第二章 異端審問官
「……」
メグハは瞼を開いた。
「……?」
光に包まれた白い世界。
メグハは明け方特有の、生まれたてな新鮮の中にいた。
「……朝?」
ぼーとっする視界が自分のいる箱の中――部屋の中を巡る。
「……布団が気持ちいい」
掛け布を巻き込むようにメグハが体を横にする。
朝の心地好い空気が更なる眠りを誘う。
「……」
このままではいけない。
「……起きなきゃ」
未練を断ち切るようにメグハは布団を跳ね除ける勢いで上半身を起こした――が
「……!?」
眠気が薄れ、定まってきた視界で改めて部屋の中を確認すると、全く見知らぬ場所。
「ここどこーっ!?」
自分の部屋で寝ていたと思っていたメグハは思わず声を上げてしまった。
「……あ、そうだ、そうだった」
実家の自分の部屋よりも何倍も大きな室内を見回して言う。自分が寝る場所以外にもベッドが多く並び、それは何れも
自分は二日前に故郷を旅立ち、搭乗機の中で夜を過ごしたあと、隣席に座っていた右手だけ手袋を嵌めた女性――リュウナ・ムラサメに連れられて此処へ来た。
故郷から離れて此処へ到着した間、とんでもない大冒険の連続だったのだが、一晩経ってみると、まるで夢の中にいたような気分になってきた。
自分はまだ義務教育期間中で、今いるのはその教育の一環である修学旅行先。自分一人なのは他の人は連れ立って顔でも洗いに行っているのだろう。そうに違いない。
窓の外を何気無く見てみる。
「……」
大きな人の上半身が見えた。表面が朝日を反射させて勇壮な鋼鉄の機体を輝かせている。下半身は卵の殻というかじゃがいもというか、とにかく半分は人の形をしていない。
機械使徒番外三号機の分離機の一つ、ダンタリオン四番機が宿舎の隣に駐機している。
そう――これは
「夢じゃない、夢なんかじゃない!」
メグハはそう叫ぶとベッドから飛び降りる勢いで床に立った。
「私、今日から、機械使徒操士、候補生、なの、よ!」
何故か言葉をぶつ切りにいいながら、夜着を勢いよく脱ぎ始めた。
「……フィーアさん、おはようございます」
妙に恥ずかしそうに、メグハが宿舎内の食堂に顔を出した。昨日寝る前に「朝起きたら制服を着て食堂に来てね」とフィーアから言われていたのは思い出した。
「うん、おはようメグハ――おお」
食堂備え付けのキッチンで朝食を作っていたフィーアは、メグハの機械使徒操士用の制服姿を見て、思わず感嘆した。
「かわいいかわいい、似合ってる」
「……そうですか」
制服の類いなんて誰が着ても似合うとはメグハも思うが、誉められて嬉しくない訳がないので、更に恥ずかしくなる。
「さて、ちょうどできたところだから、朝御飯にしましょー」
トーストやサラダなどをフィーアがテーブルの上に並べ始める。
「あ、あの、私もなにかお手伝いをっ」
「今日はいいからー、そこに座ってて」
そうのんびりいいながら意外にもてきぱきと食事の皿を並べるフィーアの仕事ぶりにメグハも手が出せずじまいのまま朝食の準備が整った。
「じゃあいただきまーす……って、フォークがない?」
さあ食べるか、という段階になって食器の一つを忘れたのに気付いた。
メグハが「私取ってきます!」と立ち上がりかけたのを「いいからいいから」とフィーアが止めると、何事かを呟く。それはリュウナが
「!」
驚くメグハを余所にフォークがそのまま宙を飛んでくるとフィーアが上げた手の中に収まる。
「はい」
フィーアは目を丸くしたままのメグハに一本渡すと、何事もなかったかのように食事を始めた。
「ほら、早く食べないとトーストとか冷めちゃうよー」
「あ、あの……フィーアさんって、やっぱり魔女、だったんですね……」
あまりのことに固まっていたメグハが、ようやくサラダに手をつけながら訊いた。
「そうよ、私は磁力の魔女のフィーア、よろしくね」
メグハも「メグハ・クルスですこちらこそよろしくおねがいします」と何度目かの自己紹介をする。
「でも今のところは機械使徒操士としてのお仕事が多いから、魔女としての出番はほとんどないんだけどね」
人差し指の上でフォークをクルクルと回しながら「金属しか作用させられないダメ魔女だし」と悲しそうに言う。
「……そうなんですか?」
「うん。だって磁石って鉄しかくっつけないでしょ、私も同じだもん」
魔法をかけて回していたフォークを普通に持つと、食べかけのトーストの乗る皿をコツっと小さく叩いた。
