人それをフラグ立てという

 タイトウエリア、アメヤ横丁。通称アメ横。

 様々な商店が縦に横に立ち並び、現実では多くの人が行きかう商店街。

 しかし、魑魅魍魎が跋扈するリバーストーキョーでは、その賑わいは見る影もない。

 通りは寂れ、人通りはほとんどない。迂闊に店へと入ろうものなら、こびりついた無念が形になった悲哀霊ソロー・ゴーストのような死霊エネミー、打ち捨てられた商品が魔性になったもったいないルードゥといった異形エネミーに襲われる。


 そんなアメ横の通りを、黒い男物のスーツを着た赤髪の女が歩いていた。

 プレイヤーかのじょの名前は、四月一日と言う。

 エンカウント率を下げる香水――本来はミント系の匂いなのだが、その方が強キャラっぽいという理由で酩酊するような甘い香りにチューニングしている――の芳香を漂わせながら、四月一日は大きな通りを曲がり、狭い路地へと足を踏み入れる。


 そうしてしばらく歩いた後、ある店の前で足を止めた。


「……んふっ」


 不器用な笑みを零した後、迷いのない足取りで中に足を踏み入れた。


 エンカウント率を下げていても、エネミーが巣食っている屋内に入れば襲撃を受ける。しかし、店内に入ってもエネミーの姿はなく、敵意の類いも感じられなかった。

 そんな店の中を進んでいき、居住スペースに続く扉に手をかけた。

 きぃっと小さな音とともに開いた戸の向こうには、やや手狭な洋室と、陰鬱な屋外の暗さとは対照的な科学の明かりが広がっている。そんな部屋の中で、ソファーの背もたれに体を預けながら、一人の青年がくつろいでいた。


 くすんだ金髪のオールバックに黒い長ランと、前時代的な不良のいでたち。

 思わず足を止めたくなる雰囲気を漂わせているが、その人となりを十分に知っているなら話は違ってくる。久しぶりに見た友人フレンドの姿に、四月一日は頬を緩めた


「やあ、四月一日。久しぶり」

「久しぶりだね、魔弾の悪魔に魅入られた退魔士殿。相も変わらず、契約に対して律儀なようで。破天荒な見た目にそぐわぬ生真面目さ、実に愛らしいことこの上ない」

「そっちこそ、相変わらずなようで何よりだよ」


 肩をすくめて笑いながら、青年――猗々冴々は別のソファーを手で示す。

 そこに腰かけてから、四月一日はぐるりと懐かしむように部屋を見渡した。


 RTNには、一部の建物や部屋を購入できるシステムがある。

 購入したい場所のエネミーを掃討したのち、購入金額を支払うことで取引は成立する。

 売買が完了した区域はエネミーが出現しなくなり、安全地帯として扱われる。

 それに加え、購入した場所は所有者の許可なく他のプレイヤーが立ち入れなくなる他、セーブポイントとしても利用できた。そのため、古参ギルドはこのシステムを利用し、好きな場所にアジトを構えている。


「この『秘密基地』に集まるのも、随分と久方ぶりのことだね」

「三人で集まって何かすることも少なくなったし、四月一日が店を持ったからねえ。集まるならついそっちを選んじゃうから、ここに寄るのは用事がある時くらいだ」


 そう言いながら、猗々冴々は軽く肩をすくめてみせる。


 四月一日と猗々冴々、そして今日ここに二人を呼んだもう一人。別のゲームから何かと交流がある三人がRTNを始めてしばらく経ったころ、猗々冴々が性質の悪いファンにつきまとわれる事件が起きた。

 トラブルは既に解決しているものの、当時は粘着されすぎて猗々冴々がグロッキーになったほどである。その時、ログインを出待ちするファンから身を隠すため、三人名義で購入したのがコウトウエリアにあるこの店だった。

 売価は半額になるため、わざわざ手放すのも惜しい。そんな背景もあり、今現在は所持枠インベントリに入れるまでもないが捨てるのも売るのも惜しい非売品アイテムの倉庫として活用されている。


