人狼に捧ぐ小夜曲⑤
マーナガルムめがけて振り抜かれようとしていた刀を、朔と名づけられた
そんな光景に、
だからこそ、朔の攻撃は成功した。
『――――ッ!?』
「な……!?」
虚空に切っ先が刺さり、次いでひび割れたような雄叫びが驚愕の静寂をつんざく。その咆哮は、近くにいたヨシツネの声を掻き消すほど大きく、戦場に響き渡った。
宙に浮いた刀の周囲を、黒い霧が漂い始める。
それが、止まっていた時を動かした。
『ガァッ!』
武器を手放した朔に、マーナガルムが跳びかかる。
「【
その吠え声を掻き消さんばかりに声を荒げたヨシツネが、地面を蹴った。
ステータス強化のレアスキルに重ねるのは【加速・極】。【八艘跳び】で跳ぶよりは遅く、けれどただの跳躍よりは圧倒的な速度で距離を詰める。そして、進行方向に立っていた朔を、自分の体を使って思いきり突き飛ばした。
長身の体が地面から浮く。
直後、華奢な体が大きく開かれた咢に飲みこまれた。
肉の柔らかさが、骨の硬さが、狼の口腔に広がる――――はずだった。
『……ッ!?』
予想とは裏腹の、霞でも口に入れたような歯ごたえのなさ。それはマーナガルムの意表を突き、その大きな体を驚愕で硬直させる。
そんな中、全体視野に優れた狼の視界があるものを捉えた。
それは、先ほど突き飛ばされた
「せぇ……のっ!!」
『ガ――ッ!』
そして、かけ声を合図に、両者は勢いよく跳び蹴りを放った。
――――一方。
「そうきたかあ……!」
思わぬできごとを前にした猗々冴々の顔には、何とも複雑な表情を浮かんでいた。
さながら、対極に位置する期待の裏切られ方を同時に味わうと、人はこういう顔になるのだろうという見本。そんな表情のまま、彼は二挺拳銃に装填していた弾倉を抜き取った。
【クイックリロード】と呼ばれるモーションスキルを使用し、数秒とかからずに別の弾倉をセットする。そして、銃口を宙に浮いた刀へ向けた。
引き金に指をかけると同時に、脳裏でスキルを
「【
同時に、キィンとハウリングの音が耳に届く。
「【
別の方向からは、スキル名を叫ぶ声が聞こえた。
対応力に優れた親友たちに、顔に浮かぶ笑みの比率が高まるのを自覚した。
「ははっ」
「【
小さな笑い声に重なるのは、拡声器を経由したスキル名。
それが響いた瞬間、虚空で揺れていた刀がぴたりと止まる。それはすなわち、刀が突き刺さった「何か」がその場に縫いつけられたことに他ならない。
例え的そのものが見えずとも、そこにあるということがわかれば視認できているのと同義。猗々冴々は迷わず引き金を引き、弾倉に入っていた六発の弾丸を全て撃ち尽くす。はたして、二挺拳銃から放たれた弾丸は全て、刀の周囲に被弾した。
猗々冴々が放ったのは、エネミーをマーキングする際に使用するペイント弾。
本来なら、一発撃てば十分な目印ができる。それを、合わせて十二発も撃ちこめばどうなるか。その答えは、横合いから蹴り飛ばされてきた白狼に巻きこまれて転倒した。
「「力を奪われた以上、
土煙が上がる中、四月一日は笑い声混じりに過去を振り返る。
それは、作戦会議中にヨシツネが発した言葉。恋した
だからこそ、マーナガルムというエネミーの由来を知る四月一日は、白狼の手札に見当をつけ、それを友人たちに共有した。その予測が、全て当たるとは思っていなかったが。
「マーナガルム。北欧神話に登場する、女巨人が孕んだ数多いる狼のうちの一頭にして、最強の個体。月を喰らい、その血で天と空を塗り潰す獣。またの名を二頭の太陽狼」
ふは、と。
眼帯の女は、今晩長らくオフにしていたロールプレイのスイッチをオンにした。
「そして時に、マーナガルムは月追う狼、ハティと同一視される。ならば、マーナガルムの名を冠するエネミーは、もう一頭いてもさほど不自然なことじゃあない。なぜならハティは、対となるもう一頭の狼と並べて語られることが多い存在だからね。そうなると、魔獣の最強種として頂に立つ朔のルー・ガルーが、なぜ敗北を喫したのかも、おのずと筋道は見えてくる。だって、そうだろう?」
謳うように言いながら、四月一日は一つの眼で「それら」を見た。
憎々しげな顔立ちで、唸り声をあげる白い狼を。
今まで欺いてきたことを誇るように嗤う、黒いペイントで彩られたもう一頭の狼を。
「真剣勝負の最中に見えざる姿で奇襲されれば、いかに魔獣の姫と言えど、初見の対応は難しいだろうからね」
その言葉に対する解答とばかりに、三人の
『【
本来ならば、同戦闘中には再び表示されないはずのエンカウントポップ。
それは、探知スキル【サーモグラフィ】でも感知できなかった二頭目の魔性が、この瞬間、ゲームの盤面に引きずりだされたことを示していた。
「ったく」
そのウインドウを見ながら、猗々冴々は肩をすくめる。
「プレイヤー相手には、常に舐めプしながら戦っていたってわけか。ふざけた話だ」
「魔性なりの生存戦略なのだろうさ。おそらくあれは、片方が生き延びさえすれば完全に滅びることはないのだろう。どうかな?」
拡声器をしまいながら問いかけを発すれば、肯定するように黒狼の方が目を細めた。
「今まで相対してきた白い狼を
『――』
それに対し、スコルと称された黒狼は嘲りの笑みを浮かべる。呼び名に反した、音のない笑みを。そして、自らに刺さった刀を白狼に抜かせると、それを朔の方めがけて蹴り上げた。
