第四章 経済速力

【1】


「ずいぶんと出遅れちゃったな……」

 海上を航行するふねの一室でハノン・サイモンは独り語ちた。

 彼女は今現在、これからの住処であり訓練地である第参海堡へと海上を移動中である。

 幼馴染みの下に「機械使途操士候補生募集」の案内状が届いた。

 幼馴染みはそれに応募したいと言った。

 幼馴染みとは将来に約束した夢があった。それはどうするんだと訊いたら「そのための資金を貯めに行く」と答えが帰ってきた。

 そしてこうも言った。この機会を逃したらもう外の世界に行くこともないのかも知れない、と。

 自分も匣の中で守られた世界に疑問を持っていたのは確かだ。幼馴染みと二人で見た機械神を頭ごなしに教師から否定されたのは良く覚えている。

 だから「あなた一人じゃ不安がいっぱいだから私も着いていってあげる」と、一緒に外の世界に飛び出した。

 その幼馴染みと一緒に機械使途操士候補生募集の受け付けをしている第弐海堡へと行ったのだが、訓練地である第参海堡への移動手段で一つ問題が起きた。

 幼馴染みの分は飛行機械での渡航が確保されたのだが、それは図体が大きい割には客室設備が小型機程度しかなく、ハノンの席まで用意できないといわれた。

 案内状をもらったのは幼馴染みの方であるから空路を使う権利は譲るとして、自分の分はどうするんだと訪ねると、第参海堡へ向かうふねが一隻あるのでそれに同乗して欲しいといわれ、今に至る。

 この艦の名前はオルタネイティブ・フォルテシモというらしい。黒龍師団の所属艦艇であり、ドクス・エクス・レクス級戦艦の二番艦だと説明されたが、舌を噛みそうな言葉の羅列に、あまり良く覚えていない。

 戦艦に乗せてもらっているので経済速力で走っても客船より高速であろが、海路であるのは変わらないので到着まで一週間ほどかかると説明され、不本意ながら船旅を満喫中である。

「……」

 ハノンは海を見ていた。

 この海を見ている窓も、無理やり装甲に穴を開けて突貫工事で設えたような、強度だけを重視したかのような荒っぽい作り。部屋自体も多目的に使う空所を客室として応急的に整備したものらしい。

 調理施設キッチンはあるらしいのだが食堂はないので、食事もここで採る。

 かなりの大型艦であるが、機械使途の技術を流用しているのか人間は操作を担当する者一人しか普段は乗っていないそうなので、内装もこんな作りらしい。

「食事の時間です」

 ノックもなしに扉が開き、機械音声が室内に響く。着替え中などだったらどうするのかと思うが、相手は機械仕掛けのお姉さんなので気にすることもないのだろう。そしてハノンも数日この中で暮らしている内に慣れた。

「どうもです」

 機械仕掛けのお姉さん――自動人形が食事の載ったトレーをテーブルに置いてくれる。そして役目を終えるとそのまま出ていく。非常に無愛想ではあるけれど、第弐海堡で受けた事前講習では自動人形のことも習ったので、あまり驚かない。

 肝心の食事なのだが、これが非常に美味しい。先程の自動人形が機械ならではの正確無比な調理によって完璧に仕上げているのだろう。しかしあまりにも完璧すぎて味の差違が全くないのも困りもの。これを毎日食べるのはさすがに飽きてくるかなと思いつつ、本日もハノンは全部平らげる。

「ごちそうさまでした」

 そしてまるで見ていたかのような時機タイミングで自動人形が食器の回収にやって来る。

 ちなみに外に出たいと願うと、先程の自動人形が引率してくれて甲板デッキの上に出れるので、それほど圧迫感を感じることもない。

 そんな風にして三日ほどハノンは船の中で過ごしていたのだが、その間に一冊の本を読んでいた。

 第弐海堡には図書室があるので「長い船旅に備えて本を借りたい」と申し出ると「到着先でこちらに送り返してくれるのなら良いですよ」と許可をもらったので一冊借りてきた。

 その書棚の内容は故郷の本屋や図書館では絶対に手に入らないような背表紙タイトルの物ばかりですこぶる目移りしたが、勉強も兼ねて機械使途の概要説明の本を借りていくことにした。

 機械使途とは頭頂高300フィートほどの大型人型機械の総称。そしてハノンたち候補生がその操士を目指すもの。

 それは大まかに分けて四種類がある。

 一つ目はアインバール型と呼ばれるもの。

 操作室と動力炉のある胸部を中心として、頭部、両腕、両脚を人型に纏めた標準的な設計のもの。基本は一人乗り。アインバールとは最初に作られた機械使途一番機の名前。

 二つ目はプルフラス型と呼ばれるもの。

 操作室と動力炉のあるユニットを胸部ではなく腰部へと配置したもの。上半身は丸ごと新設計できるので過激な作りのものが多い。

 型名の由来になっている一番最初のプルフラスは設計が高級過ぎてまともに動かせるものではなかったが、最高位の機械使途操士である光希の右甲ルミエルガントレットの手により起動、フィーネ台地攻防戦に投入され大破消失、とある。

 三つ目がダンタリオン型と呼ばれるもの。

 分離機能を有し百人前後の乗員で内部破損の応急措置などの常態維持をしながら動かす。人の姿をした艦船のようなもの。別名称として機械群体レギオンギアの呼ばれ方もある。

 ダンタリオンと準同型機であるアンドロマリウスは他の機械使途と同様の封印炉の搭載であったが、それ以降の機体は更なる安定化を考慮して原子炉へと換装されている。

 このダンタリオン型に付け加えられる要目として、初号態というものがある。

 これは機械使途の設計段階における完成直後の姿で、破損が激しい状態で後送されて来た場合、ダンタリオン型へと作り替えられる場合が多いので、最初期の状態はこの様に呼ばれる。

 そして最後の四つ目が始祖機というもの。

 これは機械使途操士という枠組みを超越してしまっている腕を持つ操士へと、特別に作られる機体であり、この機を受領する者は畏敬を持って機械神操士と呼ばれる。

「機械神操士?」

 ハノンがこの機械使途概要を読んでいて一番気になったのがこれだ。

 機械神というものは存在しない。それは伝説の中にしかないもの。事前講習でも特に念を押されて教えられた。

 機械神操士というものが、もし機械神というものが存在したら乗りこなせるほどの腕を持つものの称号、という使い方は間違っていない。

 しかし理屈では分かっていても、それを素直に受け入れられないのは、本物を実際に見てしまったからだと思う。

 故郷では災害と同義に扱われる存在。だから台風や地震のように形のないものだと思っている市民は結構多い。それに機械神の目撃情報があった途端に渡航も外出も禁止となるので、普通に暮らしていたら見る機会は全くない。

 しかし自分が乗っていた飛行船はどういうわけか、鉄岸の間を移動中の機械神が遠くに見える位置を飛行していた。乗客の殆どは始めての空の旅に熱狂する修学旅行生だったので、その事実を把握する者は私と幼馴染みの二人だけだったが。

「……」

 誰がなんと言おうとも自分は実際に見たのだ、機械神を。


「あの、自動人形さん」

 定時の水分補給用に紅茶入りのポットを持ってきた自動人形にメグハは声をかけた。

「なんでしょうか?」

「機械神っているんでしょうか」

 なんの飾りも付けずに直線で貫くがごとく訊いた。

「……」

 さすがにそれを聞いて一瞬機能停止したが

「機械神操士ならいますが」

 と、あまりにも自動人形らしく返されてしまった。

「その機械神操士ってどの辺りに行けば会えるんですか?」

 しかしハノンもその程度では諦めない。どうせ到着するまで暇なのだから自分が納得するまで食らい付いてやろうと思っていると

「このふねを動かす者が機械神操士ですが」

 と、意外にも簡単に答えを貰ってしまった。この艦の操舵手は始祖機を与えられるほどの腕であるらしい。それが艦艇を動かすのにも役立てられているのだろう。

「ほんとですか!」

「本当です。ですから本人に訊いてみたらいかがでしょうか機械神の有無を」


「……」

 ハノンは通路の影に隠れて、この艦の艦橋へと通じる扉を凝視していた。

 トイレや寝泊まりする個室は別であるので、操作している者が何れは何らかの用事で外に出てくるはずなのでそれを待っているのである。

 自分から中に入ってしまえば簡単ではあるが、艦橋であるならば立ち入り禁止区域であるのは間違いないのでこうして出待ちである。

 ちなみにハノンの後ろには何時もの自動人形がいて、同じように身を隠している。

「えーと、なんで自動人形さんも付き合ってくれてるんです?」

「私も提案してしまった手前、最後までお付き合いせねばと」

「はあ」

 そうして暫くの時間、待機状態が続くと

「なにやってんのよあんたら」

 後ろから声がした。

 ハノンがどこかで聞いたことのある声だなと振り向くと――

「虎女!?」

 ハノンは思いっきり腰が抜けて尻餅を突いてしまった。故郷の地下迷宮入り口で遭遇したおっかない方のお姉さんがそこにいた。

「だから虎じゃなくて猫だっていってるでしょ!」

 頭の上に猫科の耳が生える亜人――アリシアはやれやれといった顔をする。

「まったく、あたしのことをちゃんと猫扱いしてくれるのは案山子ゼファー卿くらいなのか」

 そういいながらハノンの後ろに隠れ続ける自動人形に目を向ける。

「で、あんたはいつまで普通の自動人形のフリをしてるのよキュア?」

 名前を呼ばれて自動人形――キュアノスプリュネルが頭部をアリシアに向ける。

「いや、あまりにも楽しかったのでこのままでも良いかと思っていたのだが」

「そういう訳にはいかんだろこの黒龍師団創始者!」

「それはそうとお前はなぜ艦橋に居らぬのだ」

 正体を現した自動人形キュアの言葉遣いが戻る。

「別に外の風景を硝子越しに楽しみたいんじゃなかったら主操作室の方にいるわよ。そこの映像盤に監視録映器カメラからの、あんたたちの怪しい行動がバッチリ映ってたからわざわざ来てやったのよ」

 この奥は、通常の戦艦であれば直接視認によって作戦を行う昼戦艦橋のような扱いらしい。しかしアリシアが気を効かせて来てくれなければ、ハノンはずっとこのままだったのだろうか。

「まあ、機械神操士に接敵するという、準備段階は果たしたのだ」

 アリシアが「接敵ってなによ」という顔をするがキュアは構わず続ける。

「お前の知りたいことを聞いてみるがいいハノン」

 普通の自動人形として行動していたときとは違う喋り方になってキュアが言う。

「は、はい」

 ようやく腰に力が戻ってきたハノンが立ち上がる。

「あの……」

「なによ」

「……機械神っているんですか?」

「また直球な質問ね」

 アリシアが疲れたような顔になってキュアの方を見る。

「あんたが一緒にいるんなら、あんたが教えてあげればいいじゃない」

「私の判断ではこの娘が真実を知るに値する知識と経験を有しているのか判断がつきかねてな」

「そういうことを判断するもの自動人形の仕事じゃないの? 耄碌するには早すぎるわよ」

「私のこの体も製造されてから随分と経つからな。ガタは来てい――」

 その時、艦内が大きく揺れた。

「きゃぁ!?」

 ハノンは再び尻餅を突いてしまう。

「……悲鳴が綺麗になったのは誉めてあげるわ」

 アリシアは近くの手摺を掴んで耐えた。

「動力炉が止まったな」

 壁に手を突いて姿勢制御していたキュアが、体内の感覚器センサーで感知した事実を告げる。

「どういうこと? 機械神の炉が止まるなんて相当なことよ――って、あ」

 緊急事態に思わず口を滑らしてしまったアリシアは途方にくれたようにハノンを見る。

「今、機械神って」

「……とりあえず、現状把握と異端審問を同時進行でやらなくちゃならなくなったわね」

 急に問題が二つ同時に噴出して煩わしそうな表情になりながらアリシアが言う。

「審問に使う刃物はある?」

「どのような経緯であれ審問にはなると思ったので、彼女の荷物から持ってきていた」

 キュアがずっと背中に装着して隠していた短剣を外すとアリシアに渡した。

「それ、私の解錠ノ剣キーカリス

 荷物に奥の方に隠すようにしまっておいたのに何故? という顔でハノンがアリシアとキュアの顔を交互に見る。

「審問にはある程度関係の深い刃物が必要だから、あなたのこれを借りるのよ」

 アリシアが事も無げに言う。ハノンの荷物の内容についてはこのに乗った時点で全て掌握されていたのだろう。

「では任せたぞ。私は上空から周囲の偵察を行う」

「他の自動人形にやらせればいいじゃない、なにもあんた自らが出なくても」

「他の同胞は炉の停止と共に、隔壁毎で隔離されてしまったらしい。それも踏まえての外力による強制停止なのだろう」

「つまり動けるのはあんただけだってことなのね。撃墜されないでよ」

「その時は破片は養女たちの元へ届けてやってくれ」

 キュアはそう言い残すと通路奥へ消えた。

「さて、手っ取り早く済ませないといけないのはあたしとしても不本意だけど」

 アリシアは解錠ノ剣キーカリスを鞘から引き抜くと刀身の平をハノンの肩に載せた。いきなり首筋の近くに刃物を近付けられてハノンの体がビクリと震える。

「機械神操士の中にはが休みになってしまって、副業をやっている者も多い。そして全ての機械神操士の副業が――異端審問官」

 その名称に畏怖の気持ちを増加させる。

「機械神など存在しない。そんなものは伝説の存在。それがこれから人の世を前に進めていくための理。その理に反逆して知ろうとする者は異端、そしてそれを審問するのがあたしたちの仕事」

 猫科の亜人が言う。確かに彼女はだ。虎の範疇には収まらない猫の姿をした何か。

「あんたには二つの選択肢がある。機械神の真実を知るか、知らぬまま過ごすか」

 あのとき遭遇した気絶するほどの印象――衝撃は間違っていなかった。

「……知りたいっていったらどうなるんですか」

 それでもハノンは勇気を振り絞ってそう言った。

「……私は見ました。しかし機械神などいないと教師に嘘を吐かれました。その場の平穏だけ守るために真実をねじ曲げる。それが許せない」

 命を代価に捧げることになってもこの思いは曲げたくないと思った。

「あんたはこれから利己的な嘘と、時代を前に進ませるための嘘を見分ける力を身に付けなくてはならない。その覚悟はあるか?」

 ハノンは躊躇なく答えた。「はい」と。

「若さって良いわね、ためらいなく無謀になれる。そしてあたしもそんな向こう見ずな力が次代には必要なのを知ってしまっている」

 親友リュウガが育てた最初の百人アルヒメアのフィーネ台地攻防戦における活躍を思い出すと、それは強く実感する。

 アリシアは解錠ノ剣キーカリスをハノンの肩から外し、鞘に戻した。

「返すわ」

 そして解錠ノ剣キーカリスを持ち主に押し付けるように返す。

「とりあえずここじゃ話しにくい。艦橋の方に行こう。今の状況下では主操作室よりかは自由が利くでしょ」

 アリシアは通路を少し歩き、艦橋へ通じる扉を開く。

「ようこそ、機械神十二号機・アムドゥシアスの昼戦艦橋メインブリッジへ」


「この姿になるのは五百年ぶり位だろうか」

 機械神十二号機アムドゥシアスの艦橋脇の出入扉ハッチから、背部に空戦用増装備を装着したキュアが出てきた。

 キュアは装備の重力制御で少し浮くと、手足を折り曲げて飛行形態へと変形し、増装備も可変させてそれと体を一体化させる。超小型戦闘機となったキュアが弾丸のように飛び立つ。

 高速で一気に上昇、十二号機を中心とした周囲を高空から視界に納める。

「――機械神の遺物のような物が四方に浮いているのか?」

 機械神の胸部、腰部、右肩部、左肩部にようなものが海上に浮いており、距離を開けて十二号機を囲んでいる。そして欺瞞機能もあるのか、少し高空に上がっただけで、空気を屈折させているらしく、波の揺らめきに混ざるように見えにくくなる。しかもその効果は十二号機にも及んでいた。

 キュアは降下の加速も利して胸部に相当する物へと強行接近する。落着する隕石のごとく加速したキュアは、目標の表面に激突する寸前に進路を変えると、そのままの勢いで海面すれすれを水平飛行し、再び上昇に転じた。

 相手はキュアの強引な接触に反応したのか、装甲表面のハッチを開き、迎撃機らしきものを放出する。爆撃機のようなずんぐりとした機体形状なのに、偵察機並に早い。

「機械神からの流出技術で動く何かか、それとも魔導兵器の類いか」

 高速で離脱しようとするキュアの速度を若干上回る相手は、少しずつ差を積めてきた。

「自動人形の空戦性能を加味して追撃を可能としているとは、並の迎撃機械ではないな」

 キュアがそう判断すると同時に迎撃機の機体下面が割れ、一対の腕が出てきた。

 空気抵抗もものともせず露出した腕を伸ばすと、キュアが変じた超小型戦闘機を指先で掴もうとする。

 キュアは相手に捕まれる寸前に空戦用増装備を外すと、自分自身だけに加速をかけた。キュア本体が離脱した瞬間、増装備の自爆装置が起動し迎撃機の握った手が爆煙に包まれる。相手はそれで姿勢制御に異常が生じたのか錐揉状態になって海面に落ちていった。

 しかし相手は二機。まだ追手は残っている。

「恐らくこの迎撃機は撃墜ではなく捕縛を主に作られたのだろうな」

 キュアがそう冷静に判断すると同時に変形を解いた。自動人形の姿に戻ったキュアが降下していく。残った迎撃機も進路を下げて追う。キュアは合成音声の発生機構を用いて、何事かを高速で言語化した。

「私が通常の自動人形であれば拿獲できただろうが、生憎普通とは少し違うのでな」

 キュアは右手を相手に向けると最後に呪文名を唱い、魔術を完成させる。

轟雷ヴォウタン!」

 キュアの右手から放たれた術式は落雷以上の雷圧を発揮し、直撃を受けた相手は一瞬で粉々となった。

「術式の力は見事だが、自動人形われらが使うには威力過多だな」

 黒く焼焦してしまった右腕を確認しながら、キュアは落下していく。


 背後に何かが衝突する音を聞いて、メグハは思わず振り向いた。

「!?」

「まったく、キュアらしいといえばキュアらしい、鋼の女神そのままな豪快な帰艦方法ね」

 艦長席に座るアリシアは半ば呆れるように音のした方に振り向く。

 暫しの時間が過ぎ、後部扉が開くと右腕を黒焦げにしたキュアが入ってきた。

「なによ魔女でもないくせに勝手に雷術使って」

 アリシアが持っていた伸縮式の望遠鏡を縮ませながら言う。憎まれ口を叩くが、その顔は相手が生還して安心した表情。望遠鏡を覗いて硝子越しに上空監視をしていたアリシアは、キュアが右腕から雷光を発するのを見ていたのだ。

「雷帝の十八番おはこを奪ってすまんな。だが、そのおかげで助かった」

「で、成果は?」

「ここへ帰艦するまで視認情報を基に色々と精査してみたのだが、遺物として廃棄された機械神の構造体を利用した対機械神用拘束機雷、とでもいうべき物だと推測する。この艦――いや、この十二号機はその効果範囲に取り込まれたようだ」

 隠す必要はないとキュアは言い換える。

「機雷?」

 それを聞いてアリシアが侮れないという表情になった。機雷とは当たり所が悪ければ重装甲の戦艦ですら沈ませる。それだけの威力を外力による強制停止に振り分けた、ということか。

「本来は地雷と定義した方が良いだろう。この拘束の仕組みは恐らく地上でも機能する」

「踏んだら発動するのが地雷。ここは海上だから水に浮かべて設置されたから機雷?」

「とりあえずはその様に仮定する。元々この海域に仕掛けられたものなのか、それとも新規に拵えてこの場所に設置したのか。さすがに其処までは不明だ」

「それにしても機械神を拘束……止めるとは、どれだけの術式を組んでいるのかしら?」

「機械神とは結局の処、鉄を主原料にした部品の集合体に過ぎない。生物ではないのだから誤差等の不確定要素は存在せず、動きを止める術式の創案を思い付いたのならば、機械神の構造体と照らし合わせ計算を進めれば良い。ただ、その計算に千年かかるか一万年かかるか分からんが」

「……」

 それを聞き、アリシアが魔女じぶんの創造主が語った言葉を思い出す。

 強い力を持つものを倒すのは難しい。しかし力が強くなればなるほど弱点は明確になる。強い力を持つものを倒す必要はない。弱点を突いて封印してしまえば良い。そして魔女の創造主は実際に紅蓮の死神リュウガへ昏睡という封を施して、力を発揮できなくさせたのだ。

 封印が消えた際の逆襲も当然考慮しなければならないが、それが数万年単位の効力がある封印であれば問題もなくなる。それは黒孔生命体ウォルテを封印しかけた時に、アリシア自身も行っている。

「それはそれとして、なんでこんなものが? それになぜこの海域に?」

「機械神自身が悪の対象とされる時期もあったのだろう。強い力を持つものは何時の時代も憎まれ役。それを封じるために作ったものがたまたまこの海域にあったと」

「何時の時代……まあ結構な昔なんでしょうけど、その時に作られたトラップに今さら引っ掛かってしまったってこと?」

「もしくは新規に作ったこれを誰かが我々を陥れようと設置したか。あの迎撃機の仕様を考慮すると自動人形われらの略取を主とするトラップなのかも知れぬが、今はそれよりも脱出手段を考えるのが先決だ。これが機械神と自動人形を半永久的に封じる結界のようなものだとしたらずっとこのままだぞ」

「そ、それって」

 今まで話の流れを何とか理解しようと黙って聞いていたハノンが思わず口を開いた。

 ずっとこのまま。その言葉に直接的恐怖を覚える。

「脅しじゃないでしょうねキュア?」

 怯えるハノンを横目に見ながらアリシアが言う。

「脅してどうする。自動人形は基本的には事実しか言わん」

 その事実が人間が理解するにはあまりにも曲解し過ぎて虚言のようになることも多いのだが、アリシアは黙っていた。今はそれを問題にしている場合じゃない。

「忠告するが、この艦橋のある階層から下には降りるな。重力制御を用いた時間停止か時間停滞かは分からんが、お前たち有機物にも作用するなら、それに触れて取り込まれでもしたら一瞬で木乃伊だ」

 一瞬で、というのは無機物である自動人形にとっては百年前後の時間。黒孔生命体が扱う超重力制御級の力でない限り肉体の老化だけが進み、気付かぬうちに老衰に至る。それを理解しているアリシアは涼しい顔のままだが、ハノンは更なる恐怖に顔が青ざめる。

「この艦橋周囲だけ無事なのはどうしてなの」

 ハノンのことを気遣ったのかアリシアが現状を問い質す。

「この艦橋が機械神を封じるための効果範囲外だからだろう。術式作成には三号機ガンガグラーマを参考にしたに違いない」

 三号機は基本的に増装備のない簡素な仕様である。それを元にしているのなら、他機の固有装備まで力が及ばないのは当然の帰着か。

「それに機械神の操作室は一律頭部にある。この艦橋周囲も其処へ隣接する。機械神を構成する唯一生身の部品である操士を含んでの停止の術式は組めなかったのだろう」

「じゃあ、あたしたち人間には停止は作用しないんじゃ?」

「その可能性は肯定も否定もできない。情報が不足し過ぎている。だから艦橋周囲を行動限界にしてほしい」

「この狭い範囲で我慢しないといけないのね、あたしたちは」

「すまんが、そうだ」

 キュアが一拍置いて続ける。

「どれだけこの状態が続くか分からんが、操士一人を一年は食べさせられる食料は積んである。今は二人だから半年だな」

 キュアが籠城も覚悟せよという意味の言葉を告げる。

「半年経ってもどうにもならなかったらどうするのよ」

「その間にお前たち二人の脱出方法を考えてくれ。生き物だからこその此処から逃げられるやり方があるかも知れん」

「なら無機物のキュアなら一人で逃げられる? あんた一人でも脱出できるのなら救援を呼んできてほしいんだけど」

「もう無理だな。次はあの迎撃機を振り切れるとは思えん」

 キュアにしても十二号機という退避できる場所があったから逃走できたので、あの遺物を越えて先に進むのは不可能に近いと説明する。

「なんとか脱出方法を考えるしかないのか。この艦橋から救難信号を出しているけど、届いている気がしないのだけど」

 予備の蓄電池は生きているらしく艦橋内の機器はとりあえず動く。それを確認したアリシアはキュアが偵察に行っている間に助けを求める信号を出してはいたのだが。

「相手は機械神の遺物を改造したもの。妨害などお手のものだろう。この近くに同じ機械神でもやって来ない限り、電波の類いは拾ってもらえないと考えた方が良い」

 機械神の構造を熟知した凶悪な罠だと、アリシアも改めて思う。

「この十二号機が変じた戦艦オルタネイティブフォルテシモの第参海堡への入港予定は四日後。到着日時を超過すればさすがに捜索隊が出るだろうが」

「あたしらが浮いている水域を見付けられるか? ってことでしょ」

「そうだ。外周からは視認を困難にする欺瞞処置がなされている」

 上空から偵察の際に、海面の光の反射に溶け込ませる欺瞞工作が成されているのをキュアは説明する。偵察装備を施した航空機では速力が速すぎて視認が間に合わず、低速で移動できる気球や飛行船では発見する前に自分が遭難すると付け加える。

「波に流され予定の航路からもずれる。回航中の艦船が消息を絶つのは稀にあること。漂流中の氷山などにでもぶつかったらさすがに機械神と言えどもただでは済まん」

 純粋な機械仕掛けで動く相手のような物質的事象であるならば無敵に近いのが機械神であるのだが、それを超える自然の脅威に襲われればさすがに傷付く。

「暖かい海域でも氷山なんか出るわけ?」

「それ単体が一つの異世界のような機械神が跋扈し、千年に一度は大地が水没し、今はその代わりに『雲』が浮いて地上の一割を覆う。それだけ世界は歪んでいるのだから、温暖な海域でも氷山が現れる位は覚悟した方が良い」

 そこでキュアがハノンの方へ頭部を向ける。

「取り急ぎこれから手動で扱える発光信号機を作成する。この状況でどこまで光が届くか分からんが座したまま何もしない訳にもいかぬ。ハノン、すまんがお前にあてがった部屋の窓を流用したいので騒がしくなる」

「あ、はい」

 設置場所はハノンの客室になるらしく、十二号機からは完全に独立した物を用意するとキュアは説明する。

「完成したら日中はお前に操作をして欲しい。扱い方は教える。日没後は私が交替するので、うるさく思うようなら他の場所で睡眠をとってくれ」

「……はい」

 立て続けの指示にハノンは承諾するしかない。

「あたしの仕事は?」

「お前は自力での脱出手段をなんとか考えてくれ。遺物あれを一撃で粉砕する雷術を作ってもらっても構わんが」

「努力してみるわ」


 漂流一日目の夕刻になり発光信号機は完成した。本体から取り外した装置や倉庫に置かれた予備部品などで応急で作られたものなので最低限の簡素なものだが、必要な機能は盛り込んであるとキュアは説明する。

 ハノンの客室の窓が完全に塞がれていた。窓との間には数万フィート先からでも見える光量の電球が取り付けられたので、光が漏れないように厳重に覆われて外は全く見えなくなった。

 手前には符号を打つための電鍵と電源釦の載ったテーブルが置かれ、部屋の隅に設置された蓄電池に電線が伸びている。

「……」

 ハノンはテーブルの前に座ると教えられた電信符号を打ち、信号を発し始めた。

 ――キ・ュ・ウ・エ・ン・モ・ト・ム――キ・ュ・ウ・エ・ン・モ・ト・ム――

 電鍵に付けられた豆電球が明滅し、電球の光る回数や長さで光信符号を形作る。室内からは見えないが、硝子越しで外に向けられた照明は同じ間隔で発光を繰り返しているはずだ。

「……」

 しかし教えられた間隔で電鍵を押すのは非常に難しい。やはり最初は自分の思った通りに電球は点かない。

 疲れたら適度に休息を取っても良いと言われているのだが、それすらも忘れて作業に没頭していた。夕食の時間にキュアが食事を持ってきてくれたが、それ以外は小用で席を外す他はずっと電鍵を押すのを繰り返している。

「交替だ」

 あいかわずノックもなしに扉が開き、機械音声が室内に響く。集中しすぎて時間を忘れていたが、壁にかけられた時計を見ると、実家にいれば睡眠を促される時刻を過ぎていた。

「慣れない作業で疲れただろう。もう横になれ」

 ハノンの少しやつれたような顔を確認したキュアがそう促す。

「はい……」

 ハノン本人もそう言われた瞬間に緊張の糸が切れてしまったみたいで、急に疲労が押し寄せた。着ていた服を脱いでチェストの上に重ねると、下着姿でベッドに潜り込んだ。自動人形キュアの前で脱ぐのもそれほど抵抗を感じなくなっていた。余程疲れていたらしい。

 キュアは自重で椅子を壊してしまわないように慎重な動きで発光信号機の前に座ると、ハノンがやっていた作業を引き継ぐ。

「夜中はずっとキュアさんがやってくれるんですか」

 掛け布から頭だけ出したハノンが訊く。

「そうだ。自動人形われらは眠る必要はないからな。お前は起床時刻になるまでゆっくり休め」

 明朝になって洗顔などの身仕度が整ったら交替してくれと付け加える。

「……」

「どうした、眠れぬか?」

 先ほどまで疲れたような目をしていたハノンが、上を向いたままじっと天井を見ている。

「操作音がうるさいのならお前の方に移動してもらわねばならんが」

「……」

 どうもそういう訳でもなく、布団に入った瞬間に疲労が少し回復すると、再びの緊張感が襲ってきたらしい。

「私で良ければ話し相手になるか?」

「良いんですか?」

 キュアがそういうとハノンは相手の方に顔を向けた。

「構わん」

 電鍵の音が気にならなければお前が眠るまで付き合おうとキュアは応じる。

「あの……今さらで繰り返しになっちゃうんですけど、一つ訊いても良いですか」

「なんだ?」

「機械神っているんでしょうか」

「お前が寝ているこの物体こそ機械神だ」

 電鍵を打ちながら簡潔に言う。

「どうした改まって? もうお前はある程度は知ってしまっただろう?」

「こんな機会だからこそ詳しく訊いてみたいかな、って……」

「そうか」

 キュアが一拍置いて続ける。

「お前は方舟艦同士を渡る空の船の上から機械神を見ているのだったな」

「どうしてそれを?」

「方舟艦隊における機械神の目撃情報は第弐海堡の我らの駐屯地に保存されている。その機械神を追うのを仕事にしているのがいるからな。そのための参考資料の蓄積だ」

「機械神を追う仕事?」

「ああ。お前が本来の習熟過程を踏めば、数年後に知るべき情報だった。経験を積むのと同時に機密も少しずつ知ったお前は教官にこう訪ねる日が来たはずだ。機械神は居るのか否か」

 それを偶発的とはいえ、とてつもなく繰り上げて知ってしまったのが今のお前だとキュアは付け加える。

「機械神を追うのは以前は師団長自らがやっていたんだが、とある事情で十年ほど停滞した後は、新人機械神操士補の銀狼がやっている」

(銀狼?)

 ハノンはそれを聞いて妙な予感がしてきた。

「お前も会ったことがあるだろう。いや、遭遇と言うべきか。何しろお前が策を講じて追い払った狼女が、今では機械神八号機の追撃人だからな」

「やっぱり!?」

 その予感は当たり、ハノンは思わず声をあげてしまった。

 あの時。小さな剣の形をした銀製の装飾品アクセサリを見せた瞬間に迷宮の奥に逃げていった狼女。地下迷宮に突入して最初に遭遇した相手。忘れる訳がない。

 しかも機械神操士補ということは、機械使徒操士候補生の自分より立場が上になるわけで。

「ど、どうしよう……私そんな人(?)だとは思わずに、なんてことを」

「お前はそれだけの潜在能力を持った者を、自分の知恵で撤退させたのだ。それは誇って良いことだぞ」

 この先に本人に対面することがあれば「あの時は慌てちゃったよー」と笑って済ませるだろうとキュアは言う。

「お前が空の船上で見た八号機の話をしてやろう」

 眠れなくなってきたハノンの緊張を解すように話し始める。

「お前は船上から機械神を目撃した。しかし報告した教師には機械神出現による災害警報は出ていないからあれは違うものだといわれた。そうだな?」

「はい……」

 なぜそれを知っているのだろうと思ったが、アリシアに審問された時に喋ったことを聞いたのだろう。

「方舟艦では機械神の目撃情報があれば災害として通報される。ならば、一番最初にそれを見て通報するのは誰だ? という話になる」

 キュアが続ける。

「つまり、お前が乗っていた飛行船が、その時の最初の目撃者なのだ」

 第弐海堡に残される記録には、ハノンが乗っていた飛行船により目撃の第一報が入ったとキュアは説明する。

 つまり教師がいった「災害警報は出ていない」というのは間違ってはいなかったのだ。

「お前はまだ人生の経験も浅い。だからこれからは善悪の可否も学ばねばならん。そしてそれは機械使徒を操るより難しい」


【2】


「……ん、ぅん……」

 ハノンは目を覚ました。昨夜はいつの間にか眠っていたらしい。

「……」

 窓からの光りの差し込みがないので、朝になった感覚が薄い。数日過ごしてきて見慣れてきた鉄製の天井を見上げる。そのまま壁に視線を移すと、そこに掛けられた時計は起床時刻を指していた。

 昨日までは窓があった場所からは、電鍵を押す音が変わらずに聞こえる。正確無比な律動リズムも変わらない。

「……キュアさん、おはようございます」

 眠い目を擦りながらハノンは上体を起こす。

「おはよう。まあ、キュアじゃなくてすまないけど」

「――!?」

 そのの声を聞いて驚いたように振り向くと、赤毛の猫科亜人が膝を組んで椅子に座り、頬杖を突きながら電鍵を叩いていた。

「アリシアさん!?」

 ハノンは一気に目が覚めた。

「なんでここに!?」

「あたしが発光信号打ってちゃ悪いのか?」

「そうじゃないですけど!?」

「まあ、キュアがいないのは、あたしたちの朝食を作りに行ってるから。その間だけ交替しているのよ」

 そう説明しながら自動人形並の正確さでアリシアは電鍵を打ち続けている。

「あんたもさっさと起きて身仕度整えなさい」

 ハノンが「あ、はい」と返事しながらチェストの上を見ると脱いだ私服は無くなっていて、代わりに丁寧に折り畳まれた紺色の制服らしきものが置かれていた。

「これは?」

「あんたが着てた服は洗濯するからってキュアが持ってったわ。代わりにそれを置いていった。もうあんたは信号員としての役をしているから、既にあんたはそれに袖を通す機械使徒操士候補生なのよ」

 アリシアが言う。

「というわけで今日からはそれを着て行動しなさい」

「あの……下着とかも着替えた方が良いですか?」

 とりあえず着替えようと思っているのだが、相手の前で裸になってしまうのはどうしようと思っていると

「ん? ああ、あたしがいるから困ってるのか。あんたが着替えて顔を洗ってくる間くらいは信号が途切れても問題ないから、あたしはこれで自分の仕事に戻る。準備ができたら信号打つのよ」

