第13話
ベイツリー公爵家を旅立ち6日目の昼、間もなく到着する予定の街が、もうサントリナ辺境伯領だという地点までやってきた。
とはいっても、そこはまだ辺境伯領としては端の端で、領主であるルース様がお住まいになっている中心の街までは、まだ1泊2日の移動の予定ではあるのだけれども。
「……いよいよね」
私がそう告げると、私と同じ馬車に同乗しているリリーリアが静かにうなずいた。
そう。いよいよ次の街で、リリーリア以外のベイツリー公爵家からついて来てくれたみんなとは、別れることになる。
サントリナ辺境伯家から迎えが来てくれている予定なので、それに引き継ぐ形で。
「ねえリリーリア、みんなといっしょに帰るなら、次が最後のチャンスよ?」
私が改めてそう問うと、リリーリアはとても主人に向けるものではない鋭い眼光で私を睨み、実に不機嫌そうに口を開く。
「何度言えばわかっていただけるのでしょうか。私は、エマニュエル様から離れる気はございません。あなた様に拾われたあの日あの時から、私の命ごと、私はあなた様の所有物ですから」
「そ、そこまで思いつめなくたっていいじゃないの」
あまりに強い反発にビビった私がそう言ってみたものの、リリーリアはますます不機嫌さを増したようだ。
「はぁ? あんなに鮮やかに私の命を救っておいて、今更私を捨てることができるだなんて本気で思っていたんですか? 見通しが甘すぎます。だいたい、戻れと言われたところで、私に戻る家などございませんし」
「生家はともかく、うちのみんなはあなたも家族だと思っているわ。娘が1人もいなくなって男ばかりの家族になってしまうって嘆いていたお母様なんか、あなただけでも戻ったら、きっととってもよろこぶのに……」
「まあ、そうですね。そうだろうとは、思います。けれど、他ならぬその奥様に、エマニュエル様を頼まれているわけですから。私が帰るのは、あなた様といっしょのときだけ、たまの帰省で十分です」
何を言ったところで、リリーリアの決意は揺らがないようだ。
うーん。困ったなぁ。
ついて来てくれるのは嬉しいけれど、いよいよ、となったら、私だけがしあわせになるだろうことに罪悪感と、リリーリアのしあわせの邪魔をしてしまっているのではないかという懸念とが、ふつふつと沸き上がって来たのだけれども……。
「リリーリア、私は、リリーリアにもしあわせになって欲しいの。本当に私について来てかまわないの? 誰か、あちらに残してきた方とかは……」
「いません」
食い気味にそう返してきたリリーリアに、そんなはずはないと焦った私は、更に問う。
「え、いえでも、ほら、熱心にリリーリアにアプローチしてきていた方とか……」
「おりません」
「嘘よっ! 私、あなたへの手紙もプレゼントも、学園のときに何度も何度も仲介させられたじゃない!」
私が思わずそう叫ぶと、ようやく誰の話をしていたのか理解したらしいリリーリアが、ひとつうなずいた。
「ああ……。あれは、からかっていただけでしょう。こんな容姿の、実家から絶縁されている年増なんぞに、本気のわけがありません」
「……そんなこと、ないのよ……」
「そうですか。では、あの方には興味がありません。生きる世界が違いすぎるので」
実際の彼のリリーリアへの情熱を知っている私は弱弱しく食い下がってみたものの、ばっさりと切り捨てられてしまった。
うん、たぶん脈がないな、これ。
ごめんねカランシア。リリーリアはこのまま私がもらっていくことになりそうです……。
今私たちの話題の中心となっていた、リリーリアのことが大好きな彼ことカランシア・グラジオラスに、心の中で謝罪をする。
彼はリリーリアに、本気も本気のアプローチをしていたはずなんだけどなぁ。
それに彼は、この世界が乙女ゲームだとするならばこの辺りが攻略対象者だろう男性陣の中に含まれていた程度には、学園の中心人物かつハイスペックな方だった。
まあ、ちょっと暑苦しい感じが、しないでもなかったけれども。
それもクールなリリーリアとはいいバランス……、とは、勝手に私が思っていただけだけか。仕方ない。
「リリーリアが興味がないなら仕方ないけれど、もしあなたがいつか恋をしたら、私に遠慮なんかしないでね」
「はいはい、わかってますよ。そんなことより、間もなく到着です。ちゃんと準備をしておいてくださいよ」
私のせめてものお願いをさらりとスルーしたリリーリアに、ため息が出てしまう。
本当にわかっているのかしら……。
――――
街に入り、相手方との待ち合わせ場所に、リリーリアとサントリナ辺境伯家から来てくれていた騎士とともに、徒歩で向かう。
今はさきほど別れたベイツリー公爵家の人間が、持ってきた荷物を迎えの馬車に引き渡してくれているはずだ。
なのでその間に、私たちはこの街であちらの家人の代表の方と昼食をとりつつ顔合わせをする予定、なの、だが。
……?
なんか、指定の店の外に、この場にいらっしゃるはずがない方が、おられる、ような……?
え。あ。待って欲しい。まだ私旅装で、完全に油断をしていたわけで。
でも遠目からでもわかるあの均整のとれた体格、銀の御髪を備えたあの方は、どう考えてもルース様その人なわけ、で……?
