第15話

 ルース様が住む屋敷にようやく到着した、今日。


「少なくとも結婚式が終わるまでは、ルース様と私の寝室は別、ですか……」

 私のために用意してくれたという、大きな窓から降り注ぐ陽の光が明るく差し込む、愛らしくも上品な調度品に囲まれた寝室を案内されながら、私は呆然とそう呟いた。


「ええ。これはベイツリー公爵家からのご要望でもありますし、こちらとしても必要なことと理解しております。ルース様の容姿はその、……慣れるまで、時間が必要かと思いますので」

 父め、余計なことを……!

 先ほど紹介してもらったこの家の執事さんが言いづらそうにそう言ってきて、私は舌打ちが漏れ出そうになったが、なんとか堪える。

 確かに、ルース様はかっこよ過ぎるから、慣れるのに時間は必要かもだけど! でも美人は3日で慣れるだか飽きるだかって、あ、もしやブサイク過ぎてって意味……? その点はまったく問題ないけど……?


「この寝室の鍵はこの2本のみです。1つはエマニュエル嬢ご自身が、もう1つは非常時のためにも誰か信頼のおける……、リリーリアさんでしょうかね、が、お持ちになるといいでしょう」

 ルース様にそう言って手渡された2本の鍵をぼんやりと見つめていると、執事さんがなんだかきりりとした表情で、私に宣言する。

「ルース様はこちらの屋敷の主ではありますが、我々一同はエマニュエル様の身の安全を最優先といたします。ここには絶対に近づくことすら許しませんので、ご安心してお過ごしください」


 え。いやいやいや。

 先ほど、簡易的とはいえ神への誓いも済ませ、国への書類も提出し、私たちは正式に夫婦になったはずでしょうよ。

 身の安全なんて理由で、夫が妻の寝室から排除されるの……?

 ……いや身の安全っておかしかろう!?

 ルース様が私に危害を加えかねない人扱いってことでしょ!? 主をそんな認定するぅ!?

 それでいいのかサントリナ辺境伯家!

 いいやよくない! ……はず!


 仕方ない。

 はしたないと思われようと、私からアピールするしかあるまい。

 嫌じゃないんだと。ルース様とするそういうことを、危害だなんて思ってはいないんだと。


「えっと……、信頼、も、当然していますし、ルース様であれば、その、いつ来ていただいてもかまいませんので……」

 そう言って先ほど渡された鍵のうち1本を、そっとルース様にお返しする。


 ぽかーんとした表情でそれを受け取ったルース様は、信じがたいものを見るように鍵を見つめ、私を見つめ、鍵を、と、5度ほど視線を往復させた後、ようやく口を開いた。

「……寝室の外には、窓の外含め護衛を常につけております。室内の寝ずの番は、不要かと思いますが」

「なんっでそうなるかなぁ! ……こほん、失礼。どこに、寝ずの番を頼むために、夫を寝室に呼ぶ妻がいるというのでしょう?」

 ああもう、猫が逃げる!

 もう無駄な気がしつつもなんとか取り繕って、私はルース様に尋ねた。


「えっと、ここに? 他に私がお役にたてることなどございませんし……。というか、いくらご不安とはいえ、あなたに惚れている男に寝室に入ってよいなどと言ってはいけませんよ」

 ルース様にえらく真剣に諭されてしまい、頭痛を覚える。


 なんだ? 私からルース様の寝室に押し入って夜這いを仕掛けたらいいのか?

 いっそそうしてしまえば、私の本気をわかってもらえるのか?

 でも、あっちにも鍵かかってていれてもらえなかったりしたら、ものすごく恥ずかしいよね……。実際そんなことできる気もしないし……。

 もう少しわかりやすく言ってみるしかないか。


「……いやですから、その、……そういう、意味で、来ていただいてかまわない、ということです。ルース様と私は、夫婦、なわけですし」

「やはり城は落としましょう」

 私が恥ずかしさのあまりもじもじごにょごにょしていたら、いきなりきっぱりとルース様がわけのわからないことを言い出した。


 えっ。なんで。


「エマニュエル嬢、国王にどんな風に言い含められてきたかはわかりませんが、あなた様のお心がなにより大切です。というか、エマニュエル嬢にここまで悲壮な覚悟を固めさせた国のことを、私は許せそうにありません。待っていてください。あなたに仇なすすべては、我々が滅ぼして……」

「ストップストップストーーーーップ!」

 ギラギラとなんだか危ない決意を秘めた目で危ないことを言って動き出したルース様と、無言でその背後に付き従いつつあった執事さんを、叫んで止めた。


 ノー国家反逆罪!

 いやまあ国家そのものがなくなってしまえば、それはもう革命ってやつだけど! そういう問題でもない!