 アリシアはそういうと部屋を後にした。

「……」

 一人になったハノンは着替えを始めた。


 ――◇ ◇ ◇――


 朝食を済ませた後、アリシアは昼戦艦橋の艦長席に座して外を見ていた。手元には望遠鏡。

「何か進展はあったか?」

 朝食の準備や清掃など朝の雑事を終えたキュアが様子を見に来た。

「進展?」

 煩わしそうにアリシアが応える。

「あたしが見える範囲の三つの遺物が昨日より10フィートほど範囲を狭めたことくらいかしら」

 アリシアが前方を見据えたまま言う。

 ここから望遠鏡を覗けば前方と左右に浮く遺物は見える。アリシアの視力なら裸眼でも目視できるが、細かい動きを見たいので道具で拡大している。

「あんたは背後の遺物も確認できているんでしょ」

「ああ」

 キュアも艦橋後部の扉から自分たちを取り囲む遺物の動きは適宜確認している。

「お前が今いった移動距離は私の目測と同じだ」

 キュアが応えた。

「普通の人間であれば気付かない速度で範囲を狭めてるわね」

 アリシアはお互いの意見をまとめてそう結論付ける。

 波の強さにもよるが、ある程度の日数が経過すれば遺物と十二号機本体は接触することになる。

「海面の光の反射が妙におかしい場所があるのは気付いているか」

「もちろん気付いているわよ」

 キュアの新たな疑問にアリシアは当然のように答える。

「あれは水面下に何かが潜んでいるから起こる光の屈折。潜水艦でもいるのかしら、あたしたちの見張りに」

「金属系の感覚器センサーには反応はみられない。木造潜水艦でもなければ、巨大海生物でも潜んでいるか」

 キュアが言う。

「前から思っていたけどさ」

「なんだ」

「機械神なんて大層な名前がついてる全ての機械の頂点に立つ存在が、海に関しては結構苦手にしているわよね」

 今回の十二号機の突然の停止を皮肉ってアリシアが言う。

「それはそうだ。海の水は塩水だ。どんな強固な構造体を作ろうにも塩水に浸かれば錆びる」

 ただの水でも浸され続ければ鉄は錆びる。それが塩の混じった水であれば酸化は早まる。

「しかもこれは無機物だけへの影響ではない。お前たち有機物にんげんも、海水をそのまま体に取り込めまい」

「そうね、塩と水に分離させなきゃあたしたち人間も吸収できないわ」

 人間を始めとする生物が生きるのに塩は必要なのだが、生物の体内塩分濃度より海水の濃度は高い。だから海水を摂取すると、その濃さを薄めようと体内の水分が消費され脱水症状となる。許容量を越えて海水を飲み続ければ死に至る。海難事故で溺死が多いのは、体内に入ってきた海水によって内側から肉体が破壊され、水に浮く力が奪われるからだ。

「それに水には抵抗がある。水の中では地上や空中より動きは鈍る。水に浸かっていればあらゆる隙間に入り込んでくる。それでいて有機物には飲料として必要であり無機物でも冷却水を始めとしたあらゆる用途で必要という。本当に困った相手だ」

 キュアが自動人形らしからぬ途方にくれたような言い方をする。

「機械神を本来の目的で運用するならば黒き星の海での空間作業機だ。それであれば隙間に入り込む液体は然程問題にはならない。だからこの星の最大の液体である海を支配する、という考え方は我らの行動理念からは外れた思想になる。そのような理由なので今までは海中への深い調査は行っていなかったのだが」

 自動人形の行動理念。機械神の常態維持と自動人形の代替品創造の探求。この二つに関係がないのであれば自動人形は興味を示さない。海に関しては千年に一度の洪水で増水を繰り返している探索には適さない乱れた場所。だから今までは埒外であったのだが。

「あのようなものが我らの監視をすり抜けて、海上に浮いている。これは調査範囲を地表から下に向けるのを、本格的に始動させねばならぬ時が来たようだな」

「海の底に秘密の海底王国があって、そこに略取された自動人形がいると?」

「その可能性は以前から考えていたのだがな。他にやることが山積みだったので手が付けられなかったのだが、あらゆる雑事の処理拠点である第参海堡もようやく軌道に乗ってきた。これからは海底へ目を向ける機会も増やせるだろう」

 それを実行する為にこれからは海中へと機械神操士あたしたちも機械神も駆り出されるのかと、アリシアは軽く溜め息を吐いた。

(まあ、機体が錆びても自動人形が落としてくれるんだから、良いか)

 アリシアはそう考えると、今はこの場からの脱出を優先しなければならないと、再び望遠鏡を覗いて前方に浮かぶ遺物を視界に捉えた。

「機械神全機と自動人形全台を集めて封印し楽隠居をしようと行動しているのだが、それはいつ叶うのだろうな」

「そんなの、一万年くらいかかるんじゃないの?」


 ――◇ ◇ ◇――


「……」

 ハノンは昼戦艦橋の仮設席を展開させ、そこに座っていた。

『発光信号機の調整をしたいのでしばらく部屋から出てくれ』と言われたのでここにいる。使用している電球の光量は人間が直視したら失明する程と教えられたので、終わるまで絶対に入室するなと念を押された。

 そのような理由なので他に行き場所もなく、此処にいるのだが。

「……」

 艦長席にはもちろんアリシアが座っている。

 彼女との会話はハノンが入室した際の「艦橋ここにいても良いですか?」からの「好きにしなさい」の返答だけ。

 アリシアは腕組みをしながら何かを考え込むように前方を凝視したまま。たまに動きがあるかと思えば望遠鏡を伸ばして覗いている。

「あんた符号書は読んでる?」

 二人っきりになってどれくらいの時間が経ったか分からなくなった頃、アリシアが唐突に言った。

「は、はい?」

 いきなり話を振られてハノンは頓狂な声をあげてしまう。

「……発光信号の暗号書ですよね」

 突然の問い掛けにたじろいだが気持ちを持ち直すとそう答えた。電鍵を打つ際にそれを傍らに置いて作業している。さすがに同じ信号を打つのを一日以上やっているとなれてしまって、暇潰しを兼ねて読んでいる。機械使徒操士となるには必要な技術の一つでもあると教えられたので結構熱心に読んでいる。

「ならば暗号関係はある程度読めるようになっているということか」

 アリシアは傍らに置いてあった薄い本を手に取るとハノンに手渡した。

「これをあんたにあげるわ」

 とりあえずハノンはそれを受け取った

 数頁しかない本。それが三冊。装丁は木板でも入っているかのような頑丈な革製。一冊目の中を開くと枚数は少ないのにやたら分厚い頁が出てくる。羊皮紙を特別に厚く精製したものらしい。

「これには何が書いてあるんですか?」

 試しに開いてみた一冊の中には、見たこともない言語が羅列されていた。

「そこに書かれているのは魔法を具現化するための術式」

「……え?」

「それは魔導書よ」

 自分の故郷には魔法を扱う女戦士が稀に現れ(地下迷宮ではその偽者のようなものと遭遇したこともあるが)水の魔物と呼ばれる怪異を駆逐していくので、魔法自体は存在するものだと認識できる。そして自分自身も動く案山子に風の魔法で恥ずかしい目にあったこともある。

 しかしそれは対岸の火事のようなものなので、自分には手の届かない場所にあるものと普通は思う。

 だからそれを具現化できる書物をいきなり渡されても理解が追い付かないのは仕方ない。

「ここから脱出するためにはあらゆる手段を考えなければならない。それにはあんたの行動も含まれる。ここにいる三者でなんとかしなくちゃならないわけ。あんたも捨て駒じゃなくて生きた駒なのよ」

 しかしアリシアはハノンの理解を越えたこれが、ハノンにも必要であるという。

「あたしは魔女だから呪文を唱えるだけで魔法を扱えるけど、普通の人間はできない。普通の人間が魔法を扱いたければ、精神力を魔力へと変換する聖黒片せいこくへんが必要になる。あんたは幸いにして聖黒片が埋め込まれた魔法道具マジックアイテムを持っている」

「それってもしかして」

「そう、解錠ノ剣キーカリスよ」

 解錠ノ剣キーカリスは特定の扉――ここでは地下迷宮の扉――を、解錠ノ剣キーカリスを手に入れた者だけが開けられるという制限を持たせるための道具として、聖黒片を利用し制作されている。そのため低位ではあるが魔力を引き出す器として一応は機能する。

「あんたにその魔導書の全てを覚えろとはさすがにいわない。しかし脱出の可能性があるのならば全て試してみなければならない。これは聖黒片が埋め込まれた道具を所持していた者が果たさねばならない義務のようなもの」

 外部への交信が頼りない発光信号しかない現状。とりあえずここにいる者だけでなんとかする方法を考えないといけないとアリシアは言う。

「まあ、雷帝あたしに、黒龍師団統率者キュアノスプリュネルに、あの赤鬼を倒した機体の新人が未着としれたら、予定航路周辺海域の大規模な捜索は始まるとは思うけどさ」

 この機械神十二号機には黒龍師団の要職を務めるものが複数乗っているのだから、それほど長期間の漂流はないとアリシアは予想してはいるのだが。

「あの……赤鬼を倒した新人って」

 しかして、突然出たその言葉にハノンが反応する。

「あんたのことじゃない、なにいってるの?」

 地下迷宮の入り口でその時の状況をアリシアは直接聞いている。

「で、でもあれは、菖蒲の香水を作ってかけただけで、卑怯な手を使って倒してしまったというか」

「地下迷宮に突入しようって時点で卑怯もなにもないわ。あんたは迷宮内に鬼がいるかも知れないと考えて対抗策を考えた。あんたには確かな洞察力がある、そういうこと」

「……でも、幼馴染みに背中で守ってもらってなければできなかった」

「それは幼き頃から一緒に生きてきた者同士だからこその連係。お互いを信じたからこその二人の勝利。それはあんたたちの中で確かな経験となって、前へ進む力となっているでしょ」

「……」

「それにあたしたちはその卑怯な手の渦中にいる」

 アリシアが言う。

「あんたは赤鬼を倒し、そして銀狼を退けてもいる。その才覚を生かしてほしいのよ」


 ――◇ ◇ ◇――


 発光信号機の調整は終了し、ハノンは救難信号を送り続ける作業に戻った。

「機械神の構造物全てが停止している訳じゃないのよね」

 調整を終えてハノンと入れ替わるように昼戦艦橋にやって来たキュアと、今後の対策会議になる。アリシアは切り出した。

「私も移動できる場所は確認のために回っているが、基本的に停止状態にあるのは炉と自動人形がいる隔壁内だけだ」

 動力炉と隔壁内は停滞か停止か不明だが、とにかくその場所は時間は止まっている。

「しかし通常艦船のような大きな浮力は機械神にはない。まだ海面に浮いていられるのは機械神の全ての機能が止められていないからだ」

 機械神の体積比からすると異常な重量を支えているのは、装甲表面から電磁誘導を放射し海面に引っ掻けている状態だからだとキュアは言う。

「それを利用すればある程度の移動はできるようになるかもしれん。関節稼動の補助に使っている電磁誘導を二次元機動に転用できれば」

一番機機長アイネがフィーネ台地攻防戦の時にやったあれか」

 ダンタリオンは重力面生成の試験中に、機体の強制分離事故を起こしている。十六基積まれている封印炉が限界近く稼動して、機体の方が出力過多と判断、腰部と右肩部を自動で分離させてしまいバラバラになってしまったのである。

 そしてフィーネ台地攻防戦での本番ではその様なことがないようにと、関節駆動の補助に用いる電磁誘導を使って、分離しようとする機体を強制的に押さえ込んだのだ。

 あなりにも強引な方法だが、それはその後に彼女たちの手により教本にまとめられ由緒正しき解決方法として後進に伝えられることになる(実際にあみだして教本に表記したのは二番機機長ニコである)

「幸いにして現状の十二号機は全体の重心が中央による艦船の形をしている。だから通常型戦艦のような機動であれば、ある程度は動かせるかも知れん」

「こっちの戦艦としての移動力よりも、遺物むこうの引力の方が強かったらどうする」

「万事休すだな」

 キュアが続ける。

「付け加えて、現状で使えるのは蓄電池だけだ。動けてもすぐに燃料切れを起こすのは覚悟しないといかん。もし、我々が乗っているのが十二号機アムドゥシアスではなく一号機アスタロトであれば今頃はこの機雷原から脱出できていたかも知れないが」

「どういうこと?」

「一号機は胸部、腰部、両肩部に入っている封印炉以外は原子炉だ」

 一号機・アスタロトは十六の機体に分離するという機械群体レギオンギアの元になった機。分離する四肢には封印炉ではなく原子炉が入れられて機動する(ダンタリオンとアンドロマリウスは十六機全ての分離機に封印炉が搭載されている)。

「原子炉は封印炉に比べれば単純な構造。強制停止の術式が及ばない炉を作り出せるかも知れん」

「それっていうのはどれぐらいの時間がかかるわけ?」

「手元にある機材だけでやるならばざっと十年くらいか」

 またそれか、とアリシアは心の中で溜め息を吐く。

 人間と自動人形の大きな違いは時間経過の取扱い方がまるで異なることだろう。前々回の星喰機の帰還の際は大地の全てが水没した訳だが、それには運用間もない当時の黒龍師団も含まれる。

 ではその際は自動人形たちはどのようにして水災を回避したのかというと、水が引くまでの百年間操業を停止するという何とも雄大な方法で凌いだのである。

 時間に対しての価値観が丸で違うので連携して作戦を立てようにも、こうして常に問題は起こる。十年経過すれば、一緒に巻き込まれたハノンはすっかり大人の女性だ。

「まあその話は別として、十二号機で主炉以外に使えるのは増幅用の蓄電池だけだ。とりあえず私は機体内の動ける箇所を回って、機動用の動力として使えるかどうか調べてみる」

「あたしの仕事は相変わらず脱出手段の模索なの? ハノンみたいになんかやることくれた方が助かるんだけど」

「脱出用の筏かカヌーを作ってもらうにしても、機内の部材を剥がしても材木が足らんしな」

「流木が流れつくように祈祷でもするか」

「真面目な話、ハノンにあの仕事を与えているのは彼女の恐怖を紛らす意味もあるからな」

「それは分かってるけどさ」

「すまんがお前には自力での脱出手段の模索を引き続き願いたい」

「分かってるわよ」


 ――◇ ◇ ◇――


「二人に集まってもらったのは他でもない」

 昼戦艦橋にキュアを始めとしてアリシアとハノンの全員が集まっている。

 誰か一人は必ず発光信号機を動かすのが当番となっているので、全員が一ヵ所に集うのは尋常ではない。信号を発しながら話せば良いのであればハノンの部屋でもいいのだが、そうではなく外海がよく見える昼戦艦橋ここを会議場所にしたのも意味があるのだろう。

「海面の光の反射が妙におかしい場所、についてなのだが」

 二人を集めたキュアが切り出す。

「水面下に何かが潜んでいるから起こる光の屈折の異常水面でしょ。巨大海生物でもいた?」

「それぐらいならば、お前と私の雷術で撃退できたかも知れぬが」

 アリシアの問にキュアは深刻そうな機械音声で答える。

「氷だ」

「氷?」

「それも氷山級の大きさの氷塊が海面下で生成されつつある」

「ちょっとまってよ、氷山くらいの大きさなら浮力がついて海面に浮かんでくるはずでしょ? なんで海の中にまるごと沈んでいるのよ」

「水系感覚器センサーで感知した処、氷塊は空洞のような状態になっている。中身は海水のまま。だから浮力は足りずに沈んだまま」

 外郭を氷結させて作った後に、内部に充填された海水を徐々に凍らせているらしい。

「よくまあそんな高度な氷の作り方できるわよねえ」

「絶対素粒子と相対素粒子の非統一アンバランスな関係が水素と酸素の分子領域に構造的影響を与えて――とにかく、本物の機械神を止めるほどの相手だ。ある程度の時間をかければ水の素性を熱操作、熱を奪って固体化させることもできるのだろう」

 ここで焦点になってくるのは「時間さえかければ」という要素。時間をかけて機械神の炉を停止させる術式を組み、停止させている間に時間をかけて氷山を生成する。なんとも手間のかかる方法だが、食虫植物や蜘蛛など自然界の狩人はそのように手間隙かけて罠を張り、獲物を獲る。それを機械神相手に再現したのが、この状況だ。

「しかもこれが本機の左右に一つずつ生成されつつある」

 キュアが更に悪い状況を伝えてくる。

「つまり左右の氷山で押し潰そうってこと?」

「おそらく――というよりも、それ以外には考えられまい」

 キュアが言う。

「機械神が通常では機械兵器が相手であれば無敵の存在であるならば、動きを封じた上でそれを上回る質量で押し潰してしまえという、単純ながら確実な破壊方法。最大の要は炉と隔壁内を停止させる術式の構築だが、どれだけの時間がかかったか分からぬが相手はそれを完成させ単純ながら確実な破壊方法を具現させた」

 そして左右の氷山もあと一日か二日もあれば生成は完了するだろうと付け加える。

「左右から挟んでくるのなら前か後ろに逃げれば何とかなるんじゃ?」

「そう上手く行くと思うか?」

 前後には遺物が立ちはだかり脱出しようとしても妨害してくるのは明白。トラップであるのだから自らも一緒に押し潰されるのも前提の仕掛けなのかも知れない。

「私の望みは、どうにかしてお前たち人間ふたりはここから生還して欲しい。私も他の自動人形も十二号機も、ここで閉じ込められたとしても時間をかければ脱出方法は模索できる。しかし生物であるお前たちはそうはいかない」

 キュアが重苦しく語る。

「私は十二号機のまだ動く電磁誘導機能と蓄電池を組み合わせて、十二号機を何とか艦艇のように二次元の動きだけでもできるように機体中の回路を組み直す。アリシアはそのための操作術式を組んでほしい。この昼戦艦橋でも下の操作室でも両方できるようにだ」

「わかったわ」

「ハノンは発光信号を送るのを続けてほしい。私もアリシアももう交替してやれんので昼夜兼行になるが、眠くなったら寝ろ。体力の温存も考えるのだ、これからの脱出のために」

「わかりました」


 ――◇ ◇ ◇――


「……あ、寝ちゃった」

 ハノンはいつの間にかテーブルに突っ伏して眠ってしまっていた。

「……」

 テーブルの上には電鍵と符号帳の他には非常食の入った包みと水の入ったボトル。もう食事も用意できないということで数日分の食料が渡されていた。

 ハノンは非常食の固いビスケットをかじると、電鍵を打つ操作に戻った。

「なにやってんだろうな……私」

 幼馴染みに着いていくと言って目的地行きのふねに乗り込んだはいいが、まさかこんなことに巻き込まれるなんて。

 今は幼馴染みのことがたまらなく恋しい。外の世界に飛び出した自分には、頼れる相手は他にいないだろうから。

 あの子は今ごろ何をしているのだろうか。もう訓練の毎日に励んでいるのだろうか。

「……」

 電鍵を打つ指が、自分の意思とは関係なく違う信号を打ち始める。幼馴染みの名が指を伝って光に載る。

 ――たすけて***――

「……」

 彼女はそれを何度打ったか分からないまま再び睡魔に教われ、テーブルの上にくずおれた。


 ――◇ ◇ ◇――


 メグハ・クルスは、再びアレックスが操る機体に同乗させてもらい第参海堡へと帰還途中だった。

 黒龍師団本拠地にて機械神操士選定を終えたメグハは、帰りの便を待っていたのだが、やはり予想通りというかアレックスの機体へと同乗することになった。

 しかし、乗り込む機体の様子がどうもおかしい。

 外見は変わらないように見えるのだが、中に入った途端、専用の個室に通された。しかも案内してくれたのはいつもの客室乗務員ではなく自動人形。そして中にいるのは自動人形ばかりで自分以外の同乗者がいない。

 メグハはあてがわれた個室にある窓から外を見ていたのだが、海を見ているこの窓も、無理やり装甲に穴を開けて突貫工事で設えたような、強度だけを重視したかのような荒っぽい作り。部屋自体も多目的に使う空所を客室として応急的に整備したものらしい。

 二回乗せてもらったカークリノラースとは、何か違う印象。

「……」

 以前のように操士であるアレックスに挨拶に行こうにも、この個室には誰も訪れない。

 テーブルには携行食と水が必要分用意されていて、その他にはトイレまでの略地図が置いてあるだけ。

 メグハもどうせ一日程度の空の旅だからと、この放置状態を受け入れることにし、空と海を眺めながら黒龍師団本拠地で借りてきた本を一冊読んでいた。

 それは本というよりも仕様書に近いもので、発光信号の符号帳だった。

 教官フィーアの下での訓練もままならないまま、空の航路の往復をしているメグハは空いている時間に何か自学習しなければと九尾の狐レベッカに聞いてみたのだが、ならば発光信号の符号でも覚えたらどうかと進められた。

 機械使徒は無線での交信が困難な場合は発光信号で意思疏通を図る。それは機械神を始めとする他の機動機械でも共通の光の明滅による会話方法だから、最初に覚えていて損はないと教えられたので、とりあえず符号帳を開いているのだった。

「……?」

 符号帳から目を離し何気なく外を見たメグハは、海面に断続的に光が灯るのを見たような気がした。

 低空に漂う水蒸気の反射で非常に見えにくいが、なにかこのまま放ってはおけない気がして、目を凝らして見る。

「あれが……発光信号? なのかな?」

 海面にはその光の明滅以外には何も見えない。水蒸気でぼやけた視界に、光の球だけがぼやっと浮いていて点滅しているように見える。

(え……人魂!?)

 海難事故にあった船員の魂が海を漂っているのだろうか。そんな怖い考えをしてしまったが、やはり規則的に明滅しているようにみえるので、発光信号なのだろう。

 目を凝らしてじっと見ているとそれはこう読み取れた。

 ――タ・ス・ケ・テ・メ・グ・ハ――

「……たすけ、てめ、ぐは……って、助けてメグハ!? って、ええ!?」

 メグハは思わず窓の顔を押し付けた。

「いるのそこにハノン! いるの!?」

 自分にそんな言葉を伝えようとするのは彼女しかいない! メグハの思考は即断する。

 メグハは居ても立っていられなくなり、部屋を飛び出した。そして機内を巡回中の自動人形を捕まえると、こう願い出た。

「アレックスさんに会わせてください! 私の幼馴染みが呼んでるんです!」


 ――◇ ◇ ◇――


 昼戦艦橋に再び全員が集まった。

 左右の窓から見える氷山は壁のよう直下そそりたつように肥大化している。並の戦艦を越える大きさに膨れ上がっていた。

「とりあえずやれることはやった」

 十二号機中の電磁誘導の系統の危機を繋ぎ替えて前後と左右への移動能力は確保したキュアが言う。

「出力は生命維持以外の全部の蓄電池から引っ張ってきてるけど、速力は期待しない方がいいわよ」

 アリシアが言う。不眠不休の作業だったか表情に疲れが浮いている。

「惰力で何とかするしかあるまい。戦艦で考えるならば排水量12万瓲の大戦艦だからな。相手がこちらの移動力を完全に奪っているものだと思い込んでいるのを信じるしかあるまい」

「……」

 二人の会話を黙って聞いているハノンも起きていた時間は殆ど発光信号を打っていた様子で、目元がおぼつかない。途中、正規の救難信号とは違う信号を送ってしまっていた気もするのだが、良く覚えていない。それだけ精神的な疲労が溜まっていた。

「即事作戦を結構する。私はこの昼戦艦橋で指揮を取る。お前たち二人は主操作室に行き、私の指示を待て」

「……それで良いのね」

「ああ」

 アリシアは艦長席を立つと「行くわよ」と一言だけ告げて後部扉へ向かった。ハノンも無言で着いていく。

「……すまんな、この後は私でもどの様な展開になるのか予測がつかない」


『全速前進最大速力』

 十二号機の主操作席にアリシアが着き、その傍らにハノンがしゃがみこむような姿勢になった途端、拡声器からキュアの指示が来た。昼戦艦橋でもその程度の操作はできるだろうがキュアにも何か思惑があるのだろうと、アリシアも黙って従う。

 十二号機か《アムドゥシアス》が大型戦艦オルタネイティブ・フォルテシモとして動く時の舵桿を動かすと、十二号機は静かに前進した。

 機械神として反応するような感覚は無い。

 排水量12万瓲の戦艦がじりじりと前へ進んでいく。

「……」

 前方の進路を塞ぐように遺物の一つが、氷山の間に現れた。

 こちらは移動手段も限られ、攻撃手段も殆どが封じられている。

 双方の距離は縮まり十二号機の艦首が遺物へと衝突し、操作室が揺れる。

「きゃあ!」

 ハノンが悲鳴を上げ捕まる力を強くする。

「この十二号機の質量を使っての体当たりを食らわせるしか手はないってことなのよね」

 まさか機械神を用いての水上衝角戦をすることになるとは思っても見なかったアリシアが言う。

 向こうは機械神の一部を使った遺物、こちらは完全な状態の機械神としての機体。質量的にはこちらに部がある筈だが、相手は動じる気配もなくむしろ押し返そうとしている。

 やはり蓄電池だけで動いているこちらとは質量以前に力の差がありすぎる。

「どうするのよキュア?」

 どうにも手詰まりになってしまった現状をアリシアが問う。

『どうにもならなくなってしまったようだ』

 昼戦艦橋から現状を見ていたキュアから無線が入る。

『機械神をこんな方法で破壊する方法があるとはさすがに想定外だ。機械神が二機以上いれば簡単に脱出できるような単純なトラップだろうが、基本的には機械神は単機での行動だからな。その運用を突いた見事な罠を仕掛けたというしかない』

「敵を誉めるのはいいけど、脱出方法はもうないの?」

『救難信号を見つけてくれるのを待ってはいたが、それすらも欺瞞する効果があってはお手上げというしかない』

「どうするの?」

『両側面から迫ってくる氷山の質量にはさすがに機械神も耐えられん。お前たちを主操作室に行かせたのは、人間にとってはそこが一番安全だからだ。機体が押し潰されてバラバラになっても操作室のある頭部は軽被で残るだろう。そうなってからあらためて救助を待つしかない』

「……そうなったら、海の底、なんですか」

 今まで黙っていたハノンが口を開いた。

『そういうことになる』

 キュアが簡潔にその後の推移を伝える。

『ただ、機体がバラバラになったらなったで自――』

「嫌……そんなの嫌」

 キュアの言葉が今まで我慢していたハノンの中の何かを壊してしまった。

「そんな簡単に自分の人生が決まるなんて嫌……一緒にがんばろうって約束したのに私だけこんなところに取り残されるなんて嫌」

 ハノンの瞳には主操作室の内部もその中心に座る操士も映っていなかった。共に故郷を旅だった幼馴染みの笑顔がおぼろ気に見えていた。

「あなた一人だけじゃ心配だから私も着いて行くっていったのに、私の方がこんな目にあってるなんて、なんなんだよね……でも」

 ハノンはボロボロと涙を溢しながら、知らずのうちに電鍵で打っていたその名を呼んだ。

「……たすけてメグハ……」

 その時、通信が入った。

『ようやく発見しましたわ!』

 女性の声。その声の主をハノンは知らないが、アリシアとキュアはもちろん知っていた。

「アレックス!?」

 アリシアとキュアが周囲を見回す。すると十二号機の後方から氷山の間を超大型航空機が高速接近してきていた。そして十二号機の上を飛び越えていく。

『動けなくてお困りのようですわね。その通せんぼしている悪い子を壊してしまえば良いのかしら』

『ああ、頼む。派手にやってくれ』

 昼戦艦橋で超大型航空機――機械神九号機・グラシャラヴォラスが巨体をものともせず急旋回するのを見ながら言う。ようやく救援が来てくれた。

『タリホー! ですわーっ!』

 旋回を終えた九号機が遺物へと逆落としをかける。機体を横倒しにして左の翼で相手を切り裂くように衝突させる。九号機の両翼は艦艇でいう処の衝角のような仕様となっており、その翼衝角と速度と質量を持って、遺物を真っ二つに切り裂いた。同時に爆発がおこる。

「!」

 その爆風に十二号機も飲み込まれたが、それ以上に遺物の一つが破壊されたことにより機体の自由がある程度戻ってきた方が重要だ。

「よく救難信号を拾ってくれたものよね。キュアの偵察では欺瞞効果が仕掛けられている話なのに」

 徐々に動きの感覚が戻ってくる操作卓を調整しながらアリシアが言う。

「わたくしだけでは見つけられませんせしたわ。同乗している訓練生のが見つけたのですわ、か細い信号を」

「!」

 それを聞いてハノンが反応した。まさか彼女が?

