第21話

 おそらく人目を気にしてそわそわしているルース様に配慮してだろう、私たちはカフェ店内の奥、近くに設置されたパーテーションのおかげで周囲からは見えにくくなっている2人がけのソファー席に案内された。

 当然のごとく私を1人そこに座らせて自分は傍らに立って待機しようとしたルース様を強引に隣に座らせ、逃がすものかよとがっちり手をつないだまま彼の肩に頭を寄りかからせるなどして動きを封じる。


 私を振り払うことなどできない優しい彼は、やがて頼んだお茶とケーキが来るまでガッチガチに硬直したままだった。


「次に逃げようとしたら、私はあなたの膝の上に座るから」

 ニコッと笑顔で圧をかけてから、ここまでずっとつなぎっぱなしで来ていた手を放す。一生手放したくはないけども、実際そのままじゃケーキは食べられないからね。

「う、あ、……それは、さすがに勘弁して欲しいですね……」

 案の定逃げようとしていたらしい、一瞬だけソファーから腰を上げかけたルース様はぼそぼそとそう言うと、そっとソファーに再び座りなおした。


 おや、座り直した位置が先ほどより少し私と距離が開いているな。

「あら、お膝の上がお望みのようね?」

 更に笑顔で圧をかけてみたら、ルース様はぶんぶんと、もはや早すぎてガタガタと震えているかのように首を振る。

「やめてください! 幸福だってエマニュエルだって、過剰摂取したら死ぬに決まってます! 今だって、こんなに、……こんなに心臓が、うるさいのに……」

 うう、と呻きながら、それでもルース様はぴたりと私に寄り添う位置に戻ってきてくれた。そこまで膝だっこが嫌か。

 まあ、ここは自分たちの屋敷じゃなくてお店の中だからな。節度、つつしみ、TPO、大事。膝だっこは次の機会ということで。


 気を取り直し、私は私たちの前の机に置かれた、私の頼んだベリータルトとルース様が頼んだチーズケーキに視線を移す。

 うん、どっちもおいしそうだし、添えられた紅茶や食器類含め変なにおいも嫌な感じも一切しないな。これは安全。


「ふふ、それじゃあさっそく毒見をしてくれるかしら?」

「かしこま……、……?」

 さくりとタルトをフォークで一口切り分けて彼の口の前に持っていくと、ルース様はふしぎそうに首を傾げた。

 まだわかってなかったか。

「はいルース、あーん」

 私がそう言ってにこりと笑うと、一瞬でルース様の顔が驚くくらい真っ赤に染まる。ようやく【あーん】がどういうことかわかったらしい。


「いえあの、自分、自分のフォークで食べますので……!」

 そう言いながらじり、と座ったまま後ずさった彼に、私はにやーと笑みを深める。

 おー? あんまり逃げると膝だっこだぞー?


「あらダメよ。これは毒味なんでしょう? もしかしたらフォークに毒が塗られてるかもしれないわ。だからね、ほら、あーん」

 後ずさられた分だけ距離をぐっと詰めてそう言ったのに、諦めの悪いルース様はじりじりと後ずさりながら、なおも食い下がる。

「あの、でしたらフォークごと私に渡していただければよろしいかと……!」

「あら、それはいやよ」

「い、いや、ですか」

 きっぱりと言い切ると、ルース様は面食らったようにそう言って、ようやく後ずさりを止めた。

 あ、というか、もうルース様の逃げるスペースがないのか。そう広いソファーでもないしな。


「ええ、いやよ。私はルースにあーんしたいししてもらいたいんだもの」

 私がさらにきっぱりとワガママに言い切ると、ルース様の眉が、いかにもこまったとばかりにへにゃりと下がった。


「あの、エマニュエルの希望であればなんだって叶えたいつもりはあります。ですが、さすがにこれは、その……」

「……ルースは私にあーんされるのが、いやなの?」

「そんなわけないです! しあわせすぎてこわいだけで!」

 悲しそうにトーンを下げて尋ねれば、即座に否定の言葉が返ってきた。


 押して駄目なら引いてみろとはいえ、チョロ過ぎでは?

