第3話
「……いつも、あなたを見ていた」
「えっ?」
予想だにしなかった答えだった。
「あなたの店は通勤途中にある。丁度、店の前の信号が赤になる。信号が青になるまでの間、店内のあなたや、店先の掃除をしているあなたを見ていた」
卓也が酔った目を向けていた。
「……」
柊子は目を逸らして俯いた。
「……つまり、着物を買うことで、あなたを誘うきっかけにしたって訳です。……迷惑ですか」
「……いいえ」
「あー、良かった。迷惑ですなんて言われたらどうしようかと、ハラハラしていた」
卓也の大袈裟なその物言いに、柊子は柔らかな笑みを向けた。
「俺と付き合ってくれませんか」
真顔だった。
「……」
「酔って言ってる訳じゃないですよ。真剣に告白してます。俺」
卓也の、その
「……少し、お時間を下さい」
「ええ。……待ってます」
そう言って
――マンションの近くで降ろしてもらうと、
「ごちそうさまでした」
と、窓を開けた卓也に礼を言った。
「いいえ。今度、電話します」
卓也はそう言い残すと、
「行ってくれ」
と、運転手に指示した。
帰宅した柊子は、卓也との甘い余韻に浸りながら、花瓶に挿したピンクのガーベラを見詰めた。
卓也から電話があったのは、三日後だった。
「――先日はごちそうになった上に送っていただきましてありがとうございました」
「こちらこそ、ご足労いただいた上に食事を付き合っていただき、ありがとうございました」
「あ、いいえ」
「今日も付き合っていただけませんか」
「……」
「……〈ドリーム〉で待ってていいですか」
「……ええ」
「それじゃ、六時半に」
「……ええ」
「何、だらしない顔してるの? ……ははぁ、また例の彼ね」
反物を抱えて通り掛かった秀子がお節介を焼いた。
「もう。いいムードの時に限って現れるんだから」
口を尖らせた。
「あら、悪かったわね。フンだ」
秀子がそっぽを向いた。
「少し早いけど、帰っていいでしょ?」
ショールとバッグを手にした。
「いいけど、何、デート?」
「ヒ・ミ・ツ」
草履を履いた。
「慎重にしなさいよ。分かった?」
「じゃあね」
いそいそと出ていった。
「ったく、人の言うことを聞かないんだから」
卓也はその日、運転手のいない車に柊子を乗せた。
「少しドライブに付き合ってください」
そう言って、
「わぁ、綺麗」
「……時々ここに来るんだ。俺の秘密の場所」
卓也は夜景を堪能していた。
……ロマンチックな人なんだ。そんなふうに思いながら柊子が夜景を眺めていると、不意に唇を奪われた。
「う……」
卓也のソフトな
「……あなたが好きです」
耳元で囁く卓也の甘い声は、柊子の脳を麻痺させるだけの、男の色気があった。――
卓也と交際を始めてからは、部屋に招いて手料理をご
「できれば着物を着てほしいな」
「えっ! ドライブするのに着物着るの?」
TPOにそぐわない注文に、柊子は難色を示した。
「ちょっと寄るとこあるから、頼む」
手を
「はいはい。どれにしようかな……」
「……あの絞りがいい」
「ラベンダーの?」
「ああ」
「分かった。じゃ、それにするわ」
……よほど気に入っているようだ。柊子はそんなふうに思いながら、秀子から借りっぱなしの鹿の子絞りを出した。
閑静な住宅街を暫く走ると、武家屋敷の
「お帰りなさいませ」
と、二人がお辞儀をした。
……お帰りなさい? 卓也の家なの? 表札を確認すると、確かに〈小山内〉とあった。そして、ドアを開けた初老の男の顔を視て、アッと思った。〈若槻〉に行く時に卓也の車の運転をした男だった。卓也を見ると、
「ああ、ただいま」
運転手が開けたドアから降りた。助手席のドアは女が開けた。
「いらっしゃいませ」
降りた柊子に、女が一礼した。
「あ、どうも。こんにちは」
対応に迷っていると、傍に来た卓也が背中に手を添えた。
「ご自宅に行くならそう言ってくださらないと。ご挨拶の菓子折りも用意してないのよ」
「そんな気遣いは要らないさ。おふくろにも、突然連れてくるからと言ってある」
「もう。……だから、着物でって言ったのね」
「ああ」
板張りの廊下を連れて行かれたのは、庭の桃色の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます