人狼に捧ぐ小夜曲④

 変化は、八分後に訪れた。

 アトラクションの広場で群れを成していた狼たちが、いっせいに反転する。そして、俺たちに背を向ける形で同じ方角めがけて駆け出した。


「――っ!」

「さ、朔さんっ、待って、待て!」


 それを即座に追いかけようとする朔に、なんとか待ったをかける。

 朔が足を止めてくれたのを確認してから、赤い血霧ダメージエフェクトを纏う俺はその場にへたりこんで大きく息を吐いた。HPは……やっべ、そろそろレッドゾーンじゃん。


 だが、HP以上に集中力とスタミナがやばい。

 最高二十人で捌くことが想定されている大群に、三人+NPCさくで挑んだんだから当然と言えば当然なんだろうけども。いや、マジきっっっつ。最後の偉業ラストミッションの難易度考えた奴、ちゃんとバランス調整とかしたのか?


「リョウ、大丈夫?」

「だ、大丈夫……。でもちょっと息整えさせてくれ……」


 疲労困憊の俺を案じる朔にそう言ってから、深呼吸を繰り返す。

 その間に、俺と同じくらい疲労の色を見せたアーサーと四月一日が合流した。朔が全く疲れてないのが凄すぎるな。スタミナ無限大か?


「いやあ……めちゃくちゃきつかったね」

「うおっと」


 言いながら、四月一日が小瓶を俺に放る。

 普段なら難なくキャッチできるが、今はちょっと手先がおぼつかない。取り落としかけるハプニングを挟みつつも、なんとかキャッチして中身を呷った。

 横目で見ると、朔にはしっかり手渡しをしている。朔に投げろとは言わないが、それなら俺にもきちんと手渡しをしろ。そんな不満を抱きつつ、視界の端に映るHPバーが緑になるのを確認してからゆっくりと立ち上がった。


「これで終わりじゃないってマジ?」

「残念ながらマジだ。もうちょい付き合ってもらうぞ」


 俺と同じように【変若水おちみず】に次ぐ高価格回復アイテム【甘露水アムリタ】でHPを全快にしたアーサーが、疲労の滲む声で笑う。それに言葉を返した後、俺たちは改めて狼の群れを追いかけた。

 ぱりんと。ガラスの割れる音が、背後で四つ響いた。


 ――――狼の群れが向かったのは、遊園地の端にある半円形の屋外ステージだった。

 スミダ川に面した広々としたステージは、現実リアルで調べたガイドによれば常設のショーなどはなく、年に数回キャラクターショーが無料公開される程度のものらしい。ロケ地として使用されることも多く、ショーよりはロケーションを楽しむための場所と言えよう。


 そして今、飾り気のないステージでは一つのショーが開催されていた。

 ショーと言っても、ちびっ子が喜ぶような痛快勧善懲悪のアクションじゃない。

 狼たちがステージの上で寄り集まっていき、粘土のように変形しながら一つの形になっていくという、悪趣味なクレイアニメだ。


 俺たちが一呼吸入れている間に、粘土細工はほとんど完成していた。

 ほどなくして、ステージの上には一頭の狼が現れる。

 アパートから象ほどの大きさになり、しかし今までのどの形態よりも凶悪なツラをした、真っ白い剛毛の狼。そいつは客席に立つ俺たちを見上げた後、大きく顎を仰け反らせた。


『――――ウォォォォォォォォォォンッ!!』

「幻日の狼……!」


 ビリビリと体を震わす咆哮を浴び、朔の横顔に獰猛な表情が宿る。

 イレギュラーの邂逅でも見せた、怒りと殺意の混合感情。朔は荒々しい感情に身を任せてステージの白狼に跳びかかろうとした朔の腕を、俺は乱暴に引き留めた。


「っ、リョウ……!」

「焦るな」


 振り返った朔にぴしゃりと言ってから、掴んだ腕をさらに引っ張る。



 そして、近づけた耳に短い言葉を囁いた。


「……」

「わかったな?」


 マーナガルムのAIに変な疑問を持たれる前に、すぐに朔から距離をとる。俺の手から解放された朔は、改めてステージの方へと駆け下りて行った。


「いけると思うか?」


 追いかけるように駆け出した俺に、並走したアーサーが問いかける。


「いけるかいけないかじゃねえ」


 その問いかけに、【攻勢】の動作モーションをとりながら答えた。


「好きな女の子と好きなゲームを信じるんだよ!」


【人狼に捧ぐ小夜曲セレナーデ】のメインは、協力者プレイヤー朔のルー・ガルーNPCの共闘。

 しかし、プレイヤーの体に入った朔は明らかに性能が落ちている。強いアタッカーではあるが、攻略に必須レベルかと言われるとNOと言わざるを得ない。現に俺たちは、第一形態はアーサーを、第二形態では四月一日を主軸にして攻略した。