 我が夫のあまりのチョロさに若干心配にはなったものの、まあいい。言質はとった。


「よかった! じゃあほら、あーん」

 再度笑顔で圧をかけると、物理的にも精神的にももう逃げ場のないルース様は視線をさまよわせ、けれどとうとう観念したかのように、おずおずと口を開いた。

「う、あ、……あー……んっ」

 ぱくり、と彼がケーキに食いついたのを確認してそっとフォークを引き抜き、もぐもぐと口を動かすのを見つめる。かわいいなぁ。


 やがてごくり、とその喉が動いたのを確認してから、尋ねる。

「ふふ、おいしかった?」

「わから、ない、です。味とか。緊張し過ぎて。しあわせの供給過多で、なにがなにやらで、……なんていうかもう、これはいったいいくら払えばいいんでしょうね……?」

「そんなの、等価交換に決まってるでしょう?」

 私が首を傾げると、ルース様はふむ、とひとつうなずいた。

「ということは、今のわが家の全財産でも足りないですね……。竜狩りにでも行けば多少増えますが、多少増やしたところで到底……」


 真顔で何を言っているんだこいつは。


 難しい表情で考え込み始めた彼に頭痛を覚えながら、私はゆっくりと言い含めていく。

「なんでそうなるのかしら……? 等価、なんだから、ルースも私に同じ事をしてくれたらそれでいいのよ? つまり、今度はルースが私に、あーんをしてちょうだい」

 そう言って彼が先ほどあれほどまでに望んでいたフォークを、そっと彼の手に握らせた。


「!? あの、でもこれは、私が一度口をつけていますし……!」

「毒味ならそれでいいんじゃないのかしら?」

「ダメです無理です。私の女神が汚れてしまう……!」

 フォークを皿に置きぶんぶんと首を振る彼の表情には、間接キスが恥ずかしいとかを通り越し、もはや恐怖の色すら見える。

 うーん、私だって内心間接キスはどきどきなんだけど、あまりにルース様がうろたえるから私が逆に冷静になってかつぐいぐいいかざるを得なくなって、結果小悪魔っぽく振舞ってしまうんだなぁ……。それで、更にルース様が追い詰められる、と。

 どうしたものか。


「……ううう、もういやだ死のう……。私なんかが図々しくもエマニュエルの夫の栄誉に浴しているせいで、私の女神が汚れてしまう……」

「待って待って待って! なんでそうなっちゃうのかしら!?」

 ちょっと悩んでいる間にとんでもないことを言い出したルース様を、必死に止める。

「いや、その、夫婦たるもの、関係が良好であった方が望ましい。そのためにエマニュエルがこうして努力してくださっているのではと。そこまでさせてしまっていることに対する罪悪感で死にたくなりまして……」

「え、べつに義務感とかじゃなくて、私はただ楽しいからこうしているだけなんだけれども」

 しょぼ、とうなだれた彼に、私は率直な事実を告げた。


 意地が悪いともとられかねない私の発言を聞いた彼は、そろ、と視線をあげて、首を傾げる。

「楽しい、ですか。……エマニュエルは、もしや、大変に変わった趣味をしておられます、ね?」

 尋ねる、というか、もはやただの確認だった。


 ルース様が考えているであろう「ブサイクをここまでしてまでからかうのが楽しいだなんて、悪趣味」ではなく、「この世界の趣味と感性がズレているためルース様のことをブサイクとは思っていないし大好きなので、彼とイチャイチャするのが楽しい」なのだが、いずれにせよ、この世界において確かに私は異端者なのである。

 だから私はしっかりとうなずき、堂々と認める。


「リリーリアでもいいしサントリナ辺境伯家の使用人の方々でもいいから、とにかく日々私と接している誰かに訊いてもらえばわかるけど、私ってとっても変わっているらしいわ」

「そうですか……。それは、とても、よかったです……?」

 よかったと言いながら首を傾げているルース様に、若干焦る。

 ヤバイ、幻滅されたかな?


