理不尽イベント
やあ、俺の名前はヨシツネ!
「なんでなんだよ……!」
昨日から何度口にしたかわからない言葉とともに、俺は腰かけたソファーを叩いた。
普段なら自分の膝でも叩くところなのだが、あいにくと今の俺にそんなことはできない
なぜなら、俺の
例えこの体が0と1でできていようと、暴力を振るうことなどできない。
「なんでなんだよは俺らの台詞でもあるよな。声まで変わるのはすごくない?」
そんな俺を正面のソファーで見ながら、アーサーは腕を組む。
金髪オールバックのエセ不良は、さっきから俺のことをじろじろと眺めていた。その顔はいかにも笑うのを我慢していますと言わんばかりで、非常に腹立たしい。
「ぼくのかっこいいロールプレイが台無しじゃないか、まったく……」
一方、斜め横に置かれたソファーの上では、膝を抱えた四月一日が拗ねた子供のような表情でぶつぶつと呟いていた。
小説より奇なりだった事実に、意味深な台詞を口にする強キャラムーブがへし折られたのがショックだったらしい。どこか恨みがましい目で俺のことを見ていた。
つーかお前ら、もうちょっと俺のことを気遣え。
「リョウ?」
不満が顔にでも出ていたのだろうか。隣から、俺を気遣うような呼び声が聞こえた。
視線をちらりと上向きに動かせば、こっちをジッと見てくる黒髪黒目の男と目が合う。小首を傾げて見つめてくる様は大型犬のようで、俺は思わず頬を掻いた。
「心配すんなよ、
「ん」
安心させるように笑いかければ、男は一転して頬をほころばせた。
女の子――より具体的に言うなら、銀髪赤目でブレザーを着た女の子がやったら、そりゃあもう最高に可愛かっただろう。
だが、どれだけ目をこすっても、目の前の男は
「くっそ……!」
「?」
「えーっと、再確認なんだけど」
背中を丸めて打ちひしがれる俺、怪訝そうにする男、なぜか視線を泳がせるアーサー。
シュールな絵面の中、アーサーの指がまず男の方に向けられる。
「こっちの、どう見てもヨシツネにしか見えないのが朔のルー・ガルーで」
「ん」
「こっちの、どう見ても朔のルー・ガルーにしか見えない女の子がヨシツネ。OK?」
「おう。ちなみに見た目と声以外にも、能力ステータスまで入れ替わってるぞ」
「検証班に見せたら泣いて喜びそうだな。一応聞くけど、バグ報告は?」
「今日の夕方、「調査したアカウントに不具合は起きていません」って返ってきたぞ」
無慈悲な文面を見た後、しばらく頭を抱えてしまった。
ずっと落ち着かなかった俺の半日を返してほしい。
部屋で頭を抱える時間が長かったばかりに、「仮病で休んだんだから買い物は行ってくださいね」と姉さんに見つかり、お使いを頼まれたのだから踏んだり蹴ったりである。いやまあ、今日休ませてくれた姉さんには感謝しかないんだが。
しかもちょうど俺がログアウトしたタイミングで、寝室で待たせていた朔とエンカウントしているとか。間が悪いにもほどがあるだろ。
殺し合いまで五秒前みたいな光景、心臓に悪すぎる。
「多分、ゲームのイベントなんだとは思う。朔もそれっぽいことを言ってたし」
「NPCとのアバター入れ替わりが仕様かあ……炎上案件では……」
笑いを堪えていたアーサーが、一転して苦々しい顔になる。
まあそうなるよなと共感していると、アーサーが意外そうに俺を見た。
「えーっと、朔くん? が言ってた、それっぽいことって?」
首を傾げていると、膝の間に顔を埋めていた四月一日が会話に混ざってくる。
子供っぽい顔で小首を傾げている様は、とてもではないが妙齢の強キャラ女性感はない。相変わらず、ロールプレイしている時とそうでない時のギャップが凄い奴である。
「えーっと……、ごめん、朔。何が起きたかこいつらにも言ってもらってもいい?」
「ん。わかったわ」
謝りながらそう頼めば、朔は快く頷いた後、口を開いた。
