアはそう断言した。
当のルースはすっと視線を逸らせ、諦め悪くリリーリアに食い下がる。
「確かにそう聞いてはいるが……、それは事実なのか? 意識のない者に口づけなど、紳士のふるまいとは言い難い。確信もなく行うには抵抗があるというか、あまりに突拍子もないというか……」
「桃色の光は消えたとのことですし、おそらく既に回復は仕切っているのでしょうが、エマニュエル様は目覚めておりません。聞いている通りにすべきかと。そもそも、桃色娘の親玉は、愛の女神ですよ? なんだって【愛の力】で済ませるんです、やつとその関係者どもは。女神の言い分としては、愛し合う者のいない世界に生き返ったって意味なんかないんだそうで」
「実に愛の女神的理論だな……!」
そう呻いて頭を抱えたルースを、リリーリアは鼻で笑った。
「それ、エマニュエル様も同じことをおっしゃってましたねぇ。さて、そんなわけでルース様はさっさとエマニュエル様にキスを、と、申し上げたいところですが……」
そこで言葉を区切ったリリーリアをふしぎそうに見るルースに、リリーリアはため息を吐く。
「まずは、なぜ、このような状態になったのかの調査が必要でしょう。
エマニュエル様は何者かに襲われたのか……、あるいは自殺を図った、のか。原因がわからなければ、すぐに目覚めさせることが正しいのか、いえ、目覚めさせることができるのかどうかも、わかりません」
リリーリアの厳しい言葉に、その場の空気が凍った。
それを意に介した風もなく、彼女は淡々と推測を並べていく。
「もし自殺であれば、ルース様への恋に絶望したことくらいしか、原因が思いつきません。その愛は、すでに砕けている可能性もあります。そうすれば、あなたではエマニュエル様を目覚めさせることは叶わないでしょう」
「そ、んな……」
顔色を悪くさせたルースをきつく睨みつけ、リリーリアは続ける。
「さっさと観念しておけばよかったんですよ。……まあ、愛の女神が言う愛が、家族愛でよい可能性もあります。あなたでダメだった場合に備え、公爵夫人にこちらに来ていただいておいた方がいいと思います」
「カランシア、急ぎ公爵家に連絡を。エマニュエル様が死にかけた原因が外敵であった場合、死んでいないことを知られることはマズイでしょう。それでも無駄に魔力を持て余しているあなたなら、隠ぺいを行いながら手紙を飛ばす程度のこと、楽にできるでしょう?」
絶句しうつむいたルースを放置して、リリーリアは指示を飛ばした。カランシアはすぐにうなずくと、公爵夫人へ送る手紙をしたため始める。
「ルース様、絶望している場合ではございません。お気を確かに。もし外敵が原因だった場合、その排除を速やかに行わなければ。ルース様とリリーリアさん、実力者であるお二方の不在に起きた出来事です。警護に抜けがあった、とは思いたくありませんが、強く否定ができない部分もあります」
老執事はなんとかルースを励まそうと声をかけるが、リリーリアは皮肉げな笑みを浮かべる。
「エマニュエル様の寝室に、何者かが侵入した形跡はありませんでしたがね。外には護衛がいたわけですし。それとも、誰にも気づかれずにあの部屋に入る方法が、何かあるのですか?」
「それは……」
「ある」
「え、あるんですか?」
言葉に詰まった老執事を引き継いでルースが断言すると、リリーリアは驚いたように目をぱちくりとさせた。
「エマニュエルに使ってもらっていたのは、この屋敷の主寝室、歴代の辺境伯家当主夫婦の部屋だ。有事の際のための隠し通路がある。そこを利用すれば、誰にも気づかれずにエマニュエルの部屋へ侵入することは可能だ」
「そ、それはそうですが、けれどあの通路は存在自体が秘匿されている上に、道を知っているのも開けることができるのも、歴代の当主ご夫妻だけで……」
どんどんと暴露していくルースを止めようと老執事は反論した。
けれどそれを逆に遮って、ルースは続ける。
「ああそうだ。つまり、今存命の者の中では、私と父、エマニュエルと……、私の母、だ」
「まさか、先代の奥様は、この家とは離縁した身です! 当然、お父君が魔力の登録を消していると……」
「私もそう思う。しかし、道を知っているのは事実だ。それに、この家をあれほど嫌悪していた母が戻ってくるわけはないと考えていたのか……、……あるいは、いつかここに戻ってきてほしい、と、願っていたのか。父がアレが開けられるままにしておいた可能性は、私には否定できない」
「そうは言いましても……」
食い下がる老執事の肩を叩いて止めたリリーリアは、まっすぐにルースに告げる。
「登録云々は置いておきましょう。母君とやらがそんなことをするのかどうかも知ったことではありません。道がある限り、誰かが力ずくで突破した可能性だってあります。とにかく、まずはその通路が使われたかどうかを確認すべきでは?」
「そうだな。なにか痕跡が残っている可能性がある。まずはエマニュエルの部屋を調査しよう」
「私はその先、通路の出口側を確認して参りましょう」
「私もエマニュエル様のお部屋に同行させてください。私物が荒らされていないかは、私が一番よくわかります。カランシア、あなたはここに残ってそのまま公爵夫人への連絡を終えなさい。そして、エマニュエル様の御身は、命に代えても護るように」
立ち上がったルースの背を老執事とともに追いかけながら、リリーリアはカランシアに命じた。
彼女が何よりも敬愛する主を任された信頼に感動を覚えながらうなずいたカランシアと、眠り続けるエマを残し、三人はそれぞれ調査へと向かう。
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