「エマニュエル嬢、長旅お疲れ様です。あなた様のお越し、心よりお待ちしておりました」
ぐわぁあまぶしいっ!
こちらに気づき、たたたと駆け寄り、そして爽やかな笑顔でそうおっしゃったルース様の顔立ちのよさと輝きに、目がつぶれるかと思った。
「あ、ありがとう、ございます。歓迎感謝いたします……、え、いえ、ルース様自らお出迎えいただく予定でしたっけ!?」
旅装だし! 油断してたし!
髪型もなにも好きな人に見せても安心なほど完璧とはとても言えない状態の私は、思わず混乱のままに、叫んでしまった。
どんな表情をすればいいのかもわからない。
わたわたとうろたえる私の手を取り、そっと店内へとエスコートしながら、ルース様は告げる。
「予定にはありませんでしたが……。あなた様への、恭順の意を表したくて」
???
はにかみ笑いをされながら言われた言葉の意味が、よくわからない。
きょうじゅん? の、い?
恭順の意? そんなわけないよな。
「え、えっと、それは、どういう……」
「詳しい話は、人ばらいをしてから詰めた方が良いでしょう。さあ、こちらへ」
私の質問には答えないまま、ルース様は地方の街には意外なほど高級そうに見えるレストランの中を、すいすいと進む。
店員さんが止める様子はないので、話はもう通っているのだろう。
え、いや、こんな高級レストランで、人ばらいをしてまで詰める詳しい話とか、私、心当たりないけど。
なんなの。
なんかこれ、盛大に話がすれ違ってないか?
2階の奥まった個室。その一番奥の、どう考えてもここがこの店で一番いい部屋の一番上座じゃんという席に、まだ混乱したままの私を座らせると、ルース様は私の傍らに膝をつき、えらく真剣な表情で口を開く。
「エマニュエル嬢からの手紙、すべて拝見いたしました。どれほどの苦労をされているのかと思うと、家人一同とともに、涙を堪えきれませんでした」
「……へ?」
私からの手紙? ただのふわっふわの浮かれた恋文ときどきポエムだったかと思いますが?
いや違う。ポエムをまぜたのはそれがこの国のスタンダードだからであって、決して私が浮かれすぎたが故の暴走では、……まあなくもないんだけど。
いやでも、とにかく、馬鹿にされることはあっても涙だの苦労だのとは一切関係なかったはず!
どういうこと!?
「私の剣も、我が領の兵も、我が家の財も権力もサントリナ辺境伯領のなにもかもすべては、あなた様のご意志に従います。女神もかくやの素晴らしきあなたを、こんな辺境の地にまで追いやった奴らへ、華々しく復讐をいたしましょう!」
無駄に良い声で堂々とそう宣言したルース様に、しばし私の時間が止まった。
そっかー。復讐かー。そりゃ確かに人ばらいしてから話すべき話題だなー……。
……って、復讐!? 必要ないけど!?
っていうか、私、追いやられたんじゃなくて、自ら望んでこの地に嫁ぎに来たんですけどぉ!?
あまりによくわからない事態に私が硬直していると、私の背後に控えていたリリーリアが、なぜか彼を讃えるかのように拍手をし始めてしまう。
「よくおっしゃってくださいました。エマニュエル様は、こんなところで終わる御仁ではございません。私も、微力ながら尽力させていただきましょう」
「なにを言ってるのリリーリア! しない! 復讐なんか、しません! 必要ありません!!」
思わず私が叫ぶと、リリーリアはチッと舌打ちをして、ルース様は首を傾げた。
「……しない、のですか? では、いったいなんのために、こんな騎士と兵士と冒険者とにまみれた、とにかく戦力しかないような僻地にまでいらっしゃったので?」
なにこれ私がおかしいの?
きょとんとした表情で、心底不思議そうに尋ねてきたルース様に自信を削られながら、私は答える。
「えっと、ルース様と、結婚をするため、ですね」
瞬間、なぜかルース様は、さっと表情を曇らせた。
「……私はまだ、真意を語るほどの信頼に値しない、ということでしょうか?」
しょんぼりとしながらそう尋ねてきたルース様に、罪悪感を刺激されるが、いや、なんでしょんぼりされなきゃいけないんだ!
「いやあの、これ以上の真意とか、ないです。私は、純粋にルース様と結婚がしたくて、この地にやってきました。先ほど『追いやった』とおっしゃってましたが、私は誰にも追いやられておりません。国外留学という選択肢もあったところを、サントリナ家から提案していただいた婚姻に、わーいと飛びついた次第です」
「えっと、ですから、エマニュエル嬢が我が家との婚姻を了承してくださったのは、うちがなにかと使えそうだから、ですよね……?」
「違いますよ! 私はサントリナ家と、というか、ルース様と結婚したいだけです! え、本当に私からの手紙、全部読みました!?」
???
互いに頭の上に疑問符をいっぱいに浮かべた私とルース様は、よくわからない混乱の中で、婚約者同士になって初めての顔合わせを迎えていた。
そう。婚約者同士になって初めての顔合わせだというのに、私が事前に期待していたような、甘い雰囲気などは一切ないままに。
なんだこれ。
いったいどんな盛大なすれ違いが発生してるの……?
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