第12話

 謹慎あけ、いよいよ私が旅立つその日の早朝。

 ベイツリー公爵邸のホールには、真剣な母の声と、同じく真剣に母の言った言葉を復唱する私の声が、朗々と響いていた。


「粛々と!」

「粛々と!」

「にやにやしないっ!」

「にやにやしないっ!」

「可能であれば、『これからの未来に不安はあるものの、国のため決意を固めた誇り高き公爵令嬢』らしい表情で!」

「可能であれば、『これからの未来に不安はあるものの、国のため決意を固めた誇り高き公爵令嬢』らしい表情で!」

 それはいったい、どんな表情なんだ……。


「無理そうなら、常に無表情!」

「無理そうなら、常に無表情!」

 うん、まあ、それなら、なんとか。

 私がそんなことを考えながら母の言葉をおうむ返しにし続けていると、既に私と別れの挨拶を済ませた父と兄と弟と、ついでにうちの使用人のみんなが笑いを堪えるあまり肩を震わせているのが見えた。

 わかるよ。私も当事者じゃなかったら笑いたい。

 でも、お母様はどこまでも真剣だから……。


「最後に、ママがあなたに伝えたいだけのアドバイスを、めいっぱい伝えます。心の片隅に入れて、旅立って欲しいの。それではエマちゃん、復唱!」から始まった、本当にたくさんの母の言葉。

 中には「季節の変わり目は風邪をひきやすいから、少し暑いかなくらいの服装を心がける!」だの、「半年に1度くらいは、実家に帰ってきてほしい!」だの、独立する我が子を心配する母としての言葉も多かった。

 公爵夫人として、夫に愛され続ける妻として、なるほどなと思わせてくるものもあった。

 いずれにせよ、どの言葉も、私のことを本当に心配してくれていることがわかるものだ。

 だから私は、きっちりと付き合った。


 途中、なんじゃそりゃと思うものが混ざっても。

 まじめに真剣に言ってるだけに笑いそうになってしまいそうな、正直ちょっとズレたアドバイスが混ざっても。

 母の愛がいっぱいにつまったその言葉を、私は真剣に、復唱し続ける。


「……次が、本当に、最後の最後よ。これさえ守ってくれるなら、今まで言ったことは忘れても無視してもかまわないわ」

 ふいに静かな声音になって、母がそう言った。

 その言葉は繰り返さずに、私は母の言葉の続きを待つ。


「……絶対に、なにがなんでも、しあわせになる!」

「ぜ、絶対に、……なにがなんでも、しあわせになる!」

 思いがけない言葉に涙声になってしまったけれど、私はなんとか、復唱し終えた。


 うん。しあわせになる。

 私は悪役令嬢かもしれないし、神殿や、世間の人にも、まだいとし子様をいじめた悪女と思われているかもしれない身だけれど、絶対にしあわせになる。

 私はこんなにも母に愛された、このステキな家族の大事な娘なんだから。

 絶対に、しあわせになってみせる。


「はいはい、茶番が終わったならさっさと馬車に乗ってください、エマニュエル様」

 どこかしんみりとした空気に割って入って来たのは、そんな冷たい侍女の声。


「んもう、茶番だなんてひどいわ、リリーリアちゃん」

「はあ、申し訳ありません。しかし、間もなく出発予定時刻ですので急いでください」

 公爵夫人である母が頬を膨らませても一切動じることなく淡々と返した彼女の名前は、リリーリア。


 彼女が10歳、私が6歳の頃からうちに住み込みで働いてくれている現在22歳のリリーリアは、アイスブルーの髪と髪よりは一段暗い青い瞳の、合法ロリだ。

 体格も顔もひときわ小さくて、顔立ちもなにもかもお人形のようにとってもかわいらしい彼女は、けれど髪の色は薄い。それゆえ、なんと信じられないことに、あまりに醜く嫁の貰い手がないだろう上に跡取り息子を産んだ後妻との相性が悪かったとかで、彼女の生家の某子爵家から捨てられたところを、我が家で保護した。

 リリーリアが現在でも小柄である原因だろうと推測されるほどのネグレクトをしたあげく『元々うちにリリーリアなどという娘はおりません』とのたまった子爵夫妻は、私がこっそり全力で呪っておいた。こんな世界なので髪が抜けることや白髪になるというのはえらい大事件なのだが、私は闇魔法が得意系な少女だったのでできると思い、まあそんな感じに。

