第2話
天気予報では梅雨入りしたとお天気お姉さんが笑顔で報じていた。
そんな日の終業時刻の17時。窓の外では灰色の空からしとしとと雫が落ちている。
コンシーラーで泣きあとを隠して今日もいつも通りに仕事をこなす。私情を挟まず頑張った自分を褒めたいと思っていると、隣の席の後輩、
「今日は同期会があるのでNO残業で帰りま〜す! 美也子先輩の代は同期会しないんですか〜?」
明るい色に染まったゆるふわパーマを耳に掛ける片桐璃里花を、向かいの席の
「ちょっと璃里花、美也子先輩に向かってそれは酷いと思うよ! 美也子先輩の同期ってみんな寿退社してるんでしょ? 美也子先輩もう一人なんだからそんな風に言ったら可哀想だよ!」
因みに、みなみに悪気はないのだが、その言葉は私に大打撃を与えた。
「うぅ」
傷に塩を塗られたように痛む胸を押さえた私を見て、みなみは首を傾げ、璃里花がクスっと笑みをこぼす。
「美也子先輩可哀想〜。同期の皆さん社内恋愛だったんですよね! 美也子先輩だけ誰にも相手にされなかったんですか〜? ほんと可哀想〜」
璃里花の顔は全く可哀想だと言っていない。それどころか部署内に聞こえるような声音で、更に私を追い詰める。そんな璃里花の声を聞いた部長が、やれやれ、と言って立ち上がった。
いや部長、立ち上がらなくていいので、そっとしておいて下さい――と言う願いも虚しく部長は口を開く。
「立花さんもうすぐ30歳でしょ。女の子は早く結婚した方がいいんじゃない?」
「そうですよ〜! 早い方がいいですよ! 美也子先輩の賞味期限切れちゃいますよ〜!」
なんでここまで言われなきゃいけないの――と理不尽な言葉に私は唇を噛んで耐える。
30歳を目前に各方面から、結婚、結婚、と言われ私の心は疲弊し、ズタボロになり始めていた。
天気は雨。なかなか止みそうもない雨が降っていた。
同期会だと言って帰って行った24歳の璃里花とみなみ、他数名がいなくなると、私は席を立つ。向かう先、いや、逃げ込む先はトイレ。トイレに入り誰もいない事を確認すると、大きく息を吐き出した。
「分かってる。自分が一番分かってる。女子社員の中で私が一番年上。後輩が『美也子先輩より先にお嫁に行き辛い』って言ってるのも知ってるけど、……知ってても、分かってても、彼には振られるし、もうどうしようもないじゃん……」
困り顔のその顔を鏡で確認し、皺の寄った眉間を指で伸ばす。けれど中々皺は消えず、若くないと実感してしまった。
私はもう一度、幸せが一瞬で逃げるような溜め息を吐いて、残りの仕事を片付けるために席に戻る。だが、席に戻ると机の端に飴玉が一つ置かれている事に気付いた。
誰が置いたの?――という思いで周りを見渡すが、「私が犯人です」とは誰も名乗り出てはくれない。
いや、犯人扱いしたい訳じゃない――と頭を振って椅子に座る。
帰るまでに誰かが名乗り出てくれるものと期待して、取り敢えず机の上に出したままにしておいたのだが、結局犯人が分からないまま私は会社を出た。
机の端にあった飴玉はデスクの
そのまま家に帰りたくないなと思った私は一杯呑んで帰ろうと居酒屋に向かった。
ここでオシャレなバーではなく居酒屋を選ぶ辺りが行き遅れる原因だと分かってはいても、どうもオシャレな所へ一人で入り難いと思ってしまう。
「ビールと揚げ豆腐、あ、あとタコワサ」
注文を終えおしぼりで手を拭いていると、突然横から声を掛けられた。
「おい、立花。おつかれ! 一人か?」
「阿部さん、お疲れ様です。見ての通り一人ですよ」
「こんな所で一人寂しく晩酌なんてしてるから後輩にお局様って嫌味言われるんじゃないか?」
「えっ、聞いてたんですか!?」
「いや河西に聞いた」
「すみません、聞いてました。でもあれは片桐さんが悪いと思います」
「でもさ、事実だしねぇ〜。そろそろ部長に肩トントン叩かれそうだし……」
そう言って明るく笑ってみるが、苦笑いの二人を見て、阿部さんはイタイと思ってそうだなと思った。
「あ、ビールおかわりで」
「飲み過ぎじゃないか?」
「ダイジョーブデース」
一杯だけのつもりだったのに、あっという間に4杯目だった。こんなに呑んでもまだ私の中には彼がいる。呑んでも呑んでも消えてくれない彼の残像を消すように顔の前で手を振った。
「何してんだ?」
「消してるんです」
「何を? 部長か?」
「片桐さん?」
阿部さんと河西くんが私が消したいだろう存在を言う。
「違いますよ。教えませーん」
言う気も教える気もなかったのに、河西くんがズバリと言う。
「彼氏とか?」
痛い、痛い!
「マジで?」
それ以上言うなー、と言う思いは涙に変わる。
「ちょ、待て、立花!」
「立花さん、すみません」
河西くんから渡されたおしぼりを目元に当てるとまた雫が落ちてきた。昨日全て出したと思ったのに、まだまだ出て来るもんだな、とどこか冷静な自分もいる。
だけど冷静じゃない自分の方が大きくて、「だって」「なんで」と言葉にならない言葉をずっと繰り返していた。
やっぱりどんなに呑んでも雨は止みそうになかった。
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