人狼に捧ぐ小夜曲①

 アラカワ遊園。

 その名を持つ遊園地は、トーキョー二十三区が一角、アラカワエリアにあった。


 都内唯一の公営遊園地であり、ワンコインでお釣りがくる安価な入場料とアトラクション利用料は他の追随を許さない。リニューアルオープンによる大型化に伴い、現実リアルでは気軽に立ち寄れる遊園地として観光スポットの一つに数えられていた。


 無論、リバーストーキョーではその栄華は見る影もない。

 日本で最も遅いと言われるジェットコースターはレールの途中で止まり、他のアトラクションも夜魔の眷属から逃げ遅れた犠牲者の血でところどころが赤茶に錆びついている。今やこの場所は、悲劇の痕跡が残るおぞましい廃墟と成り果てていた。


 そんな遊園は今、一頭の狼が住んでいる。

 月無き夜、あるいは太陽と月が食まれた夜にだけ姿を見せる、巨大な白狼。退魔士プレイヤーの体躯を幾度となく爪と牙で引き裂いてきた大型の魔性レイドエネミー


 名を、【幻日のアルターマーナガルム】。


 北欧神話に登場する、太陽と月を食らう狼の名を冠した魔性エネミー

 そんな狼の前に、一つの人影が現れた。


『……グルルッ』


 かつては草食動物たちが人間と戯れていた広場に伏していた狼は、足音が止まったのを合図に、唸り声とともにゆるりと面を上げる。そして、禍々しい金色の双眸で、自分のテリトリーに入ってきた人影を見据えた。


 それは、薄汚れた白い装束学ランに身を包んだ長身の少年だった。

 黒い髪に黒い眼。特別目立った特徴はなく、目を引くものといえば、手首にはめられたチェーンと、その手に握られた日本刀くらいか。


 得物は異なるが、彼を退魔士プレイヤーヨシツネと呼ぶ者もいるだろう。

 しかし今、この器には退魔士プレイヤーと対極に位置する存在が入っていた。


 狼は、そのことを知っている。

 ゆえに、白い獣は耳まで裂けた口でにたりと、悪意ある笑みを浮かべた。


『ハッ、ハッ、ハッ』


 また独りなのかと。

 嘲弄するような息遣いが、愉快そうに細められた目が、問いかける。

 少年は応じず、黙って刀を引き抜くと、鞘を放る。

 からんっ、と。高らかに響いた音が、合図ゴングとなった。


 残響を掻き消すような風切り音とともに、まずは伏したままの白狼が前脚を振るう。

 電車の車両に等しい太さの前脚は、人の体など掠めただけで弾き飛ばすだろう。しかし、そんな暴力の固まりを前にしても、少年は怯まない。沈着に地面を蹴り、横薙ぎに振るわれた前脚を回避した。


『ガァッ!』


 宙に逃げた少年に、大きく開かれた咢が迫った。

 日本の小さなアパートに匹敵する巨大な体躯の前では、長身といえど人間などネズミのようなもの。赤い上顎が頭上を覆い、そのまま少年を丸呑みにせんと閉じられる。


「【臥待月フシマチ】!」


 寸前、少年が刀を振るった。

 冴え渡る太刀筋から放たれる、刀身よりなお鋭い太刀風。それは狼の口腔を傷つけると同時に、推進力となって少年の体を後方へと飛ばす。

 少年の眼前で、ギロチンの如く顎が閉じた。


「ふ……っ!」


 目の前の鼻先を足蹴にし、狼との距離を離す。

 着地すると同時に足裏に力を込め、離したばかりの距離を一気に詰めるように跳躍。柔らかい部位につけられた傷に地団太を踏む狼の体躯めがけて、刀を振り抜いた。

 瞬間、黒い血霧が噴出し、白い毛皮を汚した。


『グゥルァ!』

「くっ!」


 さらなる傷が、狼の怒りを加速させる。

 大きな尾がさながら鞭のように振るわれ、獲物を叩き潰さんとする。少年はそれを回避しようと身をよじらせるが、先端が胴体を掠めてしまった。

 わずかな接触。たったそれだけにも関わらず、棍棒で殴打されたような衝撃が走る。巨大な尾が生み出した突風にも煽られ、少年の体は大きく吹き飛ばされた。


「っ、が、は――!」


 辛うじて着地した後、息の固まりを吐き出すように咳きこむ。

 すぐに刀を構え直したが、人形めいた表情には焦りの色が浮かんでいた。


 かりそめの器は、本来の器に比べて一回り大きい。肉体の性能ランクがグレードダウンしているのもあって、枷として少年の動きを制限していた。先ほどの攻撃も、今の回避も、本来の器ならばより確実な成果を上げていただろう。

