人狼に捧ぐ小夜曲⑩
ぐじゅ、べきっ。
骨付き肉を骨髄ごと咀嚼したような嫌な音が、風に乗ってもう一つの戦場に届いた。
人型の獣と、黒塗りの獣。両者はともに、音がした方に視線を向ける。そして二匹は、白い獣が
『――』
それを見て、
「……っ」
それを見て、人型の
反射的に、本能的に、彼を助けようと体が動きかける。
しかし。
『俺がやばそうな状況になっても、助けに入らなくてもいい』
『活路はこっちでなんとか切り開くから、朔は目の前の相手に集中してくれ』
『俺を信じてくれ』
「――――」
それは、幻日の狼を倒すための策を練っていた時に言われた言葉。朔のルー・ガルーというNPCが最も信を置く
「――はあっ!」
背を向けかけた少女に、黒狼が爪を振るう。
意識を己の戦場に戻した人型の獣は、それをしかと己の
『……ッ』
音なき舌打ちとともに、爪と刀の鍔迫り合いが始まった。
華奢な細腕に似合わぬ剛力と、巨体に見合った獣の力が拮抗する。だが、STRは朔の方が高い。そのため二匹は、その均衡がすぐに崩れることを知っている。
勝負は均衡が崩れた瞬間。
数秒先の動きに両者の意識が向きかけた、その時。
「――――【
『――――ガァッ!?』
人の咆哮が、獣の苦悶が、再び二匹の意識を乱した。
もう一つの戦場の状況が勝敗を左右することを、両者ともに正しく認識している。ゆえに眼前の相手に意識の大半を割きつつも、声が聞こえた方に再び注意を向けた。
そして二匹は、見た。
『がっ、ぁ、ぁぁ……!』
「ハッハー! こちとら、即死耐性はアホみたいにたけえんだよ!」
噛み砕かれたはずの少年が、咢に挟まれたまま白い獣に刃を突き立てている情景を。
一振りの
そして、白い獣がまだ死んではいないということも。
『――――』
状況も忘れて、黒い獣は凍りつく。
そんな黒い獣の目と、遠くにいる少年の目が合った。
白い獣には未だ咥えられたまま。枝のようにへし折られてはいないものの、その体には牙が食いこみ、赤い血霧が周囲に広がっている。
いつ死んでも、いつ殺されてもおかしくない。
だというのに
『…………ッ!!』
その笑みが、黒い獣を硬直から解き放つ。
捕食者であり肉食獣である獣は、脱兎という言葉が似合う勢いで逃げ出した。
「ハッハー!」
迷わず逃げに転じた黒狼を見て、俺は思わず声を上げて笑った。
黒いのは、言うなれば
「相方に王手がかけられてりゃ、そりゃあ逃げるよなあ!」
『グッ、グ、ァ、ガァァァァァ!!』
「っと……!」
無様に逃げる後ろ姿に胸をスカッとさせつつ、暴れ始めた白狼に振り払われないよう、頸部に突き刺さった
そして、もう一度黒狼の方を一瞥。
目に飛びこんできた光景に笑みを深めながら、俺は反対側の手に握る得物で狙いを定めた。
とどめに使う
一年前の夜。初めて彼女と出会った満月の夜、俺にとどめを刺した鮮烈な太刀筋を脳裏に思い起こしながら、俺は
【
【夜ノ恋ノ
そして、その共有とは一方通行ではない。
「――――【
黒い獣が逃亡に全力を注ぐという最大の好機。
居合いの構えをとった少女は、伏せていた切り
二歩一撃。
離れた間合いを一瞬で詰める歩法。両の足で同時に地を蹴るという単純な術理ゆえ、戦術の理論を知らぬ人型の獣は本能でその移動を選択し。
大きく距離を引き離していた黒い獣の前に、一瞬のうちに立ちはだかった。
『……ッ!?』
突然現れた
そしてその一瞬を、魔獣の
「――――」
すぅ、と。息を小さく吸い、吐く。
孤独だった心は既に満ちている。ゆえに、今ここで振るうのは【
「【
円を描くような太刀筋が、黒い獣を横に両断し。
「【
三日月よりなお鋭い斬撃が、白い獣の首を断った。
ぐいぐいと食いこんでいた牙から、ようやく力が抜けた。
ほどなくして、白狼が黒く染まっていき、それに合わせて体が霧状になっていく。噛まれたままだった俺は当たり前のように地面に放り出され、顎をしたたか打ちつけた。かなり痛そうな音がしたが、HPバーは減らない。
「っと、やべ!」
それを見て、慌てて【
