第16話

 私がサントリナ辺境伯家にやってきて、1週間。

 今現在私は過剰なほどにお客様扱いをされており、正直困っている。


 いや、大切にしてもらってはいるのだ。この上ないほどに。

 世間では悪女と評判の私にもかかわらず、ただただようやく迎えた当主の新妻として、皆さん全力で歓迎してくれている。

 部屋も服も食事も身の回りの品々すべてが公爵家育ちの私が恐縮しそうなまでに贅沢に整えられ、接する人もみな優しく親切。非常に快適な生活だ。

 けれど、肝心のルース様とはあまり会えていない。ルース様の仕事がお忙しいというのもあるだろうが、生活空間がきっちりと分けられていて食事すら別、出迎え見送りは不要と言われこの家の主だというのにこそこそと裏口から出入りされており、まともに顔を合わせることすらない。

 それとなくメイドなどに確認したところ、どうも『こんなブサイクは見たくもないだろう』という気遣いらしいのだが、以前のここの女主人が実際こうして過ごしていたそうで。


 うん、嫁姑戦争(物理)への気概が高まるというものだ。

 特に仕事も与えられていない私はこの1週間、来る日に全力で備え、魔法の修練ばかりしていた。ルース様の母は商人を呼んだり、観劇や愛人との逢瀬にかまけて暇をつぶしていたらしいが。うん、負ける気がしない。いや勝つ。


 話がズレた。

 とにかくそんなわけで、夫婦だというのに、私から積極的に会いに行かなければルース様のご尊顔を拝む機会すらろくにないわけで。

 私はこの事実に気がついてからは積極的にこちらから彼の元に押しかけて、愛を告げることにしているというわけだ。


「おはようルース、愛してるわ!」

 今朝は、庭で早朝からしていたという鍛練終わりのところを捕まえて、こう言ってみた。


「お、はよう、ございます、エマニュエル。あの、汗臭いと思うので、あまり近づかれない方がよろしいかと」

 顔を真っ赤にしながらそう返してくれたルース様は、今日もかっこいい。

 鍛錬の後なので確かに汗をかいているのだが、むしろその汗こそが爽やかでキラキラと輝いて見える。正直舐めてみたい。せめて保管したい。

 いや、私は妻なのだし、この汗を私のハンカチに吸着させてそっと持ち帰っても誰に咎められることもないのでは?


「あ、の!」

 ハンカチ片手に獲物を狙う私に危機感を抱いたのか、ルース様が少し大きな声でそう言って、私を手で制した。


 気持ち落ち着けるかのようにひとつ深呼吸をした彼は、相変わらず赤い顔のまま、私に告げる。

「あの……、王太子殿下の裏切りにあなたが心を痛めただろうことは、わかります。しかし、私はあなたの信奉者です。そのように過分なお言葉などいただくなくとも、けして裏切りません。というか、嘘だとわかっていても心臓に悪いので、むしろ勘弁していただきたく……」

 うーん、さっきの『愛しているわ』への返事が、まだこれなのか。嘘じゃないんだけどなぁ。


「そう、あなたはただそこにおられるだけで十分で……、……ああ、エマニュエルは、今日も目が眩むほどの美しさですね。私は遠くからでもあなたの美しい姿を見ることが叶い、そしてあなたの夫を名乗れる今のこの幸福だけで、なんだっていたしますよ」

 ほう、とため息まじりにルース様が言ってくれた言葉に、嘘はないのだろう。

 確かに私の(髪の)美しさに魅了されてくれているのだろう。両想いだ。めでたい。

 ただ、全然私の気持ちは信じてくれていないままだ。

 というか、ここの家人一同含め、こんな感じで崇められていてやりづらいことこの上ないんだよなぁ。

 それもこれも、私が過剰に評価されているのが問題な気がする、と、今気づいた。

 あ。確か今日は、ルース様も休日のはず。


「……なんでもしていただける、と」

「ええ、神殿だって潰してみせましょう! 私の女神は、あなただけですから!」

「あ、そういう物騒なことはしなくていいので」

 ぽつりとつぶやいただけの私の言葉に、即座に物騒な返事をえらくわくわくした様子で返してきたルース様を、軽く制する。


「そうですか……。では、どのようなことでしょうか?」

 あからさまにしょんぼりとした様子でそう言った彼の額の汗を、隙ありとばかりにすかさずぽんぽんとハンカチで回収しながら、私は先ほど思いついたことを言葉にしていく。

「今日は、私とルース様の2人で、魔獣の討伐にでも行きませんか? 確か、北方の村近くの山でワイルドボアが増えすぎて困っているということでしたよね?」


 ワイルドボアは、かなり凶悪なイノシシといった感じの魔獣だ。この領地の最大戦力でもあるルース様のもとに、間引きをしてくれないかという嘆願が来ていると、2、3日前に耳にした。

 お休みの日に申し訳ないような気もするのだが、イノシシ狩りで私のちょっと野蛮なところを発揮して多少幻滅してもらい、良い感じに親しみを持ってもらうというのはどうかと、先ほど思いついたわけで。こう、冒険を通して2人の距離が縮まったりしないかなという期待もある。


「……あの、わかりました。お供します。私も、早めに対処せねばと思っておりましたし。ですから、あの、過剰なサービスは不要ですのでもうやめていただきたく……!」

 サービス? なんのこっちゃ?

 かぁああと音が鳴っていそうなほどに赤面したルース様が、更に額に汗を流しながら言った言葉に、首をひねる。


 いやぁ、なんでかよくわかんないけどガチガチに固まってもいるし、汗の採取が捗るなぁ。って、あ、これか。

 私が彼の額の汗をハンカチでぬぐうのに、身長差の関係もあってかなり接近してるせいで更に汗が噴き出て来ていて、もうやめていただきたくなのか。

 べつにこれ、『ここまでサービスしてやってんだから、休みだろうとイノシシ狩りに行ってくれるよね?』的な圧とかじゃないんだけど。

 ……まあでも、確かにこのままだとキリがなさそうなので、ここらで終わりにしておいた方が良いかもしれない。


「じゃあ、今日はワイルドボア狩りデートね! 辺境伯夫人として、私もこの地の役に立てる魔術師だって、証明したいところだわ」

 ふふ、と彼に笑いかけて、そっとハンカチをひっこめる。

 ルース様はあからさまにほっと息を吐いて、肩の力を抜いたようだ。


 こんなにもかっこいい人がこんなにも女慣れしていなくて純情なのはかわいいとは思うのだけれど、正直、もう少し私に慣れて欲しい。

 山でなんかしらの緊急事態になったりしたら、またお姫様だっことかしてくれるかなぁ。いや、山でそれはルース様の負担がヤバイか。


 さてどうしたもんかなと思いながら、私はイノシシ狩りの準備を進めるのであった。

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