第4話

 隣の片桐璃里花には、「今日の美也子先輩、溜息つき過ぎー。自ら幸せを放棄してる〜」なんて言われてしまった。


 それでも頑張って泣きそうになるのを踏ん張って堪え、業務に当たる。いつもより少し時間は掛かったがミスなく仕事を終えた自分を褒めてあげたい。


 会社を出た所で後ろから「立花さん」と呼ばれ振り返ると、そこには若さ溢れる河西くんイケメンがいた。


「どしたー?」

「お疲れ様です。いや、あの、」

「どした、どした?」


 言い難そうに淀む河西くんの顔を覗き込む。


「立花さんが朝、落ち込んでるように見えて、今日一日元気がなさそうだったから……」


 朝のあの酷い顔を見てこの天使イケメンは心優しくも心配してくれたようだ。


「だから僕で良ければ愚痴でも聞きますよ」

「ありがとう」


 だけど若者に荒れたアラサー女の愚痴なんて聞かせられる訳ない。それでなくても金曜にみっともない姿を見せたばかりだと言うのに……。


「よし、じゃあ美味しいもの食べに行こう!」


 イケメンを肴に美味しいご飯を食べて、さっさとこの心の中に降り続ける雨をやませたいと思った。




 こっちのお店に行きましょうと、河西くんに連れて行かれたのは夜カフェだった。野菜を中心としたワンプレートに、カクテルを注文する。


「立花さん、今朝は何かあったんですか?」


 話すつもりはないのに、ド直球に訊ねられ困惑してしまったのだが、あまりに真剣にこちらを見てくるのでそれに負けてしまった私は、「今朝は、ね、……、」と前置きして部長とのやり取りをゆっくり話してみた。


「なんですかそれ!」


 怒った顔も可愛いイケメンだな、なんて思いながら、河西くんが腹を立ててくれた事で私にのしかかっていたものが少し軽くなる。


「考えが古いからね。仕方ないのかな」

「仕方なくないです。立花さん一人でこなす仕事量が新入社員二人必要なら採用しなくてもいいじゃないですか。立花さんがやる方が仕事も早くてミスもないし。なんで仕事を続けるという選択肢が消えてしまうんですか!」

「前例がないからでしょ。ウチで働く女性はみんな20代で結婚出来たのよ。私だけ例外」

「じゃあ立花さんで前例作ればいいじゃないですか!」

「ああなるほどねー……」


 そう言って私はグイっとジントニックを半分ほど飲み干すと、河西くんはスクリュードライバーをほとんど全部飲み干してしまった。


 なんだか私の代わりに怒ってくれているようで、くすっと笑ってしまう。


「今日は誘ってくれてありがとうね」


 土砂降りだったのに、河西くんのお蔭で小雨になったみたい。カフェの外もしとしとと静かに雫が落ちていた。




 送ります、と言われるが一度は断る。だけど、イケメンが言う「送ります」の威力のなんて素晴らしいこと。キュンとしてしまったじゃないか。

失恋の身にキュンは癒やしかもしれない。


「ダメです。送りますから」


 意思の強い瞳に、じゃあ途中までね、と譲歩した。


「河西くんてどこに住んでるの?」

「○○ですよ」

「え、うちと近いんだ」

「そうですよ、だから前も僕が送ったんです」

「え?」


 ――前も? 


「って金曜? あれ、阿部さんじゃなかったの!」

「覚えてないんですか?」

「ごめん」


 雨の音と、二人の靴音だけが響く道をゆっくり歩いたのだが、あっという間に家に着く。


「あー、河西くんありがとう」

「いえ」

「…………」


 帰ろうとしない河西くんに私はどうしてだか声を掛けてしまった。


「良かったらコーヒーでも飲む?」

「はい!!」


 返事の勢いの良さに私は笑ってしまう。なんだか力を入れていた肩がすっと脱力した。




 食器棚からカップを取り出して私は少しの間固まってしまった。手にしたのは彼がうちに来る度に使っていたカップ。捨てるに捨てれなかったのに、これは河西くんには出せないなと思ったら、さっさと捨ててしまおうと思えた。

 それはゴミに捨て、別のカップを奥から取り出す。


「はいどうぞ。ミルクと砂糖が要るなら自分で入れてね」

「ありがとうございます。いただきます」


 ミルクと砂糖は用意したけど、二人ともそれに手は付けていない。河西くんもブラックなんだ、と初めて知った。


「立花さん」

「なに?」


 河西くんは何か言い難そうに口をゆっくり開く。


「恋人は――」

「大丈夫だよ」


 気付けば私は河西くんの言葉を遮っていた。


「ほんと金曜は泣いちゃってごめんね。いきなりびっくりするよね〜。あー、ほんと大丈夫大丈夫! 今もさ彼のカップ捨てたとこよ」

「無理しないでいいですよ。また泣いてもいいですから……」


 あれだけ泣いた姿を見せてれば今更取り繕う必要なんてないのかもしれない。河西くんの優しさがズタボロの身体に染み込んで行くけど、そんな優しさに甘えてはいけないと抑制する。


「ありがとう、ほんと大丈夫だから」


 河西くんの見透かすような瞳を見ることなく、手元で揺れるコーヒーに視線を落とした。


「ご馳走さまです。そろそろ帰ります」

「うん」


 玄関を出る所まで見送ると、すぐに鍵閉めて下さいね、と言って河西くんは雨の降る夜道に姿を消した。


 河西くんが飲んだコーヒーカップの横には、何故か飴玉が一つ置いてある。それは会社のデスクに置かれていたものと同じ飴。


「犯人は河西くん?」


 いや、決して犯人ではないけど、と呟きながらその飴を手に取った。

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