第4話

 その日の昼下がり、主の岬の館の廊下では現在進行形で二人の女がいがみ合っていた。


「シノブ・トキワ!館内で煙草を吸わないでくださいと何度言ったら分かるのですか!」


「…」


 シスターチヒロの叱責にメイド服を着た女は我関せずとばかりに無言でそっぽを向いている。


 シノブ・トキワ。コトリ・オヤマとイサキ・パディランドの護衛のために最近になって配属された主の岬ケイプ・オヴ・ロードの傭兵だ。銀の短髪とどこか厭世的な気怠い眼差しが特徴的だった。


 普段は周囲への偽装もかねてシスター服ではなくメイドの正装をしているが、本人は使用人としての仕事に勤しむ気は微塵もないようで、しばしば執務時間中に喫煙しているのが目撃されている。


 なお、いがみ合うという表現には若干の語弊がある。シスターチヒロの叱責にシノブ・トキワは傲岸不遜にも知らぬ顔で通していた。


 シノブ・トキワの思いのほかの手ごわさにぬぐぐとシスターチヒロは臍を嚙んだ。


「せ、め、て…!館外の喫煙スペースで喫煙するなどしてください…!傭兵とは言え、お嬢様方の教育に差し障る振る舞いはお控えくださらないと困ります!」


「傭兵に餓鬼の教育なんざ求めるもんじゃあないよ」


 そういうとシノブ・トキワは煙草の煙を中空にフッと吐いた。その振る舞いがチヒロの逆鱗を更に刺激する。


「私が申し上げているのは教育ではなく一般的なモラルの話です!ちょっと!聞いているのですか!?」


「なあ、あんた…あの男は?」


 シノブ・トキワは顎で廊下の向こうを示した。


 シスター・チヒロは振り向くと作業用のエプロンを身に付けた中背の男性の後ろ姿が目に入った。シノブ・トキワに言われてようやく、今真後ろを通り過ぎる男の存在に気が付いた。


「…?ああ…あの方はスキャロプスさんという方でジュージさん御用達の革製品の職人の方ですわ。依頼した品を館までわざわざご納品してくださるそうです。…あの方がどうかなさいましたか?」


「ふうん…“ガワ”はそうなんだ」


「あなた、なにを言って…?」


 シノブ・トキワは吸っていた煙草を絨毯の上に捨てて足で火を消すとシスターチヒロはあああっ!?と悲痛な叫びをあげた。


「別に…あんたらも随分と呑気なもんだなって思うだけさ、それじゃ」


「なななんですって!?って、っていうか絨毯掃除していきんさいよあんたぁ!?ちょっと!?」


 本気で興味がないのか、聞こえていないのか、シノブ・トキワは気に留める素振りすらなく悠然と裏口を出て行った。


 はあああ…と一つ大きなため息をついたあと、仕方なくシスターチヒロが絨毯から灰をすすいでいると今度は玄関の扉が開く音がした。


「ただいま戻りましたー」


「…早かったわね、ウィステリオ。それとド外道ハーブ神父も」


「わざわざいらんルビつけんなや!丁寧か!ところでシスター、玄関脇の男トイレの洗面所の蛇口、水が止まらないねんけど」


「ふん、そのくらい自分でやってください、シスターは小間使いじゃあございませんので」


 シスターチヒロはつんとそっぽを向いた。


「なんやねん…機嫌悪う。せや、月モノか。女のそれは大変や言うッフウン!?」


「は、ハーブ神父ーーー!?」


 シスターの手刀をみぞおちに叩き込まれハーブ神父は蹲り動かなくなった。ウィステリオは咄嗟に駆け寄ったが、すでに動かなくなっていた。


「ふう…おっと、もうこんな時間ですわね。私はそろそろお嬢様方のお迎えに行ってまいりますわね」


「お、お気をつけて…シスター・チヒロ…」


 シスターチヒロは颯爽と館の玄関口から出て行った。さっきより大分いい笑顔なのは気の所為だろうか?

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