「私は月の獣。かつては夜の王の支配下を、自由に駆けていた。でも、幻日の狼にこの身を呑まれ、私は獣の体躯を喪ったわ。残ったのは、月無き夜にだけ変じていたか弱き人の器だけ。その器すら狼の影響下から逃れられず、狼の地脈に囚われていたの」
「うん」
「私に許されたのは、私の象徴が最も満ちる夜、幽鬼のように彷徨いながら、私を
「……うん?」
アーサーが露骨に怪訝な顔をした。
「そして、ついに器はリョウの手によって壊された。彼は囚われていた私の魂を呑みこみ、朔から連れ出してくれたの。私を呑みこむために外に出てしまったリョウの魂が朔の器に入ったけれど、陰陽の混合で幻日の狼の呪縛は解けているから問題はないはず」
「……」
こっちを見るな。黙って最後まで聞け。
「だが、いつまでもリョウの器を借りているわけにはいかない。何より、歪んだ月たる私は、満ちたる私を取り戻したい。だから、リョウには私と一緒に幻日の狼を殺してほしいの」
「…………ヨシツネの名前と相槌以外の言葉も喋れたんだな」
「最初に言うことがそれかよ」
「無口NPCが饒舌になった時、こういう気持ちにならない?」
「なるけども」
肯定はしておいた。現状の心当たりを聞いた時、ほぼ似たような感想を抱いたからな。
俺もすぐには理解できず、進行中のミッション詳細を見てなんとか合点がいった。彼女には酷な話だとは思うが、もう少しシステム的に話してほしい。
「えーっと……」
「つまり今のは、朔くんが満月の夜かつ都電の沿線にしか出なかった理由と、今の状況に対する世界観的な説明ってことかな。言い回しから察するに、朔くんをタイマンで倒すことがフラグの条件で、それで専用ストーリーが進行されるって感じっぽい?」
設定の濁流を咀嚼するのに時間がかかっているアーサーを後目に、四月一日はさらりと噛み砕いた言い回しを口にした。
「朔くんストーリーのラスボスが幻日の狼で、そのボスを朔くんと一緒に倒してもらいたいのがゲーム側の意図かな? とはいえボスを倒す前に朔くんが自由に行動できるようになると設定に齟齬が生まれちゃうから、プレイヤーとエネミーの関係を陰陽に例えてアバターの入れ替えイベントを仕込んだってところかなあ。でも面白いね。満月の夜に出るエネミーが朔を冠しているのは長らく不思議だったんだけど、朔っていうのは人間形態のことを表していて、力が最も強くなる満月の夜だけ限定的に自由になれるって設定なんだね」
ノンブレスだった。やば。
「読解力やばすぎない?」
「さすが中二病罹患者……それっぽい台詞の読解力にかけて右に出る者はいないな……」
「怒るよ?」
言いながら眼帯に手をかける四月一日に、俺たちは仲良くホールドアップする。
朔さん、つられて手を上げなくても大丈夫ですよ。
「でも、そういうことなら得心がいくな」
両手を下ろしながら、アーサーが口を開いた。
「お前に対して、ルー・ガルーがやたら好意的すぎるなと不思議に思ってたんだよな。好感度が高すぎるっていうか。だけどヨシツネが彼女の中で強者として認められ、その上恩人というポジションに収まっているっていうなら腑にも落ちる」
「……まあ、大体そんな感じ」
「めちゃくちゃ複雑そうな顔で言うね、お前も。わからないでもないけどさ」
呆れたように肩をすくめた後、エセ不良はまた不自然に視線を泳がせた。
大方、好意のベクトルが恋愛感情じゃないことを不満がっていると予想したのだろう。
その予想は残念ながら外れているのだが、そう思っていてくれた方が今は都合が良い。あえて答え合わせはせず、黙ることで肯定と受け取らせた。
それにしてもお前、なんでさっきからちょっと挙動不審なんだよ。
問いただそうと口を開きかけるが、その前に四月一日が喋り出した。
「ぼくの予想だと、幻日の狼は幻日の(アルター)マーナガルムだと思うんだけど。正解は?」
「さらっと該当エネミーが思い浮かぶのすげーな」
伊達に博識強キャラムーブしてないなと思いつつ、俺は見えるようコンソールを開いた。
『
達成条件:【
「ラスト?」
