第19話

 私が辺境伯家で暮らすようになって2ヶ月ちょっとが経過した、8月のある日。

 今日はようやく、前回のデートのときに約束をした街歩きデートの日だ。

 前回のデート後私も魔獣狩りに参加させてもらえるようになったため私が暇を脱却したり、ルース様がやっぱり忙しかったり、2人の休みが重なっても天候に恵まれなかったりを繰り返した結果、今日までのびてしまった。


 朝。街で悪目立ちをすることのないよう、持っている中では一番シンプルなひざ下丈のワンピースに編み上げブーツを合わせて纏い、階下に降りる。

 着いた正面玄関の手前のホールには、同じく比較的ラフな格好のルース様が待っていた。


「待たせてごめんなさい。おはようルース、愛してるわ」

「さほど待っておりませんので、お気になさらず。おはようございます、エマニュエル。今日もあなたは、この上なく美しいですね。そのシンプルな装いだからこそ、小手先の誤魔化しなど必要のないあなたの美しさがよくわかります」

「ありがとう。ルースもとってもステキよ」

 にこり、と互いに笑みを交わしたものの、べつに私の想いを受け入れてもらったわけじゃない。

 私の愛の言葉とルース様の褒め言葉に、お互いに慣れただけだ。ただの挨拶としてスルーするようになったとも言う。


 いやもう、ルース様ってば、めちゃくちゃ頑なでして。

 この2ヶ月、私が好きだの愛しているだのと伝えるたびに、都度「それで、なにがご入り用ですか?」だの「お気遣いは不要です」だの「ははっ、あり得ないですね」だの「あの本当に、そんなことなどおっしゃらずともなんなりとご命令はお受けしますので」だの「……いったい、なにが狙いなのでしょうか」だのと、私の想いを否定する言葉ばかりを返してきた。

 つい先日執事さんに「それは奥様に失礼な物言いではないでしょうか」と諫められてからは一々反論することがなくなったが、たぶん、まだ、信じてはくれていない。

 彼は相変わらず私との距離を保っていて、相変わらず自己評価が低いままだ。私に愛されている自信などというものは、みじんも感じ取れない。


 ただ、そう、執事さんをはじめとする使用人さんたちの態度は、明確に変わった。なんか最近、えらく私に協力的なのである。

 前までは聞かなければ教えてくれなかったルース様のスケジュールが自動で私に共有されるようになり、食事も同じ場所時間にセッティングしてくれるようになり、ルース様にも正面玄関を使うよう促し、なんだかんだと私がルース様と顔を合わせる機会を増やしてくれている。

 元々私にも優しい方々ではあったが、唯一的はずれな優しさを発揮していたルース様とのことに関しても、私の意のままに動いてくれるようになったとでも言おうか。なんだかますます甘やかされている気がする。

 ルース様に近づく悪女と思われていた誤解が解けたというか、私がリリーリアの言うところの『意外となんも考えてない』だとわかってもらえたのかな。馬鹿な子ほどかわいい的な。


 外堀が順調に埋まってきたところで、そろそろ本丸すなわちルース様にも諦めていただきたい。

 そんな決意を胸に、私はルース様といっしょに、街へと繰り出すのであった。



 ――――



 サントリナ辺境伯領は、王都に引けを取らないくらい栄えているんだな。

 そんな感想を抱くほど活気あふれる街並みの、様々な店舗に目移りをしてしまいそうになるメインストリートをルース様といっしょに歩き出して、少し。


 ……うん、なんか違うんだよなぁ。


 私は意を決して、そっとルース様に尋ねる。

「ねえルース、この街は比較的治安がいいということよね?」

「そうですね。今日は街の警邏の人員を増やしておりますし、邪魔にならない距離でですが、うちの騎士も同行させています。エマニュエルが1人で歩いても、特に問題はないかと思いますよ」

「うんうん、そうよねぇ。しかも私ってばほら、優秀な魔術師じゃない? 悪意あるモノが入り込めない結界を張る魔法を、最近使えるようになったのよ。しかも、これを私とルースの周囲に常に展開させていても、特に疲れることとかないのよね」