 ゲームはプレイヤーが主体メイン、NPCは添え物おまけと考えるなら、これでもおかしくない。

 RTNというゲームも、基本的には退魔士プレイヤーを立たせる存在としてNPCを運用している。売り子NPCの定型文テンプレがわかりやすい例だ。


 だが、【人狼に捧ぐ小夜曲セレナーデ】は明らかに朔のルー・ガルーが主体になっている。

 彼女の物語を紡ぐために、彼女というキャラクターをプレイヤーに見せるために、香ばしさと紙一重のイベントを発生させるくらいだ。少なくともこれを考えたデザイナーには相当のこだわりがあるだろう。そして、そんなこだわりがある奴がはたして、最終決戦という一番の舞台でお気に入りのNPCを腐らせることがあるだろうか?


 いや、ない。少なくとも俺はそう思う。

 だからこそ、朔のルー・ガルーは最終形態【凶狼形態ラグナロク】攻略の要になるはずだ。


 彼女の存在がどういう形で戦闘に貢献するかは、

 朔のルー・ガルーが幻日のアルターマーナガルムに敗北したということを、ただの設定じゃなく事実の一つとして考えれば、候補はおのずと絞られてくる。もっとも、さらに絞りこめたのは雑学方面に博識な四月一日の知識のおかげなのだが。

 閑話休題さておき


 問題は、敵である幻日のアルターマーナガルムが狡猾だということだ。

 目の前で行われる作戦会議の概要を把握し、それを逆手にとった騙し討ちをしてくる知能がある以上、露骨な行動をとればこっちの狙いを看破される可能性は高い。イヌ科の聴覚が優れていることを考えると、この場で直接的な行動の指示はできなかった。


 それなら、事前に朔も交えて作戦会議ができない時点で詰むのか?

 これにも俺は、NOと言いたい。

 俺の対応が悪かったにせよ、朔の離脱イベント自体は運営側が想定よういしたものだと思われる。ならば、事前の打ち合わせなしで交戦状態になる展開も想定して然るべきだろう。

 何より、敵のAIは小賢しい戦術を使ってくるのに、味方のAIが言われたことしかできない凡庸なAIしか搭載していないのは、


 だから、俺は信じる。

 無理ゲーに見えた朔のルー・ガルー戦で、攻略の糸口を残していたRTNを。

 大好きな女の子が、言葉の裏にある意図を読み取ってくれることを。


 そんな風に言い切った俺に、隣のアーサーが笑い声を上げた。


「肝心なとこは博打か! 人のこと言えないけど、ヨシツネも大概無茶ぶりが過ぎるよな!」

「笑いながら言っても説得力ねーっての!」

「ははっ! こういう信頼むちゃぶりのされ方は嫌いじゃないんでね!」

「そーかい!」


 賛同を得られたことに内心安堵しつつ、俺は比翼の雌雄ソハヤマルを持つ手に力を込めた。

 視線の先では、朔とマーナガルムが交戦を始めている。コンクリの地面を蹴ってその横合いに回りこむと、【八艘跳び】を噛ませた跳躍とともに胴体に斬りかかった。


 正面の朔と、横の俺。

 身動きがとりづらいステージ上でその両方を回避すべく、マーナガルムは上空という逃げ道を選ぶ。白い体はその巨体にあるまじき身軽さで跳躍し、客席の方へと滑空していく。

 だが、そんな回避が有効なのは誰も飛び道具を持っていなかった時だけだ。


「そこだと的になるんだよなあ!」


 テンションの高い声とともに、無防備な腹に銃弾が撃ちこまれる。

 普通火力の弾丸は、さすがに今の形態だとでかいダメージにはならない。しかし確実にHPは削れたことを、被弾箇所から零れる黒い血霧ダメージエフェクトが証明していた。


『ウォォォォォンッ!』


 着地と同時に、マーナガルムが咆哮を上げた。

 それは今までの雄叫びと違い、聞いた瞬間に強制的に足をすくませる。効果範囲内のプレイヤーに【恐怖テラー】というデバフを付与する魔獣レイドエネミーの専用スキル【咆哮ハウル】だ。これを得意とするのは【巨狼形態フィンブルヴェト】だが、【凶狼形態ラグナロク】の【咆哮ハウル】もえげつない味だった。