 動きと言葉は止めてくれたものの、まだ瞳にはなんだかこわい決意が宿った様子のルース様に、私は説得を試みる。

「私がここでのんびり平和に暮らしたいと、理解してくれたのではなかったのですか!? というか、その、ただ私は……、そう、後継! 嫁いで何年も子ができないのは、やはり外聞がよろしくないでしょう。というか、それが原因でなにか変な噂にでもなっては嫌ですから……!」

 王太子殿下とのときはどうとも思わなかったけど、ルース様と不仲とか噂されたら、噂だけでも泣いちゃうもんね!

 そう、これならはしたないとかではないはずだ!


 私の言葉を聞いたルース様は、ふむ、とひとつうなずいて、すっかり落ち着いた瞳で穏やかに笑う。

「エマニュエル嬢は、やはり責任感がお強いですね。けれど、大丈夫ですよ、そこまで気負っていただかずとも。どうせいつものように『色なしは種なしか』などと、私が笑われるだけですから。元々わが家は晩婚傾向かつあまり子には恵まれない家系ですし、人間は醜いものと美しいものが並んでいたら、醜いものが悪いに違いないと判断するものですから。エマニュエル嬢の評判には、なんの影響もないかと」


 な、なんだそれ!

 なんだそれぇえ!!


「ルース様を貶める奴らは、私がぶん殴ります! というか、さっきからなんです、もう結婚したのにエマニュエルエマニュエルと! もう夫婦になったのですから、呼び捨ててくださいませ! あなたはどこまで自分を下に見て、そしてどこまで私との距離をとるおつもりですか!!」

 カッとなった私が思わず叫ぶと、ルース様がびくりと震えた。


 そのまま私に睨まれている彼は、困ったように眉をさげて、おずおずと口を開く。

「ええと、であればまず、エマニュ、エル、も、私のことを呼び捨てるべきだと思います。というか、無理せず気軽に接していただいてかまいませんよ。こう、幾度がそうされてるように、楽に話してください」

 くそっ。

 たどたどしくも私の名を呼び捨ててくれたのは嬉しいが、猫かぶり令嬢ぶりっ子が完全にバレてる……! まあバレるよね!


「……私が素をさらけだしても、ルース様は幻滅や失望をなさいませんか?」

「素直なあなたも、とっても愛らしいですよ。あなたがこの地でのびのびと過ごしてくださることこそ、私どもの望みです」

 無駄なあがきと知りながら尋ねてみたら、えらく綺麗な笑顔で、うっとりと答えられてしまった。


「あの、では、失礼して。……私はもう遠慮をやめるから、ルース、も、遠慮しないで欲しいの。だからあなたももう、敬語は……」

「いえ、女神は崇めるものですから。私はこの方が喋りやすいですし」

 すべて言う前に、きっぱりと真顔で断られてしまった。なんだそれ。

 いや、まあ、そっちのが喋りやすいならいいのか。いやいいのか? ……まあいいや。


 私は色々を振り切るように一度深呼吸をしてから、告げる。

「……ルース、私はリリーリアが言っていた通り、令嬢らしくもなければ、けっこう野蛮なの。だから、国のためとかそんな崇高な理念でここに来たわけじゃない。ただあなたのことが色なんて関係なく好きだからここにいるし、その鍵を持っていて欲しいの」

 顔が熱い。やっぱりあまりにはしたない言動だったんじゃないかと思う。


 いやでも、【身の安全】だの【慣れるのには時間が必要】だのの根拠になっているのであろう、『ルース・サントリナは国一番のブサイクなので、当然そんな男との結婚や夫婦としての生活は嫌がられるものである』という誤解は、なにがなんでも解きたい。

 私がどう思われようと、それだけは、絶対に。


「しかし、この鍵は、私なんかが持っていて良いものでは……、……っ!」

 そっとこちらに鍵を戻そうとするルース様の手を握って、彼の手の中に鍵を閉じ込めた。

 瞬間、びくりと震えて顔を赤くした彼に、ただ手と手が触れ合っただけでこの反応なんだから、危険もなにもあり得ないでしょうとも思う。お互いに。私もけっこう顔が熱い。


「私の大切な旦那様を、なんか、だなんて言わないで。だいたい、では夫以外の誰が持ってるべきだと言うの?」

「……エマニュエルが、本当に心を寄せる方、でしょうか」

「そ、それがあなただって言ってるのに! というか、今の言い方では、私が嫁いだばかりの身でもう心のなかに他の方がいると思っていて、あなたはそれでもかまわないように聞こえるのだけど……」

「ええ。それも、仕方のないことでしょう」

 私に問い詰められたルース様は、暗い表情で淡々と認めた。


 仕方ないわけがあるか!

 政略結婚なんてそんなもの。そういう考えもあるかもしれない。実際、公然と愛人がいる方も多い。

 けれど。

 けれども……!


