第8話

「エマちゃん、そんなにしあわせいっぱいのお顔、おうちの外では絶対にしちゃだめよ?」

 ふいに母があきれのにじんだ声でそう言ってきたことで、なるほど、問題はルース様というより、私があまりに浮かれすぎている方かと悟る。

 まあそれもそうか。神殿や貴族議会は私に対するペナルティになるだろうという心づもりで私とルース様の婚約を後押ししてくれたのだろうに、私が実際こんなにもハッピーだと知ったら、面白くないだろう。


 そう気づいた私は気まずさで視線を泳がせてみたが、母がじーーーーっと私を見つめるばかりなので、観念して、口を開く。

「わ、わかっています。外ではちゃんと、顔を引き締めますよ。……いやでも、あまり深刻そうな表情をしていて、この婚姻が不服かのようにルース様に思われるのも嫌です。え、あれ。わ、私、どんな表情をしてあちらに嫁げばよいのですか……!?」

 2ヶ月半後にこの家を出るとき、私はどんな表情をしているべきなのか。

 よく考えてみればよくわからない。


 私に泣きつかれた母は小首をかしげながら、ゆったりと答える。

「んー、そうねぇ。辺境伯家に着いてあちらの皆さんに挨拶をする段階になったら、初めて笑顔を見せる、くらいで十分じゃないかしら? 一応は道中各所に挨拶をする予定も入っているし、サントリナ家の騎士も同行するはずでしょう? 誰がどこでどう見てなんて言うか、わからないもの。あちらまでは粛々と、しおらしく行った方が良いと思うわ」

「粛々と、ですか……」

 辺境伯領は、けっこう遠い。私一人ならそれこそ空を飛べそうな気もするが、ついて来てくれる予定の侍女も1人いるし、ある程度色々持参する都合もあって、馬車で1週間程の旅程をこなす予定だ。

 そんなにずっと、粛々とした雰囲気を保てるだろうか。内心はこんなにもハッピーを極めているというのに。


 考え込む私を見た母は、重いため息を吐いた。

「ねえエマちゃん、外でも今みたいにずーっとにやにやしていたら、『あの悪女、今度はいったいなにを企んでいるんだ』って思われるわよ。エマちゃんに今同情が集まっているのだってかわいそうだと思われているからなのに、全部台無しになるわ」

「それは、困りますね……」

「下手を打てば、肩透かしを食らったいとし子様過激派によって、あなたの結婚式で腐った生卵が飛んでくるかもしれないわ」

「うう……。私の隣にいるであろうルース様にもしもぶつかったら、すごく嫌です……」

 ようやくテンションが落ち着いて、というかむしろしょぼしょぼとそう認めた私に、母は『わかればよろしい』とばかりに鷹揚にうなずいている。


 私の評判なんざどうでもいいと言ってしまいたいところではあるが、辺境伯夫人となる私の評価は、夫であるルース様にも多大な影響を及ぼす。

 実際は全然全くそんなことはないのだが、『国のためになにもかもを飲み込んだ』だの『過酷な運命にも悲観せず己の役目を果たそうと決意』だの、公爵家うちが宣伝しようとがんばっている【エマニュエル公爵令嬢】像からかけ離れた言動は、しない方が良いのだろう。

 すくなくとも、誰の目があるかわからないような場所や場面においては。


「それにほら、殿方っていうのは、追いかける方が好きなものなのよ? ちょっとぐらいもったいぶっておいた方が、きっと辺境伯様だって燃えるわよ」

 空気を切り替えるようにおもむろに、えらく愛らしい声音でそう言った母に、私の耳と意識は一気に持っていかれた。


「そ、それは、……今もなお社交界の華とうたわれる、独身の頃にはあちこちであなたを巡る決闘を巻き起こしたほど壮絶にモテたという、お母様の経験則ですか……?」

 ごくりと喉を鳴らしながら私が問うと、母はにやりと俗っぽい笑顔を返す。


「さあ、どうかしらね? でも普通、ライバルがいっぱいいるとか、完全に自分のものにはなっていないとか、そういう状況じゃなければ、どうしても手に入れたい! とか、急がなきゃ! って、思わないんじゃないかしら」

 くすくすと笑いながらそう言った母は、確かに【艶やかな美貌の公爵夫人】だった。


 こ、これが、伯爵家からその美貌(髪)を武器に格上の公爵家に嫁ぎ、25年の時を経て男を2人女を1人産み育てても(私には兄と弟がいる)夫の愛は陰りを見せるどころか日々ますます熱烈になるばかりの女の威厳……!


 ……ちょ、ちょっともったいぶってみちゃおうかしら。

 ほら、お母様譲りの髪を持つ私は、この世界ではめちゃくちゃ美少女らしいし。

 婚約だって、一応はあちらから言い出してくださったのだし。


 私の心が、かなり【粛々と】に偏っているのを見て取ったらしい母は、くすりと笑うと、私に問う。

「あなたが【公爵令嬢にふさわしいふるまい】を保つのにそこまで苦労しているのは、初めて見るわね。ねえエマちゃん、あなた、どうして、そんなにも辺境伯様のことが好きなの?」


 元現代人の私は、元現代人だからこそ、貴族制度が生きているこの世界の、それも公爵令嬢としてふさわしいふるまいをすることに、かなり心を砕いている。

 そういえば、母に説教や説得をさせたのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。


「どうして、と、言われましても、その……」

 仮にも母親に対して恋バナをすることに抵抗を覚えた私は、ごにょごにょと言葉を濁した。

「どんなところが好きなの? いつから好きなの? 好きになったきっかけは? ママにだけは聞かせてくれてもいいでしょ? ねっ?」

 ところが一切追撃の手を緩める気がないらしい母は矢継ぎ早にそう尋ね、キラキラとした瞳で私を見る。


「どんなところが、と訊かれましても……。こうなんとなくというか、好きになったから好き? とか、そういうものではないでしょうか……」

 前世の感覚からするとあの人超絶イケメンなんで、ほとんど一目惚れでした。というのは、どうにも言える気がしなかったので。というか、たぶん言ったら正気を疑われてしまうので。

 曖昧にそう言ってみたが、母は不服そうに頬を膨らませている。


「一度好きになったら他の部分も美点にしか見えなくて、その人のことがどんどん好きになっちゃうのは、わかるわよ。でもきっかけ? とか、恋に落ちた瞬間? とか、そういうのはあるはずでしょ?」

「いえ、その……」

 ううん、だから、そのきっかけが説明しづらいんだよなぁ。私に感性が似てるっぽい母なら、平気かなぁ……。


 悩みながら、どうにか曖昧なきれいごととかでごまかせないものかと、私は抵抗を試みる。

「その、説明はできないけど、なんとなく好きになっちゃったーって、あると思うんですよ。ほら、例のくるぶしで妃を選んだといういつぞやの国王陛下だって、髪色なんて関係なくその人のことが好きになってしまったから、この人はだれよりもくるぶしが美しいのでとこじつけてみただけなんじゃないですか、ね……?」

「その方は、妃選びの際には候補者をずらりと特殊な壇上に立たせ、くるぶしだけが見える状態で厳選したそうよ。くるぶしがよく見えるようにとはいえ仮にも王族を床に這いつくばらせるわけにはいかず、女性にとって足を見られることには抵抗があるものだから靴ははいたままで大丈夫なように、くるぶしより上が見えてしまうこともよろしくない、と、かなり苦労して壇を作った記録が公式に残されているわ」


 業が深いなくるぶし陛下。

 偉大なる先人のまさかのやらかしに、私は頭を抱えた。

 まあきっと、王妃候補になれるような貴族令嬢の中から選んだのだろうから、くるぶしで選んでも問題はなかったのだとは思うが……。


「……エマちゃんも、まさかそんな特殊な趣味からサントリナ辺境伯に惹かれたの……? いったいなにかしら、目の大きさと鼻の高さとか……?」

 お。割と正解。

 さすが18年私の母親をやっているらしくかなりの正解を導き出した母は、けれど40云年この世界の人間をやっているために、『いやありえないでしょ……』とばかりのドン引きの表情でそう言っていた。

 ううう、やっぱりダメか。父の顔に見惚れているのは『一度好きになったら他の部分も美点にしか見えな』いということか。


 ……仕方ない。あんまり話したくはなかったが、恥ずかしがってる場合ではないな。


「……ちょうど、半年くらい前に、学園裏手の山から、魔物が氾濫してしまったことがありましたよね?」


 私は覚悟を決めて、ルース様と初めて直接お話させていただいた日の記憶を、母に語りだす。

 実際にはほとんど一目惚れではあったものの、これはもうどんな容姿であっても惚れずにはいられないだろう、母を納得させるに足るだろうと確信する、あの日のルース様のことを――

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