07 - ホルモズはアリュメシアで
ホルモズはアリュメシアでもっとも成功した商人のひとりといわれている。
彼の大きな功績のひとつは、港から河までの運搬路を整備し、盗賊が出没しないようにしたことだ。
各地の拠点の使用料と通行料の収入だけでも利益は莫大なものだった。
アリュメシア独立建国当時の動乱を生きぬき立身出世しただけに苛烈な人物と思われがちだが、本人は陽気な性格で、身寄りのない子供たちの養護院を世話するなど篤志家でもある。
周囲から多くの敬意を得る立場は、しかし彼の一面に過ぎなかった。
港街の通りは雑多で、富める者と貧しい者、あるいは肌や眼の色に関係なく入り混じり、どんな素性の人間が歩いていようと誰も気にしない。
大通りから一本奥の道沿いに、住居ではないが店の看板もかけられていない建物があった。
すっかり日の暮れた時分、地味ながら整った身なりの男がそこをおとずれた。
紹介者の名を告げるとホルモズ本人が対応に現れ、茶の接待もなくこまごまと話しこみ足早に立ち去っていった。
様子をうかがっていたように、奥から若い女が顔をだす。
「ホルモズ、このところ相談が多いね」
「アルバディアの国境で紛争が続いているんだ。どこもかしこも稼ぎどきというわけさ」
ホルモズが首をふると、女は憤慨して腕を組んだ。
「戦の犠牲はいつだって子供に老人、力ない人たちばかりだよ。こんなときしか役にたたないってのに、神殿ときたらあくどいにもほどがある」
「ティーナー」
男はひとさし指を口にあてる。
「安全な巣のなかだろうと、どこに耳目があるかわからないからな」
大商人ホルモズのもうひとつの重要な仕事、それは神殿に関する暗殺請け負いなどの地下活動だった。
人々の寄る辺となるべき神殿がときに、いやたびたび人心と神意にそむくおこないに手を染めるのは、権威や財の集中する場では当然の帰結かもしれない。
しかしそれが、親兄弟を奴隷として売られたり財産を没収されたりしてよい理由にはならなかった。
ホルモズも神殿には個人的な怨みがある。
その復讐はすでに果たされたが、いつの間にか神殿の被害者や内部告発の相談窓口となり、知る人ぞ知る裏家業の頭領になっていたのだった。
「ところで、アーシュザーンから連絡はあったの」
ティーナーはこちらが本題だったとばかりに、口調をあらためて言った。
「いいや。もう十日ばかり姿を見ていないから、そろそろ戻ってきてもいいころだが」
「あたしも連れていってくれたらいいのに」
「あいつについていくのは誰にもできないさ。そろそろ親離れするんだな」
「あたしはもう二十歳だよ!」
ふくれっ面になるティーナーを幼いころから知っているホルモズは、笑って彼女の肩をたたいた。
翌日、ホルモズは思いたって馬を駆り東へ向かった。
アリュメシアとアルバディアは広く国境を接しており、北端は戦乱で治安が荒れているが、東部は昔の戦場でいまはうち捨てられている。
ここいらも安全というわけではないものの、出るのはせいぜい物取りていどで、北部のように常に背後から弓剣で狙われる危険はない。
あたりには折れた柱や崩れて煉瓦がむきだしになった壁の一部が、風雨にさらされ朽ちていくままになっていた。
壁や柱に残る美しかっただろう色絵が剥げて色あせた様子が、いっそう寂れた印象を与える。
ここには昔、神殿が建っていた。
華美でも大きくもなかったが、アルバディア皇女個人の寄進により建てられた格式ある神殿だったらしい。
貧しい人々のための治療院と養護院を併設し、たびたび食料の配給をおこなっていたのをホルモズは記憶しており、神殿というより福祉施設に近かった。
人々は少ない財を出しあって皇女の像をつくり安置した。
太陽の神の神殿だったにも関わらず、太陽神メシュラーと並んで皇女を拝したのである。
のちに襲撃され神殿は破壊されつくしたが、幸か不幸か皇女の像は神像のように出来のいいものではなく、難をのがれ捨ておかれた。
皮肉にも、この神殿跡のなかで唯一まともな姿をとどめているのは皇女像だけだった。
現在もまれに参拝者が来るのか像の足もとには花輪が捧げられていたが、すっかり枯れてなかば砂に埋もれている。
ホルモズが花輪を拾いあげたとき、背後で石畳を踏む音が聞こえた。
「こんなところまで出迎えか、ホルモズ」
ふりかえると、頭から外套をかぶった男が近づいてくる。
「ティーナーが、おまえがいつ戻るのかと気をもんでいたから足をのばしてみたのさ」
「それは心配ではなく拗ねているんだろう」
男はホルモズの手の花輪を見、それから像を見あげた。
彼がときどき神殿跡をおとずれているのをホルモズは知っていた。
東へ行くと聞いていたので、帰りがけにここへ寄るだろうと思ったのは当たりだったようだ。
実のところ、男がなんのためにくりかえしここをおとずれるのかはわからない。
尋ねてみたことはあるが、明確な答えはかえってこなかった。
ただこうして、しばらくのあいだ風化しつつある像を見つめている。
「アーシュザーンは
ホルモズも像へ目をやり、ふと思いつきを尋ねた。
「おまえはどうなんだ、ホルモズ」
「ずいぶん子供のころだから、もし見たことがあったとしても忘れているだろうな」
自分の年齢を思いだしたように白毛混じりの顎ひげを撫でたホルモズをよそに、アーシュザーンはわずかに口の端をあげて言った。
「ひと目でもその姿を見れば、記憶から消し去ることなどできないさ」
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