第一章 真っ白い一歩

(うわわ⋯⋯飛んでる、飛んでるよ⋯⋯)

 窓に顔を付けて、遠ざかっていく景色にメグハ・クルスは興奮を隠しきれないでいた。

(私の生まれ故郷ってホントにあんな形してたんだ⋯⋯)

 自分が乗っている航空機は故郷の傍にある第弐海堡から離陸したのだが、そこからでも自分が生まれ育った場所は良く見えた。

 方舟艦内でも一応空を飛ぶ乗り物には乗れる。航空機というものが登場する以前から、方舟艦同士は飛行船による交通路が敷かれている。

 1万6千フィートの鉄岸を二つ越え、間にある3千3百フィートの海面を足すと3万5千3百フィートの移動距離になる。これを飛行船しかない移動手段で、通勤などで方舟艦を毎日移動するのは現実的ではない。だから隣の方舟艦へ行く用事がなければ飛行機械に乗る機会はないので、メグハは空飛ぶ乗り物に乗ったのは修学旅行に行った時の一度きりで、長距離を飛ぶ航空機に乗るのは正にこれが始めて。

 全長50万フィートに及ぶ船体は航路のある高空に上がっても、まだ大きく見える。方舟艦と呼ばれる構造物の上にメグハの故郷はある。千年に一度の世界を覆う水災から逃れるために作られた場所。

 楔型の船体が遠ざかるまでメグハは窓に顔を押し付けて見ていたが、さすがに海面に見えなくなると席に戻る。

 メグハはもらった案内状に従って首都艦に隣接する第弐海堡の黒龍師団駐屯地と呼ばれる場所まで行き「機械使途操士になりたいんです」と告げた。

 そうすると「子細承知しました」といわれ、今後の予定表を渡され一旦帰された。

「なりたい」といっただけなのに良いのか? とは思ったが第弐海堡から飛び立つ機体に乗って訓練場所である第参海堡まで行く日程など事細かなことが詳しく書かれていたので「これは本当だ」と荷物をまとめて、両親にはしばらく帰ってこれないと思うから元気でねと言い残して出てきた。そして今、空の旅の初体験である。

 カークリノラースと呼ばれる機体が本国へ貨物を積んでの帰還の徒につくということで、メグハはそれに同乗させてもらうという形で目的地に向かっている。

 全長は千フィートは越えるだろう巨大な飛行機械だが、乗客用の座席はその大きさに比べて非常に少ない。全ての席数を合わせても小型機程度。その座席自体も仮設で取り付けたような印象であり、窓も大急ぎでくり貫いて用意したかのような実用優先の頑健すぎる作り。元々は輸送専門の機体にそれだけの運航では勿体無いからと人も運べるように追加したのだろうとメグハも思う。

 その少ない座席はほぼ満席でメグハの隣の席にも女性客が座っている。右手だけ手袋をしているという変わった装身具の付け方をした女性。彼女は空の旅など慣れたものなのか、メグハがそわそわ動いていても全く動じた気配がない。何かの操作説明書のようなものをずっと読んでいて、乗機が飛び立ったのも気にしていない様子。どれだけの経験を積めばそんなにも余裕が持てるのだろうとメグハは思う。

「――?」

 その操作説明書が不意に落ちた。それはメグハの足元に落ちてきたので自然な流れでそれを拾い相手に渡した。

「ど、どうぞ」

「ありがとう」

 慣れているのか隣席の女性は特に動じた気配も見せずそれを受け取った。

「急に力が入らなくなる時があるのよね、右手に」

 手袋をはめた右手を左手で擦りながらいう。

「病気⋯⋯とか、したんですか」

 これは何かの機会なのかとメグハが恐る恐る訊く。

「病気、ね⋯⋯」

 操作説明書を鞄に積めて戻しながら女性が言う。

「すみません! なんか悪いこと訊いちゃったみたいで⋯⋯」

 なんだかその仕草が相手の気分を害してしまったように思えてメグハは謝るが

「ううん、全然悪くない。確かに、病気ね。自分にも他人にも迷惑がかかるのだから、やまいに違いないね」

 手袋を嵌めた右手を握りながら女性が続ける。

「でも人の世を次代に進めるためには誰かが病にかかって犠牲にならないといけない、機械仕掛けのものたちからのがれるためには」

 女性はそう独り語ちるとメグハの方を見た。

「あなたはこれに乗って第参海堡に行くってことは、機械使徒の操士をこれから目指そうってことなのよね」

 何か難しい話が始まるかと身構えていたのだが、意外にも自分への質問だったのでメグハも少し安心しながら口を開いた。

「はい、小さい頃からの友達との夢があって、それを叶えるための準備⋯⋯最初はそんな気持ちで応募しました」

 まだ何も知らないけど元気と力に満ちた若々しい答え。

「でも⋯⋯」

 メグハはそこで一瞬言い淀んだが、決心するように続けた。

「一番やりたかったことは、外の世界に出てみたい⋯⋯それだったんだと思います」

 その言葉を聞いて女性は思わず微笑した。

「機械使徒操士そのものになるのが最後の目標じゃないってのも、なんだか逆にあなたのことを信用できる話ね」

 女性が優しげに言う。

「故郷から出るためにちゃんと外の世界のことを勉強した?」

「はい。第弐海堡に行ったときも『教えることがあるから』と出発前に一晩泊まって色々教えてもらいました」

 到着早々、機械使徒や外の世界の出来事などの講義を受けることになったのはメグハもびっくりした。冷静に考えればこれから未知の世界へ飛び出そうというのだから、当たり前の準備ではあるが。

