第6話

「……こちらから申し入れていた婚約に、了承の、返事が来た。エマニュエル嬢は謹慎があける5月の下旬に我が領にいらして、すぐに私と籍をいれてこちらで生活を始めるつもりがあると、そう書いてある」

 サントリナ辺境伯家の奥、当主であるルースの書斎で。

 ルースがベイツリー公爵家から受け取った手紙を見ながらそう呟いた瞬間、彼の父の代から仕えている老執事は、盛大に首を傾げた。


「そ、そんなはずは、ない、と思うのですが……」

 そんな執事の言葉に深く頷いたルースは、もう一度その信じがたい内容の手紙を見返して、通算17回目の読み直しをしてみた。しかしやはり何度みても、そこにはそう書いてある。


 書面は2通。ベイツリー公爵と国王陛下の署名が並んだエマニュエルとルースの婚約を認める書面と、エマニュエル直筆の、もはや恋文といっても差し支えないのではないかという程この度の婚約を喜び、謹慎処分のため輿入れが遅延することを真摯に詫び、そして3ヶ月後には必ずサントリナ辺境伯領に来ると書いてあるものだ。


「その目で見なければ、信じられないだろう。私だって信じられない気持ちだ。……もういっそ、お前も読め」

 ルースがそう言って差し出してきた2通の手紙をそっと受け取り、老執事は素早くその内容に目を通していく。


 別の意味に読み取れる曖昧な表現やこちらをだます意図の文言が含まれているのではないとか疑いながら、執事は慎重に読み進めた。

 時折挟まれる、浮かれ切ったエマニュエルによる、脳に花畑でも湧いたのかと疑いたくなるように大仰なルースへの賛辞になにかをごりごりと削られながら、彼は3度、隅から隅までをなんとか読み切る。

「……確かにそのように書いてあるように、私にも見えますね」

 若干の疲れをにじませる声音で、老執事はそう認めた。


「……どうする?」

「……こちらも、準備を急ぐ他ありませんな。3ヶ月後までに、奥様をお迎えする準備を整えなくては……」

 幾分冷静な声音でそう交わしてから、その前提となるあまりに想定外の事態をようやく飲み込み、主従はそろってうろたえだす。

「え、いや、おかしいよな!? もっとこう、ごねられて引き延ばされる予定だっただろ!?」

「当然にございます! 準備に時間がだ、教育が足りないだ、家族の病気だ、身内の不幸だと、なんだかんだと言い訳を重ねて3年くらいこちらにいらっしゃらないうちに、なにがしかのこじつけで婚約破棄になると想定しておりました……!」

「そう、そうだよな。というか実際、父のときがそうだったのだろう?」

「ええ。それを幾度か繰り返した結果父君の婚姻は遅れに遅れ、ルース様の誕生も同じく遅れ、ルース様がその若さでしかも未婚のまま、辺境伯とならねばならない事態に……」

「父もひどい容姿をしているが、私はそれに輪をかけてだからな……。だから、まず1ヶ月後などと無茶を言ってみて、まあ当然反発されるだろうから譲歩に譲歩を重ねたかのように、大いに妥協したというていで1年以内の婚姻成立を目指していた、よな?」

「その認識で、あっておられます」


 互いの認識を確認し合ったルースと老執事は、揃って大きなため息を吐いた。

 そして彼らを大いにうろたえさせた想定外が記されている手紙をもう一度見ると、ルースは深刻そうな表情で、口を開く。

「まさかエマニュエル嬢は、私が色なしだと知らないのか……?」

「なにを言っておられるのです。あなたの評判を知らない者など、この国にはおりません。だいたい、直接お会いして、何度か話もなさっているでしょう。あなたが『こんなに醜い自分と近距離で会話を交わしたのに、顔をしかめられも泣かれもしなかった』と感激して帰ってきた日のことを、私ははっきりと覚えております」

「そうだ。だから、そんな彼女が悪女の汚名を着せられ婚約を破棄されると聞いて、いてもたってもいられず、私は新たな婚約者として名乗りを上げたんだが……。いやでも、あのお方が私なんぞとの結婚を了承してくださるなど、色なしだと知らないとしか……」

「その手紙にも、『月の輝きに似た銀色』などと賛辞を贈られているではないですか。エマニュエル嬢は、間違いなく【色なしの辺境伯】との婚姻を、それほどまでに望んでおられるのです。つまり……」


「つまり、それほどまでに、あのお方の置かれている現状が、つらいものだということ、だな? 私などのことを、そうとまで称さねばいられないほどに」

 つまりの後、結論を言いよどんだ老執事の言葉の続きを、はっきりとルースは口にした。

「……おそらくは。謹慎あけすぐの引っ越しを望んでおられることから考えても、もしかすると、王都では身の危険を感じるほどなのかもしれません。そこから逃がし守ってくれるのならば、色なしだろうとかまわないということでしょう」

 老執事はそう言って、あまりにひどい立場に追いやられているのだろう主人の思い人に思いをはせ、こみ上げてきた涙を、ぐっとぬぐった。


「あの女神のごとき慈悲深く思慮深い令嬢を、そうまで追い詰めるなどと……!」

 ぐっと拳を握りしめてそう漏らしたルースの瞳には、エマニュエルを追い詰めたのであろう王都の人間たちへの怒りと憎悪が、はっきりとこもっていた。


 同じ感情が自分の目にも宿りそうなのを堪えながら、老執事は告げる。

「エマニュエル嬢がこちらでなに不自由することのないよう、早急にすべてを整えなくてはなりませんな」

「ああ、急ぎ準備しよう。いや、この3ヶ月間もあちらの公爵邸で快適に過ごせるように、なにか慰めになるものでも贈ろうか。そちらの手配も同時に頼む」

「かしこまりました。公爵邸から出られないということであればまず安全かとは思いますが、状況によっては、こちらから護衛を幾人か送ってもいいかもしれませんね」

「ああ、まずは手紙の返事を書いて、あちらの現状を窺ってみようか」

「……エマニュエル嬢の手紙にあった『密かにお慕い』だの『心より尊敬』だのと言った言葉を信じて、みっともなく浮わついた返事などはなさいませんように」

「わかっている。きちんとすべて、『今すぐに助けて欲しい』『本当に困っている』と読み替えているさ」

「よい判断にございます。若様……ああいえ、これからはルース様のことは、旦那様とお呼びしなくてはなりませんかな。旦那様と長く付き合いその内面を知った後ならともかく、お手紙に書いてあったような『ほとんど一目惚れ』などということは、ありえませんから」

「知っているから、あらためて言うな。しかし、嘘でもそう書いてくれたというのは、きっと彼女の優しさだろう。慈悲深く美しい彼女のため、私に今できるすべてをしなくては……!」


 決意を固め、慌ただしく動きだした若き辺境伯と忠実な老執事は、知らない。

 エマニュエルの手紙に書かれていたルースへの賛辞も愛の告白めいた言葉も、嘘偽りなどひとつもない、心からのものだということを。

 そんな彼女が辺境伯領にやってきたその日から、手紙以上にあまりに想定外の彼女の言動に、どんどん振り回される未来があるということも。

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