「最初のは【一夜からの解放】ってやつで、達成条件が【朔のルー・ガルー】の撃破だった」
ゲーマーらしく目敏い指摘をするアーサーに、用意していた答えを返す。
突っ込んだことを聞かれたら諸事情で困ったが、その返答でひとまず満足したらしい。なるほどねと頷きながら、コンソールに表示された文章に意識を向けた。
「しかし協力許容人数か。参加上限じゃないんだね」
「本来は一人でやってもらいたいけど、厳しいだろうからこの人数までなら手伝ってもらってもいいよっていう圧を感じるねえ……」
「レイドエネミーを三人でノーデス撃破が妥協かあ……」
「こういうの頼めるのお前たちくらいだし、協力してくれたら嬉しいんだけど」
言いながら、二人の様子を上目遣いで窺う。
そんな俺を見て、アーサーと四月一日は肩をすくめながら笑った。
「他ならぬ
「ちょっと。協力はするけど、ぼくの意思を無視しないで」
「行動を開始する前に、いくつか確認しても?」
「ちょっと! アーサーちゃん!」
四月一日の抗議を綺麗に聞き流しつつ、アーサーは指を三本立てた。
そのうちの一つを下ろしながら、口を開く。
「なんで彼女、お前のことをリョウって呼んでるん? 本名じゃん」
「戦闘中に名前を聞かれるイベントがあって……その、つい……」
「ああ、せっかくだから本名を名乗っちゃったと」
呆れた顔をされた。
だって仕方ないだろ、好きな女の子に名前を聞かれたんだぞ。
「でも前時代のゲームじゃあるまいし、入力しましたはいもう修正できませんってわけでもないっしょ。AIの精度考えると、別の名前を呼ばせることもできそうだけど」
そう言って、アーサーは朔に視線を向ける。
攻撃されそうになったから迎撃を試みたと言っただけはあり、アーサー自体に思うところはないらしい。見つめられても不思議そうに小首を傾げるだけの朔に、アーサーはなんとも形容しがたい表情を浮かべた。
気持ちはわかる。
俺だってアーサーのアバターがこんな仕草したら同じ顔になる。
「質問です。朔のルー・ガルーそっくりのアバターが、朔のルー・ガルーに固執してることで名が通ってるプレイヤーの名前で呼ばれる光景を見たらどう思うでしょうか?」
「……お前が何かをこじらせたなって思うな、うん」
「はい正解」
不具合だったとしても、いつ直るかわかったものじゃない。
そういう思惑もあり、呼び方を訂正しようとは思わなかった。
「ちなみに朔って呼んでるのも似た理由」
「自分のアバターをルー・ガルーって呼びたくないからじゃなかったんだね」
「うるせえぞ中二病」
「ひどくない!?」
図星を言い当てられたのでつい辛辣に返してしまった。
いやあ、うん。だって見た目は完全に俺だし……。アバターが元に戻った後でも、朔という名前ならそのまま移行しても違和感がないからWin-Winだ。
「嫌でも名前が目につくディスプレイタイプのゲームと違って、VRだとプレイヤーネームの確認なんてそうそうしないしな」
「ああ、そのプレイヤーネームのことなんだけどさ」
締めくくろうとした俺に、立てた指を一本にしたアーサーが待ったをかける。
「ん?」
「実は昨日の夜、ルー・ガルーがイケブクロ駅に現れたって大騒ぎになったんだよな」
「へ? …………あー、あーあー」
一瞬首を傾げて、すぐに心当たりが思い浮かんだ。
入れ替わり事件のインパクトが強すぎて、それより前のことをすっかり忘れていた。めっちゃ目撃されてんじゃん俺……。
そうなると既にこじらせたって話されているのでは……?
思わず顔をひきつらせた俺を安心させるように、アーサーはさわやかな笑みを浮かべた。
「安心しなよ。イケブクロ駅を全力疾走してる動画は出回ってるけど、名前表示のUIがバグってるからプレイヤーなのかエネミーなのかわからないって言われてたからさ」
「素直に胸をなでおろせないんだが?」
出回っている動画ファイル、謎のバグで破損してくれねえかな。
……ん?
そこで、一つの疑問が浮かんだ。
「でもお前ら、俺のプレイヤーネーム見て納得してなかった?」
「うん。俺たちの視点だと特にバグってなくてさ。だから検証したいんだけど、四月一日、ためしにヨシツネをフレンドから外してみてくれない?」
「Pardon?」
四月一日はネイティブみたいな発音で聞き返した。
「だって、フレンド申請できませんって出る可能性あるし」
「ぼくを人身御供にしていい理由がないけど?」
「そうなると四月一日が確定で【
「仕方ないなあ!」
やけくそのように声を荒げながら、四月一日はコンソールを開いた。
白魚のような指が動くこと十数秒。
「あ、プレイヤーネームバグったね」
「なるほど。フレンドには正しく見えるわけか」
「謎仕様だな……バグるのは助けるけどよ」
「誰かに協力を頼む時、困らないようにっていう配慮じゃないかな?」
「あー」
納得の声を上げた。
見た目どころか、VRオンラインでは変更できない声まで変わっているもんな。プレイヤーネームがわからなかったら、オフラインで繋がってないと本人だと証明する術がない。
「あとこのゲーム、フレンドのことを『現と夜を繋ぎ止める楔、赤い糸の如き絆にて分かちがたく繋がったもの』って説明してるから、そこらへんの世界観準拠もありそうだね」
「そんな説明もあったな……。と、フレンド申請送っといたぞ」
「ありがと~~~」
秒で申請受諾の知らせが表示された。必死すぎる。
いやまあ、気持ちはわからんでもないが。
数少ないフレンドが減るの嫌だよな、お互いに。
「検証が無事に済んだところで、さて、どうするかね」
この場で唯一のコミュ強者が、残った指を折りたたみながら俺に目線を向けた。
色々やらなきゃいけないことは山積みだ。だが、何はなくとも最優先しなければならないことがある。俺は四月一日に目を向けると、深々と頭を下げた。
「装備してたアイテム全部持ってかれたので、急場しのぎの武器を……なにとぞ……」
「ええ……?」
「あ、だから朔くんが
悲痛な俺の言葉に、二人から憐みの視線が刺さった。
「一応聞くけど、手渡してもらうのは?」
「できたら頭下げてないんだよなあ……!」
「うん、そうだよな。ごめん」
殊勝に謝られた。その態度が、今の俺の深刻さを雄弁に物語る。
この仕様、プレイヤーによっては詰むんだよなあ……。入れ替わりを考えた奴、そこらへん絶対考慮してないだろ。
「そういうことなら、昨日ぼくの店に来てくれればよかったのに」
もっともな言葉に対し、俺は首を横に振る。
「一人で状況を整理する時間が欲しくて……。あと、ここの倉庫に用があった」
もっとも、成果は全くなかったが。
アバター変えるアイテムでも見た目が変わらないってどういうことだよ。
「にしても武器なしでよくここまで来れたな」
「雑魚が寄ってこなかったからなんとかなった」
「あー……」
「ああ……」
アーサーと四月一日が察したような顔で朔を見た。
大正解だけど虫よけスプレーを見るような目はやめろ。確かに超強力な虫よけスプレーばりにエネミーが近寄ってこなかったけれども!
きょとんとする朔を守るように、両手を広げてディフェンスを試みる。
そんな俺を見て、アーサーはまた目を泳がせた。
「あー、武器より先に用意すべきものがあると思うんだが」
「ん?」
首を傾げれば、奴は非常に言いづらそうな様子で口を開いた。
「ヨシツネ、足開いて座ってるからさあ。見えるんだよな、スカートの中」
「……………………」
数秒後。
俺は思い切りスカートの端を押さえた。
ひとまず『フェルリエラ』に移動しようと、俺たちは家を後にした。
他プレイヤーに遭遇した時に備え、アーサーたちが前を歩く。俺と朔はその後ろに続いた。
屋根伝いに移動するか、無人タクシーを使うか。移動手段を相談する二人の背中を眺めてから、隣を歩く朔をちらりと見やった。
朔はアーサーたちを淡白な顔で見ていたが、俺の視線に気づくと頬をほころばせる。その表情の変化が、彼女の中で俺という存在が頭一つ分抜けていることを表していた。
それが嬉しくないと言えば、もちろんそんなことはないのだが。
(俺の顔じゃなかったらなあ……)
運営の意図を察していても、なんでなんだよと思わずにはいられなかった。
内心小さく溜息をつきながら、俺はそっとコンソールを操作し、一つの画面を呼び出す。
そこでは、現在進行中のストーリーやミッションの一覧を確認することができる。この中からタイトルをタップすることで、その詳細が見られるシステムになっていた。
さっき二人に見せたのは、ラストミッションの詳細。
百聞は一見にしかずというのもあったが、一覧を見られると困るというのもあった。
・進行ストーリー一覧
夜ノ恋ノ
・進行ミッション
セカンドミッションと書かれたところに指を置き、その詳細を開く。
『
達成条件:【朔のルー・ガルー】の好感度を最大値まで上昇』
四月一日はこの入れ替わりを、設定の齟齬をなくすために用意されたイベントだと推測していた。それは間違っていないのだろうが、おそらく完全正解でもないと思う。
……俺はあまり、恋愛ものには詳しくない。
だが、そんな俺でさえ知っている恋愛もののジャンルがある。
かなり前に公開された映画によって市民権を獲得し、世界的にも大ヒットしたアニメ映画の影響で広く認知されるようになったそのジャンルの名は――入れ替わりもの。
(ストラテジーって、確かに攻略って意味もあるけどよ……)
もう一度胸中で溜息を零しながら、コンソールを閉じる。
嬉しいか嬉しくないかで言えば、そりゃあ嬉しいに決まっているが……。
どうにも乗り気になれない。その理由はわかりきっている。
「?」
「俺の顔なんだよなあ……」
入れ替わりネタ以外になかったんですか、運営さん。
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