人狼に捧ぐ小夜曲②

 そんなやりとりから、ほんの少し遡ったころ。

 メインゲート近くの電灯を足場にオペラグラスを覗いていた四月一日は、レンズに映った一部始終を見届けると、小さな溜息をついた。


「ここに来てたのは合ってたけど、結構ギリギリだったみたいだねえ」

「ギリギリになるイベントだったんじゃないのー?」


 四月一日の呟きに、同じく電灯を足場に立つ猗々冴々が肩をすくめる。現実的な可能性を口にする友人に、四月一日は素の態度のまま、不服そうに唇を尖らせた。


「浪漫がないこと言うなあ、アーサーちゃんは」

「今はロマンを語るより、力を示す時だろ?」

「それはそうなんだけどさ」


 かわされるのは気安いやりとり。その会話だけを抜き出せば、変な場所で雑談をしているだけのように思える。

 だが今、両者の腹部は大きく切り裂かれ、そこから大量の血霧ダメージエフェクトが噴き出していた。現実リアルならば内臓が零れ、骨が剥き出しになっていてもおかしくない。そんな損傷を負った状態で、二人は気の抜けたような会話をしていた。


「急いでたからって容赦ないっていうか、結局ぼくが人身御供になったじゃん」

「四月一日、あのデカブツ相手に肉弾戦で時間稼げるか?」

「あのサイズはきついな~」

「だろ? 適材適所だよ」


 拗ねた横顔に笑って返しながら、長ランを羽織る不良青年は二挺拳銃を抜く。

 それに合わせて、黒いスーツに身を包んだ男装の麗人もまた、拡声器を手にとった。


「ザミエル、魔弾の鋳造者。今ここに、契約の継続を望まん」

「盲いた博士の耳に届くは鍬振るう音、彷徨う男の耳を震わすは鋤下ろす音!」


 片や、堅実に一句一句を区切りながら。

 片や、朗々と謳うように、

 夜の遊園地に、二つの詠唱が響く。


 三つの眼に映るのは、巨大な狼マーナガルムと、その周囲を俊敏に駆け回る二つの人影。

 片や最高Sランク、片や規格外EX敏捷AGIを持つ人影は、狼を翻弄するように動いては、間隙を突いて得物を振るう。その様子はさながら、蝶のように舞い、蜂のように刺すという戦い方スタイルを体現しているかのようだった。


「我が望むは六つの弾丸、六つの栄光。我が捧げるは七つ目の弾丸、一つの悲劇」


 遠くからでもわかる一糸乱れぬ連携に、猗々冴々は思わず笑みを零す。

 あの二人の共闘は、今この瞬間が初めてだ。尽きずのフラッドアラクネ戦にイレギュラーの幻日のアルターマーナガルム戦と、同じ場所で戦ったことは二回あるが、伝聞から推察するに本当に同じ場所で戦ったにすぎないことは想像に難くない。

 だというのに、まるで長年連れ添ったように息を合わせている。


あなを埋めよ、大地を均せ。幸福と安寧を抱く自由の楽園が、我らの前に拓けている!」


 四月一日はそれを、不思議とも奇跡とも思わない。

 当然の帰結だ。なぜなら、二振りの脇差――【比翼の雌雄ソハヤマル】を振るう少女の中身プレイヤーは、太刀を振るう少年の中身エネミーと幾度となく交戦してきたのだから。

 動かす体が異なろうとも、どういう立ち回りをするかは蓄積された経験値が教えてくれる。それを読んで合わせることなど――彼自身に自覚はないが――三人の中で最も洞察力と器用さに秀でたヨシツネには造作もないだろう。


「嗚呼、悪魔よ。我が親愛なるメフィストフェレスよ! 思慮を愛し、自由を謳歌せし人々とともに、私はこの地を歩みたいと希わん!」

「代価は我が隣の愚者、愚者が愛する純潔の花嫁。番いの魂をもって、契約の履行を望まん」


 だからこそ、二人は心置きなく時間稼ぎを友とその想い人に託す。

【高速詠唱】に【詠唱中略】。術式や詠唱発動型シングスキルの詠唱を速め、あるいは簡略化する代わりに効果を弱めるスキルは使用しない。ヨシツネたちが十全に時間を稼いでくれると信じ、全力の行使を目指して言の葉を紡ぐ。


「ゆえに想う。時よ止まれ、世界よ永久とわに美しくあれ!」


 大仰な動作を交えながら、四月一日は小さく息を吸う。そして、手にしていた拡声器を口元の高さまで持って行き。


「――――【我は一瞬の永遠を望むものファウスト】!」


 キィンと響くハウリングとともに、先んじて完成させた術式を発動した。

 それは、四月一日というプレイヤーが持つスロットの一つを埋めるレア術式まほう


 効果は対象への束縛バインド付与。その効果自体は、熟練した呪術師デバッファーなら誰もが持っている汎用的なものだ。

 しかし、四月一日が扱うそれは、他のプレイヤーのものとは一線を画す。


 裁定者ルール・トーカー常時発動パッシブスキル【世界の理バイブル】を経由したレア術式は、RTNにはまだ実装されてそんざいしないさらに上位の等級として処理される。プレイヤーの間で規格外エクストラ術式と仮称されるそれは、ゲーム内でも最高クラスの耐性を誇る超高難易度ストラテジーエネミーすらも数十秒行動不能にする性能を有した。


 それは、対象となった巨狼レイドエネミーとて例外ではない。

 白い毛皮に包まれた巨躯が、まるで巨大な網に引っかかったようにその動きを止める。不可視の網を振りほどこうともがくことすらできず、苛立ちの咆哮が遊園地に轟いた。


「よーし! さすがにこれはばっちり通るみたいだね!」


 その様子を見て、四月一日は強キャラにあるまじきガッツポーズをとる。そんな姿に思わず笑みを零した後、猗々冴々は二挺の拳銃を構えた。

 禍々しい赤色に染まった銃口を、白狼に向ける。

 少女しょうねん少年しょうじょの手を引いてこちらに向かってくるのを確認してから、両方の引き金にゆっくりと指をかけた。


「白き薔薇は枯れ、九の絵札は逆位置を指す。ゆえに、契約はここに果たされる」


 詠唱が完了する。

 チームを組んでいるプレイヤーは一人。

 HPは両者ともにレッドゾーン。

 最大火力を出せる条件を満たした魔弾の射手は、笑みを浮かべながら引き金を引いた。


 ――――ドンッ!!


 雷が落ちたのかと思うような、激しい轟音が遊園地に響き渡る。

 その音にわずか遅れて、十二発の弾丸が幻日のアルターマーナガルムに撃ちこまれた。


『ガ、ァ――』


 大量の黒い血霧ダメージエフェクトを立ち上らせながら、狼がその場に倒れこむ。黒い煙に混じって土煙がたちこめている情景を背景バックに、少女しょうねん――ヨシツネが朔とともに到着した。