 それでも、この体でなければ目の前の獣と相対できないのであれば。

 枷と理解していても、刀を振るわねばならなかった。


「ふぅー……っ」


 深呼吸で集中力を高め、刀を持つ手に力を込める。

 直後、白い巨体が跳びかかってきた。


『オォンッ!』

「――【立待月タチマチ】!」


 質量の暴力を跳躍でかわし、足裏に強く力を込めてから前脚を足場にさらに高く跳ぶ。そうして上をとったところで、構えたままの刀を振るい、頭部狙いの太刀風を放った。

 その風は狼の毛皮を切り裂き、再び黒い血霧を噴出させる。


 しかし、致命傷と呼べるほど深い傷かと言われれば、否だった。思うように感じられぬ手ごたえに、少年の顔にはまたしても焦りがよぎる。そして、集中力の乱れを二度も見逃すほど、目の前の狼は甘くなかった。

 さながら牡鹿が獲物をかち上げるかのように、狼が勢いよく天を仰ぐ。角がないため直接的な攻撃とはならなかったが、俊敏に動いた巨体が放つ風が少年の体を絡め取った。


「っ…!」


 突風が直撃し、少年はバランスを崩しながらさらに高く打ち上げられる。

 そんな少年めがけて、狼は大地を蹴る。宙に浮いた巨躯の鼻先が、同じように滞空する少年の体に衝突した。


「――……!」


 べきべきと枝が折れるような音とともに、0と1の世界で再現された骨がへし折れていく。音にならない苦悶の声で喘ぎながら、少年は物理エンジンに従って弾き飛ばされた。


 永遠にも思える滑空の後、その体は進行方向にそびえる観覧車にぶち当たる。

 老朽化が進む観覧車が大きく揺れたが、倒壊には至らない。壊れなかった観覧車の骨組みに押し出されるように、少年の体は地面へと墜落していった。


「ぐ、ぁ」


 硬い地面にバウンドした体は、そのまま動かなくなる。

 辛うじて生きていることを示唆するように、奇跡的に破損せずにすんだ刀を掴む手が、ひくりひくりと小刻みにうごめく。それでも、虫の息に近いのは火を見るより明らかだった。

 むしろ、まだ息をしていることが、もう一つの奇跡と言っても過言ではない。

 手首で輝く幸運の象徴四葉のクローバーがなければ、とうに絶命していただろう。


「――」


 黒い双眸が、手首にはまったチェーンに向く。


 それは、定められた本能プログラムに従うなら、協力者と袂を分かった時点で手放すべきものだった。

 解放イベントによって喪失が定められているぶきの代替品や、器の持ち主に不利益をもたらす衣類の破棄は制限がかかっている。しかし、装飾品アクセサリー類は積極的に破棄し、本来の持ち主が再び獲得できるように努める命令コマンドがあらかじめ入力されていた。


 だが、少年は――少女ルー・ガルーは、そうしなかった。


 なぜそうしたのか。

【朔のルー・ガルー】というデータを与えられた少女にも、それはわかっていない。

 だが、他の装備品と同じように手首のそれを外そうとした時、協力者たる少女しょうねんの手首にも同じものが装着されていることを思い出した。その想起が、四葉を模したチェーンを外さないという選択肢を選ばせたのだった。


「……っ、ぅ」


 だから、だろう。

 四葉がもたらした幸運を無駄にすまいと、少女はなんとか体を起こそうと試みる。

 だが、体は思うように動かない。そうしている間にも、地面を小さく揺らす足音が、ゆっくりと観覧車の方へと近づいてきていた。


 緩やかな接近は、少女に対する嘲弄の表れだろう。

 全盛期のころに敗北を喫した相手に、明確なハンデを背負って立ち向かってきた愚かさ。それを歩調で嘲笑いながら、白狼は着実に距離を詰めていく。


[タイムテーブル:新月・夜]

[夜ノ恋ノモノガタリ【人狼に捧ぐ小夜曲セレナーデ】発生中]

[ミッションの進行状況を確認――――確認完了]

[【朔のルー・ガルー】の好感度を確認――――確認完了]

[プレイヤー・ヨシツネからの破却申請状況を確認――――確認完了]

[イベント【月の獣は再び呑まれる】発生条件のフラグが確立]

[ステージ【アラカワ遊園】にて、イベント【月の獣は再び呑まれる】を開始します]


