第一章

「ただいまー」

 疾風高校女子寮の玄関に、聞こえなくなって久しかった女の子の帰宅の声が響く。

 それを聞いて玄関近くの部屋の扉が開くと、エプロン姿の年配女性が出てきた。

「あらまあ犬飼さんに鬼越さんじゃないの」

「お久しぶりです寮母さん。でも二ヵ月ぶりくらいですかね」

「二人とも急に辞めちゃったからびっくりしたわ」

「辞めたというよりも休学扱いにしてもらっていたんですけどね。で、一応復学の予定なんです」

「あら、そうなの? 二人ともずいぶん立派な制服を着てるものだから、ただ顔を見せに来ただけかと思ったわ」

 陽子は機械神操士用制服、鬼越は機械使徒操士用制服を着たまま現れた。これが今の彼女たちの礼服だからだ。

「そういえば学校の方から生徒が二人入寮するって連絡があったけどあなたたちだったのね」

「はい、そういうことなのでまたお世話になります」

「――犬飼さん!?」

 玄関先の声を聞き付けて部屋の扉の一つがものすごい勢いで開かれた。

「鬼越さんも!?」

 顔を出したのは、そう、もちろん

「うわぁぁぁっん」

 その人物は部屋を飛び出して一気に廊下を駆けると、そのままの勢いで陽子に飛び付いた。

「ただいま、委員長」

 陽子はその体当たりに近い抱擁を受け止めると、自分の胸に顔を押し当てて泣く彼女――山本堵炉椎やまもとどろしーの頭を優しく撫でた。

「⋯⋯もう、会えないかと、思ってた⋯⋯」

「そんな、大袈裟な」

「委員長、大変なことになっているところ申し訳ないのだが、ある人物に会いたいのだが」

 今まで黙っていた鬼越がそう促す。

「――ん」

 委員長は陽子の腕の中からスルッと抜けると、今度は鬼越に抱き付いた。

「どうした委員長、抱擁など?」

「⋯⋯こんな機会でもなければ、あなたにこんなことをすることも無いと思うから⋯⋯」

 陽子はべちょべちょになった制服の胸をハンカチで吹きながら、少し困った顔になっている鬼越と、その胸に顔を埋める委員長を交互に見て嬉しそうに笑った。

「ミユキの話をボクが引き継ぐけどさ、スズちゃんってに会いたいんだけど」

「スズ?」

 委員長はその名を聞いて鬼越の胸から顔を上げた。

「あの、またなんかやらかした?」

「やらかしたっていうか、機械神から落っこちてきた時点でやらかしたっていうのかな? でもそうじゃなくて協力を頼みたいんだよ」

「協力?」

「そう。機械神八号機を取っ捕まえる協力をね」


 ――◇ ◇ ◇――


 疾風高校から程近い場所にある神社。

 その境内で巫女服姿の女の子が一人、竹箒を持って掃き掃除をしていた。

「~なまあたたかいのだから~♪」

 なにやら怪しげな鼻歌を歌いながら箒を動かす彼女の口は、何故か動いていない。ベントリラクイズムでも使っているのかと最初は思うが、彼女の口を良く見れば動くような構造にはなっておらず、しかも鋼鉄製。

 彼女こそ、機械神から堕ちてきた自動人形、スズである。

 なぜ自動人形の彼女が巫女服姿で神社にいるのかというと、彼女が急に「アルバイトをしてみたい」と委員長に言い出て、委員長も「こんな鉄の塊の女の子を雇ってくれる仕事先なんてあるのだろうか」と頭を抱えていると「うちの神社の境内の掃き掃除でもしてみる?」と友人の巫女のミカが名乗り出てくれ、そんな経緯の流れで彼女は巫女の格好をしながら掃き掃除をしているのであった。

「~左右から水圧ニトンの壁が迫って~♪」

「おーい、スズーっ」

 スズが怪しげな歌の続きを歌っていると遠くから自分を呼ぶ声が聞こえたので振り向くと、制服姿の委員長が入り口から境内に入ってくるところだった。

「委員長さん――?」

 こちらに向かってくる委員長の背後に二人の人影が続いていた。

「こんにちはスズちゃん。はじめましてだね」

 首から上が狼の頭になっている獣人が挨拶してきた。

「あの――犬飼陽子さん、ですか?」

「うわっ、良く知ってるねボクの名前!」

「はい、委員長さんのお話にも銀色の狼人さんの話は良く出てくるので。そちらの赤鬼さんは鬼越魅幸さんですよね」

「いかにも。我らのことを知っているのなら自己紹介が省けて楽だな」

「あの⋯⋯やっぱりお迎えですか?」

「お迎え?」

「と言うと?」

「お二人は黒龍師団へ行ったと委員長さんから聞かされています。そしてそこが機械神の管理組織であることも知っています」

 スズが続ける。

「私は以前、黒龍師団からやって来た村雨龍那さんという人に、私のような機械神本体からはぐれてしまった自動人形は黒龍師団の方で保護するのが本当は一番良いと、言われたことがあります。だから私のことを迎えに来たのかと」

「村雨龍那⋯⋯はて、そんな人、黒龍師団に居たっけ?」

「お前はまったく、本気で言っているのか?」

 鬼越が渋い表情になりながら言う。

「はい?」

「それはリュウナ・ムラサメのことだろう。機械使徒操士として最高の腕を持ち、現在は『雲』を追って世界中を放浪している」

「ああそうか、リュウガの妹ちゃんのことか! 方舟艦内での名前の言い方だから一瞬誰のことかと思ったよ」

「ん? 村雨さんがどうしたの?」

 その名前を聞いて委員長が話に入ってきた。

 スズは村雨龍那リュウナ・ムラサメとの会話で今まで委員長には言わないで秘密にしていた事を話始めた。

 そして委員長は二人が留守にしていた時に方舟艦ここであったことを話始め、陽子と鬼越も黒龍師団本拠地で学んだことなど機密には触れない程度に話した。

「そうか、スズは村雨さんからそんなことを言われていたんだね」

 そのような話を事前にされていれば機械神操士や機械使徒操士の制服を着た者が現れたら、自分を連れに来たのかと身構えてしまうのも確かだと委員長も思う。

「でも機械神の中に戻るのはスズちゃんの自由意思であるのは変わらないよ。スズちゃんは意思を持ちし自動人形となったんだから」

 陽子が言う。

「そうだな。黒龍師団にも意思を持ちし自動人形がいるが、担当機の中でずっと働いている訳ではないからな」

 鬼越が付け加える。多分それは黒龍師団の真の統率者であるキュアノスプリュネルのことだろう。

「私以外にも意思を持った自動人形がいるのですね」

「うん。表立って活動しているのは鋼の女神様って呼ばれてる一体だけだけど、噂では十体弱はいて、それが世界中に散らばっているって話。だからスズちゃんも世界中に散らばる個体の一つだね」

 陽子がそう説明する。

「それにアタシたちが今欲しているのはスズお前ではなくお前が堕ちてきた機械神八号機なのだ」

 鬼越が補足するように言う。

「八号機?」

「うん、そうなんだよ。ボクたちはスズちゃんが機械神八号機から落っこってくる直前に、黒龍師団の師団長から八号機を追い、回収する役目を受けたんだ。まったく時機タイミングが悪いったらありゃしないってこのことだよね」