「四月一日! 人形ひとがた!」

「はいはい、わかってるって」


 深手を負っている四月一日たちを見て朔がぎょっと目を見開く一方、ヨシツネは頓着することなく要求の言葉を投げかける。

 忙しないヨシツネに肩をすくめつつ、四月一日はインベントリから一枚の紙を取り出した。


「朔くん、これ持っててね」

「……っ、と」


 それを朔に向かって放れば、人の形を模った紙はすんなりと彼女の眼前を舞う。言われるがままその紙を手にとった朔は、小さく首を振ってからそれを胸ポケットに入れた。

 譲渡を見届けてから、インベントリから今度は小瓶を二つ取り出す。

 片方を猗々冴々に投げ渡した後、中に入った白濁の液体を呷る。中身を飲み干し、小瓶から口を離すころには、腹部の傷はほとんど完治していた。


「さーて、それじゃあ」

「第二フェイズといこうか」


 言い合いながら、二人は空の小瓶を放る。

 それが地面に落ちると同時に、倒れ伏すマーナガルムの体に変化が起きた。


 ぼこりぼこりと、泡立つように白い体が脈打つ。その泡は徐々に大きく、そして数を増やしていく。やがて、脈動に耐え切れなくなったとばかりに泡の一つが地面に落ちた。

 次の変化は劇的だった。

 落ちたばかりの白い塊は、瞬く間に一匹の狼へと変じる。それに続くように、狼の亡骸からは標準サイズの白狼が何匹も産み落とされた。


「っ」


 異様な光景を見るのは、これが初めてのことではない。

 それでも朔は緊張に肩を強張らせつつ、譲り受けた太刀を構え直した。


「耐久何分だっけ?」

「確か十五分」

「アーサーちゃん、半分はお荷物じゃん」

「がんばって鬼ごっこしてるから、後よろしくぅ」


 その一方で、三人の退魔士プレイヤーは気安い口調で言葉をかわす。

 良い意味でリラックス、悪い意味で緊張感がないやりとりだ。

 朔に搭載されたAIは協力者として退魔士プレイヤーヨシツネを認めているが、彼が連れてきた二人の退魔士プレイヤーの実力も本気も把握しきっていない。ゆえに彼女は、怪訝な眼差しを向けた。

 まだ電灯の上に立っているため、必然的に上を向く形になる。

 わかりやすい視線が、質問の矛先が自分たちであることを二人に教えた。


「貴方たちは随分と余裕のようだけど。勝算はあるの?」

「「ない!」」


 だからこそ、猗々冴々と四月一日は即答を返した。


「……」


 ぽかんと。人形めいた表情が呆気にとられる。

 その放心が自然に回復するのを待つほど、リアルタイムゲームの摂理も狼の群れも優しくない。それどころか、思わず脱力した姿に好機を見出し、いっせいに駆け始めた。


「散開! 朔っ、なるべく俺の近くで行動してくれ!」


 ヨシツネの声を合図に、猗々冴々たちは電灯から飛び降りる。

 朔も一拍遅れて、彼を追うように駆け出した。


「堅実な勝ち筋があるなら、初手無比の弾丸きりふだぶっぱなんてしないからなー!」

「こういうスマートじゃない戦闘、強キャラっぽくないからあんましたくないんだけどね!」


 襲ってくる狼たちをかわしながら、二人は口々にあけすけな本音を口にする。

 同じ退魔士プレイヤーなら、あるいは感情豊かに設定されたMobなら、文句や呆れの一つでも口にしていただろう。だが、朔の思考AIはそんな態度を見せるようにできていない。

 ただ、脳内演算で戦力外通告を下し、協力者と自分を勘定に入れた勝ち筋の思考を始める。

 しかし、その計算にはすぐに待ったがかけられることになる。


「おいおい、そんな弱腰で勝つ気あんのかー?」


 跳びかかってくる狼を斬り捨てながら、ヨシツネがからかうような口調で言葉を投げかけ。


「「あるに決まってるんだよなあ!」」


 猗々冴々と四月一日は、二度目の即答を返す。

 またしても、虚を突かれたように朔の目が丸くなった。


親友ヨシツネ直々のご指名ヘルプで手を抜くほど、薄情じゃないっての!」

「そうそう! それに、たまには挑戦者プレイヤーらしく冒険しないとねえ!」


 そう続ける二人の顔に浮かぶのは、心の底からの笑み。

 ゲームにおける一番の醍醐味は、苦境からの逆転劇だと盲信しているプレイヤーの顔だ。

 好戦的で獰猛な笑顔は、満月の夜に自分と対峙していた協力者ヨシツネの姿を連想させる。その想起が、朔の中にあった不信をゆるやかに解きほぐした。


 その横顔を見て小さく安堵しつつ、ヨシツネは刀身についた黒い靄を払い落とす。

 それを見て肩をすくめつつ、猗々冴々は狼の攻撃をかわし、すれ違いざまに蹴りを見舞う。

 そんな友人たちを、新たな友人を見て、四月一日は満面の笑みとともに拡声器を掲げた。


「第二フェイズ! 出し惜しみもロールプレイもなしだ、全力で行くよ!」


 そして、すぅと息を大きく吸った後、拡声器に向けて声を張り上げる。


「【詠唱省略エリプシス】――――【RAYレイン】!」

 直後、遊園地せんじょうに光線の雨が降り注いだ。

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