「こういう陶磁器なんて絶対無理だし、下のテーブルにしても釘の部分なら魔法で動かせるけど、釘だけすっぽぬけちゃったり」
「……あ、あの、私でもフィーアさんみたく魔法って使えるんでしょうか」
フィーアがあまりにも悲しそうな顔をするので、メグハは思わずそんな風に言い出てしまった。
「お、メグハは魔術師団に入団希望な
それを聞いたフィーアの表情が急に明るくなり、そんな勧誘をしてきた。
「魔術師団!? そんなのあるんですか!?」
「うん。水の魔物を相手にする白兵部隊に追随する組織として最近作られたのよ」
フィーアは「最近といっても数年前だけど」と付け加える。魔女のフィーアは不老に近い体なので時間の感覚が普通の人間とはすこしズレ気味だ。
「魔術師といっても今のところは磁力の魔法と雷の魔法を簡易化したものしかないから、こじんまりとしたものだけど。興味があるなら魔術師を目指してみる?」
フィーアの問いに「……まだわかりません」としかメグハは答えられなかった。何しろ自分はまだ機械使徒操士候補生としての正式登録も済んでいないのだから。
「まあこれから
そうして会話をしていると、二人ともいつに間にか食べ終わっていた。
メグハが「私が洗います!」と皿を片付け始めるが「色々と教えないといけないから二人でやろう」と、フィーアと並んで洗い物をしている。
「いつもは食事の用意とかってどうしているんですか?」
シンクで皿を洗いながらメグハが聞くと
「少し前までは
機械使途操士という仕事柄、主務であっても候補生であっても食事の方法も時間も
「じゃあ今夜から私がご飯の用意を」
しかしそれでも、先達であるフィーアにいつまでも食事の支度を任せていてはいけないと、宿舎で自炊の時は自分が作ろうとメグハは名乗りを上げるが
「料理とかできるの?」
「はい! 全然できません!」
その全力のダメ告白を聞いてフィーアは思わず吹き出した。
「じゃあ、料理も含めて今日から少しずつ頑張っていこう」
「はい!」
――◇ ◇ ◇――
朝食を済ませたメグハとフィーアはダンタリオン四番機用の宿舎を出て第参海堡を歩いていた。
第参海堡は正式には第参機動海堡といい、黒龍師団本拠地建設の際に、その支援用として作られた移動式海上橋頭堡が元になっている。
全長10000フィートに及ぶ本体は強襲揚陸艦を巨大化させたような形で、上面は先端から後端まで平坦であり、資財置き場や作業用大型重機の設置など多様な運用のために航空母艦のように平甲板となっている。
側面には超大型の乗降扉があり、そこから機械使徒を搬入して仮設倉庫として運用されていた。
そして黒龍師団本拠地が完成して稼働を始めると、図体の大きい第参海堡は持て余し気味となり、多目的な仮置き場としてひっそりと使われていたのだが、雲を小さくしていく作業の行く末を考えると、拠点の確保が望ましいと意見が出され、その他多くの支援機構や訓練設備を包括した移動基地として再就役する事となった。
本体の全長とほぼ同じ大きさである最上甲板には様々な設備が建設され、一つの都市機能を持つに至る。しかも建設科候補生の訓練要目の一つとして増築は続けられているのである。
「船の上にいるのに、ほんと街中にいるみたいですよね」
キョロキョロと周りを見渡しながらメグハが言う。
この第参海堡が船という括りなのかと疑問にも思うが、とりあえずは水に浮いているので船なのだろう。自分の故郷もあれだけ巨大なのに
そういえば自分は方舟艦から第参海堡という船から船に引っ越しただけなんだなと、改めて気付いた。自分が普通の地面に降り立つ日は一生来ないんじゃないかとも思ってしまう。
「そうねえ、揺れなんかも殆どないから、お仕事に外に出てからここに帰ってくると、安心した気分になるのはわかるわー」
フィーアがのんびりと応える。第参海堡は幅も1300フィートあるので、津波級の波でも来ない限り揺れることもない。
その街のような船の住民はメグハと同じような制服や、少し色と形が違う制服を着ている者、機械油が付着する作業着姿の者などがやはり多い。第参海堡が黒龍師団員によって運用される支援設備の集合体であるのを認識させられる。私服姿で歩いていると逆に目立ってしまうのではないだろうか。
「制服は物々しいんですけど、なんだかのどかですよね」
水路にかけられた橋を渡りながらメグハが言う。海の上の構造物に、更に水路が敷いてあるものおかしな話だが、無意味に作られたものではないのはメグハにも分かる。
「そうねえ、のどかで静かなのは良いことだと思うけど」