 陽子が苦笑する。

「というわけでボクたちがスズちゃんのところに来たのは、スズちゃんに八号機を取っ捕まえるのに協力してほしいからなんだ」

 スズの前に黒龍師団の制服を着た者が現れた理由を改めて説明する。

「さっきから機械神を取っ捕まえるって言ってるけど、スズは頭と胸以外はもう元の体じゃないからあんまり無理させないで欲しいんだけど。片足も義足のままだし」

 三人の会話を聞いていた委員長が、困ったように言い出した。

「え? そうなのっ⋯⋯て、巫女さんの格好しているから気付かなかったのか」

 足元も袴で大きく隠れるので片足が太い棒状のもので支えられているのも見えなかった。

「それに機械神を取っ捕まえるって言ってるけど、私たち方舟艦の住人にとっては殆ど伝説の存在、そんな宛はあるの?」

「ない」

 陽子はキッパリと答えた。委員長が鬼越の方に顔を向けると彼女も首を左右に振る。

「だから困って元機械神八号機常駐だったスズちゃんの助けを借りに来たんだよ」

「⋯⋯なんというか色んなことを根本的に考え直す必要がありそうね」

 委員長が溜め息混じりに言う。


 ――◇ ◇ ◇――


 翌日。

「転校生⋯⋯じゃ、ないな、復学生を紹介する。入ってこい」

 朝のホームルームの時間、教師にそう促されて疾風高校の女子制服を着た銀色の狼人と赤鬼が入ってきた。その姿を見て教室内にどよめきが走る。

「まあ、みんなも忘れる訳がないと思うので自己紹介は省くが、二人がまた通うことになったので、再びこのクラスで面倒を見ることになった」

「犬飼帰ってきました! またよろしくね!」

「アタシも再びよろしくお願いする」

 二人は夏休み中に諸事情により休学したと他の生徒には二学期始業式の日に伝えられていた。他の生徒は「あの二人なら諸事情の一つや二つはあるだろう」と突然の休学には特に心配する者もいなかったのだが、なんの前触れもなく復学してきて全員驚いた。

「二人の席は空いたままだ。そこに前と同じように座れ」

 教師に促され騒ぎの収まらない教室内を進んで二人は懐かしの席に着いた。

「じゃあ早速授業を始めるぞー、全員静かにしろー」


 休憩時間になって、陽子と鬼越は気になることがあったので委員長の席にやって来た。

「楠木さんってどうしたの?」

「また転校しちゃったわよ、夏休みの最終日の日付で」

 陽子が訊くと委員長からはそんな答え。

「それと入れ替わりにスズが入ってきたものだから、クラスのみんなも楠木さんのことは殆ど覚えていないと思う」

 陽子と鬼越が旅立つ切っ掛けを作った彼女。ここに集う三人はあの迷宮仕事人ダンジョンワーカーズを名乗る彼女を忘れる訳がない。

「犬飼さんは部活の方は復帰するの?」

「今ではもう、棒高跳びのバーの一番上を飛び越せるくらいだからね。それは止めておくよ」

「⋯⋯そうね」

 その言葉に、走り高跳び選手として陸上競技からのお別れに付き合った委員長も考え深げな顔になる。

「今ではミユキと殴り合いの喧嘩をしている方がよっぽど楽しくて運動になるよ」

 それを聞いて委員長と鬼越が同時に吹き出した。

「訓練といえ訓練と。自主訓練では物足りなくなった時に、稀に試合をするだけだろう」

「あはははは」


 今日の授業を終え三人と一体は寮に帰ってきた。今後のことを話し合おうと委員長とスズの部屋に全員が集まる。

「そういえば、機械神八号機を取っ捕⋯⋯捕獲って、期限とか決まってるの」

「無期限」

 委員長の最初の疑問に陽子があまりにも簡潔に答えた。

「だからこのままゴロゴロしててお婆ちゃんになっても別に良いんだよ、お給料出てるし」

「それはまずいでしょ」

「うん、まずい」

「無期限というのは、ゴロゴロは無関係だが、婆さんになっても追い続けろという意味には繋がる。それなりに厳しい命令だ」

 鬼越が言う。

アタシ狼人ヨーコも長寿の種族だからな。そんな我らに無期限とは完遂も視野に入る手厳しいものだ」

「完遂? 期限無しっていう長期間なのは殆ど宛にされていないってことじゃなく?」

「わはははは、痛いところを突くね委員長」

「アタシたちは機械使徒操士としても機械神操士としてもなったばかりの補欠扱いだからな。宛にされていないのも仕方ない」

 特に鬼越は白兵部隊としての能力を期待されているので、機械使徒に搭乗しての操作訓練すらやらせてもらっていない。

「まあ、なんとか姿を眩まし続ける八号機が、なんでそんな風になってしまったのか理由を見つけるのが先決なのかもね」

「首都艦にはこの方舟艦隊で出版された蔵書を全て収蔵する図書館がある。そこに行って気になる書物を片っ端から読んでみるしかないか、まずは」

本気マジで言ってるんですかミユキ女史!? それって二人がかりで読むだけで何年かかるの!?」

「何年、いや、何十年かかろうともやってこいというのが上からのお達しだ」

 渋い表情で応える鬼越に「とほー」とガックリ項垂れる陽子。

「――私が万全な体であれば八号機が出現した時に、陽子さんを抱えて飛んで八号機に取り付くことができたかも知れません」

 今まで黙したままだったスズが急にしゃべり始めた。

「陽子さんは既に機械神を動かせる資格は手に入れたんですよね」

「うん。本拠地で機械神一号機に乗らせてもらって選定を受けたよ。ちゃんと一号機は反応して機械神操士として認められたよ、まだは付くけどね」

「ちょっと待って犬飼さんってば機械神に乗ってきたの!? 本物の!?」

 話しの流れからとんでもないことを言い始めた陽子に委員長が驚きの顔を向ける。

 この方舟艦では機械神とは災害と同義。それに搭乗してきたというのだから、それは地震の震源を踏み潰すとか台風の目に体当たりするなどの空想の出来事のように思えてしまう。

「だって本物に乗らないと動かせるかどうかって分からないでしょ? そのための選定なんだから。ちなみにそこに座っておられるミユキさんも乗ってきたよ」

 余計なことを言うなという顔で鬼越が陽子のことを軽く睨む。

「まあ、アタシの場合は、師団長肝煎りの犬飼陽子殿のおまけで選定を受けてきたようなものだがな。動けば目っけ物、その程度の扱いだぞ」

「――あえて訊くけど、結果は」

「アタシの時にも動いていれば、こんな所で機械神操士ヨーコの補佐なんかしているものか。本拠地の方で別の見所有機械神の情報をもらって別件で動いている」

「⋯⋯二人は、本当に遠い所に行ってしまったのね」

「機械神操士選定を受けるのは師団員全員に与えられた権利だからね。委員長も黒龍師団に入れば乗せてもらえるよ」

「うーん⋯⋯二人が居なくなった後にその進路も改めて考えてみたこともあるけど、私にはまだ二人に着いていくのは無理だな――って、そんな話じゃなくて、今はスズの話をしてたんだよ」