「じゃあ、方舟艦の外で起こったこと、どれだけ知ってる? あの大きな雲はもちろん見てるよね」

「はい⋯⋯」

 メグハも始めてあの「雲」を見たときのことを思い出す。

 気付いたら一面空が雲で覆われていた。曇り空なんて二、三日で晴れるものだと思っていた。でも一週間経っても十日経っても雲は流れ続けて一向に途切れる気配がない。

 受像機テレビもずっと雲をニュースで取り上げていて、それはどんどん過激になり、あまりにも不安を煽る言葉ばかり流すので、嫌になって電源を切ってしまったこともあった。

 夜になっても雲が遠くにいる太陽の光を反射させるのか、夜闇の黒の中に薄い白が混ざったままの夜空。

 確かに大雨が降ったあとの曇り空のまま夜になるとそんな風にはなるけれど、そんな毎日が続くと、気分が落ち着かなくなる。

 そして一月以上の時が流れて、ようやく雲は空の向こうに去っていった。

「⋯⋯」

 メグハの吐露を女性は神妙な表情で聞いていた。

「すみません、暗い話を」

「ううん」

 その顔が嫌なことを思い出させてしまったのかとメグハはまた謝るが、そんなことはないよと、女性の表情が元の柔和なものに戻る。

「わたしはあの雲を追って旅をしているの、あの雲を作った当事者の一人として」

「え⋯⋯」

 メグハはその告白に一瞬驚いたが、自分自身がそれを行った組織の一員にこれからなりに行くのであり、そして第弐海堡で事前に教えられたことを思い出した。

「あの、それは⋯⋯プルフラスの伝説、に関係あることですか」

 女性はそういわれて再び神妙な表情になる。

「どこまで知ってるの」

 その問いに「第弐海堡で教えられた知識がほとんどですけど」と前置きをして話始めた。

「プルフラスと呼ばれる機械使徒が世界を覆う筈だった水を全部蒸発させて、ダンタリオンと呼ばれる機械群体レギオンギアがそれを大きな雲にしたって」

「⋯⋯」

「もっともプルフラスだけの動力だけじゃ足らないからってダンタリオン以外の全ての機械使徒の炉を繋いで補って、そうして他の機械使徒が力を使い果たして倒れていくのに、プルフラスは最後までそこに立っていて、全ての水が雲になった時にはプルフラスの機体の殆どが燃えて無くなっていたって、だから今は腰の部分と右脚しか残ってないって」

 少女の口から辿々しく語られる、フィーネ台地で起こった、今に伝えられる、事実。

「⋯⋯」

 女性はそれを悔しそうでいて、それでも少し莞爾かんじたる不思議な表情で聞いていた。

「雲を追って世界を回るのと同時に、世界を水災から守るために散っていった一機の機械使徒の逸話がどんな風に世の中に伝わっているのか」

 一拍置いて女性が続ける。

「わたしはそれを知るためにも旅を続けているんだけど、誇り高き伝説はちゃんと伝わってるみたいで安心した、ちょっと最初の予定からはズレてきたけども」

 そこで女性はとても晴れやかな笑顔を見せた。


 ――◇ ◇ ◇――


 カークリノラースの機体後部の隙間から、水面のように表面を光に反射させる粘性の物体が染みだしてきた。

 高速で流れる外気にぶるぶると震えていたそれは、腕の長いひょろりとした上半身が魔女が薬の調合にでも使いそうな平底フラスコ型の下半身から生えている形。

 水の魔物と呼ばれる怪異。

 方舟艦の中にも出現する怪異だが、仲間たちが多く集まる第参海堡へこの巨人機カークリノラースが飛び立つということで、帰属本能が働いてしまったのかくっついてきてしまった。