硬質な音とともに、人の獣は再び武器を得る。
それは、敵に塩を送るような真似に他ならない。それでも、白狼から焦燥の色は窺えない。黒狼もまた、浮かべた嘲笑を崩さなかった。
狼の態度は、笑みは、こう物語っていた。
お前らは、奸計を見破っただけに過ぎないと。
それは正鵠を射た嘲りだった。
これで奇襲は受けなくなったが、状況は決して好転していない。今まで一頭を四人でなんとか捌いてきたのに、それが二頭に増えたのだ。単純な計算で、戦力は二倍。連携攻撃を考慮すれば、
しかし、少なくとも
「正体が僕の想定通りだったところで……ひとまず僕たち二人に任せなさい、退魔士の少年」
「俺らが倒しちゃう前に戻って来いよ」
「おう、任せた!」
それどころか、そんなやりとりをかわした後、ヨシツネが得物を四月一日に放り投げる。そして、彼女がそれをキャッチするのも見届けず、朔の腕を掴んでその場から駆け出した。
「っ! リョウ!?」
『グル……!?』
それに驚きの声を上げたのは、獣の
朔は驚愕の表情を浮かべたまま無理やり引きずられていき、それを逃がすまいと、狼たちは駆け出そうとする。しかし、八つの脚は一メートルも進まないうちに固まった。
「悪いけれど、君たちに後は追わせないのだよ」
そう言う四月一日の顔からは、いつの間にか眼帯が外れていた。
布に隠されていたもう片方の眼球が、露わになる。その色は右目と同じ金色ではなく、アメジストを連想させる紫色で輝いていた。
種族【魔眼使い】。
RTNでは上位に入る人気種族である彼らは、
しかし、彼らの特徴はそれだけではない。
種族を魔眼使いにした
一日一回。彼らは、キャラビルドの際に選んだ効果の魔眼を使用できる。使用制限が厳しいが、その効力はストラテジーエネミーの耐性すら貫通した。
四月一日が選んだ魔眼の効果は【
実際に石になるわけではない。だが、ひとたび彼女が魔眼を発動すれば、対象は六十秒間、石になったかのように体を動かせなくなる。忌々しそうに唸る二頭の狼に妖艶な笑みを浮かべながら、四月一日は受け取った二振りの脇差を構えた。
その
「さっきの、ヨシツネだけを信頼してたらできないムーブだよな」
傍らで、猗々冴々が
代わりのようにインベントリから取り出されたのは、ソードオフ・ショットガンと呼ばれるタイプの銃が二挺。それを拳銃と同じように、片手にそれぞれ持つ。
その銃の名は【
猗々冴々というプレイヤーが、ソロで戦う時だけ使用するものである。
「四月一日はまだしも、俺は好感度稼いだつもりないんだけどな」
とっておきの得物を両手に持ちながら、猗々冴々は先ほどのできごとを振り返る。
第三者の奇襲を事前に察知すること。
ヨシツネの言葉を額面通りに受け取らず、自分の背後だけではなく全体を注意すること。
それが、猗々冴々たちが朔というNPCに期待していた挙動だ。
狡猾なAIを持つエネミーが、素直に優先順位を守るとは思えない。状況を見て、臨機応変にターゲットを変更する可能性は十分にある。ゆえに、奇襲を察知できる朔には、戦いながらも全体を警戒してもらう必要があった。
しかし、それを朔に直接示唆しては意味がない。
だからこそヨシツネは言葉少なに、かつマーナガルムの思考を誘導する発言をしたのだ。
そして、仮に彼女が期待に応えたとしても、それは声による警句を想定していた。
だが、実際の展開は彼らの予想を大きく超えていった。
まさか、得物を手放してまで襲撃者の迎撃と特定を行うとは。
最適解という意味では、その行動は正しい。しかしそれは、無防備になった自分を援護してくれる存在と、襲撃者の反撃を確実に牽制できる存在、その両方がいると確信していなければとれそうもない行動だった。
くすぐったさを感じる猗々冴々に、ふ、と四月一日が笑みを零す。
「短い戦闘の最中で、僕たちの力量がかの姫君に認められたということなのだろうさ。弱肉強食を謳う魔獣の頂にいるだけはある。さすがの慧眼と、判断の早さだ」
「過程をすっ飛ばして無茶ぶりの信頼を投げつけてくるのはNPCあるあるだろ」
「おや。魔弾の射手殿は、個の性能を鑑みた強引な信頼こそを、好ましいと思う人柄だったと記憶するけれど?」
「おう、ドストライクだよ。おかげでめちゃくちゃやる気出たわ」
からかう言葉に笑顔を返しながら、長ランの青年はショットガンを構えた。
「ハッピーエンドを迎えるための前座役。さっちゃんのためにもがんばってやろーじゃんか」
楽しげな横顔に、つられるように四月一日も笑う。
そして、拡声器を通さずに朗々と術式の名を口にした。
「【
身体強化の術式が、二人に付与される。
直後、魔眼の呪縛から解放された二頭の狼が跳びかかった。
猗々冴々と四月一日。二人はともにレベル99の熟練プレイヤー。それでも、推奨レベルが自身のレベルと同じレイドエネミーをソロで倒すのは無謀だとわかっている。レア等級の身体強化を施しても、それは覆らないだろう。
それでも。
「術式使いと侮るなかれ。自らが造りし武器の試し斬りもできぬほど、貧弱に非ず!」
「至近距離の間合いが、白兵アタッカーだけのものだと思うなよ!」
親友を重んじる男と、数少ない友達を大事に想う女。
ベクトルは違えど友情に篤い二人は、ひとりの友のために全力で足止めを行う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます