散る花の如く

紫 李鳥

第1話

 


 日本橋のデパートでマネキンをしていた柊子しゅうこは、二年間交際していた妻子ある男を踏ん切るために退職して東京を離れると、姉の秀子ひでこが嫁いだ金沢に移り住んだ。


 秀子の嫁ぎ先は呉服店で、加賀友禅かがゆうぜん牛首紬うしくびつむぎなどを取り扱っていた。片町かたまちから少し離れた通りに面した店は、〈きもの すゞ華すずか〉と看板を掲げ、藍色の暖簾のれんを出していた。柊子は呉服に関しての知識は大してなかったが、秀子からの要望もあり、販売経験を活かして店を手伝っていた。




 それは、沈丁花じんちょうげが芳香を放つ頃だった。戸の開く音に顔を上げると、スーツ姿の男が目を合わせた。


「……いらっしゃいませ」


 柊子が珍しいものでも見るかのような顔をしていると、


「あ、すいません。おふくろに誕生日のプレゼントをしたいのだが……」


 男は、場違いの理由を簡潔に伝えると、困ったような顔を向けた。


「あ、はい。どうぞ、お掛けください」


 小上がり畳に手を示した。


あわせでよろしいですか?」


 正座すると、男を見た。


「その、あわせというのがどんなものか……」


「お母様、お誕生日は何月ですか?」


「来月です」


「それでしたら、まだ袷ですね」


 男の年格好から母親の年齢を推測した柊子は腰を上げると、訪問着や小紋など五反ほどを手にした。


「加賀友禅や牛首紬などがございます」


 それらを少し広げながら、男をた。


「うむ……、どれもいいですけど、着物のことはよく分からなくて。すいませんが、あなたが選んでくれませんか」


 柊子に助け舟を求めた。


「えっ? 私が選んでいいんですか」


 予期せぬ事態に困惑した。


「ぜひ、お願いします」


 少年のように照れる目を向けた。


「では……。お母様は普段からお着物は召されますか」


「ええ。ほとんど着物です」


「それじゃ、お目が肥えていらっしゃると思うので、これなんかいかがですか」


 薄紫地に草花文様の反物を広げた。


「うむ……、いいなぁ」


 男はその色柄に見とれていた。


「お仕立てはいかがいたしましょう」


「あ、お願いします」


「お誕生日は何日ですか」


「来月の十日とおかです」


「十分に間に合います。おサイズですが、お母様の体型を教えていただけますか」


 メモ用紙とボールペンを手にした。


「あなたより少しふっくらしてるかな」


 男は柊子の帯辺りに目をやった。


「身長は?」


「このくらいかな」


 男は自分の肩ほどに手を上げた。


「ぷっ」


 その仕草が可笑おかしくて、柊子が噴いた。男の身長も分からないのに、腰を下ろした状態でこのぐらいと言われても見当が付くはずもない。


「あ、ちょっと降りてきてくれますか」


 そう言って、男は腰を上げた。柊子は、奥でお得意様の社長夫人の接客をしている秀子と目を合わせると、小さく笑った。


 三和土たたきの隅に置いたサンダルを履いて男と並ぶと、壁にある姿見に映した。柊子は男の肩辺りだった。


「あ、同じぐらいですね、おふくろと」


 男は、わざわざご足労を願うこともなかった、そんなニュアンスの言い回しだった。仕立て上がったら電話をくれるようにと、名刺を置いていった。


〈株式会社 小山内不動産

 代表取締役

 小山内卓也

 Takuya Osanai

 〒920-0981

 石川県金沢市―

 TEL

 076―〉


 柊子は、先刻の接客の時に無意識に卓也をチェックしていた。整髪料を付けていない手櫛の髪に、少し深爪気味の指先。そして、ネイビーの背広に、薄紅色のストライプのネクタイ……。柊子の好みのタイプだった。



 ――仕立て上がると、早速、卓也に電話をした。事務員らしき若い女に用件を伝えると、卓也に代わった。


「はい、小山内です」


 卓也の低い声が耳に心地好かった。


「お忙しいところ、申し訳ございません」


「あ、いいえ」


「〈すゞ華〉呉服店です」


「あ、どうも」


「お着物、仕立て上がりました」


「そうですか。それじゃ、どうしようかな……。直接受け取りたいので、申し訳ありませんが、今日、会っていただけませんか」


「はい。どちらで」


「仕事は何時までですか」


「六時ですが」


「それじゃ、六時半に犀川大橋さいがわおおはしの近くにある〈ドリーム〉って喫茶店ご存じですか」


「はい」


「そこで待ってますので」


「はい、承知しました。それでは失礼します」


 柊子の顔は知らず知らずにほころんでいた。


「……何、にやけてんの?」


 奥から出てきた秀子が、受話器を置いた柊子を茶化した。


「別に……」


 柊子の頬は緩んでいた。


「……気持ち悪い子ね」


「じゃ、行ってきまーす」


 秀子から借りているラベンダー色の絞りを着ていた柊子は、薄紅色のショールを片手に掛けると、店の紙袋を提げた。


「行くって、どこへ」


「お客様にお届け物」


「……ははーん。この間のお客様ね」


「じゃあね。少し早いけど、このまま帰っていいでしょ?」


「いいけど、ちゃんと相手を見極めなさいよ。あんたは猪突猛進ちょとつもうしん型なんだから」


「大きなお世話よ、子供じゃあるまいし。じゃあね」


 口をとがらせると草履ぞうりを履いた。


「あんたのことを思って――」


 柊子は聞く耳持たずで出ていった。


「ったく、もう。人の言うことを聞かないんだから……」


 秀子は反物を巻き取りながら呆れ顔あきれがおをした。

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