第4話 想う心は強さの証
アルドが見たものは、
ヨシュの首元にはナイフがあてられていた。
ヨシュは魔物に襲われた傷が痛むのか、意識がある中で、あえぐように呼吸をしていた。傷のこともある。早く治療した方がいい。
ハルもそう思ったはずだ。彼女が一歩近づくと、外套を纏った人物が、低い声で言った。
「動くな」
ヨシュにあてられたナイフが、のど元に食い込んでいき、割けた肌から赤い血がゆっくりとナイフを流れていった。
その光景に、ハルは態度こそ冷静のように見えたが、口調は穏やかではなかった。
「待って! 彼に手を出さないで」
「なら、俺の言う通りにしろ」
「彼は傷を負ってるわ。すぐに治療しないと――」
「黙れ。俺の言う通りにしろっと言ったんだ。三度目はないぞ。口を閉じろ」
外套の男は怪我をしたヨシュを気遣う素振りを微塵も見せず、まるで物を扱うように雑だった。
アルドは状況が呑み込めなかった。この場で一人取り残されて、理解するために外套の男に向かって、慎重に口を開いた。
「お前は誰なんだ?」
「……知る必要はない。お前には最初から用がないからな。さっとさと消えろ」
冷然とした外套の男に代わり、ハルが応じた。
「多分、私を狙って来た奴よ」
「君を?」
「ええ……」
ハルは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
何かを知っている。が、どこか言いづらそうにその先の言葉は出てこなかった。その様子を、外套の男は愉快そうに口許に笑みを浮かべた。
「おいおい。何被害者ヅラしてるんだ。その言い方だと、お前は何も悪いことはしてないみたいだな」
「そんなつもりはないわ」
「じゃあ、なんだ? この男に知られたくないのか?」
「やめて」
「はははっ、図星か! これは
外套の男はヨシュに視線を向けて言った。
「おい。聞け。お前の幼なじみはな――」
「やめて!」
「人殺しを
ヨシュは額に汗をかき、苦しそうにあえぐように息を吐いた。
「ハ、ル」
「ヨシュ。すぐに助けるから。安心して」
「ご、ごめん。僕、ハルに、謝りたいことが、あるんだ」
「どうしてヨシュが謝るの? 謝らないといけないのは私の方」
「ち、違うよ。ハルは、何も悪くない。僕はもらった手紙で、ハルが悩んでいることに気づいていたのに、僕は、僕は、何もしようとしなかった」
「ヨシュ……」
ハルとヨシュのやり取りに、外套の男は
「はっ、お前に何ができるんだ? 妄想を垂れ流した手紙を送ることしかできないお前に。未だに現実が見えてないみたいだな」
その言葉に、ハルは驚きを
「どうして手紙のことを?」
「おいおい。これでも同じ仲間みたいなもんだろ」
「一緒にしないで!」
「随分、冷たいな。同業者同士、たくさんの人間を殺してきた仲だろ? 殺す相手のことを色々と探るのは基本中の基本だ」
「……」
ハルの沈黙に、アルドはようやく状況を把握した。そして、今まで外套の男が潜んでいるのに気づかなかったことを悔やんだ。
「ヨシュは最初から狙われていたってことか」
「まだいたのか。随分とお節介な奴だと見ていたが、余計なことに首を突っ込むと痛い目だけじゃ、すまなくなるぞ。さっきはこの妄想男のおかげで助かったのを忘れたのか?」
「あの魔獣をけしかけたのはお前なんだな」
「ああ、そうだ。全部その女を釣るために、俺が仕掛けたことだ。この妄想男は最大の餌になると思ったからな」
その台詞で、合点がいったように、ハルは目を見張った。
「もしかして、酒場での連中も」
「ふふっ、気づくのが遅いな。あいつらは金で雇った奴らだ。お前にとってこの男は特別のようだからな。揺さぶりをかけるために、試したんだ」
「だから、あいつらしつこく私に突っかかってきたのね」
「どうだ。俺の仕事ぶりは? 手際の良さを褒めてくれてもいいんだぜ」
「ふざけないで」
「だが、拍子抜けだな。俺と同じ穴にいるお前のことだから、怪しまれないように、最大限警戒して行動したんだ。それなのにこうも簡単に引っかかるとは、つまらないな」
「……依頼人は誰?」
「さあ、誰だと思う? 多すぎてわからないんじゃないか? 人を殺した分だけ、恨みは増えるんだ」
「目的は私でしょ。なら、ヨシュは関係ないわ」
「確かにそうだ。俺もいつまでもこのままでいるつもりはないからな」
外套の男はそう言うと、ヨシュが身につけていたナイフをヨシュの身体を
「自害しろ」
外套の男はあからさまにヨシュの首元にあてたナイフを、強調してみせた。それにはさすがにアルドも黙ってはいられなかった。
「こんな卑怯なマネして、許されると思うのか?」
「生憎、生ぬるい生活を送ったことがなくてね。日々人に怯えながら、こそこそと生きる日陰者なんだ。だから、その言葉は俺にとって最高の誉め言葉だな。それにこれは仕事でもある」
「こんなことが仕事……人を、殺すことが?」
「人間は常に誰かを妬み、羨み、蔑む。その感情がある限り、俺の仕事がなくなることはない。むしろ、最近は忙しくて敵わない」
「あんたに良心はないのか?」
「俺も人間だ。人の傷みぐらい理解できる。だが、そんなくだらない感情よりも金の方が大切なんだよ。高額な報酬は人の命なんて紙屑のようなものだ。むしろ、それ以外に何があるんだ?」
「それだけのために、関係ない人を平気で殺せるのか」
「理由なんて、それで十分だ」
外套の男は饒舌だった。計画通りに進んでいることで、勝ちを確信しているのか、余裕が感じられた。隙もあった。
だが、それは罠かもしれない。
どちらにせよ、ヨシュが捕まった状況で、アルドも
すると、ハルが動いた。落ちたナイフを拾い上げた。
「私が死ねば、ヨシュは解放してくれるの?」
「……ああ」
「約束はちゃんと守ってもらえるのよね?」
「安心しろ。これはビジネスなんだ。報酬がない殺しは無意味だ」
「その言葉、信じるわよ」
そう言うと、ハルは手にしたナイフを、自らの喉に近づけていく。その姿にヨシュは痛みに
「だ、だめだ。ハル。僕のために、君が死ぬ必要はない」
「ヨシュ。いいの。これは償いでもあるから」
「償いなら、生きてでもできるはずだ」
「私はたくさんの人を殺めてしまった。それを隠して、平然とヨシュの幼馴染みを続けていたの」
「ハルが悩んで、苦しんでいることを、僕は知っていた。それを、僕は見て見ぬふりをしたんだ。けど、そんな自分でいるのはもう嫌なんだ」
「ヨシュ……」
「僕はハルの手紙で救われたんだ。ハルが大切で、手紙がこうしてまたハルと会わせてくれた。今の時間を、僕は失いたくない」
「私も、そう。ヨシュと同じ気持ち。ヨシュは子供の頃から何も変わっていなくて、とても嬉しかった。それに、手紙で救われたのは私も同じだから」
「それなら、お願いだ。僕のために死ぬのは、やめてくれ」
「ヨシュ……そ、そんなこと言われたら、私……」
それまで、しっかりとナイフを持っていたハルの手が震え出した。
生きたいという想いが、未練が、ハルにはまだ残っていた。
しかし、外套の男はその躊躇が気に入らないようで、舌打ちをした。
「おい! くだらない話をするなっ! さっさとやれ!」
「ダメだ! ハル!」
「こいつ、黙れっ!」
ヨシュは外套の男に髪を引っ張られるが、口を閉じなかった。
「嫌だ! ハルを助けるんだっ! 今度こそ守るんだっ!」
ヨシュは外套の男が向けるナイフの手に噛みついた。
「ぐっ、こいつ!」
外套の男はわずかだが、怯んだ。
アルドはその隙を見逃さなかった。外套の男と一瞬で距離を詰めて、持っていたナイフを腰につけた剣を抜いて、確実に弾き飛ばした。
そして、ハルに視線を向ける。
「後は頼んだ!」
「――! ええっ! 任せて!」
ハルは外套の男がヨシュから離れたことで、泣いていた顔が毅然と変わり、両手から無数の糸を飛ばして、外套の男をあっという間に捉えることに成功した。
「く、くそっ」
外套の男はもがくが糸はより男を強く絞めつけていった。
「ぐああああああっ!」
苦悶する男に、ハルは鋭い目つきで睨み、容赦なく糸に力を込めていく。それは拘束を越えた力。相手の身の安全など無視した死を与える力だった。
ハルはこのまま外套の男を始末するつもりのようだった。
しかし、その手が止まった。
「ダメだ! ハル!」
地に倒れたヨシュが、気力を振り絞るようにして、もう一度叫んだ。
「殺したら、ダメだ!」
「けど、こいつを生かしたままにしたら、また狙われる」
「それなら、逃げよう! 二人で逃げるんだ!」
「無理よ! こいつらはどこまでも追ってくるわ!」
「なら、どこまでも逃げよう! 誰もいないところだっていい! 僕はハルが側にいてくれるなら、どんな場所だって構わない!」
「そんなのダメ! 私のせいで、私のせいでヨシュを危ない目に合わせるなんてことできない! 今だって、私……」
「僕はハルが好きなんだ! ハルが苦しい時も、辛い時も側にいたいんだ!」
「ヨシュ……」
「ハルの苦しみを僕は知らない。けど、もらったたくさんの手紙から、なんとなくだけど、理解できるんだ。だから、殺したらダメだ」
「わ、私」
ヨシュの言葉で、ハルが拘束していた外套の男の糸が少し緩む。
すると、外套の男は拘束されながらも、楽しそうに笑った。
「くくっ、笑えるな。たかが紙切れで、その女の何がわかるんだ? 苦しみ? 悩み? そんな感情、その女にはないんだよ! あるのは金のために平然と人を殺す能力だけだ! それがその女の本性なんだよ!」
「違うっ! ハルはお前なんかとは違うっ!」
「お前が知らないこの女の姿を見てきた俺が言ってんだよ」
「お前に何がわかる。ハルは優しくて、僕のことを気遣ってくれる。それは今も昔も一緒なんだ!」
「それが嘘だって言ってんだよ! お前に秘密を明かさなかったことも、助けを求めなかったことも、その証拠だ!」
「人には言いたくても言えないことぐらいあるんだ! それは全てが悪いことじゃない! ハルはきっと僕のことを想ってくれていたんだ。僕のために、どうにかしたいと思いながら苦しんでいたんだ!」
「どこまでもおめでたい奴だな。物書きなら、妄想は紙の上だけでやってろ」
そう言うと、外套の男は拘束された状態で、指を鳴らした。
「お前の妄想をすぐに消してやる。現実を教えてやるよ」
すると、ハルの背後で倒れていたクマ型の魔獣が立ち上がった。何かに操られるように、そのままハルに向かって突進してくる。
「これで
ハルは外套の男を拘束していたこともあり、反応が遅れ、その場から動けなかった。
ヨシュは叫んだ。
「ハルっ!」
地に伏したヨシュは助けに行けず、絶望するように顔を硬直させた。
魔獣は止まらない。そのままハルに襲い掛かると思われたが、魔獣がハルと接触することはなかった。アルドが魔獣の動きを見越したように、素早く仕留めた。
元々、アルドは魔獣を警戒していた。致命傷を負わせたはずなのに、立ち上がるのは明らかにおかしかった。外套の男が仕向けたという言葉も気がかりで、何かあると踏んでいた。なので、外套の男が隙を見せた際に、男ではなく、ナイフを弾いただけに留めたのも、考えあってのことだった。
「ふう」
「なっ⁉ バカなっ⁉」
そこで初めて、外套の男は動揺を露わにした。
その姿に、もう奥の手はなさそうなのが、アルドにはわかった。
「さあ、次は何だ? こっちはまだやれるぞ」
挑発するようなアルドの態度に、外套の男は悔しさを滲ませた。
「く、くそっ」
そう言うと、
アルドはその後を追おうと、歩を進めるが、ハルに呼び止められた。
「行ってはダメ。深追いするのは危険よ。向こうは逃げることも頭に入れてるはずだから、何か罠があってもおかしくないわ」
「いいのか?」
「言いも何も、あいつを殺すつもりはもうないわ」
「まあ、君がそう言うなら、俺は構わないが」
「それより、今はヨシュの方が先よ。早く運ばないと」
「ああ」
アルドたちがヨシュに近づくと、倒れたままのヨシュは顔色が悪くなっていて、呼吸も弱っていた。
ハルはヨシュを抱え起こし、膝の上に頭を乗せると呼びかけた。
「ヨシュ! もう大丈夫だから。すぐに町に戻って、傷の手当てをしましょう」
「……ああ、ハル。よかった。無事なんだね」
「ええ。無事よ。ヨシュのおかげ、ヨシュが助けてくれたから」
「そっか。僕もハルのために役に立てたんだ」
「もう、無茶しないでって言ったのに」
ヨシュは側にいたアルドに視線を向けた。
「アルド……僕は、少しは、強くなれた、かな?」
「何、言ってるんだ。ヨシュは最初から十分強かった。戦う力だけが強さじゃない。心の強さも立派な強さだ。俺も助けてもらったんだ。ありがとう」
「ははっ、なんだかくすぐったいな。けど、とてもいい気分だよ。生まれ変わったような新鮮な気持ちがするよ――うっ」
「ヨシュ!」
「ごめん。なんだか体が動かないんだ。それにどんどん眠くなって、きて」
「ヨシュ! ヨシュ!」
「ハルの声がどんどん小さくなっていく……」
「ダメよ! ヨシュ! 死んだらダメ。許さないわ!」
「今日ほど、生きていてよかったと思えた日はないよ。それも全て、ハルのおかけだよ。ありが、と……う」
ヨシュはゆっくりと目を閉じると、体から力が抜けて、ぐったりと動かなくなった。その姿にハルは目を見張った。
「ヨ、ヨシュ? ねぇ、ヨシュ?」
何度呼び掛けても、ヨシュは応えなかった。
「嫌! 私を一人にしないで! 私にはもうヨシュしかいないの! 死なないで!」
涙を流して、懸命に呼びかけるハルを余所に、アルドは冷静だった。怪訝そうに眉をしかめながら、口を開いた。
「なあ」
「ヨシュ! ヨシュ!」
「いや、ちょっと落ち着いてくれ」
「落ち着いてなんていられるはずがないでしょ! ヨシュが! 私のせいで! 私まだヨシュのこと好きって伝えてないのにっ!」
「いや、だから、よく見てくれ」
「えっ⁉」
「ほら、静かにして耳を傾けてみてくれ」
アルドの言う通りにすると、聞こえてきたのはヨシュの穏やかな寝息だった。
「ヨシュは戦いには向かないながら、ずっと身体を張ってきた。怪我はしているが、それよりも疲労の方が溜まっていたんだろう」
「……」
「傷も見たところ、致命傷は避けているし、そこまで取り乱すことはない。まあ、念のために医者に診てもらった方がいいな」
「……え、ええ。最初から知っていたわ」
「泣いてなかったか?」
「き、気のせいよ。目が乾いてしまっただけっ!」
「好きって言ってなかったか?」
「い、いいいいってないわ!」
ハルの叫ぶ声に、アルドが口許に指をあてて、静かにするように促した。ハルは顔を赤く染めて、自らの口を手で押えた。
アルドはハルを黙殺して、眠っているヨシュを背負った。
「町に戻ろう。ヨシュは俺に任せてくれ」
「ええ。お願いするわ」
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