海上の橋頭堡の上に作られた不思議に落ち着いた空間。フィーアも何度も目にしているだろう、形作っているそれを見ながら言う。
「静かであることは、もう発展のない行き止まりの世界。新しいものを作ろうとする創造の騒音がないということ」
不意に出たフィーアの言霊に、メグハは黙するしかなかった。
「行き止まりなら、もう伸びしろがない。だから一度開いた差は縮まらず開くだけになってしまう」
「……」
「メグハは、この世界に風穴を開けたいと思う? 行き止まりをぶち破ってその先に行ってみたいと思う?」
「……わかりません」
「そう、わからないのよ」
フィーアがメグハの言葉に導かれるように言う。
「機械仕掛けの淑女たちが作った
「……」
――◇ ◇ ◇――
メグハとフィーアは第参海堡の右舷に建てられている構造物――艦船でいえば艦橋にあたる場所へとやって来た。
第参海堡の行政中心部であり、機械使途操士に関連する緊要の用件も全てここで処理することになる。
「候補生の
艦橋の中に入って、導管や電設管が壁や天井を這いまわる通路を結構歩いて、受付のような場所(そのわりには凄まじく殺風景なのだが)に辿り着いたフィーアは、連れてきたメグハを紹介した。
「はい。えーと――メグハ・クルス。出身地は方舟艦隊の首都艦。方舟艦内での個人名の呼び方は
受付に座る女性はそういいながら折り畳まれた布を出した。
「この前新人たちを送り出したばかりなのに、もう新しい候補生の受け入れですか。フィーアさんももう少し休んでいれば良いのに」
「うーん、そうなんだけど、なんだか一人でいる時間がもったいなく思ってきちゃって」
「さすが
「まあ、教官がそんな人だったから、一番弟子の私も自然に体が動いちゃうのよね」
フィーアはそういいながら畳まれた布を広げた。それは筒上に縫われた記章、腕章だった。
「メグハ、ちょっと左腕を出して」
「あ、はい」
伸ばしてもらった左腕に腕章を通すと、上腕の辺りで止めた。
「これであなたも正式に
「……」
メグハは考え深げに左腕の腕章を見た。遂に、本当に機械使途を動かすための候補生となってしまったのだ。嬉しいとか大変とか、そんな気持ちよりも妙な解放感があった。
これで方舟艦の中じゃ分からなかった外の世界のことが、何でも知れる、見れる。それは若さゆえの冒険心。彼女は一度だけだが戦士となって地下迷宮を流離った冒険者なのだから、その想いは他の候補生の女の子よりも強いのだろう。
だから彼女は心の底から気持ちを込めて言った。
「がんばります」
――◇ ◇ ◇――
「あれ、ここの道ってさっき通ったっけ?」
第参海堡艦橋からダンタリオン四番機用宿舎への帰り道をメグハは一人で歩いている。
フィーアは他に用事があるということで艦橋前で別れていた。
昨日到着したばかりの新人をいきなり一人で行動させるのも剛胆な話だが、少し迷うくらいが第参海堡の道順を覚えるのにちょうど良いと送り出された。
中々にして厳刻な指導方針だが、ダンタリオン搭乗員の直接の教官である紅蓮の死神がこんな教え方だったので、フィーアもこんな教育の仕方になっているという。
別れる前に宿舎には自分しか候補生がいなかったのでその理由を聞くと「今期の訓練生の私のところの一人目があなたなのよ」と、教えられた。先輩にあたる人はいなく、自分が一番乗りだったらしい。他の者は既に泊まりがけの訓練で外出しているのかと思ったら、先達にあたる人間が最初からいなかったという。
メグハはこの機械使途操士候補生同士という今までの日常とは大きくかけ離れた中での先輩後輩という付き合いにも憧れがあったので少しガックリしてしまった。
「まあでもフィーアさんが先輩なんだし」
フィーアからは宿舎に戻ったら自習を命ぜられていた。宿舎内には書棚が多く設置されており様々な本が置いてある。それを一つずつ確認していくだけで帰舎後の時間は全て潰れてしまうだろう。
(まずは地図帳の探索かな)
複雑な第参海堡の道を歩きながらメグハは強く思う。多分建て増しを重ねに重ねてこれだけややこしい街路となったのだろうから、略地図くらいは用意されているとは思う。増築はずっと続いているらしいので、その分は描き足してしまえば良いだろう。
(そういえば二人で入った地下迷宮も、少し進んでは
その幼馴染みは今は何処でなにをしているのだろうと何気なく横路を見てみると
「……」
妙に見覚えのある小路。ここを見たのは始めてなのに既視感が過る。