 現代伝奇の世界に、賃貸ではない自分だけのプライベート空間がある。

 この経験は四月一日の中二病心をいたくくすぐり、ほどなくして彼女は自らの店を構えた。


「しっかし、呼び出した本人はまだログインしないのかねえ」


 言いながら、猗々冴々はごろりとソファーの上で仰向けになる。

 その顔がふてくされていたものだから、四月一日は思わず笑みを零してしまった。


「ご立腹のようだね、魔弾の射手」

「そりゃあ、ルー・ガルーの撃破報告を最初にお前から聞いたからな」


 四月一日の言葉に、猗々冴々は不服そうに唇を尖らせる。


「本人にGMゲーム内メール送ったら立てこんでるの一言で、かと思えば夕方急に秘密基地に来てくれってグループチャットに入電だよ? 腹を立てたくもなるってもんだ」

「その上、朔のルー・ガルーが都電沿線以外の場所に出没したという目撃情報が飛び交ったとなれば……退魔士殿の心情も複雑怪奇なものとなるか」

「そう。それだよそれ」


 寝転ばせたばかりの上体を起こしながら、猗々冴々は四月一日を指さす。


「お前さ、あいつが倒したところは見たんだよね? 俺が体張ったり頭下げたりしてる時に」

「ああ、俯瞰から立ち会わせてもらったよ。羨ましいかい?」

親友ヨシツネの、一世一代の晴れ舞台だぞ? 親友おまえじゃなかったら生涯妬んでたよ」

「ふふ。退魔士殿の友愛は、相も変わらず奈落のように深いのだね」


 からかうような口調とともに、微笑ましそうに頬を緩める。

 己が口にした例えが比喩表現ではなく、ただの事実を言い表していることを、人付き合いの経験値に乏しい彼女は知らない。猗々冴々も詳しく解説するつもりはないので、今はただ拗ねたように頬を膨らませるだけだった。


「せめて録画してくれれば……」

「それは一条の流星を、躍起になって写真に収めるが如き野暮というものさ」

「言うと思ったよ。あー、俺も見たかった……じゃなくて」


 話が脱線しかけていることに気づき、軌道修正を図る。


「それなら、戦闘が終わった後に何か起きたか知ってるだろ? ぶっちゃけどうだったのさ。ルー・ガルーが倒された後に分裂とかしなかった?」


 そんな猗々冴々の問いかけに、四月一日は小さく肩をすくめてみせる。

 そして、鏡の前で研究と研鑽を続けた末に見出した、強キャラのように見える微笑みを浮かべながら、そっと自分に指さされたままだった人差し指を下ろさせた。


 雰囲気が切り替わるオンになる

 さながら退魔士プレイヤーに意味深な助言アドバイスを授けるNPCのように、四月一日は微笑んだ。


刹那の愛カルペ・ディエムの黒き刃は、確かに人狼の心臓を穿った。ならば、後は彼らの物語だ。一度きりのエンドロールを見世物にするのは、これもまた野暮というものさ」

「つまり、最後まできっちり見たわけじゃないと」

「結末は見るまでもないからね」

「……まあ、ひとまずそういうことにしておいてあげるけど」


 しかし、現状を思うと圧倒されるより半眼になってしまう猗々冴々であった。


「君の言いたいこともわかるけれどね」


 そんな猗々冴々にもう一度肩をすくめてみせながら、四月一日は彼の指から手を離す。


「本当に分裂するわけもあるまい。大方、朔のルー・ガルーの出没時間に合わせた誰かの悪戯だろうさ。アバターの見た目を一時的に変えるフレーバーアイテムもあることだしね」

「まあ、普通に考えればそうなんだろうけどね」

「事実は小説よりも奇なりというけれども、本当に奇異なることは滅多に起きないものさ。なに、くだんの彼がこの夜都に降り立った時にでも仔細を聞けば――――」


 どすんっ、と。話を遮るように、二階から小さな物音が聞こえてきた。

 顔を見合わせた後、思わずと言った風に二人は笑みを零す。


「噂をすれば影、かな」

「そのようだね」


 そう言い合って、自分たちを呼び出した三人目が下りてくるのを待つ。

 しかし、数分経ってもその気配はなく、部屋にいるのは未だ二人。生麺タイプのカップ麺が食べごろになるほど待ったのち、二人はもう一度顔を見合わせた。


「確かに音、聞こえたよね?」

「聞こえたとも」

「……」

「……」


 数分後、二人は示し合わせたように腰を上げた。


 セーブ地点に設定している二階には、HPとSANを回復させるための寝具アイテムが置いてある。いわば仮の拠点ターミナルであり、ゲーム内で安全に休めるセーフティーゾーンだ。

 そんな場所から物音が聞こえるというのは、看過できない事態だった。


 ホルスターから拳銃を取り出す猗々冴々の横で、四月一日はスキルを思考インプットした。

 上位アンコモンスキル【サーモグラフィー】。

 通常の【索敵】スキルと異なり、索敵範囲に存在するものの数だけではなく属性カテゴリーも把握することができる。四月一日の脳裏に浮かぶ家のMAPには、退魔士プレイヤーであることを示す白い点の他にもう一つ、赤い点が表示された。