 しかし、俺たちが動きを強張らせる中、朔だけは怯む様子もなく客席を駆けあがっていく。

 規格外EXのPOWでも弾けなかったことを考えると、朔のパッシブに【咆哮ハウル】の無効化でもあるのだろう。白狼の咆哮を意にも介さない魔獣の女王ストラテジーエネミーは瞬く間に接敵すると、己の手足のように刀を鋭く振るい、先んじて交戦を再開させた。


「はぁ――ッ!」


 鈍色のつめと白色の爪が鍔迫り合い、巨躯と長身が俊敏に動き回る。

 自分の体ながら、まるで現代伝奇ものの一ページのような光景だった。うっかり見惚れそうになるが、すぐに我に返る。


「【詠唱省略エリプシス】――【RESETリバース】!」


 それと同時に四月一日の声が響き、強張っていた足から力が抜けた。

 すかさず駆け出すアーサーとは対照的に、俺は思いきり地面を蹴りつけ、高く跳躍。ステータスの暴力に物を言わせた大ジャンプで、俺の体は瞬く間にマーナガルムの上をとった。

 宙に浮かんだ体は、忠実に再現された重力に引っ張られて落ちていく。緩やかな落下速度にブーストをかけるように、リキャストが完了した【八艘跳び】を発動インプット。空中を蹴り飛ばし、勢いよくマーナガルムめがけて墜落した。


 墜落の中で狙いを定める。朔の攻撃の軌跡を予測する。

 累計数十時間の経験値をもってすれば、彼女の攻撃に合わせることなど造作もない。手の中にある比翼の雌雄ソハヤマルを構え直すと、俯瞰から見るモーションをなぞるように腕を振るった。


「【繊月センゲツ】!」

一意とどめの……専心一撃っっ!」


 発声は同時。

 朔のスキルと、俺のなんちゃってスキルがマーナガルムの頸部に命中する。


 レイドエネミーの前では、即死攻撃はただの通常攻撃に貶められる。しかし、それでダメージがゼロになるわけじゃない。そこに再現された重力が乗った追撃も加われば、頸部からはタコ墨のような血霧ダメージエフェクトが噴出するという寸法だ。


『ガァァッ!!』


 苦悶の叫びを上げながらも、凶狼はそれだけに終わらない。

 防御をないがしろに攻撃に集中した俺たちを迎撃せんと、巨体を揺すり、前脚を持ち上げ、攻撃直後の隙を晒す体に攻撃を叩きこもうとする。俺は空中で、朔は普段よりも鈍い体。マーナガルムの迎撃は、見事に命中する。


 ――――はずだった。

 悪いが、これは大規模戦闘レイドバトルだ。本来の想定人数より大幅に少ない舐めプじみた頭数だとしても、仲間がいるということに変わりはない!


 ドンッドンッ、と。

 連続して銃声が轟いた直後、迎撃に動こうとしていた狼の体に弾丸が被弾した。


『グル…ッ!?』

「おいおい。どんだけその二人に夢中なんだよ、マーナガルムさん!」


 不意の衝撃に硬直するマーナガルムに、煽りを隠そうともしない声が放られる。

 迎撃を食らうことなく無事に着地した後、声がした方を一瞥する。【挑発】スキルを持っていないくせに中指を立てたアーサーが、実にむかつく笑みを浮かべていた。

 俺がマーナガルムだったら迷わず張り倒しに行きそうな笑顔だが、あいにくとフレーバーの挑発はきかなかったらしい。忌々しそうに唸ったものの、すぐに顔を朔の方へと向けた。