(……似てる)
そうここは、小さい頃から幼馴染みと二人で秘密の遊び場にしていた地下迷宮入口に続くあの道に似ている。
「……」
メグハは誘われるようにその小路へと入っていった。
そこにあった光景は、故郷で慣れ親しんだあの風景と殆ど同じだった。
建物や倉庫に周囲を取り囲まれるようにして、小さな空き地があった。そして隅には
「……やっぱりあった」
鉄製の重厚な扉が地面に設置されていた。故郷の空き地にあったあの地下へと降りる扉と殆ど同じ作り。
「この鍵穴……たぶん同じだ」
そこに設けられている鍵穴も、見た目も指で触った感じも故郷にある地下迷宮へと続く扉と同じ。
つまり、あの
「……」
メグハはこれ以上はこの場では何もできないと判断すると其処を後にして表の通りへと戻った。
その後に彼女を上から見ていた黒い制服を着た長身の女性が音もなく空き地へと降り立ったが、彼女には知るよしもなかった。
――◇ ◇ ◇――
「フィーアさん、機械神っているんですか?」
夕食後の宿舎内食堂。
フィーアを手伝いながら夕飯の用意をしたメグハは、食事後の片付けを済ませてフィーアの前に座ると一方的に聞いた。この時機になったら訊こうとずっと機会をうかがっていたのだ。
「またずいぶんと直接的な質問ね」
食後に用意した紅茶を口に運びながらフィーアは応える。
あの空き地を出てなんとか宿舎まで戻ってきたメグハは書棚の本を片っ端から調べ始めた。全ての本を読む時間はさすがにないので、まずは目次を見て項目に自分が知りたい内容が載っていれば中身を斜めに読んで確認するという方法で、ほぼ全ての本には目を通した。
そして知った結果が、何か一番知るべき重要な事実が意図的に隠されている、そのような答えになった。
第参海堡の解説書のようなものも見つけたのだが、艦橋など表の目立つ施設の手引きや説明ばかりで、かつては機械使途の格納に使っていたという内部格納庫のことなどは殆ど触れられていない。もちろん地下迷宮という言葉も一切出てこない。
そして自分が故郷を一度は出ようと思うそもそものきっかけを作った機械神に触れる書物が全く無かった。
だからメグハは、方舟艦から出てきたというのにまだ無知な状態を強いられることに、軽い苛立ちを覚えていたのだ。
「そうよねぇ、メグハの生まれ故郷には機械神が出るんだもんねぇ」
メグハの気持ちの揺らぎを知ってか知らずか、フィーアがそんな風に言う。
「そうですよ、私だって見たことあるんです!」
「でもあんまり
「か、神隠し、ですか」
いきなりそんなことを言われてさすがにメグハも覇気が少し崩れた。
「機械仕掛けの神さまはいないけど、人間を簡単に隠せる力を持つ神さまはいる――
「そ、そんな子供だましには引っ掛かりませんよ」
「そう? じゃああなたには機械使途操士の間で伝わる伝説を一つ教えてあげる」
フィーアの口角がつり上がる。魔女の笑み――そう言わざるを得ない微笑。
「この第参海堡のどこかには地下に通じる扉があって、そこを降りていくととある書物を執筆している
――◇ ◇ ◇――
「……」
メグハは自分のベッドの上に置いた二振りの剣を、制服を着替えもせずまま見て黙していた。
小剣の大きさのものは
相手の魔力を吸い取って無力化させる対魔法使い戦用武装兵器。低級な魔法生物であれば近付けさせなくなる魔除け代わりにも使える
そして短剣の大きさのものは
メグハは実家を出るときにこの二振りの剣も一緒に持ってきていた。家に置いておいて誰かに見つかって勝手に持ち出されそのまま無くされるのが怖くて持っていくことにした。
ただ、あからさまに武器であるこの二振りを
そして最後にこう言われた。
「あなたがそれを本当に持っていきたいと願うならそれはあなたの自由、我々はあなたの意志を拒否しません」
メグハはそうして荷物の中にこの二振りも入れて、第参海堡にやって来た。
「……」
フィーアは言った。全ての真実は地下にあると。その真実の入口はあの扉の下に違いない。そして自分は扉の向こうへ行ける道具を持っている。
「……」
メグハは決断すると剣を入れておいた布袋に二振りのそれを入れ直すと、そっと部屋を出た。
彼女が宿舎を出る時に、彼女と同じ制服を纏う女性がそれを見ていた。女性は魔女としての戦闘装束を身に付けると彼女の後を追った。
――◇ ◇ ◇――
そのままメグハは外に出て第参海堡を歩いていた。
ここは支援施設と訓練施設の複合拠点なので、夜でも開いている施設は多い。
候補生の腕章を巻いた者が歪な形の布包みを抱えて歩いていたら不審に思われて声をかけられると思ったが、特に注視される気配も感じない。
昼にフィーアに連れられて艦橋まで行った時には気付かなかったが、腰に刃物入りの鞘を下げるもの、
そんな夜の第参海堡を歩き、メグハはあの小路に辿り着いた。
「……」
どうしても知りたい。その気持ちだけでここまで来てしまった。
せっかく外の世界に出たのに、内側の世界で疑問に思っていたことすら答えてもらえない。しかも内側の世界にいたときに自分の目で見ているのだ、機械神を。実際に見たものまで閉ざされている現状に、心と体が疼いた。機械使途操士候補生としての腕章を左腕に付けられた時の奇妙な解放感が、自分をここまで動かしたのだろうか。
メグハは小路を進むと目的地の空き地へと出た。ここを囲む建物は全て背を向けていて窓が一つも見えない。
メグハは空からの星明かりを唯一の便りに鉄扉の元に行き、手前にしゃがんだ。
袋から
メグハは
(……入った)
確信はあったが、やはりちゃんと使えることが分かると驚いてしまう。
後はこれを回せば、全ての疑問に答えてくれる者がいるという地下への扉が開くが
「メグハ、今のあなたの装備では迷宮一階の
不意に後ろから声をかけられた。
「!?」
その声に思わず慌てるメグハが振り向くと
「女騎士さん!?」
故郷にある地下迷宮の入口。そこで出会った女性二人組の一人、長身の方の女性があの時の姿のままそこにいた。黒を基調にした制服に左手にはメグハの所持する剣など比べ物にならないほどの大きく長い大剣を携えている。
「覚えていてくれましたか」
女性がゆっくりと近付いてくる。
「あの時は自己紹介していませんでしたね」
優しげな微笑を浮かべているが、放出する空気が非常に危険なものであるのをメグハも感じる。
「わたしの名はリュウガ・ムラサメ、機械神操士の一人」
「!」
その名前は故郷を出て
カークリノラースに同乗していた機械使途操士の姉であり、これから世話になる先達――
「あ、あなたが……紅蓮の死神」
メグハの口から思わずその名が出る。
「名前は知らなくても通り名は知ってるんですね。まあ、そのための
「機械神操士の中には本業がお休みになってしまって、副業をやっている者もいます。そしてわたしの副業が――異端審問官」
紅蓮の死神はそういいながら左手に携えた大剣、
「機械神など存在しない。そんなものは伝説の存在。それがこれから人の世を前に進めていくための理です。その理に反逆して知ろうとする者は異端、そしてそれを審問するのがわたしの仕事」
紅蓮の死神は引き抜いた刀身の平を、メグハの左肩にそっと載せた。どう見ても片手で扱うのは不可能に見える大重量物を軽々と扱うその行為も、畏怖の気持ちを増加させる。
「あなたには二つの選択肢があります。機械神の真実を知るか、知らぬまま過ごすか」
あのとき遭遇した気絶するほどの印象――衝撃は間違っていなかった。
バケモノ。それ以外の形容が思い付かない。
「……知りたいっていったらどうなるんですか」
それでもメグハは勇気を振り絞ってそう言った。命を代価に捧げることになってもこの思いは曲げたくないと思った。
たとえそれが人間を簡単に隠せる力を持つ神さま、死神が相手でも。
「それは――」
「そこまでです紅蓮の死神!」
狭い空き地に第三者の声が響いた。
「……フィーアさん」
メグハの唯一の先達がそこにいた。機械使途操士の制服姿に、腰回りに得尻が
「
「ほんの少ししか私の下にいなかったとしても、彼女はもう私の教え子です! メグハは私のものです! 渡しません!」
フィーアは両拳を開くと、握っていた粉末をばら蒔いた。それは地面に落ちることなく漂うと紅蓮の死神の周囲を取り巻くように宙を舞う。
「
相手の周囲を覆った粉――鉄粉が高速で振動し摩擦熱で燃え上がると、まだ火の着いていない鉄粉を着火材として爆発を起こす。
「!」
それを顔前で食らってさすがに紅蓮の死神も姿勢を崩す。そしてフィーアの速攻は止まらない。両手を開いて前に突きだし、手の平から磁力の魔法を力の限り放出させ、相手の武器へと効力を発揮させる。それは右手の艦颶槌と左手の鉄拵えの鞘に作用し、紅蓮の死神をメグハの元から引き剥がした。
「さすがわたしの最初の教え子、
紅蓮の死神はそういうとメグハが座り込んだままの鉄扉周辺から、少し離れた場所に移動した。
「はぁ、はぁ……」
