08 - 東方世界に別れを告げ

 東方世界に別れを告げ、緑帯域を抜けて西方世界へ戻ってきたファルシードは、皇都の現状を把握する間もなく衝撃的な光景をまのあたりにした。

 最初に立ちよった街に、人間にまじって異種族がいたのである。

 森人シャラーと呼ばれる彼らは人間より小柄で、褐色の肌と緑の眼をもつ、まさに樹木のような姿をしている。

 東方世界の緑豊かな地に住むはずの者たちがこんな場所にいる事実に、ファルシードは驚きを隠せなかった。

 かつて見たことも聞いたこともない状況である。

 道行く住民をつかまえて尋ねると、異種族が西方世界へ流入して何十年もたつという答えがかえってきた。

 「人間に混じって暮らしているのは、森人だけなのか」

 「あんた、いったいどんな辺境から来たんだい。三十年も前に土族アダドの国ができたっていうのに」

 いっそう信じがたい話がとびだし、とうとうファルシードは絶句した。

 土族はずんぐりとした体格で人間の大人の腰に届くかどうかという身の丈の、小人に属する種族である。

 どちらかといえば排他的でなわばり意識が強く、東方世界でも他族との交流は活発ではない。

 それが、いつの間に西方で建国までしたというのか。

 ファルシードは混乱したままその場をあとにした。

 なにかがおかしかった。

 あてどなく街の公共広場に来てみると、四角柱に建てられたレリーフが目をひく。

 多くの人々の彫刻のなかでひときわ大きく彫られた人物はこの街の功労者か英雄だろうか、しかしそれよりも注目すべきは上部に刻まれた詩文だった。


 邪悪な大鷲は西の果てへ去り 旧い暦は一六一の年に没す

 代わり勇猛な狩人ルーズベフがペールサを興し 繁栄をもたらす

  同盟共和暦五年 彫


 アルバディアの国と皇家は、神々を象徴する多重の天輪と大きな鷲の図で表される。

 つまり、一六一年にアルバディアは西部へ追いやられ、ルーズベフという人物がこの街ペールサをつくったと公に知らしめられているのである。

 「一六一年だって……?」

 ファルシードが内乱にまきこまれたのは、五年以上も前の秋だったはずだ。

 そこで、彼女は自分が思いちがいをしている可能性に気づいた。

 精霊王がしばらく・・・・のあいだ生死をさまよっていたと告げた言葉を、文字どおりにうけとってしまったことに対してだ。

 竜や精霊王は途方もなく永い年月を生きている。

 彼らの時間の感覚が人間とまったく異なることをファルシードは失念していた。

 だとすると、あの騒動からいったい何年が過ぎたというのだろうか。

 一度に得た情報の多さと複雑さは彼女を思考の海に沈めてしまい、気づいたころにはすっかり日も暮れ街の端まで来ていた。

 さしあたって夜を過ごす手だてを考える必要にせまられひきかえそうとしたとき、悲鳴が聞こえた。

 目をこらすと、丘の陰で二人の男が森人の子供をひきずってどこかへ連れていこうとしている。

 ファルシードは弓をつがえ、ひと呼吸のあいだに矢を放った。

 子供をつかむ毛深い腕を貫くと、男は叫び声をあげてしりもちをつき、もうひとりは周りを見まわしたあと、ようやくファルシードの姿をとらえた。

 「ちくしょう、よくも」

 男は剣を抜きながら向かってきたが、ファルシードが放った第二矢に太腿を射抜かれると、痛みと恐怖に顔をゆがませる。

 「身体じゅうに穴をあけられたくなければ立ち去れ」

 彼女の警告は静かだった。

 しかし射的の正確さと矢の半分以上が貫通するほどの弓勢を見た男たちは完全に戦意を喪失し、足をひきずりながら走り去った。

 ファルシードは遠ざかる姿が見えなくなってから弓をおろし、子供を見て、思ったほどの幼子ではないのに気づく。

 十歳はいくらか過ぎているだろう。

 森人族は小柄で、慣れていないと皆年若く見られがちだった。

 「けがはないか」

 緑の目の少女はファルシードの姿に驚きながらも首をふった。

 「ありがとう、助かったよ」

 「野盗のたぐいか。なにも盗られていなければいいが」

 「いいや、奴らはもっとたちの悪い連中だ。仲間を連れて戻ってくるかもしれないから、ここを離れよう。お礼もしたいし、うちへ案内するよ」

 街のなかにはうっそうと草木がしげっている区画があり、まばらに建つ家のうちの一軒が少女の家だった。

 さすが森とともにあるといわれる森人の住まいだが、扉の大きさから卓の高さまで、ファルシードにとってはいささか窮屈といわざるをえない。

 「父さんも母さんも、まだ仕事なんだ」

 少女は手際よく茶を用意すると客人へすすめ、自分も腰をおろした。

 「あたしはダーニヤっていうんだ。お姉さんは旅の人なの。えらく腕がたつけど、兵士にはみえないね」

 「私はファルシードだ。旅人でも軍人でもないが……少し聞きたいことがある」