 委員長が改めてスズの方に顔を向ける。

「今のスズの体に関してはスズが申し訳ない気持ちになることじゃないよ。特にその義足が無かったら、スズの意識は戻らなかったんだから」

 委員長が負の魔法生物との決戦を思い出すように言う。

「でも、せめて飛行能力が失われていなかったら陽子さんを連れて八号機に取り付いて、操作室まで案内できたかも知れない」

 スズに新しく与えられた体には、さすがに飛行能力まで内蔵できなかった。以前は片足でも幾らかは飛行できていた。それが今はできないのが悔しい。

「スズちゃんは優しい子なんだね」

 悔しさをもどかしく思っていると、テーブルに両腕で頬杖を突いている陽子にそんな風に言われた。

「だからこそ頭部と胸部以外を破壊されても意思を持ちし自動人形として復活できたのだろう」

 鬼越が言う。

「⋯⋯」

 二人の言葉を聞いて、スズはまた人という生き物のことが分からなくなってきてしまった。


 ――◇ ◇ ◇――


「我が疾風弾はやてひき財団としては協力はできないわね」

 その日の夜遅く。

 定期連絡で養母である疾風弾雪火せつかの下を訪れたスズは、これまでの経緯を話し、疾風弾財団としては陽子と鬼越の二人には協力できないのだろうかと訪ねたのだった。

「だって疾風弾財団わたしたちとしては、その機械神八号機が捕獲できるのなら私たちで欲しいもの」

 それは重工業施設も抱えるこの国有数の財団としては最もな意見だ。

「黒龍師団とは機械神の回収機構を自称しているだけの組織。国際的に回収業務が決まっている訳じゃない。少なくともこの方舟艦隊は認めていない」

 それは黒龍師団の師団員も全員自覚していることであるのだが、機械神の回収は勝手にやっていることなのである。

 しかも機械神とは、この方舟艦隊では災害に匹敵するものとされるほどに強大な力を持つものとして認識されている。

 それを複数――いや、全て集めているのだとすると、強大な力の集中は危険であると言わざるを得ない。黒龍師団は機械神の全機封印の為と謳っているが、それが事実であるという確証はない。

「私に頼んだらこんな結果になるのは、あなたにも分かっていたんじゃないの、スズ? あなたの願い事は極力聞いてあげたいけど、こればかりは無理ね、財団としては」

「⋯⋯」

「ただ、財団としては無理だけど、私個人の裁量の範囲内では聞いてあげられることがあるかも知れない。だからスズは、今度はそれを考えてきて、私を動かせる願いを」

「――はい」


 ――◇ ◇ ◇――


「私は自動人形。自動人形には二つの役目がある」

 寮へと送ってもらっているパワードリフト機(民間用チルトローター機)客室内で、スズが呟いている。

 機械神操士となった陽子との接触により、意思を持つことにより忘れかけていた記憶が、頭の中の記憶素子から引き出されかけていた。

 機械神の常態維持。

 自分達自動人形の代替品創造の探究。

 だが、元々は機械神の常態維持の一つだけだったのだ。二つ目は星喰機が黒き星の海を航海して千年に一度の周期でこの星へ帰還してくる、新たな同胞を一体連れて。

 その一連の作業により千年で一体という周期で自動人形は増え、今まではそれで良かったのだが、ある時、数百体の同胞が突然略取され行方が分からなくなるという事故が発生。それ以後、略取された同胞の奪還の模索と、失われた同胞の代替品創造も自動人形の作業となった。

 今のスズは自由な存在だ。しかし、一つだけ自由になっていない事がある。

 それは、今まで自分が常駐していた機械神八号機に戻ること。

 自分が自動人形であるならば、担当する機械神を守る立場を継続できてこそ、意思を持ちし自動人形となったことが、意味あるものになるのではないのか?

 そしてそれは自分が陽子たちに協力するのではなく、逆に自分が八号機に戻るのを彼女たちに協力してもらう。

 今置かれた状況は、そのような機会がおとずれた、そういうことなのではないだろうか。

「⋯⋯」


 ――◇ ◇ ◇――


「どうしたのスズ、元気ないね?」

 巫女服姿で境内の掃き掃除をしているスズの下に、同じように巫女服姿のミカがやってきて言った。

「機械仕掛けの私が元気がないとはどういうことでしょうか?」

「言葉の意味通りだよ。そんな力が抜けたように俯いて掃き掃除してたら、人間だったら体のどこかを壊しているのかと心配になるくらいの雰囲気出てるし、今のあなた」

「⋯⋯」

 スズは陽子と鬼越が帰ってきてから今までのことを自分が話せる範囲で話した。

「ふむ、そういうわけなのね元気がないのは」

 ミカも教室内では陽子の前の席なので、彼女から色々聞いていた。斜め後ろに鬼越もいるので、彼女からも話を聞いた。

「色々と思い出して来たんです、自動人形の使命を」

「自動人形の使命?」

 養母せつかの下から帰る時に、送迎機の中で思い出したこと。その使命に従うのであれば、自分が八号機に先ずは帰還を果たさなければならないことを。

「他にも力になってくれそうな人のところを色々回ってみるのが良いんじゃないのかな」

 スズの思いにミカはそう答える。スズが機械神八号機から落ちてきてから様々な人と会った。その都度出会った者たちに、力になってくれないかと頼んでみるのはどうかと彼女は促す。

「力になってくれそうなひと⋯⋯」

 スズは箒をぎゅっと握り締め、小さく呟いた。


 ――◇ ◇ ◇――


 列車と乗合自動車を乗り継いで、スズはとある場所まで来ていた。

 神無川艦の中でも奥まった所。

 のどかな風景が続いた先にその家はあった。

 家の前には畑があってそこにはカカシが一つ刺さっていた。

「お久し振りですゼファーさん」

 その呼び掛けを聞いて後ろを向いていたカカシがクルリと振り向いた。

「ややっ、これはこれはスズ殿ではありませんか。どうしましたこんな遠方へ? お一人ですか?」

「はい、一人で来ました」

「娘殿と喧嘩でもされましたかな」

「いえ、そういう訳じゃないんですけど――」

 そう、ゼファーは今、委員長の隣には居ない。負の怪生物との戦いで、結局はゼファーが居なければ何もできない自分を痛烈に自覚した委員長は「一人で強くなりたい」と、先代魔法少女である母に告げていた。せっかく自分の仕事を押し付けられたのにと最初は渋い顔をしたが、娘の強い意思を目の当たりにして、ゼファーとマジカルバトンを引き取った。最終的には魔法少女なんかよりも強い存在になろうとしているのが、強く光る瞳から分かったからだ。先に進んでしまったあの二人に追い付きたいという意思の輝き。

 だから『時期尚早だと思ったけど、あなたにはもうこれが必要なのね』と羊皮紙製のページを頑丈な表紙で覆った巨大な百科辞典のような本を渡された。

『それは風の魔導書よ。ゼファーが繰り出す風の魔法が全部載っている。何しろ原本を書いたのはゼファー本人なのだから』

 魔法少女の仕事を娘に押し付けてすっかり暇になっていた母は、原本を見ながらこの写本を作っていた。いつか必要になる日が来たときの為の準備だったが、まさかこんなにも早くその時が来るとは思わなかったが。

『まずは自分でも写本を作ってみる処から始めなさい。自分で書き写した呪文を読んで正しく詠唱できれば、それが魔法を覚えたということだから』

 と言うわけで委員長は休日などは、苦労して手に入れた羊皮紙に母の写本から呪文を書き写すと言うことをしている。

 そのような理由なのでスズは、自分も誰かを持ち上げて空を飛べるくらいの魔法が使えるようになりたいと、委員長に願い出たのだが

『私は修行をまだ始めたばかりの身。だから魔法を学ぶのであれば私と一緒じゃなくて、その道の玄人に教えてもらった方が良いと思うよ』

 と、言われていた。

「それで我輩の下まで来たでありますか」

「はい、私に風の魔法を教えてください」

「スズ殿は神の怪生物となった時に魔法が使えていたではありませんか、それは?」

「この胸部から下と両腕が吹き飛んだ時から使えなくなりました」

「そうですか。となるとのスズ殿が魔法を使うのは、少し難しいやも知れませぬ」

「と、言いますと?」

「魔法とは精神力を使って具現される力。人間で例えるならば脳の思考を加速させるようなもの。人間は脳を動かすのに心臓の二割五分の力を使います。ですから魔法を使うにも体力は必要なのです。魔法を使い続けて心臓から送り込まれる血液の回転を越えれば、体を消耗しきって死に至ります」

 ゼファーが一拍あけて続ける。

「スズ殿が元の自動人形の頑丈な体のままで呪文を詠唱したとしても特に問題はありますまい。ですが今の代替の体では、強い魔法を使うと、人間が体力を消耗するように機体が破損するでしょう。特に誰かを抱えて飛行できるほどの強力な魔法であれば腕も脚もバラバラになってしまっても仕方ないでしょうな」