フィーアが荒く息を吐きながら相手に顔を向ける。魔法は精神力の消費で具現化される。精神力とは脳の働きであり、人間が脳髄を動かすのに心臓の力の二割五分を使う。だから強く魔法を使えば比例して体は疲労し、精神力が体力消費による心臓の
フィーアは立ち上がれないメグハを背中に守るよう回り込むと、両腰の鞘から飛び出す持ち手を握って引き抜いた。楔型の幅広の刀身が露になる。その特殊な形の剣――カタールを両手に一振りずつ構える。
「……は!」
フィーアは両手のカタールを
「く……」
剛烈なる一閃を受け止めたフィーアの踵が、圧されて後ろに滑る。
「わたしの剣を受け止めるとは、
「さっき誉めてもらったとおり、魔女としての力の鍛練は怠っていないんです!」
フィーアは自分の持てる磁力魔法を最大限に使って相手の剛剣を受け止めていた。しかもこれはお互いが鋼鉄製の得物を手にしているから出来たのであり、紅蓮の死神が鉄ではない材質の武器を使っていたら既に決していただろう。
「そして」
フィーアが何事か喉の奥で高速に呟く。
「私が使えるのは磁力だけじゃないんですよ――
呪文名を唱えると同時にフィーアの手から電光が発せられ、それはフィーアの剣と相手の剣を通電して紅蓮の死神の腕に伝わる。
「!」
お互いの剣が触れ合う場所から火花が飛ぶと同時に二人とも一旦間合いを離した。
「雷帝がくれた雷の魔導書を読んでいるんです。だから雷術ほどではないにしろ電術くらいなら使えるんです。そして、私の手には自分が書いたもの以外の魔導書がもう一冊ある」
フィーアは両手に持ったカタールを離した。手から離れたそれは地面に落ちることなくその場に浮いており、切っ先を相手に向けるように旋回した。
「それが磁力と雷の合成魔法――電磁誘導の魔法です!」
その咆哮とともに二本のカタールが飛ぶ。磁力魔法で浮かせている鈍重さは全くなく、電磁誘導の鋭利な加速力で相手に向かう。
紅蓮の死神は左手に持っていた鞘を手前に投げると、それは幾何学的な動きをして迫り来る二振りを叩き落とした。
「電磁誘導の魔法も見事です。ですが、それを電磁誘導の使い手相手に使用するのは甘くありませんか」
紅蓮の死神は相手の得物と共に落ちた鞘を拾おうともせず、右手の艦颶槌を両手で握った。
「甘いとは思ってません、私の使える術を全力で使ってあなたを止めているだけです。だから教官……退いてくれませんか」
フィーアが新しく腰から予備のカタールを両手に引き抜きながら言う。
「彼女に対する審問は終わっていません。それを中途で止めさせたいのなら、私を倒すしかないですね」
紅蓮の死神はそういいながら艦颶槌を霞構えにする。
(私……なんてことを)
対峙する二人を見てメグハは後悔の念に苛まれていた。
自分がこんな早まった行動をしなければ、何も起こっていないのに。
相手がとてつもない強さなのも分かった。実力の殆どを出していないのだろう。フィーアの疲労蓄積が限界に達するまで待っているように思える。
しかしフィーアにも撤退の意思がないのも分かる。力尽きるまで戦うのだろう。これだけの実力差のある相手、この場に現れた瞬間から命を捨てる覚悟なのかも知れない。
なんて軽率なことをしてしまったんだろうと改めて思う。
「……?」
何気無く腕を動かすと側に置いてあった布包みに手が当たった。この中には故郷から持ってきたもう一つの剣が入っている。
(……これがあれば……もしかしたら)
紅蓮の死神が鞘を宙で不可思議に動かして飛来した剣を叩き落としたのは見た。それが電磁誘導であるのも聞いた。電磁誘導も魔法の一つであるのをフィーアが言うのも聞いた。
袋の中の剣は
相手への対抗手段があると思い付いた瞬間、今まで固まったまま動けなかったメグハの体が、封印が解けるように動いた。袋から魔剣を取りだし、鞘を抜き放ちながら立ち上がる。
「メグハ!?」
「……」
突然のメグハの行動にフィーアと紅蓮の死神が同時に気付く。
「フィーアさん! これで相手の魔力を吸いとります! だからその隙に!」
逃げるのか戦うのか、頭の反応が追い付かないままメグハは飛び出す。
ちょうど自分の正面に見えていた
先端が脇腹に吸い込まれるように突き立つと、何故かそれ以上はいくら力を込めても進まなくなった。
「メグハ!」
フィーアが驚倒した顔で右の手の平をメグハに向けている。それは握った
「……どうやらここまでのようですねフィーア」
「はい……リュウガさん」