 結果は、その後今現在に至るまで、社交界で子爵夫妻の姿を見た者がいないらしいことから、たぶん成功したのだろう。


 一応は現在私の侍女ではあるものの、そんな経緯で、どちらかと言えば私の姉のような遊び相手のような感じでうちに迎え入れられ育った彼女は、我が家の人間に、一切の遠慮がない。

 そしてネグレクトの後遺症なのかなんなのか、甘い印象のかわいらしい見た目に反して、中身はものすごくトゲトゲしていて、口を開けば辛辣なことしか言わない。

 しかし、遠く離れた辺境伯領に嫁ぐ私に迷いなくついていくと決めてくれたり、なんだかんだすごく良い子なのだ。いっしょに育ったので、私のこともよくわかってくれている。率直な物言いも、わかりやすくて私は好きだ。


「改めて、娘を頼む、リリーリア。なにかあったら、すぐにこちらに知らせてくれ」

「よろしくねリリーリアちゃん、頼りにしてるわ」

 父と母に念押しをされたリリーリアは、無表情でうなずく。

「はいはい。エマニュエル様の脳からお花畑があふれ出そうになったら、私が殴ってでも止めますので。今はこんなでも、辺境伯様に出会って脳に花畑がわくまでは、どこに出しても恥ずかしくない完璧なご令嬢だったじゃないですか。大丈夫ですよ」

「そう、そうなのよね。未来の王妃にふさわしいだけの教育を受けさせたつもり……、なんだけど……、最近は……。……本当によろしくね、リリーリアちゃん!」

「お任せください」


 侍女と母がひどい。

 まあ、これだけ両親に信頼されている、何事も卒なくこなす優秀なリリーリアがついて来てくれるのだから万事安心だと思っておこう。うん。


 両親に深々と頭を下げたリリーリアは、ぱっと顔をあげて私を見ると、その小さくて桜色でかわいらしいのに、開くと辛辣な言葉しか出てこない唇を開く。

「では、エマニュエル様、ぼっとしてないでさっさと行きますよ。ああ、外に出る前に、その間抜け面引き締めておいてください」

「ごめんねリリーリア、気を付けるわ。ではお父様、お母様、みんな、……いってきます!」

 さっきあんなに母と注意事項を復唱したのにまだ表情を崩してしまっていたらしい私は、くっと表情を引き締め気合を入れて、外に向かう。


 ここから一歩でも出たら、そこはもう、誰のどんな目があるかわからない。

 そういえば、何気に我が家の庭以外の外に出るのは、今日が3ヶ月ぶりになるのか。


「……エマニュエル様のしあわせを邪魔する奴がいたら、今度は絶対、私が排除しますから。あなたはただ堂々とまっすぐ歩いて、まっすぐしあわせになればいいんですよ」

 少しこわいな、と思っていた私の耳に、決意を秘めたリリーリアの声が、背後から聞こえた。

「こうして私がついていける戦場で、あなたを負けさせるわけがないでしょう?」

 ふっと鼻で笑いながらリリーリアが言ってくれた言葉に、背筋が伸びる。


 4歳年上で、しかも生まれは貴族令嬢とはいえ魔力が少ないリリーリアは、私といっしょに学園に通うことはできなかった。

 私の処遇が決まったその後に『なにもできなかった』と悔し涙を流していたと、母がこっそり教えてくれた。

【今度は絶対】の決意に、頼もしい彼女の言葉に、ちょっぴり涙腺を刺激されながら、絶対に、なにがなんでも、しあわせになるという気持ちが、改めてわきあがってくる。


「リリーリアって、やっぱりかわいいわよね」

「目ぇ腐ってるんじゃないですか」

「そんなことないわ! リリーリアはどこから見ても、私の自慢の、かわいいかわいいかわいい侍女よ!」

「もしや馬鹿にしてます? 身長は負けていますが、私の方がかなり年上なんですよ」

 はあ、と、ため息交じりに返されたが、やっぱりかわいいとしか思えない。このツンデレさんめ。

 ああ、いけない。にやにやとしちゃダメよね。腐った生卵こわい。


 そうして『表情を引き締め』プラス『ちょっぴり涙腺を刺激され』プラス『絶対に、なにがなんでも、しあわせになるという気持ち』の結果、私はこのとき、人から見て『これからの未来に不安はあるものの、国のため決意を固めた誇り高き公爵令嬢』らしい表情で家を出たのだ、とは、うわさ話で、後から知った。


 それはいったい、どんな表情なんだ……。

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