「おやおや、まさか真上に獣が潜んでいたとはね」

「がっつりエネミーじゃん」


 軽口を叩く反面、猗々冴々の顔つきが険しいものになった。何せつい昨夜、拠点ターミナルの一つであるイケブクロ駅に高難易度エネミーが出たという話が上がったばかりだ。同じものがいるとは限らないにせよ、両者の間に緊張を走らせるには十分すぎる情報である。

 銃を一挺構えた猗々冴々を先頭に、二人は階段を上り始めた。


 歩調が緩やかでも、さほど段数がない階段を上りきるのに時間は要さない。扉の前に足を止めた猗々冴々は、軽く深呼吸をした後、蹴破るように扉を開けた。

 二つのベッドが並ぶ寝室は、明かりがついていないため暗闇に包まれている。

 それでも、床に白い物体が転がっているのはわかった。


「――――」


 反射的に撃ちそうになった猗々冴々はしかし、寸前でその動きを止める。

 一見すると芋虫のような白色の物体からは、人の手首のようなものがはみ出していた。

 それだけなら、動きは一歩間に合わなかったかもしれない。しかし、その手首が見覚えのある四葉のチェーンをつけているとなれば、話は違った。


「おや。引き金は引かないのかい、魔弾の射手殿」

「……」


 若干上ずった声で問いかける四月一日に返事をせず、大股で部屋の中に入る。

 そして、白い芋虫の外皮を掴むと、それを思い切り引っぺがした。

 ばさっという小気味よい音とともに、芋虫の外皮――もとい、白いシーツがはためく。その下からは、見覚えのある少年が現れた。


「えっ。ヨシツネちゃん?」


 思いもよらぬ人物が、膝を抱えて寝息を立てている。

 そんな光景を前に、四月一日は思わず素の声で反応した。


「ヨシツネー、起きろおらっ」


 一方の猗々冴々はといえば、見た目にマッチしたガラの悪い言葉とともに、爪先で少年――ヨシツネの体を小突こうと試みる。


 しかし、その爪先は空を切った。

 直後。


「――っ、だ!?」


 視界が一転したかと思えば、黒い長ランを着た体が床に組み敷かれた。

 呻く猗々冴々の脇に、黒い刃が突き立てられる。だが、猗々冴々とて伊達にゲームの実況配信で日銭を稼いではいない。話術トークスキルもその一端を担うが、何より卓越したプレイヤースキルによって彼の人気は支えられている。

 顔の真横に刃物が刺さると同時に、銃口が狼藉者ヨシツネの額に突きつけられた。


「ひえ……」

「四月一日、素に戻ってないでデバフ――――」


 襲撃者から目を逸らさずに協力を要請しようとしたところで、目の前にウインドウが表示される。自然とそちらに目を向けた猗々冴々は。


『【朔のルー・ガルー】とエンカウントしました 推奨レベル???』


「…………は?」


 予想だにしなかった文章に、思わずまのぬけた顔を晒した。


「アーサーちゃん……?」


 修羅場の只中でいきなりまぬけ面になった猗々冴々を見て、素に戻ったままの四月一日が心配そうに声をかける。

 その直後、部屋の片隅がぐにゃりと歪んだ。


「えっ?」


 四月一日が呆ける中、0と1が光の速度で寄り集まり、人の形を構築していく。

 瞬きの間に、誰もいなかった空間から一人の人物が現れた。


「あー、くそ。姉さんの奴、急に買い物行かせるんだもんなあ」


 メゾソプラノでそう愚痴るのは、白銀のセミロングをなびかせる少女。

 洒落っ気のないブレザーの制服を身に纏うその少女は、軽く頭を掻きながら何気なく周囲を見渡す。そして、すぐ間近で展開されていた修羅場を見て全身を凍りつかせた。


 凍りついたのは、猗々冴々と四月一日も同様である。

 何せその少女には、これ以上ないほど見覚えがあったからだ。


「リョウっ」


 ただ一人。猗々冴々の体を組み敷いていたヨシツネだけが、弾んだ声とともに体を起こし、少女の方へと歩み寄る。飼い主とその帰りを待っていた大型犬のような光景を前に二人が目を丸くしていると、少女は紅色の目を泳がせながら口を開いた。


「どうも、ヨシツネです。わけあって女の子のアバターになりました」

「……………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………」


 たっぷり一分沈黙した後、二人はヨシツネを名乗る少女のプレイヤーネームを見る。

 そこには確かに、「ヨシツネ」という四文字が表示されていた。


「……結末はあえて見るまでもない、かあ」

「こんなの予想できるのエスパーくらいでしょ!?」


 仰向けのまま乾いた笑みを浮かべる猗々冴々に、四月一日は素で反論をした。

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