 本機の水系感覚器センサーにも微弱な反応しか捉えられていない。高空を飛行中に水滴が溜まっている程度にしか反応していないのだろう。

 水で出来た脅威の火種を同乗させ、巨人機は第参海堡へ飛ぶ。


 ――◇ ◇ ◇――


 方舟艦隊の第弐海堡から目的地の第参海堡までは空路でも一日ほどかかる。

 メグハは備え付けの毛布を借りて眠っていた。

「⋯⋯ん」

 機体が少し揺れた震動で目を覚ますと隣の女性は起きていて、また操作説明書のようなものを読んでいた。

「⋯⋯寝ないんですか?」

 目を擦りながら崩れてしまった姿勢を戻しながら訊く。

「ん? ちゃんと寝てるよ」

 操作説明書をパタンと閉じながら答える。

「最近だとなんだろう、気を抜くと一日くらい平気で寝てるときとかあるのよね、この右手の病の影響なんだろうけど」

 右手を握り「今日は平気だったけど」と付け加える。相変わらず手袋はしたままだ。

「あなたこそ椅子に座ったまま寝るなんて始めてなんじゃない? ちゃんと寝れた?」

「⋯⋯ちょっと背中とか痛いですね」

 メグハがそう言いながら毛布を畳むと、時機を見計らったように客室乗務員が現れて回収していった。

「でも機械使徒操士になったら、こうやって席に座って寝るなんて日常茶飯事になるんじゃ」

「まあ、作戦行動中はね」

 窓から外を見ると空は明るい。夜の時間はずっと寝ていたようだ。

「んー、この辺りの位置だとそろそろ目的地が見えてくるかな」

 メグハ越しに窓から外を見た女性が言う。

「もうすぐ到着するんですねーって、空を見ただけで良くわかりますね!?」

「まあ星の位置で大体⋯⋯っていうか、その手の天測なんかもこれからあなたも学ぶのよ。それに」

 女性が視線で空の遠くを指す。

「? ⋯⋯あ!」

 女性の視線の先の空の向こう、そこには透明で角ばった何かが浮いていた。

「浮き水⋯⋯」

浮き水あれが近くにいるってことは第参海堡が浮かぶ海域に近付いたってこと。浮き水を見たのは始めて?」

「⋯⋯はい」

「そうよね、方舟艦内には浮き水使いは配置されてないから、未発生地域なのよね」

 得心し、女性が続ける。あれを最初に見付けたのが自分だと知ったらこのはどんな反応を示すだろうと思いながら。

機械群体レギオンギアの一機が近くの空域まで運んできてくれるのよ。今の季節だと担当は六十一番機アウナスのみんなね」

 姿は見えないが自分の役目をしっかりとこなしている者たちへ女性が思いを馳せる。

「そして遠くの空に見える白の一筋が、黒龍師団わたしたちがこれから永いときをかけて相手をしていかないといけないもの」

 遠くの空に白くて長い筋が見える。

「⋯⋯」

 守られた場所である方舟艦ふるさとから出たばかりの、外の世界に無知な自分にもあれは分かる。そして実際に故郷でも見ている。

 雲。メグハを始めとした外の世界の事情を知らない方舟艦の住人に、上から伸し掛かる不安を与えたもの。

「第参海堡に着任したらあれはずっと見えることになる」

 女性が、そんな不安など外界では当たり前だとでも言うように説明する。

 その筋となった雲と浮き水の間を一機の航空機がメグハの搭乗機とは反対の方向へ向かっていた。相対距離からの目測でもかなりの大きさ。メグハにはそれが乗り込む前に見た乗機と同じような姿をしているように見えた。

「わたしたちが乗ってるこのカークリノラースの同型機が雲と第参海堡の間を何機か飛んでいて、移動中継基地の役割をしているのよ」

 大型機を確認した女性が説明する。

「そんなこともこれからいっぱい覚えていかないといけないのよ機械使徒操士になるんだから」

「そ、そうですよね」

 その言葉でメグハは自分がこれから機械使徒操士を目指す途上にいると改めて回想すると、一つはっきりさせて起きたかったことを思い出した。

「あの、こんなことを訊いて良いのか分からないのですが」

「どうしたの、急に重苦しい顔になって」

「機械神というものは本当にいるのでしょうか」

「⋯⋯」

 それを聞いて女性も今までメグハも見なかったような真剣な表情になった。

 隣席の女性は雲を追って旅をしていてプルフラスの伝説も知っている。そして直前まで見せた第参海堡に関連する知識。彼女の正体は伺い知れないが、それだけの悟性と行動力があれば何か知っているのかと思い、切り出してみた。

「私の住んでいた方舟艦には機械神と呼ばれる災害があります」

 メグハが話し始める。

 方舟艦隊には、機械神と呼ばれる災害がある。

 端的にいえば機械仕掛けの人型の物体が現れ・歩き・消えるだけの事象ではあるのだが、身の丈330フィートはあろう鋼鉄の巨人が歩くだけで、周りに与える被害は凄まじい。

 この国で起こる機械神災害を説明すると、対象は首都内湾湾口にまず現れ、そのまま湾内を進み、境となっている方舟艦の船縁である鉄岸の間を進んでいく。

 機械神が進む道筋はある程度決まっているらしく、その点では毎回の通過ルートが変わってくる台風や竜巻よりかは対処しやすいのかもしれない。

 しかし進行経路が決まっているといっても、それが変わらないとは限らないので、機械神の影が湾口に確認された瞬間に災害警報が発令される。

 そして、巨大な人型の上半身が海の上を静かに進む。肩には筒のようなもの対に背負っている。それは大砲のようにも見えるし、何かを繋ぐための導管のようにも見える。

 この方舟艦隊に現れる機械神は、あの二本の筒をどこかに運んでいるといわれている。

 天国へ登れる螺旋階段か、地獄へ直行の落とし穴か、過去に戻れる時間隧道タイムトンネルか。それは誰にも分からない。

 もし向きを変えて鉄岸を乗り越えでもしたら、上陸し歩いた跡には何も残らないだろう。進行途上にある建物は全て踏み潰され、付近に建ってるものは激震以上の揺れに襲われて倒壊する。方舟艦自体の損傷も計り知れない。

「機械神は両肩に大きな筒のようなものを背負って方舟艦と方舟艦の間を通ってどこかに行くんです」

 メグハがその時のことを思い出すように体を震わせる。

「まるで台風や津波が来たみたいに警戒警報が鳴って、避難して待機になるんで通りすぎるまで学校から出れないとか家から出れないとか、そんなことが年に一回くらいあるんです」