「……エマニュエルといっしょにいると、ふとした瞬間に、自分の醜い姿を忘れてしまいそうになります」

「忘れていいのよ! 色とか姿とか、実際どうだっていいじゃない!?」

 ぽつりとつぶやかれた言葉に、思わずちっちゃくガッツポーズまでして即座に食いついてしまったのは、仕方のないことだと思う。

 だって実際、姿かたちのことなんて、忘れた方がいい。ルース様は、それ以外は努力でもって完璧を保っている自覚があるはずなので。そうしたら私の愛も信じられるはず。もっとうぬぼれて欲しい。


 もしかしたらこれは、イケるんじゃないのか。

 今度こそ、両想いだって認めてもらえるんじゃないか。


 そんな期待に、心臓がドキドキしてきた。ここで失敗するわけにはいかないという緊張で、指先がこわばる。


 気づけば固唾を飲んでルース様を見つめていた私に、彼はふっと、ほの暗い笑みを向ける。

「私が私の醜悪さを忘れてしまえば、私はあなたを手放せなくなりますよ? 今のこの幸福に固執して、失われたときには怒りに染まってしまうでしょう。たとえば、あなたが誰かを愛したときには、私は筋違いにもあなたを奪われたと憤ることになる。そして、あなたの愛を得た奴には、いったいなにをしてしまうか……」

 なんだかとんでもなく脅す口調で、実に当たり前のことを言われた。


 それの何が問題なのかわからなかった私は、首を傾げつつ応える。

「えっと、ぜひ、そうしてちょうだい。手放されても、2人のしあわせを諦められても、浮気を許容されても困るわ。筋違いなわけないでしょう。私たちは、夫婦なんだから」

「……へ?」


 いや、へ? は、こっちのセリフなんだけどな?


 首を傾げっぱなしの私をまじまじと見つめながら、ルース様はおずおずと告げる。

「いえあの、でも、エマニュエルは美しい、じゃないですか」

「? ……ありがとう?」

「どういたしまして。いえそうではなく、エマニュエルは美しいので、なんというか……、選択肢が多い、でしょう。あなたに惹かれる数多の存在のうちの一人でしかない私と、私にとっては唯一絶対の女神であり私以外にもそう感じる存在が無数いるであろうあなたとでは、格が違うというか独占欲を抱くなどおこがましいというか……」

 しどろもどろなルース様の説明を要約すると、美(髪)少女の私はモテ過ぎて心配だけど、(たぶん産みの母親のせいで)自分はブサイクだから浮気されても仕方ないと思わなきゃいけないと思っている、ってこと、かな?


「浮気なんてするつもりもないし、夫婦であるからには許さなくていいのよそんなこと。もし万が一浮気されたときには、二度とそんなことできないように、私の頭から油でもかけて髪ごと燃やしたら良いんじゃないかしら」

「なんて物騒なことを言うんですか! 相手の男ならまだしも、エマニュエルにそんなことできるわけがないでしょう!!」


 わぁ。怒られた。例えでもグロ過ぎたかしら。

 いや、相手の男を燃やすのはやぶさかでもない、ということは、グロいのが問題ではないのか。

 どんなことをしでかしても私に危害は加えられないってこと? ……まあ、確かに、私もたとえ浮気されてもルース様は燃やせないなぁ。

 相手の女は……、うーんどうだろ。とりあえずルース様の産みの母とやらは、居場所さえわかれば燃やしてやりたいし、リリーリアの両親にかけたのと同じ呪いをかけて、そこまで忌避した【醜い存在】に自分がなったらどうするのか見てやりたい気持ちはあるのだけれど……。