 そして、交戦が再開される。

 基本戦術はヒット&アウェイ。メインアタッカーは朔、サブは俺、この二人で攻撃ヒットを担う。

 アーサーはメインの攻撃に参加せず、俺たちの撤退アウェイを支援し、マーナガルムの回避アウェイを妨害するために弾丸を撃つ。それでも防げなかった被ダメには、離れた場所に立つ四月一日が即座に回復術式を飛ばすことでカバーした。


 マーナガルムを自由に動かさない。

 朔が自由に動けるようにする。

 第三形態【凶狼形態ラグナロク】を相手取るにあたり、俺たち三人はその二点を重視する方針を事前に固めていた。言うなれば堅実にダメージを積み上げていく作戦だ。

 集中力が途切れかねないリスクはあるものの、これなら作戦会議に参加できなかった朔をアタッカーとして戦術に組みこむことができる。この作戦はうまくはまってくれたようで、時間の経過とともにマーナガルムが損耗していくのが見て取れた。


「よし、いける! このまま攻めるぞ!」


 みんなを鼓舞しながら、俺は比翼の雌雄ソハヤマルを握る手に力を入れ直した。

 直後。


「な……!?」


 俺は思わず、驚愕の声を上げた。




 想定からは少し外れたが、だと。

 離れた場所から戦況を観察していた「それ」は、声もなくほくそ笑んだ。


「それ」は狡猾だった。

 己の力の使いどころを、正確に理解していた。

 戦況を分析し、誰を最初に殺すのが最も効果的かを見極めていた。

 そしてゆっくりと、獲物の背後に忍び寄る。

 獲物は、「それ」に距離を詰められても気づく素振りを見せない。相対している獣の相手に集中しているというのもあるだろうが、それ以上に「それ」の隠形が優れていた。


 女王おうの嗅覚さえ欺いた陰形を、人間如きが看破できる道理はない。

 それでも、狡猾な「それ」はじっくりと最大の好機を見計らっていた。

 にたりと歪む眼には、獲物の背中が映りこむ。


 それは、強力な飛び道具を用いて、巨躯を粉砕した雄――ではない。

 それは、多彩な術式を操り、数多いた群れのほとんどを焼いた雌――ではない。

 それは、異なる器に入ることで一夜の呪縛から解放され、再戦を挑んできた美しき魔獣の女王おう――――


 最優先事項である女王おうの始末を後回しにしてでも、今この瞬間、真っ先に殺すべき対象がいた。そうするだけのメリットが、目の前の獲物にはあった。


「それ」は、獲物の――女王おうの器を動かす人間の背後で、もう一度舌なめずりをした。


 その人間は、最初に乱入してきた時を除けば目立った動きをしていなかった。圧倒的な破壊力も鮮烈な殲滅力も振るわず、先ほどまでは他の二人を、今は女王おうの攻撃を徹底的に補助している。主軸となっている戦力が十全に仕事をこなせたのはこの人間の存在が大きい。ゆえに、欠けてしまえば戦況に少なくない影響が出るだろう。

 また、女王おうが異なる器を扱いかねているのに対し、この人間はなぜか不自由なく女王おうの体を動かしている。今はまだ女王おうの力に振り回されている側面も窺えるが、完全に使いこなせるようになるまで時間は要さないだろう。そういう意味でも、最初に潰しておきたい。


 だが、「それ」がこの人間に狙いを定めた最大の理由は、そのどちらでもなかった。


 この人間は、士気の中心だ。

 これの到来が折れかけていた女王おうに再び闘志を宿らせ、これが刃を振るうのに合わせて飛び道具使いの雄と術式使いの雌もまた、己が力を振るっている。これがいるから、あの三人びきは戦っていると言っても過言ではない。


 ゆえに、最初にこの人間を殺す。

 この人間は女王おうに警戒を促していた。何かがあるなら、狙われるのは女王おうを置いて他にないという判断だろう。だからこそ、女王おうを対象にしない奇襲は彼らの死角となる。


 これの体がへし折れた時、女王おうは、雌雄の人間たちは一体どんな顔をするのか。

 その予測そうぞうに喜悦の感情を出力しおぼえながら、「それ」は前脚に力を込めた。

 直後。


『――――ッ!?』


「それ」の体には、鈍色の刃が深々と突き刺さった。

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