「⋯⋯あなた自身は機械神はいると思う?」

 女性がこの話には踏み込みたくないといった表情で訊く。

「第弐海堡で機械神操士と呼ばれる人たちがいるとは教えられました。機械神は伝説の存在なのに、その操士はいるっているのも不思議な話です⋯⋯よね」

「それに関しては答えられるわ」

 少し危うい気配を纏い言う。

「機械使徒の操作であれば達人の域に達してしまった操士のことを機械神操士というのよ。もし伝説の機械神があったとしても乗り手となれるだけの実力を持つ者への称号」

 一つ区切り、続ける。

「彼らには普通の機械使徒よりも何倍も操作が難しく、そして何十倍もの力を持つ始祖機と呼ばれる機体を与えられ、それに類する重役を担っているわ」

「その始祖機の操士を目指すってもいるんですか?」

「まだ聞いたことはないよ、普通の機械使徒だって乗りこなすのは大変だし」

 覚えず、表情が変わる。

「あなたはその災害と同義の巨大な人型を実際に見たことある?」

 メグハは首を横に振る。

「通過中は絶対に外に出ちゃいけないっていわれてました。だから見たことはないです」

「やんちゃな男の子たちが『見に行こう』って集団で鉄岸までいって即連れ戻されてこっぴどく叱られるって展開ね」

「まったくその通りです」

「――機械神というものは確かにあったのかも知れない」

 少し和んだ雰囲気になったがそれもすぐ結ぶ。

「でもあったとしても、それはフィーネ台地攻防戦の時にみんな壊れて無くなってしまったのよ」

 突き放す心。メグハはそれを「知りたければわたしがいる場所まで上ってきて」という躊躇い、そして真意と感じた。

「⋯⋯」

「――?」

 女性はその時、窓に反射する光に、奇妙な一筋が混ざっているのに気付いた。

「ちょっとごめん」

 メグハの体を乗り越えるようにして女性が窓に顔を近付ける。

「⋯⋯」

 少女なのか大人なのか良くわからないが、数百年は生きているんじゃないかと思うほどの人生の凄みを纏う年齢不詳の女性に体を押し付けられて、メグハも顔が真っ赤になる。

 女性が窓越しに機外を確認する。

「――いた」

 カークリノラースも原型機と同じように主翼上面に多目的に使える待機用円形テーブルを備える。そのテーブルと主翼の間に挟まるように、光を反射させながら蠢く物体が取り付いているのを見付けた。

「水の魔物」

「え!?」

 その言葉に反応したメグハは女性の体の隙間に入り込むようにして窓に頬を付けた。

「カークリノラースが離陸する時にくっついてきてしまったのかも知れない」

 メグハが窓との間に入り込んできても嫌な顔もせず状況を説明する。

「方舟艦でも水の魔物が出るのは」

「もちろん知ってます! 水保の戦車とか陸保の白兵部隊が退治してくれます、たまに魔法少女も」

「その魔法少女とわたしが知り合いだっていったらどうする?」

「――え!?」

「まあその話はさておき、どうしようか、あれ」

「戦車は⋯⋯積んでないですよねぇ」

「積んであったとしても戦車で空中戦はやりたくないわね」

 ため息が文字になったように言う。

「乗ってるのが本物の九号機グラシャラヴォラスだったら自動人形に頼めばすぐ終わるのに」

「あの⋯⋯なにをいって?」

「こっちの話」

 女性はそういいながら窓から顔を離すと、席から立ち「乗務員の人!」と声を上げた。直ぐ様「どうされました?」と客室乗務員が飛んでくる。

「この機の操士と話がしたい。良い?」

「急にそんなことをいわれましても」

 客室乗務員が当然のように渋ると、女性は胸衣嚢ポケットから四角い棒状の金属片を出して見せた。それに刻印された何かを見たのかそれともその金属片自体が何かの印なのか、乗務員の顔色が一瞬で変わる。

「申し訳ありません、そのような御方とは存ぜずご無礼を」

「良いのよ、とにかく操作室まで案内をお願い」

「はい」

「それとこのあとカークリノラースが大きく揺れるかもしれない。その時は他の乗客のことをお願いね」

「わかりました」

「あの⋯⋯私は」

 メグハも立ち上がり何かを訴えるように見つめてくる。

「着任前の右も左もわからないお嬢さんになにができる?」

 メグハの「着いていきたい」という瞳の色を感じて女性が辛辣に問う。

「それは⋯⋯」

「なんてね、あなたが手練れの赤鬼を倒したほどの戦士であるのは魔法少女から聞いてるよ」

 女性が打って変わって温順な表情を見せる。

「あ、でも、それは」

「あなたが着いてくる素振りを少しでも見せたら連れていこうと思ってた。今は何もできないだろうけど、前に進もうとする勇気をみせるを育てて次代に送り出すのもわたしたち先達の仕事だから」