紅蓮の死神をフィーアが名前で呼んでいる。
何か様子が違う。
「わたしの傷はあなたのおかげで浅いです。だから
「……はい」
フィーアは左手の得物も取り落とすと、メグハに近付きその体を抱いた。
「もういい、もういいのよメグハ……」
「いったい、なにが?」
展開に付いていけず気が動転しているメグハには何が起こっているのか全く分からない。
「これはね、通過儀礼のようなものなの」
「つうか、ぎれい?」
「うん。機械使途操士を目指して
一拍置いて続ける。
「でもあなたのように仕組みを知らぬまま、機械神の存在に気づいてしまうものもいる。成長が早すぎる子は特にね。だからそのための異端審問官」
その異端審問官として現れた紅蓮の死神――リュウガは、脇腹に刺さった剣先をそっと引き抜くと、二人から離れた所に移動して止血を始めた。
「機械神という存在は歴史から抹消しなければならないけど、機械神を操れる機械神操士という存在は必要なの。その矛盾のための審問なのよ」
「じゃ、じゃあこの戦いは」
「もう少ししたら私が
メグハはそこでようやく気付いた。二人はわざと戦っていたのだ、自分の真意を確かめるために。
「……あと、メグハが持ってる剣、教官には効かないけど私には良く効くから……」
メグハを抱いていたフィーアはそのままずるずるとくず折れると、地面に倒れ伏した。
「フィーアさん!?」
「メグハが持っているその剣は、魔女の創造主が作った魔女を制御するための遺物。それを
脇腹を押さえながらリュウガがやって来た。手にはメグハが捨てた
メグハの右手を握った得ごと掴むと、刀身に鞘を被せた。
「鞘には吸収の効果を止める力があるのでこれで魔力が吸われるのは収まります。まぁ友人からの受け売りですけど」
リュウガはそういうと自分の艦颶槌も鞘に納め肩に背負った。そして倒れたフィーアの体を横抱きにしながら立ち上がる。
「とりあえず二人の宿舎の方に行きましょう。詳しい話はそこに着いてからで」
リュウガは「フィーアの分も剣を回収してきてください」と指示を残して空き地から出る小路へと向かった。
メグハもフィーアの剣と自分の剣を全部布袋に詰めると後を追った。
――◇ ◇ ◇――
「――ぅ、うん……」
フィーアは目を覚ました。
「……ここは?」
「あなたの自室ですよ」
声のした方に顔を向けると椅子に腰掛けたリュウガがこちらを見ていた。隣には泣き腫らした顔のメグハ。自分を自室のベッドに運び、そのまま側で二人並んで看ていてくれた様子。
「すみません、気を失ってしまって」
フィーアはそういいながら上体を起こした。
「あれだけ魔法を使って戦って、その上に魔力を吸われたら普通は倒れますよ」
「……ごめんなさい、フィーアさん……」
メグハが震える声で見つめてくる。
「ううん、謝らなければいけないのは私の方よ。あなたがこんなにも行動的な女の子だと分かっていれば、機械神のことももっと言い方があったでしょうに」
「メグハが故郷にある地下迷宮に幼馴染みと二人で突入しちゃうくらいの行動的な女の子だって知らなかったんですか?」
「もちろん知ってますけど、それぐらいは私たちの日常からするとありふれた出来事の一つですし」
それを聞いて思わずリュウガは苦笑してしまった。
「そうですね、もう何が普通なのか良く分からなくなってますものね」
どこから普通ではなくなってしまったのだろう。「雲」を作った時からだろうか、それとも教え子と教官として出会ったあの時から普通は壊れていたのか。
「……私……私」
そんな二人の会話も殆ど聞こえぬように、メグハは心を沈ませたままだった。ここまでの一連の出来事の説明をリュウガから聞くこともできず、フィーアの前に涙ぐんで座ったまま。
「メグハの気持ちが収まらないのなら、一つ、罪を償ってもらいましょうか。信賞必罰は組織としても必要なことですし
リュウガにしてもメグハの今の歳より若いときに、比べ物にならぬほどの凄惨な経験をしているのだが、それを他人に当て嵌めるわけには行かないのも学んでいる。教官として教える立場になったが、教え子たちから学ぶことも多かった。
だから今のメグハの人生経験からすると、なにか一つ償いを与えた方が心傷の回復は早いと判断し提案した。
「は、はいっ……私なんでも受けます」
メグハも素直に罰を受けることを望んだ。
「……」
フィーアも口出しできず、厳粛な顔で恩師の顔を見ている。
「メグハには即時的に黒龍師団本拠地に行ってもらい機械神操士選定を受けてもらいます」
「あ……はい」
それが何を意味するのかは分からないが罰を受けるのは決めたのだから素直に返事をする。
「教官、それって償いになるんですか? いずれは操士選定は受けに行くことになると思うんですけど」
「本来だったら数年経って知識も経験も充分積んだ状態で行くことになりますが、それを全て繰り上げて今の彼女にやらせるんです。もちろん一人で行ってもらいますよ」
「一人で!?」
それを聞いてフィーアが頓狂な声を上げた。自分が保護者として着いていくものだとばかり思っていたのでその建言は素直に驚いた。
「それだけの行動をやってもらいます。今の
フィーアはそれを聞いて(相変わらずの鬼の指導だな……)とは思ったが口には出さなかった。今のメグハにはちょうど良い経験だろうと自分も思ったからだ。
「明日にでもわたしの機械神操士権限を使って、メグハの機械神操士選定の申し込みをしておきます。良いですねフィーア教官?」
リュウガがそう念を押すと「はい」と途方にくれたようにフィーアは応えた。
「それにしても、わたしも力を使いすぎました……」
今後の方針を決めた途端、急にリュウガが疲れた顔を見せた。
「……わたしも力を抑えるのに力を使いすぎたみたいで……眠くなってきました……」
リュウガはそういいながら椅子からずるりと落ちると、そのまま掛け布越しにフィーアの脚の上に上体を突っ伏した。
「教官!?」
「リュウガさん!?」
いきなりの昏倒に二人が慌てた声を上げると
「――やはり限界でしたか」
突然に誰かの声が聞こえてきた。しかもそれは人の声ではなく、機械で作られた合成音声。
二人が声のした方に同時に振り向くと部屋の入口に女性が一人立っていた。
裸身――のように見えたが、その表皮はとても硬質に光り、身体中の関節は分割された可動部になっている。
「……
メグハが思わずその名を口にする。第弐海堡で教えられた、機械仕掛けの淑女たちという存在。先ほど調べた本の中にもその存在は記載されていた。
「クラウディア、でしたか、あなたの名前は」
フィーアが突然侵入してきた機械の彼女に問う。
「はい」
自動人形――クラウディアはそう簡潔に答えた。
「
重厚な足音をさせながらクラウディアが室内に入ってくる。
「
「
「え、メグハの
「魔女の体に眠る擬似火電粒子も、主の体に共生する純粋な火電粒子も、原理的には似通います。だから主の力も魔剣に吸われていたのでは」
「りゅ、リュウガさんは死んじゃうんですか!?」
自分の行いが連鎖的に悪い方向にしか進んで行かないのをあがなうようにフィーアが叫ぶ。
「主はフィーネ台地攻防戦以降、とてつもない戦いを連戦し今に至るのです。この程度の傷では死にません」
クラウディアは脇に置いてあった艦颶槌を肩に背負うとリュウガの体を横抱きにして立ち上がった。
「それでも適切な処置を施さなければ永久に眠ったままかも知れませんので、早急に回収致します」
クラウディアはそう言い残して、現れた時と同じように不意にいなくなった。
「わ、私のせいで、リュウガさんまで……」
「大丈夫よ、クラウディアもいってたけど、あの程度でどうにかなるような人じゃないわ」
フィーアはそういいながら、メグハの体を抱き寄せた。
「それにしてもメグハは、あの紅蓮の死神と対峙して傷を負わせて生還までしてるんだから、普通に考えたらとんでもない女の子よね。歴史に載っちゃうかも」
「……そんなんで歴史になんか乗りたくないです」
再び泣きはじめたメグハの頭を、フィーアが優しく撫でていた。
――◇ ◇ ◇――
翌日の正午過ぎになって、第参海堡艦橋から使者がやって来てメグハに一通の封書が渡された。内容は黒龍師団本拠地に赴いての機械神操士選定を受ける許可証と、第参海堡から本拠地へ向かう輸送機の同乗予定表だった。
「あら、今日の夕方にはもう出発なのね」
中身を見せてもらったフィーアが言う。
メグハは慌ただしく荷造りをすると宿舎の玄関に立った。
「落ち着く暇もないわね。でもそれもまた良しか」
見送りに来たフィーアが言う。可愛い子には旅をさせろということなのだろう思う。
「これで少しは償いができるのなら、どこだって行くし、なんだってやります!」
「うん、その意気よ、いってらっしゃい」
「はい、いってきます!」
メグハは飛び出すように宿舎を出た。
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