「……許しませんから」

 低い、自分でも驚くほど低い声で私がそう呟くと、ルース様がふしぎそうに顔をあげた。

 私はその戸惑う表情すらも美しい、ひどく整った顔面をぎろりと睨み上げ、きっっっちりと釘を刺すことにする。

「私たちの結婚は、国の都合もあって決まりました。あなたは家のため血統のために私を迎えると決めたのかもしれません。しかし、政略だろうとなんだろうと、夫婦は夫婦です。私にはあなただけ、あなたには私だけ、その心づもりでいていただきたく存じます。ルース様に近寄る女は、私が片っ端からぶっ飛ばします」

 こちとら推定悪役令嬢なんだぞ、というすごみを込めるつもりで、あえて敬語で宣言した。まあ、もう既婚者だから令嬢は名乗れないだろうけど。


 とにかく、世間の言う【女神のいとし子様すらも苛め抜いた悪女】らしく、恋のライバルは徹底排除である。


 そんな決意を込めて睨んだ視線の先のルース様は、なぜか顔を赤くしていた。

「あの、だ、大丈夫、です。私の心もなにもかも、すべて、あなたのものです。というか、エマニュエルじょ、エマニュエル、私にこの距離まで近寄れた女性は、あなたが初めてですので……」

 あら。言われてみれば、鍵を握らせたり問い詰めたりぐっと睨みあげたりするうちに、もはやルース様にぴたりと張り付くような体勢になっていたわ。それで顔が赤いのか。


「……あの日私を抱き上げていただいたときも、かなり近かったような?」

 私が首を傾げると、ルース様は相変わらず赤い顔で、私から視線を逸らせたまま答える。

「あれは戦場からの緊急脱出で、救護活動ですから。そ、それにあの、そちらから来られる、というのは初めてのことでして……。『財産狙いにしたって、色恋で相手をするにはあまりにも無理』と言われたことや、色々なしがらみの都合で義務でともにダンスをした相手に、あまりの醜悪さで泣かれたことも吐かれたこともあります」

 なに、それ。いくら醜い(とされる色味をしている)からって、そんな……。


 ルース様の語るあまりに悲しいエピソードになんと言えばいいのかわからない私に、彼は弱弱しい笑みを浮かべて、なおも言う。

「エマニュエルには、誠意を尽くします。私はけして、あなたを裏切りません。けれどそもそも、私に近寄る女性なんて、いるわけがないんですよ。私の実の母すらも、うまれた私のあまりの醜さにショックを受けて、一度も腕に抱くことのないまま出奔したそうですから……」

 よし、嫁姑戦争(物理)だ。魔法を使ってでも、そいつは私がぶっ倒す。

 ようやく誰だかわかったルース様を悲しませた敵の1人に、私の殺意は燃え上がった。


「付け加えさせていただきますと、先ほどの発言、ルース様は浮気許容派というわけでも、エマニュエル様を侮辱しようという意図があったわけでもありません。ルース様の母君がこの家を出た際、隣には手を取り合った愛人がおりました。我々従者としては腹立たしい限りですが、ルース様も先代様も、そして世間までもが、それを『そうしたくなるほどに醜いのだから、致し方ない』と扱っておるようでして」

 ほほう。やはり嫁姑戦争(物理)だな。

 淡々と、けれどルース様の母に対する静かな怒りがこもった声音で執事さんが教えてくれた事実に、殺意が高まる。


 ルース様の容姿コンプレックス、根深いっていうか、もはやトラウマレベルじゃないの。

 これでは確かにルース様の自尊心などはまともに育たなかっただろうし、人間不信になっても仕方ない。

 この方は幾度傷つき、幾度絶望したのだろう。

 すっかりと諦めきったここから、どう私の愛を信じさせたらいいのか。

 諸悪の根元(ルース様母)を倒したらめでたしってもんでもないよなぁ。

 まあ特に意味はなくとも腹立ったから見つけ次第ぶっ飛ばすけど。絶対に。


 ……まあ、リリーリアが言っていた通り、信じるには時間が必要ということが、改めてわかっただけか。

 少しでも早くわかってもらうには、わかりやすいようストレートに、ガンガンいくしかなかろう。


 私は決意を、言葉にする。

「……決めたわ。私、やっぱり恥も遠慮もかなぐり捨てる。ルース、これから私は、私の好意をわかってもらえるまで、猫も令嬢ぶりっ子もかなぐり捨てて、全力であなたを追いかけて、全開で愛を告げるから」


「……え?」

 なんだか惚けた様子のルース様と、ついでに驚いた表情の執事さんににやりと笑って、宣言する。


「覚悟していて。私はあなた、ルース・サントリナのことが好きなの。大好きなの。愛しているの。それを信じてもらえるまで、絶対に諦めないから!」


 今日はとりあえず、ファーストネームで呼び捨てまで距離をつめて、寝室の鍵を(無理矢理)押し付けたまででよしとしよう。

 でもこれから更に距離をつめて、いつか、できれば9ヶ月後の私たちの結婚式くらいまでには、ちゃんと両思いだってわかってもらう。

 たとえ女に失望してようと、を諦めさせてなんかやるものか。

 ルース様にも、この家の他の人々にも。


 そんな決意とともに、私の辺境伯家での暮らしは始まった。

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