 演算が完了する。

 物語リソースの停滞を防止するため、世界プログラムに刻まれている強制イベントが出力される。

 それは、勝者と敗者があらかじめ決められた出来レース。逆転はなく、間違いもなく。筋書通りの寸劇マスターシーンが今、始まり、そして終わろうとしていた。


 完全なる消滅を迎えるわけではない。

 蓄積した好感度きおくをリセットし、まっさらな状態で次の挑戦者を待つだけだ。

 例えるなら、すごろくのふりだしに戻るようなもの。ゴールを誰とも競っていないのなら、それはプラスにはならないが大きなマイナスでもない。


 それでも、少女ルー・ガルーのAIは忌避感を弾き出した。

 再び独りきりになること、にではない。

〝彼〟を忘れてしまうだろうという事実かくしんが、人狼の胸に小さな痛みをもたらした。


「……リョウ」


 数メートルまで迫った狼を見上げながら、ぽつりと、一人の名が零す。

 最期に一目会いたいと。

 本能プログラムに従うだけの少女エネミーは、身勝手にもエラーとともに二度目の幸運きせきを願い。


「――――さぁぁぁぁぁくぅぅぅぅぅっっっ!!」


 それは、叶えられた。


 ドップラー効果を伴った声を響かせながら、狼の横合いにアッシュグレイの弾丸が突き刺さる。その弾丸は巨大な狼の体を思いきり弾き飛ばしたかと思うと、勢いよく回転をしてから地面に墜落した。

 べしゃりと。頭から地面に落ちた弾丸――否、少女の形をしたものは、青ざめた顔でよろよろと立ち上がる。そして、何かを堪えるように口元を押さえた。


「き、きもち、わる……。いや、ダメだ、この顔で吐くのは許されねえ……」

「…………リョウ?」

「っと、朔! 大丈夫か、怪我は……って聞くまでもなくぼろっぼろだな! あのクソ犬、中身は女の子なんだから加減くらいしろっての!」


 くぐもった声でぶつぶつと零したかと思えば、動揺と怒りを露わにした顔でよたよたと駆け寄ってくる。


 そんな姿は、お世辞にも頼もしいともかっこいいとも言い難い。

 それでも。


「ごめんな、遅くなって」

「――――」


 そう言って手を差し伸べてくる姿に、朔のルー・ガルーと呼ばれるエネミーに設定されたパロメーターは大きく上昇した。


「な、泣い……っ。すぐ! すぐ怪我治すから!」


 朔と名づけた少年しょうじょの顔を見て、白銀の髪の少女は再び顔色を青くする。

 虚空をまさぐり、そこから白濁の液体が入った小瓶を取り出す。そして蓋を外すと、確認をとらずに中身を少年しょうじょに浴びせかけた。

 むず痒い感覚の後、全身に広がっていた痛みが消えていく。

 傷が癒えていく驚きも手伝い、少年しょうじょはついぞ自分の目尻から零れた雫には気づかなかった。


『ガァァァァァッ!!』

「うおっと!」

「っ!」


 気が抜けるようで、同時に穏やかでもあった時間は、長く続かない。

 蹴り飛ばされた白狼が、怒号とともに二人めがけて跳びかかってくる。迫りくる巨体を、少年少女はそれぞれ左右に大きく飛び退くことで回避した。


「朔っ!」


 腰に下げた鞘から二振りの脇差を抜刀しながら、少女――ヨシツネは声を荒げた。

 続く言葉を想像し、少年――朔のルー・ガルーは肩を小さく竦ませる。だが、続いた言葉は朔のルー・ガルーの予想に反したものだった。


「時間を稼ぐぞ! 百秒、一緒に持ちこたえてくれ!」

「――っ」


 それは、目の前の退魔士プレイヤーから最も聞きたかった言葉。

 変節の理由を、Mobはわざわざ問うたりはしない。データに刻まれた本能プログラムと、胸の内からこみ上げてくる喜びエラーに従い、手にしていた刀を構え直す。


 そんな姿に安堵の息をついた後、ヨシツネは何かを押すように虚空を叩いた。


『選択を受理しました』

[プレイヤー・ヨシツネが破却申請を否認しました]

[【朔のルー・ガルー】の好感度を確認――――確認完了]

[イベント【月の獣は再び呑まれる】の成立条件が満たされなくなりました]

[イベント【月の獣は再び呑まれる】を終了します]

『夜ノ恋ノモノガタリ【人狼に捧ぐ小夜曲セレナーデ】の進行が再開されます』


 プレイヤーの目の前で、物語イベントの再開が告げられる。

 プレイヤーもNPCも知覚できない世界の裏側で、物語イベントの歯車が進行する。


 これより始まるのは、勝者も敗者も定まっていない通常戦闘ころしあい。力に技量、駆け引き、乱数による偶然、そして幸運リアルラック。あらゆる要素が介在した戦いが、幕を上げる。


「【恋ゆえに貪るビーストハート】はリキャスト中だが、第一形態ならちょうどいいハンデだ」


 二振りの黒い刃を構えたまま、退魔士プレイヤー巨狼レイドエネミー相手に不敵な笑みを浮かべる。

 そんな退魔士プレイヤーの前には、一つのウインドウが表示されていた。


『【幻日のアルターマーナガルム】とエンカウントしました 推奨レベル99 参加人数3/20』


「さあやろうぜ、幻日のアルターマーナガルム。少人数舐めププレイでノーデス撃破してやんよ!」

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