ヒトツ叶ヒ ヒトツ失フ

@k-tama

ヒトツ叶ヒ ヒトツ失フ

 いつも、こころの底でぶくぶく小さく泡立つそれが、なくなったらいいのに。

 そう、願っただけだった。



「ほんとのこと言うと、クラスのリーダーとか選ばれてもかったるいなとしか思わなかったりするんだけど」

「じゃあ、こんどは、かったるいからいやでーす、って言っちゃえば? って、ソウタがアキラしか考えられないって推してきそうだけどね」

「そうなんだよなあ。あ、じゃあまたあした」

「またあした」

 十字路で、手を振ってクラスメートと別れる。彼に背を向けるのと同時に、へらっとはりつけていた笑みを捨てた。

 小さないらだち。いつも。

 アキラは先生の『お気に入り』で、でもガチガチの優等生っぽくはなくて、気さくで、生徒からも人気者でもある。彼の『取り巻き』であれば、それなりに羨望の視線ってやつで見られるというわけだ。

 けどさ。実際のところ、何が『いい』のは、ぼくにはわからない。一緒にいてそんなに楽しいと思ったこともない。どうして彼はちやほやされるんだろう。なにかあったら、アキラ、アキラ。みんな彼のどこが好きなわけ? 一番知りたいのは、さ。なんでそれが『ぼく』じゃないんだろう? ってこと。ぼくは彼に比べて、特に見た目も、頭の良さも、運動能力も劣っていないと思うんだけど。なにがどう違うの? 

 いちばんはいつも『ぼく』じゃない。

 ああそういえば、アキラの『取り巻き』のなかで、アキラがいちばん仲良くしてるのも、ぼくじゃなくて、ソウタだよね。いつもアキラがぼくといっしょに帰るのは、単に家が同じ方角にあるから、ってだけ。

 小さないらだち。いつも。


 家の近くのカミシロと呼ばれる小さな森を通り過ぎるときのこと。積まれた石塀の横に、紙が落ちているのを見つけた。紙は細くたたんで結んである。なんだかおみくじみたいだなと思いながら、ふと何の気なしに取り上げて開いてみた。紙には文字が書きつけてあった。

  願ヘハ 叶フ

  ヒトツ叶ヒ

  ヒトツ失フ

 古いざらりとした紙に墨書きがもうくすんでいる文字で、たったそれだけ。

 『願えば叶う ひとつ叶い ひとつ失う』だよね。って、なにこれ。願えば叶うけれど、ひとつ叶えばひとつ失うって、なんか、ゴリヤクだっけ? そういうの薄くない? まあ、いいものが叶って、いらないものを失うのなら別にいいけどね。

 そうだな、たとえば、ぼくがアキラの立場になれるように願ったら――まあ、なにか言うたびに「先生、感心しちゃったあ」って猫なで声で言われたいとは思わないけど――失うものって何なのだろうね。

 

 なんとなく、紙をポケットにねじ込んだ。


 家に帰り、ただいまとドアを開けると、リコがさわいでいた。

「やあだ! やだもん! それ、きらい! ママはリコのだっていうけど、リコのじゃないもん!」

 おにいちゃあん! って駆け寄ってくるから、どうしたの? と頭をなでてやった。

「ママがかってきたおようふく、リコ、きらい!」

「そんなこといわないの。高かったけど、カタログを見て、ひとめぼれして予約待ちで買ったのに。ほら、ね? かわいいでしょう? あら、帰っていたのね。おかえりなさい。マモル」

 あら? 帰っていたのね、じゃないだろ。さっき、玄関でちゃんとただいまって言っただろ。とは返さずに、もういちど、ただいまを言った。

 小さないらだち。いつも。

 小さい子供の服って何見てもどうしてこんなにかわいいの? うちの子にはこれぜったい似合う、ってどきどきしちゃうのよね。とか言ってるけど、ぼくの服なんて、時間もかけず量販店の店頭でセールしてるやつから適当に選ぶだろ。伸び盛りですぐ着れなくなっちゃうからいいのよってさ。妹は妹で、手をかけてもらえるのが当たり前だから、何を見てもいつだってこうやって、イヤイヤ言い出す。あのさあ、お前のそのひらひらした小さいワンピース一着で、ぼくの服なら数着買えるんだけど。ひとしきりぐずるのをいいこいいこされて、結局それ着て、お披露目会みたいに、こっち向いて、まあかわいいとか茶番劇ばかりくりかえすの、ばかばかしくない?

 リコの頭をなでながら、小さい子には、高かったから良いものとか通じないよと笑って見せた。思ってもいないことを言って、もういちど妹の頭をなでてから、階段を上り自分の部屋に入ってドアを閉めてふうと息をついた。ばかばかしい。

 小さないらだち。いつも。

 学習机に座って、さっき拾った紙をポケットから取り出して、見つめていた。

  願ヘハ 叶フ

  ヒトツ叶ヒ

  ヒトツ失フ

 たとえばぼくがリコの立場になれるように願ったら――まあ、ひらひらワンピース買ってくれても困るけど――失うものって何なのだろうね。


 夕食のときの話題は、トオルのことだった。部長を務めている理科部で発表した研究内容が、全国大会で優秀だと評価され表彰されるらしいとかなんとか。なるほど、兄は頭がいい。頭はいいけど、ぜんぶそれに能力値を割り振ったみたいに運動神経ゼロのひょろひょろ。ぼくはとびぬけて頭がいいってわけじゃないけど、そこそこできるほうだし、運動もけっこういける。けどさ、両親は声をそろえて言うわけだ。おにいちゃんは、さすがね! って。別に、トオルは兄だから頭がいいわけでもないし、頭がいいから兄らしい態度をとっているわけでもないけどね。現に、となりで口の周りにソースつけてみっともない顔のリコに、ついてるよってティッシュ渡してやっているのは僕だし。

 小さないらだち。いつも。

 おにいちゃんは、さすがね! を連発されたトオルは、でも大会でいちばん良かったってわけじゃないからと、つまらなそうに言う。次の大会はもっといい評価に決まってると、両親がおだてる。なにか賞を取ったりするといつもこれを繰り返す。ばかばかしい。ほんとうにばかばかしい。思いながら、目の合ったトオルに言う。選んだひとの好みとかもあるだろうから、いちばんかそうでないかなんてあんまり関係ないと思うよ。トオルががんばって良いものを作って、誰かにそれが伝わったってことじたいがすごいんじゃないかな。思ってもいないことを言って、笑って見せると、トオルは、そっか、といって下を向いた。そういえば、さすがのおにいちゃんは、愛想もそんなにないんだよね。ねえ。

 小さないらだち。いつも。

 あの紙の言葉を思い出す。

  願ヘハ 叶フ

  ヒトツ叶ヒ

  ヒトツ失フ

 たとえばぼくがトオルの立場になれるように願ったら――まあ、持久走大会で、びりっけつでよたよた走って、みんなに拍手されながらガンバレ! ガンバレ!って声をかけられるのは遠慮するけど――失うものって何なのだろうね。


 眠る前に、あの紙をしばらく見つめてから、元通り結んでカバンの中に入れた。

  願ヘハ 叶フ

  ヒトツ叶ヒ

  ヒトツ失フ

 いつもの、小さないらだちが、なくなるように願ったら、代わりに何を失うというんだろう。いつも、こころの底でぶくぶく小さく泡立つそれを思わなくなるのだから、少なくとも、かわりに何かを失うことにいらだつことはないんだろ? すっきりするだけじゃない? そんなことを思って。

 そんなことを願ってみた自分に、急に、すっと冷えた気持ちになって。

 あーあ、ばかばかしい、と掛布団を頭の上まで引き上げて目を閉じた。



 登校するとすぐに、数人が、ぼくの机を取り囲む。

 おはよう、マモル。おはよう。おはよう。

 ねえ、マモル、きのうのアレみた? どうだった? ねえ、マモル。これどうかな? ねえ、ねえ。マモルは何がいい?

 先生がホームルームで聞いてくる。ねえ、マモルさんは、どう思う? マモルさんならどうする? どうしたい?

 ねえ、君はどうするの? え、オレはいいよ。 マモルが選ぶのに合わせるよ。マモルが決めてくれるのがいちばんいいよ。

 ねえ。ねえ。


 帰宅すると、おかあさんが、大きな包みを持って、ぼくのところに駆け寄ってくる。

 ねえ、見て。マモル。おかあさん、マモルにこれ絶対似合うと思って買ってきたのよ。人気のお店の一点ものなの。成長するからすぐに着れなくなるかもしれないけれど、だからその時期しか着れないからこその価値ってあるでしょう? シンプルなほうがいいって、ここの作りこみが凝っているのが素敵なのよ。ねえ。ほら、着て見せて。せっかくなんだから、いますぐに。ほら、こっちむいて。ちょっと回ってみて。ねえ。ね! ほらやっぱりいいでしょう? 思ったとおりだわ。

 ねえ。ねえ。


 家族のだんらんの時の、話題の中心は、いつもぼくだ。

 ねえ。また、賞を取ったんだってね。やっぱり、うちの子だ。すごいねえ。ほかにもすごいひとはいる? だいじょうぶだよ。ねえ。マモルはがんばり屋さんなんだからね、次はもっと、いいものをつくれる。できる! できる! ねえ。ほら、これをごらんよ。このひとはこれこれこういうことをなしとげたひとでね。でも、小さいときは、マモルほどなんでもできたわけじゃないんだって。そのひとがこうなんだから、マモルなら、きっと! きっと! ねえ。

 ねえ。ねえ。


 アキラがいなくなって。

 ぼくがアキラの立場になって。

 ぼくはアキラのこころの声を聴く。

 マモルってね。ほかの子みたいに何でも『おまかせ』にしないんだよね。アキラがいいなら、それにしよう。アキラが決めていいんだよ。そんなふうに言わなくて。頼ってくれるソウタみたいな子といるのは気分がいいけど、おれだって、別に何にもしたくないし、だれかと同じでいいですって放っておきたいときだってあるんだよ。それを、マモルは自然にわかってくれるんだよね。少しぶつかることもあるけれど、マモルのそういうところ、気持ちを楽にしてくれて、いいな。


 リコがいなくなって。

 ぼくがリコの立場になって。

 ぼくはリコのこころの声を聴く。

 ママが、ほら、これリコのよっていうの、リコきらい。リコはリコのすきをきめたいの。ママのいいものじゃないの。リコのいいものがいいの。マモルおにいちゃんね、リコのイヤにはりゆうがあるってわかってくれるんだよ。たかいからいいなんてわからないんだよっていってくれるの。マモルおにいちゃんといると、リコ、ほら、そうでしょ! っておもうんだから。


 トオルがいなくなって。

 ぼくがトオルの立場になって。

 ぼくはトオルのこころの声を聴く

 父さんも母さんも、いつも僕に、次はできるって言う。がんばり屋さんだからね。たしかに僕は僕なりに、できるだけがんばってやってみるけど、運動みたいにできないことの代わりに何とかって思っているだけで、それだって、超える誰かはいくらでもいる。できないことがいっぱいあるんだよ。もう無理だって思うことはあるんだよ。あっぷあっぷおぼれかけそうで。でも、次はできるって父さんと母さんが言う。先生が言う。だけどね、マモルは違うんだよ。いちばんになることじゃなくて、トオルががんばったそのことだけの価値でいいって言ってくれる。マモルといると、おぼれそうな気持ちきえるんだよ。


  願ヘハ 叶フ

  ヒトツ叶ヒ

  ヒトツ失フ

 いつもの小さないらだちをなくすことを願って

 叶って、失ったもの。


 ひとり、ぼくは部屋で紙切れをにぎりしめる。


  願ヘハ 叶フ

  ヒトツ叶ヒ

  ヒトツ失フ

 いつもの小さないらだちをなくすことを願って

 叶って、失ったものを取り戻すように願うのなら。

 いつもを取り戻せるように願うのなら。

 ぼくは、今度は何を失うというのですか。




 部屋の床に

 はらりと

 紙が落ちている。

 


  願ヘハ 叶フ

  ヒトツ叶ヒ

  ヒトツ失フ



 








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒトツ叶ヒ ヒトツ失フ @k-tama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る