あっぶねー。夜魔堕ちするとこだった。
戦々恐々としている間に、白狼の体は霧散していく。
骸が残らない死にざまは、そのエネミーが完全に死亡したという証拠。黒狼が逃げていった方に視線を向ければ、もう一匹の狼もまた、同じように散り散りになっていた。
だが今は、達成感が何よりの宝だった。
「かっっったぁぁぁぁぁ……!」
力強くガッツポーズをしながら、俺はその場に倒れこんだ。
疲れた。マジで疲れた。
白狼に張りついた状態で、とどめ寸前まで追いこむ。
そして、朔が黒狼を倒すのに合わせてとどめを刺す。
これが事前に考えていた作戦の一つだ。
二体で一つというエネミーだから、勝利条件が同時撃破なのは視野に入れて作戦は練っていた。アーサーたちが勝利条件を絞ってくれたおかげでこのプランに集中できたのも、勝因と言っていいだろう。あいつらには感謝してもしきれない。
とはいえ想定というか理想は、【
さっき犬歯にダメージ入れてなかったら即【
「――――リョウ」
足の方から、メゾソプラノが聞こえてきた。
上体だけを起こしてそっちを見れば、足元に朔が立っている。初めて会った夜を思い出させる構図に思わず笑っていると、つられたように朔も笑みを浮かべた。
淡い光で、その体を輝かせながら。
…………うん。
疲れていてよかった。
おかげで、ごちゃごちゃ考えずに済んでいる。
「……おわかれか?」
「……ええ。幻日の狼を倒した今、私は満ちた姿に戻るわ」
問いかければ、彼女は頷く。
光が徐々に強くなっているせいか、口元に浮かんだ笑み以外はよく見えない。
少し前に見た真っ赤な表情が、夜ノ恋ノ
何より、寂しそうな顔なんかしていたら、綺麗にさよならはできなかっただろうから。
「リョウ、本当にありがとう」
「言ったろ? 俺は朔が好きなんだ。だから、君のためになったなら俺はそれで満足だ」
半分本気で、半分嘘の言葉を口にする。
「……」
それをどう受け取ったのか、光り続ける朔は沈黙を返す。
「リョウ」
最後の最後でコミュニケーションをしくじったかと内心びくびくしていると、俺を安心させるような優しい声が俺の名を呼んだ。
そして。
「私も、貴方のことがスキよ」
とっておきの
代わりに現れたのは、白銀の大きな狼だった。
「――――」
白いだけだったマーナガルムとは一線を画す、月をそのまま狼の形にしたような美しい獣。呆けたように魅入る俺に赤い眼を向けた後、狼は月のない空を仰いだ。
――――オォォォォォン。
夜のトーキョー全域に響くような、けれど喧しいとは感じない咆哮が放たれる。
その残響が消えるころ、白銀の狼は俺の目の前から消えていた。
代わりとでも言うように、目の前にウインドウがポップする。
『朔の夜に閉じこめられていた孤独の人狼は、寂寥から解放され、自由を得た』
『もう夜は怖くない。獣は、独りではないのだから』
『夜ノ恋ノ
『称号【人狼の理解者】を獲得しました』
『称号【獣に愛された者】を獲得しました』
『称号【獣を愛する者】を獲得しました』
『称号【先駆者】を獲得しました』
『スタイルが【
「…………ははっ」
しばらく黙った後、俺は笑いながら再び地面に倒れこんだ。
……雨が降っている。
そうじゃなきゃ、頬が濡れている理由がわからない。
「ほんと、とことん惚れ直させてくれるよ」
アーサーと四月一日が迎えに来るまでの間。
俺は、月がない夜空を見上げていた。
その夜。
《リバーストーキョー・ナイトメア》に存在するあらゆる液晶が、一つの告知を映した。
運営が液晶を使って何らかの告知をするのは、【境界の継ぎ接ぎ少女】撃破に次いで二度目。しかしこの夜の告知は、プレイヤーをその時よりもさらに大きく驚かせ、沸かせた。
『ストラテジーエネミー【朔のルー・ガルー】が攻略されました』
『攻略プレイヤー・ヨシツネ』
『ストラテジーエネミー【朔のルー・ガルー】及びレイドエネミー【
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