 女性が「さあ行こう」と右手を伸ばす。

 メグハも「――はい!」と決意を込めてそれを握った。手袋越しにも分かるゴツゴツとした感触。

 女性が乗務員に「案内して」と告げると「こちらです」と、操作室まで二人は誘導される。

「ここね」

 乗務員には客室に戻ってもらい、メグハにも手を離して貰うと扉を開けた。

 中は航空機を飛ばす操作中枢だというのに窓の一つもない。外部の確認は全て映像盤で行われる物々しさにメグハは思わずたじろいだ。

「お久しぶりですアレックスさん」

 旧知の仲であるのか妙に親しげに中に入っていく女性の後ろにメグハも恐る恐る続く。

「乗客はちゃんと座席に着いていないとダメですわ」

 操作席に座る人物が振り向く。眼鏡をかけた妙齢の女性だった。その名前の印象から男性だと思ったメグハは驚きを隠せない。

 女性の服は黒を基調としたもので、軍服と騎士団服を合わせたような気品を感じられる制服。

 メグハはこれと同じ制服を着ていた者たちを知っている。

 幼馴染みと入った地下迷宮から脱出した時、外で遭遇した二人の女性。尋常じゃない空気を纏う長身の女性と、猫科の耳を生やした虎のような女性。二人の服と同じ。

 あの時遭遇した二人の雰囲気に従うのなら、おしとやかに見えるこの女性も、ただならぬ人物なのだろう。

「冗談をいってる場合ですか、この機の水系感覚器センサーにも異常が出てるはずですよ」

「なんだちゃんと知ってるの。だったら登場が遅すぎません?」

英雄ヒーローは遅れて参上するものなのです」

「とりあえず航行を停止させようと思ってたところですわ」

「そうして下さい。このままだと浮き水がうようよいる所へ突っ込むことになります」

 アレックスはカークリノラースの速度を徐々に落とすと、乗客に向けて「本機は諸事情によりしばらくこの空域に待機しますわ」と集音機マイクに吹き込んだ。今ごろ後ろの客室ではちょっとした騒ぎになっているだろうが、あの客室乗務員がなんとかしてくれるだろう。しかし元々が輸送機である本機の乗客なのだからこの程度の騒動トラブルは許容範囲なのかも知れない。

「あの、なんで浮き水がいる場所に突っ込んだらダメなのでしょうか?」

 水の魔物と浮き水の関連性が分からないメグハは当然のように質問する。

「先ほどから気になってたのだけど、こちらの可愛いお嬢さんは?」

 そしてアレックスも当然のように質問する。

「簡単に説明できる方から説明するけど、このは機械使徒操士候補生――というか、アレックスさんは乗客名簿読んでるんだから知ってるでしょ」

 女性の説明にアレックスは「うふふ」と微笑を返すだけ。どうも女性の方から正体を訊きたかったというのが真相らしい。

「まあいいわ。浮き水と水の魔物の問題は――」

 女性がそこまでいったとき、テーブルと主翼の間に隠れていた水の魔物が何の前触れもなく宙に飛び出すのが映像盤に映った。そしてその落下する先には

「浮き水!」

 カークリノラースの機体底面より更に低い高度を風の流れにそって移動していた浮き水の上部水面に水の魔物は狙ったように着水、そのまま沈んでいく。

 そして浮き水が蠢き始めた。

「浮き水の重力変動数値がとんでもない値になってきましたわ」

 水系感覚器センサーの数値を読んでいたアレックスが声を上げる。

 水の魔物が沈んだ浮き水が物凄い勢いで周囲の水分を取り込んでいる。カークリノラースの水系統の感覚器センサーが、周辺地域の空気中の水分がある一点に向かって流動しているのを示す。その行き着く先はもちろん浮き水。

 肥大化を続ける浮き水の下部から二つの突起が飛び出した。それは徐々に伸びると地面に接地し太くなる。浮き水の両側面からも突起が延びて、それが下に垂れ下がりながら同じように太くなる。そして上部が盛り上がって瘤のような塊ができた。

「⋯⋯水の、巨人?」

 メグハが思わず声に出す。本物の浮き水を始めて見たメグハには、その水性の巨人の存在も不可知であるはずだが、心の根源に宿る憂惧ゆうぐがその名を言い当てた。

 巨人の姿となった浮き水は自身に植え付けられた重力変動だけでは宙に浮き続けることができないらしく、海面へと降下していく。

「水の魔物は自分の身を守ろうとする時以外は、浮き水とは融合しようとしないのに」

 事態の急変を見て女性が言う。

 雲ができた以降のあらゆる事象の支援機構である第参海堡の整備・運用が進むにつれて、水の魔物の性質も少しずつ解明されてきていた。

 水の魔物にも個性というものがあるらしく、浮き水と融合して水の巨人となる時、水の魔物そのものは触媒として消費されて消えてしまうらしい。されば本当はやりたくない最後の手段のはず。

本機カークリノラースが停止して自分の討伐準備が始まったのが分かったから奥の手に出たのかしら」

「逃げ出したら落下進路にたまたま浮き水が浮いていた⋯⋯そうとも考えられるから嫌なんですよね、その生体がまだ良く分からなくて」

「まあいいですわ、カークリノラースで追いかけてやっつけちゃいますわ」

「はい却下ストップ

 アレックスの提案を女性が即答で止める。

「乗客が乗ってるでしょ!」

「私の腕ならお客さん同乗でも倒せますわよ」

「そうでしょうけども、もしものことがあるでしょ! わたしが出ます!」

 おっとり口調でとんでもないことを口にしているアレックスを、女性がなんとか制止する。

「プルカロルを出します。急に機体重量が変わるから気をつけて⋯⋯って、アレックスさんなら問題なくこなせますね、はい」

「あらあら、このカークリノラースで切り裂いて始末しちゃおうと思ったのに」

 女性は「あとは頼みましたよ!」と言い残すとメグハを連れて操作室を出た。

「ど、どうするんですか?」

「倒す」

 後ろから着いてくるメグハの質問に女性は即答。

 途中客室を通過する必要があったので「これから積み荷を出すから揺れる。アレックスさんの操縦だから心配ないと思うけど一応気をつけて」と客室乗務員に言伝てて奥に進む。

「あの、私たちの荷物は」

「後で届けてもらおう。今は水の巨人の殲滅が優先」

 客室の後部扉を潜り、機体中央を乗降階段タラップを上って天井の開閉扉ハッチを開くと、女性は躊躇なく外に躍り出た。

「⋯⋯」

 メグハも乗降階段を上ると、恐る恐る頭を出した。ここはカークリノラースの機体上部。そこには機体内の格納庫に入りきらない積み荷が、何本もの太い鋼索ワイヤーで固縛されていた。

 機体が空中で制止しているので体が飛ばされるような気流はないが、高空に晒されるのは変わらない。

「ハッチを閉めなきゃいけないから早く出て」

 その恐さにメグハが当然のように戸惑っていると、女性の急かす声が上から落ちてくる。メグハは「は、はい」と勇気を振り絞って外に出た。

「あなたの今後の配置先が浮き水使いになったら、毎日330フィートの水の上で、舟の甲板で剥き出よ」

 女性が「機械使徒操士候補生がこれくらいのこと怖がってちゃダメよ」と付け加えながら開閉扉を閉める。メグハにとっては機内に戻る脱出手段も奪われた。

「これに⋯⋯乗るんですか」

 海面へと降下した水の巨人の軌跡を確認していた女性にメグハが訊く。メグハも搭乗時に見てはいるのだが、あまりにも大きいのでこれが積み荷なのかカークリノラースの一部なのかすらも分からなかった。

「そうよ。元彼のことが忘れられない女に健気に尽くしてくれる今彼」

 女性は積み荷の上の方を見上げた。

「この型は腰部に操作室があるから、まずはそこへ上る」

 吊られるように見上げるメグハが絶句する。女性が腰部と説明する場所はここから更に33フィートは上にある。

「安心して、さすがにクライミングしろとはいわないから」

 これをよじ登るなんて自分には無理だとメグハが即答しようとしたとき、女性の左腕が腰に回された。

「⋯⋯!?」

 女性はメグハを横抱えにすると、積み荷の段差になっている部分に飛び乗るのを繰り返して直登していく。

「!、!」

 悲鳴も上げれず何が安心なのかも良く分からないまま、メグハは腰部上面に辿り着いた。

「ふう、到着」

 女性が抱えていたメグハを腰部表面に下ろす。

「あ、あの⋯⋯」

 腰が抜けたようにその場に座り込むメグハが女性を見上げながら言う。

「⋯⋯こんな風に誰かを抱えて跳躍できるくらいじゃないと機械使徒操士にはなれないのでしょうか」

 メグハがなんとか絞り出した言葉を聞いて女性は思いっきり吹き出した。

「そうだよね、そう思っちゃうのも仕方ないよね。わたしがちょっと特別なだけ。他の機械使徒操士はいたって普通の人の方が多いよ」

 女性は「ほら急ぐ」とメグハを立たせると搭乗口へと招いた。中に入り乗降扉を閉めると「起動準備で先に操作室入るからちゃんと来てね」と言い残し、女性は奥の方へと行ってしまった。メグハの身体は一応安全な場所へ確保されたので、面倒見は一旦打ち切って、自分の仕事を優先させるのだろう。

「⋯⋯」

 外風に吹かれない場所に入って少し気持ちが落ち着いてきたメグハは、女性が消えた通路奥へと進むことにした。

 非常に歩きにくい。内部通路全体が横倒しになっている印象。これは普段は直立しているものが輸送のため寝かせられているからだと、メグハも何となく分かった。

 通路の奥に辿り着くと道が垂直になった。その奥にカークリノラースの操作室へと入る扉と同じようなものがあり開かれたまま。あそこまで上るしかないらしい。上方に伸びる壁を見ると梯子が取り付けられている。

 通常状態なら通路に横向きに貼り付いているだろう乗降梯子ラッタルをメグハは上る。

「⋯⋯」

 下を見ないように怖々こわごわ上に向かって這うように梯子に捕まって進み、ようやくこの積み荷の操作室に辿り着いた。開けられたままの出入口から頭を出す。

「来た? じゃあ扉を閉めて!」

 横倒しの操作席で機器の調整中の女性が振り向きもせず言う。今は床になっている操作室後壁へ登りきったメグハは何とか扉を閉めてロックをかける。この辺りは地下迷宮の扉を開いた要領でなんとかなった。

「しばらくはそこで静かにしてて」

 女性がメグハにそう指示を出しながら、カークリノラースへと回線を開く。

鋼索ワイヤーを無理やり引きちぎるから、なにかあったらお願い!」

 積み荷――自機を固定している鋼索は自動で外れるようなものではないので、自力で外す際の被害を予め伝えるが

『派手にやっちゃって構いませんわよ』

「そうじゃなくて他の乗客の心配をしてるの!」

 相変わらずの言うことおっとりやること過激な性格は、どこぞのお姉ちゃんに似ているなと思いつつ、自分も対して変わらない事実に頭を抱えながらも、自機の腕を操作して固定されていた鋼索を切る。そして上体を起こさせながら自機をカークリノラースの上に立ち上がらせる。

「う、うわわ」

 操作室奥で縮こまっていたメグハは床が持ち上がって壁になるに連れて転げてしまう。

「あなたは適当なとこに捕まってて! アレックスさん揺れるよ!」

 女性はメグハとアレックスに続けていうと、機体をカークリノラースから飛び下ろさせた。数万瓲の物体が離れた反動でカークリノラースは大きな揺れに見舞われるが、アレックスの操作によりそれも直ぐに収まる。

「これ⋯⋯機械使徒、なんですよね」

 降下中の機体。体が浮くような奇妙な感覚の中、メグハが訊く。

「そう。機械使徒44番機、プルカロル。伝説のプルフラスと同型の機体よ」

「同型⋯⋯同じ?」

「そう、全く同じ」

 女性はとても寂しそうにそう答えた。

「そして、元彼プルフラスのことを大事にして別のことがしたいのに、それでも今彼プルカロルが何も言わずに付き合ってくれてる遺憾な操士がわたし、リュウナ・ムラサメ」

「⋯⋯ムラサメ、さん?」

 前触れなく自己紹介されて戸惑うメグハだが、その名字はどこかで聞いたようなような気もする。

黒龍師団うちにはムラサメさんは二人いるから名前で呼んでメグハ」

 そして今度は自分の名前を呼ばれる。

「なんで⋯⋯私の名前知って」

「わたしだって黒龍師団の高官の一人なのよ、自分の搭乗機の乗客名簿くらい見せてもらえる。それに」

 女性リュウナが茶目っ気たっぷりの笑顔で振り向く。

我が姉うちのお姉ちゃん、紅蓮の死神に膝枕してもらったなんて羨ましすぎる経歴の女の子、妹が知らないわけないじゃない」

「!?」

 そうだ、そうだった。あの時、地下迷宮入口での別れの際、虎のような猫科の亜人が教えてくれたその名前。

(この人が、あの人の妹)

 そういわれてみれば、超然とした雰囲気は良く似ている。何か大きなものを背負った瞳の輝きも。

 とんでもない女性ひとがずっと隣席に座っていた事実にメグハは改めて腰を抜かしそうだった。

紅蓮の死神うちのお姉ちゃんを狙ってるは多いから、第参海堡での訓練に入ったらあなたのその凄まじい逸話は滅多なことでは喋らない方が良いよ」

「⋯⋯肝に命じます」

 狙ってるというのはお近づきになりたいの意味なのはメグハにも直ぐに分かった。そんな状況は義務教育時代にも遭遇した経験はある。そして嫉妬されたら大変なことになるのも。

「さて、接敵と行きましょうか」

 リュウナが再び前方映像盤の注視に戻る。降下を続けると海面に透明な人型の上半身が浮いているのが見えた。

 上半身の体積は既に一般的な機械使徒と同等の大きさになっている。プルカロルの水系感覚器センサーは、水の巨人の体積数値が上昇を続けているのを示している。そして電波探信儀には水の巨人の予測進路が第参海堡であるのが表示される。

「やっぱり第参海堡に向かって進んでるわね」

「どうして私たちの目的地に?」

「第参海堡には水の魔物をおびき寄せるトラップがあるの。水の巨人も水の魔物が融合したものだから、それに誘われているんだと思う」

 リュウナは水の巨人の進行を阻むようにプルカロルの下半身だけを着水させた。それと同時に近接用ナイフを両手に引き抜かせる。

 海水を掻き分け接近するとリュウナは操作桿を動かし両腕を交互に振らせる。プルカロルがその高速で剛力な操作を受け取って水の巨人を切りつける。

 リュウナは相手を真っ二つにする勢いでナイフを振るわせたのだが、胸部を深く抉る十字の傷を与えるに留まる。体の半分が海水に水没しているだけあって、防御力も向上しているらしい。

 水の巨人はお返しとばかりに、進行を妨害してきた相手に対して右腕を振り上げる。

「!!」

 プルカロルは腕を交差させてその一撃を受け止めたが、振るわれた一撃は半身を海面に沈める機械使途の巨体を後方へはじき出した。

 凄まじい揺れに操作室が襲われる。導管の一つに捕まっていたメグハの体も跳ね、掴む手の力を必死に込める。

 機械使徒の操作室もある程度の重力制御で保護されているが、それでも大きな揺れは中和しきれない。

「メグハ! わたしの席の左側に来て!」

 リュウナが水の巨人の腕が届く範囲から一旦機体を後退させながら叫ぶ。それを聞いて這うように席の左側に来たメグハを、自分の膝の上に上体を預けるような格好にさせると左腕で支えた。

「リュウナさん⋯⋯」

「わたしがあなたを支えるから、あなたもわたしに捕まって」

「でもこれだと左腕が使えな⋯⋯」

「もう形振りかまっていられないわ。次の一撃で決める」

 リュウナはそういうと右手の手袋を歯で噛んで脱いだ。

「⋯⋯」

 晒される人形のような形の手。メグハはそれを見て言葉が出なかった。

「これが病の正体。人の世を機械仕掛けのものたちに頼らないでも進めるようにするための病」

 手袋を落としながらリュウナは改めて操作桿を掴む。

「機械使徒でできるかどうか分からないけどやるしかない。わたし単体ではできたんだから」

 リュウナが何ごとか呟き始める。メグハには全く理解できない言語の組む合わせ。それはリュウナが客席に座っている時に読んでいたものなのだが、メグハがそれに気付けぬほどに難解な言葉。

 プルフラスの計器類が電磁誘導と重力制御の異常集中を示す。しかもその発生は自機の制御中枢で起こっている。

 右手に意識を集中させ、組み上げた術式を操作桿を通して機体へと流導させる。

 アリシアの専用機のように、魔術などの操士ひとが力の発生源となるものを伝導させる機能は機械使徒プルカロルには装備されていないが、リュウナの持って生まれた電磁誘導と重力制御を直接作用させる力が、構造限界を強引にねじ曲げる。

 ――そして

「近接打撃呪法――粉砕する烈気ビートフィジカル!」

 リュウナの「機械で出来た人の手」の関節の隙間から強烈な光が漏れ出すと同時に、術式が握った操作桿を通ってプルカロルの右腕に到達する。伝播した力は右腕部に無数の亀裂を生じさせ、出来た溝部分から発光を始めた。それと同時に推進機が水素の火炎を吐き出し猛烈な勢いでプルカロルを前進させる。

 何かの魔方陣のように幾何学的に開いた亀裂からの発光が強まり、プルカロルは水の巨人に右拳を叩き付ける。

 近接打撃呪法の直撃を食らった相手は上半身が跡形もなく吹き飛んだあと、残った下半身も形を維持できなくなって海水の中に溶けた。

「……」

 操作卓の左側にある水系感覚器センサーが、水の巨人であったものの消滅を表示している。

 しかしそれを行えた代償はあまりにも大きかった。

 反対側の右側の操作卓は過熱駆動オーバーヒートを起こして壊滅している。割れた画面で辛うじて外を映している映像盤には、右肩から先が無くなった機体の無惨な姿が見えた。操作室ここからでは確認しきれない機体全体の内部破損も相当だろう。

「やっぱり犠牲があまりにも大きすぎる。機械使徒越しにはもう滅多なことでは使えないわね」

 リュウナは「ごめんねプルカロル」と呟きながら、自分の膝上に視線を落とした。

「……」

 メグハは小さく震えたままリュウナの脚に抱きついたままだった。

 彼女も相当な覚悟を秘めての故郷からの出立だったろうが、そんな覚悟も一瞬で吹き飛んでしまう経験の連続に、メグハは何も喋れないでいた。

 破損を起こした計器の破片が飛んできてメグハの体を切り裂いていたかもしれない。それでもほぼ無傷だったのは、プルカロルが守ってくれたのかもしれないとリュウナは自機に感謝した。

「もうだいじょうぶ、脅威は去った。あなたのことはわたしが送っていくから、しばらくそこで休んでいなさい」

「……」

 メグハはそういわれると緊張が切れたのか、リュウナの膝に埋もれるように気を失った。


 ――◇ ◇ ◇――


「――フィーアーっ、連れてきたよーっ」

「……?」

 メグハはその大きな声で目を覚ました。

 体が揺れている。カークリノラースやプルカロルに乗った時とは別の揺れ方。それはなんだかとても優しく自分を揺さぶっている。

「――リュウナ、お疲れさま。に送ってくれるまでしてくれてごめんね」

 誰かがやって来て隣に並んで歩き始めた。

「彼女も期待の新人の一人だからね。どうってことないよ」

「でもリュウナと同乗しちゃったメグハが一番の災難ね」

「なによーひとを厄介者トラブルメーカーみたいにいってぇ」

「違うの?」

「否定できないところが悔しいわね!」

 そんな仲の良いのが垣間見れるやりとりを聞いて幼馴染みのことを思い出したメグハは、会話の流れに身を任せるように口を開いた。

「……リュウナ、さん、ここ、は?」

「あ、気が付いた、良かった」

「もうすぐ着くからそのままリュウナにおんぶされててね」

 リュウナの隣を歩く妙齢の女性がメグハの顔を覗き込みながら言う。

「代わってはくれないのね」

魔女わたしはあなたほど怪力無双じゃないのです」

「怪力いうな」

 そうやってじゃれあうように言い合いを続けていると、目的地に到着した。

「よっと」

 メグハはそこで降ろされた。そして目の前には。

「……」

 巨大な人型の上半身がいた。それは卵の殻のような下半身から生えていて、そこから細長い着陸客のようなものが伸び、非人型の体を支えていた。

 プルカロルやカークリノラースに比べれば小さいが、そんなものが覆い被さるように駐機している生の迫力は凄まじい。

「これが伝説の機体ダンタリオンの分離機の一つ、ダンタリオン四番機よ」

 リュウナがそう説明しながら自分の左肩を指でつつく。これは機械群体レギオンギアが分離した機の左肩部に相当する機であるらしい。

「そして彼女がこれの機長。今日からあなたをしご磁力の魔女ミス・マグニート

 リュウナの物々しい自己紹介に彼女は苦笑しながら答える。

「どうもご紹介に預かりました磁力の魔女ミス・マグニートのフィーアです。リュウナこっちのお姉ちゃんのしごきほど厳しくないと思うから安心して」

 それを聞いて今度はリュウナが吹き出す。

「うちのお姉ちゃんってば、本人は優しくしてるつもりなんだけど、端からみたらそれが鬼のしごきになってるのって凄いよね」

「うん。――でもね」

 一拍空けてフィーアが続ける。

「その指導のお陰で世界も水没から守れたし、全員無事にフィーネ台地攻防戦から帰ってこれた」

「うん」

 それを聞いてリュウナは幸福に透き通ったような笑顔を見せるとメグハの方に振り向き、フィーアも顔を向けた。

「あなたは今この瞬間から、みんなから慕われし愛しき教官、紅蓮の死神の一番新しい後進となるのよ」

 紅蓮の死神の妹からの激励。今のこの世界を作った原動力となったのは彼女の姉であるのは間違いないのだから。

「あなたがこれから紅蓮の死神リュウガさん本人に会える機会はそんなに多くないだろうけど、でも安心して、その想いを受け継いだ教え子がいっぱいいるから」

 フィーアはそういいながら右手を出した。

「だから真っ白い一歩を踏み出そう、私たちと一緒に」

 メグハは差し出された手を両手でしっかりと握ると、力強く答えた。

「はい!」

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