「なるほど、すばらしい。それであれば、万全といえるでしょうね」

 実に嬉しそうにルース様はうなずいたが、そういうことじゃないんだよなぁ。


「うん、だからね、私の斜め前横、いわば護衛のポジションに、あなたがいる必要性はないと思うんだけど……」

 これで察してくれないものか。

 そう願いながらそっと告げてみたところ、ルースはぱっと明るい笑顔で私に振り向いた。

「かしこまりました! 私は騎士たちと合流して、遠方からの護衛に切り替えさせていただきますね!」


「ちっがうんだよなぁ! もう、なんでそうなるかなぁ!? エスコートしてくれるのでもいいし手をつなぐのでもいいし、なんならほらあそこのカップルのように腕を絡めるのでもいいから、もっと私の近く、私の隣に来て欲しいって話よ!」

 どうして逆に距離をとろうとするのか。

 そんないらだちまぎれに私が叫ぶと、ルース様は「いったいなにを言っているのか心底わからない」とばかりにオロオロしている。やっぱり愛されている自覚が足りない。


「あ、あの、でも、私があまり近づくとエマニュエルの気分を害してしまうのではと……」

「そんなことないから。夫に離れて歩かれる方がさびしいわ」

「警護面は……、ああ、万全なんですけど、あのでも、手をつないでなどいたりしますと、そう荷物が持てなくなってしまいますし……」

「そしたら私も持つし、今はお互いになにも持ってないじゃない。ああもう、らちが明かない、えいっ!」

 わちゃわちゃと反論を続けようとしているルース様の返事を待たずに、私から距離を詰めて、彼の手に飛びつくように私の手を重ねる。


「……! あ、あの、……あせ、が、というか、あの、気持ち悪いのでは、と……」

 かぁああああと顔を赤くして、ルース様はうつむいた。

 一応は夫婦なのに、手をつないだだけだというのにそこまで動揺されると、なんだか私まで恥ずかしい。

 頬が熱い。改めて言われてしまうと、私の手にも、じわりと滲むものがある。


「いえ、あの、手汗に関してはお互い様だと思う、ので、気にしないことにしましょう。気持ち悪くなんかないし。せっかくのデートだし。まああなたが嫌なら、離すけど……」

 羞恥を堪えて率直な気持ちを言葉にしたら、ルース様はぱっと顔をあげ、ぶんぶんと首を振る。

「嫌だなんて、そんなことありえませんよ! この上ない光栄で幸福です! エマニュエルの手は小さくて、すべすべしていて、つないでいてよいとおっしゃるなら、一生離したくないくらいです……!」


 私への愛情表現に関しては素直なんだよなぁ! 恥ずかしくなるくらい! そこまで言わなくてよろしい!

 いやまあ私も、想像していたよりもがっしりとしたルース様の手の感触は、手放しがたいものがあるけれども。

 でもそれを恥ずかし気もなく言葉にできるかというと、また別の問題なわけでさ!?


「……けれど、こんな幸福を一度味わってしまうと後がおそろしく、なにより、あなたを不快にさせたくは……」

 私が密かに悶えている間にルース様はしゅんと塩たれて、なんだか弱気な発言をした。


 私はきゅっと彼の手を握りなおして、歩き出す。

「不快だったら、私からつなぐわけがないでしょう。いいじゃないの。一生手放さなければ。後が恐ろしいと言われたって、私はこの先ずっと、あなたといっしょにいるつもりなのよ」

「……護衛は不要ということですし荷物持ちとしても役に立ちそうにないので、せめて、財布として精いっぱい頑張らせていただきます」


 まだ言うか!

 思わずキッと睨み上げた視線の先、隣を歩くルース様の瞳は、私まで胸が苦しくなるほど切なげで。


「だから……、どうか、私のことを、捨てないでくださいね」

 強く握り返された手の熱と、ルース様のあまりに真剣な懇願に、私は思わず、反射的にうなずいてしまったのだった。


 まあ彼がどういう心づもりだとしても、とにかく私の隣にい続けてくれるのならば、とりあえずよしとしておくか……。

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