第10話


 出現した魔獣の種類規模、学園生と教職員のうち主だった者のできることできないこと、学園の敷地のどのあたりを戦闘区域と想定しているか、学園に備わっている設備・備品、その他諸々、ついでにちょびっとだけ雑談。


 集団の後方に控えるフォルトゥナート王太子殿下のところまで一団を案内する道中、主にルース様の質問に答える形で、私たちは様々なことを話した。

 見れば見るほどかっこいいルース様が眼福だったのと、【ルース様】呼びを許可されるなどした私は、終始非常に上機嫌だったと思う。

 もしかすると、ずっとにやにやしてしまっていたかもしれない。公爵令嬢の意地でどうにかにこにこに見えるよう頑張ったつもりではあるが、あまり自信はない。

 まあそれも、王太子殿下=我が婚約者様の顔を見るまでの話ではあったが。


 ……ディルナちゃん、このまま王太子殿下ルートに行ってくれないかなぁ。

 今のところの2人は、気心の知れた友人の距離をギリギリ保ってはいる。けれど、お互いに密かに惹かれあっているんだろうなと、2人の間に立ちはだかってしまっている推定悪役令嬢としては、肌で痛感しているので。

 殿下から私との婚約を破棄してくれたら、ルース様を思う存分追いかけることができるのに。


 現実に引き戻された私がそんな現実逃避をしているうちに、ルース様と殿下の話は、まとまったようだった。

 魔獣との戦闘に慣れていて、かつ近接での戦いを得意とするルース様たちを前方に、まだまだひよっこであり時間はかかるものの、時間さえかければ威力の高い魔法を放つことができる者の多い我々学園生を後方に。ざっくりとそんな位置取りで戦うことが決まり、私たちは動き出す。


 前線の能力の高さのおかげで、安定して魔獣の数を減らすことに成功していたと思う。

 しかし私は、高位貴族の娘ということもあり、また魔力の豊富さからどんな遠距離までも魔法を飛ばせることから、かなり後方に配置されていた。

 ぶっちゃけ、あんまりよく見えなかった。

 見たかった。

 ルース様の活躍を、この目でどうしても見たかった。

 後方にはあまりにも魔獣が来なさ過ぎて、気のゆるみもあったかと思う。

 戦況が進むにつれ隊列が崩れ、魔力切れや疲労で後方に下がる学園生などもちらほらと現れてきていた。そんな中、戦場でもひときわ目立つルース様の輝く銀に誘われるように、徐々に私は、前に出過ぎてしまっていた。のだとは、後から痛感したことだったが。


 魔獣、それはだいたいが地を駆ける獣の姿に似ているのだが、たまには、そのセオリーを打ち破ってくるモノがいる。

 そう例えば、空を駆けるドラゴンなんてものが、魔獣の氾濫の際には、現れることもあったりするのだ。


 豊富な魔力にものを言わせ、ばんばん高位の魔術を放っていた私は、たぶん魔獣の群れから見ると、非常に邪魔だったのだと思う。

 敵の主砲=私を砕かんとしたのか、多数の仲間を屠った私にせめて一矢報いようとしたのか。

 私を含む学園生たちがばかすか魔法を放っていた、魔獣の群れに相対した正面側ではなく、そこを迂回するかのようにひゅっと旋回し、ソレは宙を踊った。

 竜としては小型ながらも、それでも最強の種らしい迫力を持ったその飛竜は、猛烈な勢いで空を駆け、私をまっすぐににらみつけ、真横から飛来し、

 あ。

 これ

 死、


「エマ様ぁあああっ!!」

「エマニュエル嬢……!」

 ディルナちゃんと殿下が同時に叫んだのが、どこか遠くに聞こえた。


 私は迫る死の予感にかくりと膝から力が抜け、地面にへたり込み、ぎゅっと目を閉じる。

 瞬間、ガキンと響く、硬質な音。


 痛く、ない。

 まだ、死んで、ない?


「エマニュエル嬢、ご無事ですかっ!」

 そろりと開けた視界の先、息を切らせたルース様がそう言いながら、私にまっすぐに向かって来ていた飛竜の鋭い爪を剣で受け止め、その背に私を庇っていた。

 こくこくとうなずくことしかできない私を確認した彼は、ぎりぎりと拮抗していた飛竜をバシリと剣で押し返す。


「……空飛ぶトカゲごときが、調子にのってんじゃねぇっ!!」

 中空で体制を崩す形になった飛竜にそう叫んだルース様は、そのまま迷いのない剣筋で奴の腹を切り裂いた。


 ……あら、意外とワイルド。


 そう思ったものの、先ほどは私の笑顔ごときにあからさまにうろたえていた、いかにも純朴そうなこの方が見せた意外な一面に、きゅんとしてしまう。


 地に落ちた飛竜の絶命を確認したらしいルース様は、持っていた剣を腰の鞘におさめ、そろりと私を振り返る。

「お怪我は、ございませんか……?」

 きゅんきゅんっ

 そっとそう尋ねてきた声は甘く柔らかく、私を心配する気持ちがとてもよく伝わってきたので、先ほどの荒々しくも頼もしいお姿とのギャップに、またもや私の胸は高鳴った。

「ルース様のおかげで、怪我は少しもありません。申し訳ございません。前に、出すぎました」

 反省した私はそう言って、深々と頭を下げる。


「いえ、この位置にいてくださったおかげで、私が間に合ったとも考えられます。顔をあげてください」

 その言葉にそろりと見上げると、ルース様は心底ほっとしたような笑顔をしていた。

「ご無事でなによりですが、あまり顔色がよくありません。一度後方に下がって、休まれた方が良いでしょう。もう、空を飛べそうな敵はいないように見えますし。立てますか?」