「通常の救難信号だったら見落としていたかもしれない、でも自分には幼馴染みが助けを求めてるのが分かるからって操作室に飛び込んできたのですわ」

 彼女が光の明滅を見たと言う場所と、近くにいた自動人形の目視による測量により周辺海域へ降下して詮索していたところ、氷山に挟まれた十二号機を発見したのだ。

「だからお手柄は今後ろの個室で目を回している訓練生のですわ」

 普段は見せない九号機グラシャラヴォラスの急襲に同乗してしまって体を固定するだけでも大変だろう。

「なるほどね。さて、こちらとしてもこんな所に閉じ込めてくれたお礼をしておかないとね」

 説明を聞き、床下から聞こえる力強い炉の駆動音も感じながらアリシアが不適に言う。

「ちゃんと掴まってなさい、さっきより揺れるわよ」

 アリシアが言うと同時に機体が揺れる。

「……浮いてる?」

 突然の浮遊感にハノンが気付く。十二号機は離水し海水を滴らせながら上昇を続けている。アリシアがそれと同時に操作卓の可変釦を操作する。十二号機を艦として構成する部品に隙間が生じて移動していく。今まで前後に長かった全長が分割されて再構成され、上下に長くなる。それは両側面には腕を、下部からは脚が生えた。頭部には大角を一対生やした人型。

 機械神十二号機・アムドゥシアスとしての本来の姿を取り戻した機械仕掛けの神が、氷山の上に降り立つ。

「あたしの獲物ものこしておいてよアレックス」

 アリシアがそう言うと同時に九号機が後ろにいた遺物を切り裂いて爆発させていた。

「氷山の後ろに隠れているのがおりますわよ」

 アレックスに言われて対物感覚器センサーを向けると、氷山の後ろに遺物の一つが隠れている。どうやら氷山の生成と動きの制御をしている様子。

 アリシアは十二号機を飛行させると、遺物の上空へと滞空させた。

「さて、どれだけの技でお返しをしてやろうか」

「私としては試料サンプルとして持ち帰りたいのだが」

 昼戦艦橋の方からキュアが言うが

「運搬中に再びやばい機能とか発動したら嫌だから、そのお願いは却下」

 アリシアがそういうと同時に、十二号機の右脛の装甲に無数の亀裂が入り、出来た溝部分から発光を始めた。それと同時に腰部両側面と左脚脹脛の推進機が水素の火炎を噴き出し猛烈な勢いで十二号機を前進させる。

「他人が考えた技だけどまあ仕方ない。最大級の攻撃で粉微塵にしてやるわ」

 十二号機は機体を傾けながら、右脚を振り上げ、右脹脛の推進機も吹かして加速させた蹴りを遺物に見舞う。生身の人間が機内にいれば確実に圧死している速度。

『近接打撃呪法――粉砕する烈気ビートフィジカル!』

 何かの魔方陣のように幾何学的に開いた亀裂からの発光が強まると同時に、蹴撃が遺物を襲い、次の瞬間には粉々に砕かれた。相手は遺物とはいっても機械神の一部を用いたもの。その強固な構造体を粉々に砕く機会など滅多にないことである。

 アリシアが自分たちを縛り付けていた相手に恨みを晴らすように粉々にしていると、反対側の遺物はアレックスの九号機が粉砕して方をつけていた。


 ――◇ ◇ ◇――


 戦艦オルタネイティブ・フォルテシモは、到着予定から三日ほど遅れて第参海堡に入港した。

 入港を送らせたあの遺物は相当破壊してしまったのだが(機械神を停止させる別な機能が発動されても困るので徹底的に破壊された)残骸は十二号機が九号機に載せるなどして、先んじて第参海堡に空輸されてきた。ちなみに氷山はそのままである。

「やっと着いたわね」

 久しぶりに桟橋に降り立ったアリシアが疲れたように言う。

「延長期間としては三日程度長くなっただけなのだがな」

 続いて降りてきたキュアが何の事は無かったかのようにいう。

「その三日がいらん大冒険だったんでしょ!」

「まあお前たちを主操作室に入れたのは、あのあと氷山で機体が押し潰されれば隔壁も破壊される訳だからな。自由になった同胞と共に遺物への再攻撃を考えていたのだが」

「あたしもそんな流れにはなったんだとは思ったけど、成功思わしくない作戦よね」

「仕方あるまい。まず機械神はいきなり動力を止められて、しかも中の自動人形も動けなく隔離されるなんてことは、設計上考慮されていない」

「機械神を倒す必要はないんだけど、倒すための方策を準備している⋯⋯それって、財力や権力に繋がるってことでしょ」

「そうだな、仮想敵として機械神を位置付けておけば、防衛費などで金銭は動くし権力も動く」

「機械神っていうのはもう何千年か何万年か昔からあるか知らないけど、そういう仮想敵として金と権力を動かして作った対抗兵器っていうのがこの世界――特に海の中に潜んでいるんじゃないの?」

「⋯⋯やはりこれからは海の中にも捜索範囲を広げなければならぬ時が来たのか」

「あたしはそのための第参海堡の建造だと思ってたんだけど?」

「まあそれもあるのだが⋯⋯」

 今後の事を話し合う二人の後ろにはハノンが心底疲れた様子で歩いていた。

 自分たちを助けに来てくれた大型機には幼馴染みが乗っていた筈なのだが、一言も話せずにいた。

「⋯⋯」

「アリシア操士、キュアノスプリュネス、御帰還お疲れ様です」

 三人が歩いていると出迎えがいた。

「フィーアじゃない、どうしたのよ」

 同じ魔女であるアリシアが彼女の姿を見て声をかける。

「うちの訓練生をもう一人迎えに来たんですよ」

 よく見るとフィーアの後ろに訓練生の腕章を着けた者が、なんだか出ずらそうにもじもじしている。

「⋯⋯ハノン」

「あ!」

「さ、私のことなんて気にしなくて良いから迎えて上げなさい」

 フィーアの後ろにいた訓練生――メグハは、フィーアの言葉が終わるかどうかで飛び出すと、アリシアとキュアの間をすり抜けてハノンに飛び付いた。

「ハノン⋯⋯会いたかったよ」

「私もだよメグハ⋯⋯」

 二人はしっかりと抱き合うとほっとして力が抜けたのかその場にしゃがみこんだ。そして二人して泣き出した。

「ハノンの方もかなりの大冒険でしたわね」

 いつのまにかアレックスもやって来て、泣き崩れる二人を見守る。

「まあ、あたしたちができるのはここまで。フィーア、あとは教官のあんたに頼んだわよ」

「えー、一人ぐらいは宿舎まで一緒におんぶしていってくれないんですか」

「魔女は非力なのよ」


 その後ある程度落ち着いた二人はフィーアに連れられてダンタリオン四番機の宿舎へと着いた。ハノンも一緒にフィーアの下で学ぶことになるのだった。

 二人はその夜、一緒のベッドで抱き合って、泣き合いながら一晩過ごした。


「フィーアさん、おはようございます」

「……おはようございます」

 翌朝。

 メグハが宿舎内の食堂に顔を出すと、その後ろからハノンもやって来た。ハノンは十二号機内で制服の支給はされたとのことなので、恥ずかしそうにしている初々しい姿が見れないのはフィーアは少し残念だったが。

「さて、ちょうどできたところだから、朝御飯にしましょー」

 トーストやサラダなどをフィーアがテーブルの上に並べ始める。

「あ、あの、私もなにかお手伝いをっ」

 メグハが慌てるようにキッチンに行く。

「私もなにかお手伝いを……って、メグハってば私より長くいるのに朝食の準備もわかってないの!?」

「しょうがないじゃない、ハノンがオルタネイティブ・フォルテシモで第参海堡ここまでやってくる間に黒龍師団本拠地まで往復してるのよ!」

 幼馴染み同士らしく遠慮なくぎゃあぎゃあと言い始めた二人を、フィーアが「これから毎日が賑やかになるね、かつてみんなでダンタリオンを動かしていた時のように」と、楽しげに見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る