第2話

 


 片町まで出ると、時間潰しにウインドーショッピングをした。恋をすると、女はどうしてファッションに興味を持つのだろう……。欲しいものがあるとワクワクする。柊子は恋する乙女の気分だった。



 少し遅れて行くと、柊子に気付いた窓際の卓也が慌てて煙草を消していた。


「お呼び立てして申し訳ありません」


 卓也が立って会釈をした。


「私のほうこそ、遅れて申し訳ありません」


 頭を下げた。


「あ、いいえ。今日も素敵なお召し物で」


 腰を下ろしながら卓也が見とれた。


「ありがとうございます。あ、コーヒーを」


 コップを置いたウエイトレスに注文した。


「――それはいわゆる絞りというものですか」


 卓也が素朴な質問をした。


「ええ。絞りの一種で、“総鹿の子そうかのこ”と言います」


「いやぁ、素敵だ。お似合いです」


「ありがとうございます」


 柊子は恥ずかしそうに俯いた。


「おまちどおさまです」


 ウエイトレスが置いたコーヒーカップに目をやりながら、卓也の熱い視線を感じていた。


「お食事でもいかがですか」


 それは予期せぬ誘いだった。


「……よろしいんですか」


「ぜひ、お願いします。ご足労いただいたほんのお礼です」


「では、お言葉に甘えて」


「よろしいですか」


 煙草を持った卓也が喫煙の許可を求めた。


「ええ、どうぞ」


「話は変わりますが、ゴルフはしますか」


「……ええ。以前、少し」


 東京にいた頃、付き合っていた男に連れられて、何度かプレーしたことがあった。


「じゃ、ぜひ今度行きませんか」


「ええ。教えてください」


 カップに口を当てた。


「どのぐらいで回られるんですか」


「恥ずかしいわ。60ぐらいです」


「えっ! ラウンドで?」


 わざとらしく驚いた顔をした。


「もう、意地悪ね。ハーフですわ」


 ねてみせた。


「でも、女性はそのぐらいでいいですよ。あまりうまいとやりづらい」


「小山内さんは?」


「僕も偉そうなことは言えなくて、44~5ぐらい。まぁ、アベレージゴルファーかな」


「わぁ、スゴい」


「いやいや。どうせならシングルを狙わなきゃ」


「期待してますわ」


「はい、頑張ります」


 二人は目を合わせて笑った。


「あ、じゃ、そろそろ行きましょうか」


 思い出したように言うと、煙草を消した。



 店を出て路地に入ると、運転手が乗った濃紺のベンツがまっていた。運転手を待たせていたなんて考えもしなかった柊子は、運転手に申し訳ないと思った。


 初老の運転手は急いで車から降りると、後部座席のドアを開けた。卓也は柊子を奥に乗せると、自動車電話のボタンを押した。


「あ、小山内ですけど、女将いる? ――はいはい。――あ、小山内です。――ハハハ……。すいませんね、息子のほうで。二名で今から行きますので、――はい、よろしく」


 電話を切ると、


「〈若槻わかつき〉に行ってくれ」


 と、運転手に指示した。


「はい、かしこまりました」


「和食ですが、いいですか」


 車窓を見ていた柊子に訊いた。


「ええ。お任せします」


 卓也に顔を戻した。


「あなたをがっかりさせることはしませんから」


 柊子に向けた卓也の目は自信に溢れていた。



 五分ぐらいで、老舗料亭の〈若槻〉に着いた。格子戸を抜けると小さな庭があって、そこから入り口まで敷石が続いていた。廊下の隅には九谷焼くたにやきの花器が置いてあり、紫色の牡丹ぼたんが活けてあった。


 仲居に案内されたのは、中庭が見える離れの座敷だった。座布団に挟まれた座卓には、所狭しとたべものが並んでいた。仲居が運んできた銚子で二人が差しつ差されつ呑んでいると、女将が挨拶にやって来た。


「失礼する。こりゃまぁ、お坊っちゃま。ようおいでくださった」


 深々と三つ指をついた。五十半ばだろうか、鴬色の付け下げに金色の帯をした身形みなりには、いかにも女将の貫禄かんろくうかがえた。


「その、お坊っちゃまは、いい加減やめてくれないかな。三十過ぎた男にお坊っちゃまはないだろ?」


「ぷっ」


 柊子が失笑した。


「ほら、笑われたじゃないか」


「あらま、こちらのお美しい方は?」


「あ、紹介するよ。んと……」


 卓也は、肝心な名前を訊くのを忘れていた。


加藤柊子かとうしゅうこと申します」


 お辞儀をした。


「これはこれは。ようまぁ、おいでくださった。まぁ、素敵なお召し物で」


「ありがとうございます」


「お坊っちゃまには、ご贔屓ひいきにしていただいとりまして。お父様の代からですさかい、もう、かれこれ――」


「女将、二人きりにしてくれないか」


 針魚さよりの昆布酒漬けを口に運びながら、女将を邪魔者扱いした。


「まぁ、これはこれは気が利きませんで。失礼いたしました。どうぞ、ごゆっくりと」


 そう言って頭を下げると、雪見障子を閉めた。


「すいませんね、煩くて」


「ううん、そんなこと……」


「どうですか、味のほうは」


「ええ、とても美味しいです。このたけのこの煮物も、とても美味しいです」


「良かった」


「あっ、そうそう。お着物、渡すの忘れてました」


「後でいいですよ」


「でも、忘れちゃうといけないので」


 膝を立てると、紙袋を卓也の傍に置いた。


「あ、どうも、ありがとう。おふくろ喜ぶな」


「親孝行なんですね」


「いや、プレゼントなんて滅多にしませんよ。還暦かんれきも兼ねてるから、いい機会だと思って」


 手酌をした。


「そんな大切なお品を、うちのような小さな店で選んでいただいて、ありがとうございます」


「……どうして、あなたの店にしたと思いますか」


「……さあ」


 首を傾げた。

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