 ルース様のお言葉に、従いたい気持ちはあったのだが。

 実はさっきから幾度も立とうとは試みているものの、全然立ち上がれそうにない。


「その、……こし、が、……抜けました」

 私がその情けない事実を率直に白状すると、ルース様はしばし、考えるようなしぐさを見せる。

「……他に誰か、ああいや、無理か……。……気持ち悪いとは思いますが、緊急ですので、ゆるしていただきたい。失礼」

 ちらちらと周囲の状況を確認した彼はそう言うと、ひょいっと、えらく軽々と、私の膝の裏と背中の下に手を差し込み私を持ち上げ……、私! ルース様に! お姫様だっこされてる!!


 ひょえっ。ひょえええ。


 急に持ち上がった視界、眼前に迫るどタイプの美形の顔、かなり密着してしまっている憧れの人のたくましい肉体――、私は、パニックになりかけていた。


「るる、ルース様! 私、重い、重いですよっ!」

 焦った私がそう騒いでみたものの、ルース様は重さなど感じていないかのようなしっかりとした足取りで歩き進めるまま、ふわりと微笑む。

「ベイツリー公爵令嬢は、羽のように軽いですよ」

 そりゃ、羽だって、集めに集めれば成人女性一人前の重さになりますからね!

 ってそうじゃない!

「さっきは【エマニュエル嬢】と呼んでくださいましたのに、寂しいです! なんならエマって呼んでください!」

 あ、違った。これでもない!

 パニックになりかけ、というか、しっかりパニックに陥っていたらしい私は、気づけば欲望のままにそう叫んでいた。


「……っ! 『お前が気持ち悪いから降ろせ』と罵られる覚悟は、していたのですが。そんなに赤い顔をされて、そんなに愛らしいことを言われると……」

 困ったようにそう言ったルース様の頬は、私のそれがうつってしまったかのように、赤い。

「そんな、気持ち悪くなんてないです。ちょっと、恥ずかしいだけで。むしろ私は、ルース様のたくましさに、ほれぼれとして、います……」

 恥ずかしさで段々と小声にはなってしまったものの、私はしっかりと、そのことを彼に伝えた。

 親切でしてくれていることに、そんな悲しい反応が返ってくるだなんて、思わせたくはなかったから。


 勇気を振り絞って告げた私の言葉を聞いたルース様は、何かを堪えるかのようにくううと震え、彼の腕の中の私を見返し、口を開く。

「あまりからかわないでください、……エマニュエル嬢」


 きゅううううん!

 イケメンのすねたような照れ顔、尊い!

 そして、彼に呼んでもらえるだけで、私の名前がなんだか素晴らしいものみたいに思える!


 そう叫びたくなった私の視界がなんだかピンク色に染まって見えたのは、その瞬間に、もうあらがいようがないほどにルース様への恋に落ちてしまったから……。

 ではなく。

 事実として、ルース様の背後にいたディルナちゃんが、ピンク色に光っていた。


 先ほどの、私が死ぬと思ったディルナちゃんが、フォルトゥナート王太子殿下と同時に『助けたい』と強く願った瞬間。

 ディルナちゃんは【女神のいとし子】として覚醒し、女神の声を聞き、そして王太子殿下といっしょに、祝福されていたらしい。

 そう、このときに、初めてディルナちゃんがいとし子様として覚醒したのだった。


 覚醒したディルナちゃんの活躍により、この時の魔獣の氾濫は、一人の怪我人も出すことなく収束。

 その後の半年の間、ディルナちゃんは王太子殿下とともに各地で華々しく活躍し、成長。

『もしやいとし子様か?』からの『やっぱりいとし子様だ!』からの守護竜様の完全復活を経て『あなたこそがいとし子様です!』と大々的に認められるに至った、というわけだ。



 ――――



「……いとし子様の最初のご活躍のときに、そんなことがあったのね」

 ルース様の容姿に対する賛辞だけはどうにか隠し通した私の話を聞き終えた母は、感心したようにそう言って、ふんふんとうなずいている。

「つまり、きっかけは、命を救われたこと。辺境伯の強さと純朴さ、その二面性に惹かれてしまった感じかしらね……?」

 そうまとめた母は、まだどこか納得していなそうに首を傾げていた。

 うん、最初に姿に惚れまして、という前提が話せないので、私の言動に一部不自然な点がなくもないんだよなぁ。


「まあいいわ。なにがどう好きになったかはわかったようなわからないようなだけど、エマちゃんが彼をとっても大好きなのは、よーくよくわかったから」

 そう言って爽やかに笑った母の笑顔は、どこかほっとしたような、力の抜けたものだった。


 まさか、母までも、私が『実は我慢しているのに健気にも明るく振舞おうとするあまり空回り』みたいな感じだと思い、心配していたのだろうか……。

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