 現状を把握するのにちょうどいい相手だと、ファルシードは自分がいないあいだの西方世界の変遷を尋ねた。

 ダーニヤは奇妙な問いにいぶかりながらも、恩人の求めに応じて答えてくれた。

 年若い異種族の少女が知っていることは多くなかったが、その断片的な知識ですらファルシードの想像をはるかにこえていた。

 まず現在が、彼女が眠りについたときからすでに五十年もの歳月を経ていると気づいたのである。

 いまや西方世界は東部と西部に分断され、ペールサを含む東部では異種族との交流が盛んだが、西部は長きにわたって人間同士の戦が続き小国が乱立しているらしい。

 アルバディア帝国の名をダーニヤは生まれてから聞いたこともなく、ただアルバディアという小国が西部にあることだけは知っていると話した。

 皇都マハシェへ戻り軍を指揮する意志をかためていたファルシードには、もはや故国が存在しないという事実をのみこむのは容易ではなかった。

 親しい友人や仲間たちもすでにいないかもしれない。

 一族の者たちははたして残っているだろうか。

 あの皇帝暗殺のあとイラジーが玉座についたのだとしたら、百五十年の皇統を途絶えさせたとしてもなんら不思議はなかったが、失策をおかして臣下や民から恨みを買い、家門を断絶させるところまでやりかねない。

 事ここに至っても、兄のふるまいに気を揉まなければならないのが滑稽だった。

 「どれだけ人里離れた僻地で暮らしていたらそんなに世のなかに疎くなれるのか、不思議でしかたがないよ」

 少女が呆れと感心のいりまじった顔で言った。

 「しばらく東方世界にいたからな」

 「ああ! ファルシードは巨人族イラブラトなんだね」

 「私のこの姿は先祖返りというやつさ。血統だけでいえば両親も祖父母も、その親もただの人間だ」

 客人の説明に、ダーニヤは納得いかないといった相槌をうつ。

 「じゃあ、そのただの・・・人間が東方世界で暮らしていたっていうの。そんな話は聞いたこともないよ」

 「ほんの数十年前までは、東方世界の住人が人間と共存することだって考えられなかったさ」

 「まあたしかに、おじいちゃんは緑帯域を越えるなんてとんでもないって、一度も東方世界から出てこないね。だったら、ファルシードもこれから東方へ帰るの」

 ダーニヤの疑問は、まさにファルシードがこの先どうすべきかという命題に関わっていた。

 もとよりハカーヴァニシュたちのところへ戻るという選択肢はなかったが、突然身分や責任を剥ぎとられ、まったくただのとして見知らぬ世界へ放りだされたのである。

 自由というには気がかりが多すぎる。

 現状がどうなっていようと、かろうじて名を残す祖国の姿を自分の目で確かめる責務は感じていた。

 民がそこに暮らして作物をつくり、したたかに生きているのを見届ければ、彼女もまた数奇な人生の続きを始められるだろう。

 森人の少女の言によれば、西部は常にどこかで戦が行われているような乱れぶりだという。

 急ぐ必要があるわけではないが、争乱が沈静化する見込みがないのなら、いつ行ったところで危険があるのは変わらない。

 「しばらく西部の様子をみにいこうと思う」

 ファルシードの言葉に、少女はぎょっとして声をあげた。

 「人と人が殺しあっているんだよ。まともな者の行くところじゃないよ。そりゃあ、ファルシードの腕がたつのは知っているけど」

 「大事な用があるのでな。それよりも、路銀がないのでこれを金に換えたいが、良い両替商を知らないか」

 腰の剣を鞘ごと抜くと、ファルシードは過剰な装飾を埋めるように嵌めこまれた貴石を示した。

 自らの胸を貫いたイラジーの剣である。

 もとは名工の献上品で武器としての質は申し分なかったものの、イラジーの好みなのかとにかく華美で金銀玉石が隙間なく盛りこまれていた。

 兄の悪趣味に閉口しつつ武具と割りきり携帯していたが、意外なところで役だつ機会を得た。

 目のくらむような宝剣を見てダーニヤは仰天した。

 「どんな金持ちの家でだって、こんな豪華な細工は見たことがないよ。街の両替商で扱える代物じゃない」

 「それは困ったな。金目のものといえばこれだけだ。いっそ貴族のところへ売りこみにでもいこうか」

 冗談を言ったつもりのファルシードに、少女は手を打って「それはいい」と賛同する。

 「あたしの両親はお城で文官をしているんだ。貴族に口利きをしてもらえるかもしれない」

 思いがけない提案で、ファルシードは登城することになった。

 その後帰宅したダーニヤの父母に事情を話すと、彼らもあっさり承諾したのである。

 さらには家に宿泊していくようすすめられ、いくら娘の恩人とはいえあまりにも人の好い森人たちに、ファルシードはなぜか、生き馬の目を抜くような暮らしをしていた帝国の皇宮を懐かしく思いだした。

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