 ……あ。これだ。

 これなら命の危険はない。格の違いとやらだけをなくせるはず。


「ルース、あなたを不安にさせるくらいなら、私のこの髪を真っ白にしてもいいわ! 私、そういう呪いが使えるの!」

「いえ、そんなことは絶対になさらないでください。私はエマニュエルには、どこまでもしあわせでいていただきたいので……」

 我ながらいいアイデアだと思ったのに、そう返してきたルース様の表情は、わかりやすくドン引いていた。

 うーん、いわば前世の感覚でいくと『顔面をとけおとす』みたいな感じになっちゃうのかな。


「ああ、そっか、私の髪が白くなってしまったら、ルースにまで嫌われてしまうものね」

 ふむ、と納得した私に、ルース様はあきれたようなため息を返す。

「なるわけがないでしょう。最初のきっかけは姿でしたが、今はもう、エマニュエルのすべてが愛しいのですから。どんな色だって、あなたがあなたである限り、愛おしさは変わらないに決まってます」

「……っ!」

 思いがけない熱烈な愛の言葉に、頬が熱い。

 けれど今は、恥ずかしがっている場合じゃない。


 ひとつ深呼吸をして、隣に座るルース様の目をまっすぐ見つめ、想いよ伝われと念じながら、慎重に言葉を紡ぐ。

「わ、私もね、あなたがどんな色だって、好きなの。本当に愛しているの。あなたに私の本気をわかってもらうためなら、この気持ちを信じてもらうためなら、髪ぐらいどうしたってかまわない。あなたの気持ちが変わらないのなら、白くしてしまっても……」

「絶対にやめてください。私ごときのためにあなたが少しでも損なわれたら、私は罪悪感で絶命してしまいます」

 マジトーンにマジトーンで割り込まれた。

 論点がズレている気がするが、まあ確かに、逆にルース様が私のせいで顔を焼いたら、確かに私も罪悪感で泣き暮らしてそのまま衰弱して死ぬかも。


「……わかった。髪は大事にするわ」

 私がそう言ってルース様があからさまにほっと息を吐き油断したそこに、すかさず脅迫を差し込むことにする。

「でもあなたが私の気持ちを疑い続けるなら、ヤケを起こしてしまうかもしれないわね? 信頼には時間が必要とはいえ、何年も何十年も待たされたら、それこそ自然に白髪になってしまうでしょうし」

 ヒュッと息を飲んだルース様に、私はあえて、にこりと微笑んでみせた。


 妻からそんな脅迫を受けたルース様は、はああと重たいため息を吐くと、今にも泣きそうな表情で、ぼそぼそと告げる。

「……たとえ騙されようと後から裏切られようと、エマニュエルが今私に望んでくれている言葉を、返したい、返すべきだ、ずっとそう思ってはいるんです。本当はいつだってあなたの言葉に、『私愛しています』と返したいです……」

 受け入れて、愛を返す言葉。それは確かに、私が望むものだ。いや騙しも裏切りもしないけど。

「けれど、瞬間的にブサイクがおこがましいと思ってしまって、私にこんな幸福なんてありえないと今までの自分が語りかけてきて……、なにも、言えなくなってしまうんです」


 ……根深い、なぁ。

 でも、前向きな言葉を引き出せただけでも、とりあえず確かに一歩進んだと言っていいだろう。


「ありがとう。返したいと言ってくれただけでも、とっても嬉しいわ。それにきっと、幸福だって慣れちゃえば、ただの日常になるはずよね。そしたらそのときには、自然に返せるようになるんじゃないかしら」

「そう、でしょうか」

「きっとそうよ。だからほら、もっと幸福……、というか、私に慣れましょう!」

 私は空気を切り替えるように殊更テンション高めにそう言って、再度ルース様にフォークを握らせる。


「……まだ、忘れてなかったんですね、【あーん】」

 彼は苦笑しながらそう言って、さくりとタルトを一口分、フォークに乗せた。


 ケーキは2種類とも、とってもおいしかった。

 いやその、いざ自分があーんされてみたらドキドキしすぎて味がよくわからなかったから、たぶん、なんだけれども。

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