「そ、そんな⋯⋯」

「いきなり難しい話で攻めてしまって申し訳なかったですな。ですが今の状態で一切魔法が使えないということもありますまいて」

 ゼファーが畑の土からスポッと抜けながら言う。

「先ずは母殿の処にある魔導書を読みながら、簡単な魔法を使ってみますか」


「しかしうちの娘は全く帰ってこないのに、友達だけ遊びに来るっていうのも変な話ね」

 奥から分厚い本を抱えて出てきた委員長の母――山本椎那やまもとしいながスズを迎えながらいう言う。

「すみません、とんだご迷惑を」

 テーブルの前に座って待っていたスズが申し訳ないように言う。

「いいっていいって、ゼファーが帰って来ること以上に迷惑なんてないからさ」

 庭の方から「母殿ーっ、聞こえてますぞーっ」と聞こえたが無視した。

「よいしょっと」

 椎那は分厚い本――風の魔導書の原本をテーブルに置くと自分も座った。

「ゼファーから聞いたけど風の魔法が使いたいんだってスズちゃん」

「はい」

「じゃあまずはこの魔導書の最初の方を読んでみて。何が書いてある?」

「えーと――」

 スズは魔導書の冒頭部分を読んだ。今まで目にしたことのない文字の羅列だったが、不思議と理解出来た。

「空気を動かして風を発生させる呪文――ですか、これは」

「そうだよ正解。魔女しか読めないはずの呪文を良く読めるね。さすが自動人形って言ったところかしら」

「そうなんですか」

「呪文はね、普通の人間には読めないの。魔女として作られ魔女の血を引いた者でなければ読めないし扱えない」

 椎那の説明によると自分の祖母、委員長にとっては曾祖母が最初に作られた原初の魔女オリジンであるらしい。

「じゃあ、その最初の呪文を詠唱してみて」

 スズは言われた通りにやってみた。すると、強制的に動かされた空気が風を生み出し、魔導書の頁を捲った。

「凄い! 私なんてこの一番簡単な呪文でさえも出来るのに半年かかったのに、スズちゃんはいきなり出来ちゃうんだね」

「そうみたいですけど――代償はやっぱりあるようです」

 右腕を出して少し動かしてみると、若干の違和感を感じる。軽い内部破損が起こっている様子。人間が精神力・体力を消費する代わりに、スズは機体を破損してしまうらしい。もちろん内蔵電池の値も低下している。

「あの、もう少し強い呪文を使っても良いですか」

「良いけど大丈夫?」

「はい。外に出てやります」

 スズは庭に出た。

「そこに立ってるカカシも破壊して良いからね」

「酷いですぞ母殿」

「⋯⋯」

 スズは自分が起こした風で捲れた頁にあった風刃の呪文を使ってみることにした。

 何もない所に向かって右手を翳し、呪文を詠唱する。スズの鉄製の手の中に風塊が埋まれそれが射出されると刃の形に広がる。

 しかしそれと同時に

「!?」

 スズの右腕は肘関節から先がバラバラに砕けてしまった。射出された風刃も何にも当たらずに霧散した。

「やはりそうなりましたか」

「大丈夫スズちゃん!?」

 冷静に状況を判断するゼファーの声と居間から庭に飛び出してきた椎那の声が重なる。

「右腕部が破損しただけでたいしたことは――」

「無茶しちゃダメでしょ!」

 椎那はそう強く言いながらスズの体を抱き締めた。

「あなたは娘の親友。だからもうあなた自身も私にとっては娘の一人みたいなものなの。そんな大事な存在が目の前でバラバラになるなんて見たくないわ」

「でも⋯⋯」

「あなたの養母おかあさんの雪火だって同じように思ってる」

「⋯⋯」


 ――◇ ◇ ◇――


 スズは委員長の実家から帰寮する途中で疾風高校へと寄った。ここにはスズの常態を管理する作業班が常駐しており、細かい補修や冷却水の補給などすぐにやってくれる。

 スズは破損した右腕の修理にやって来たのだが、さすがに魔法を使って壊したとは言えず、階段から落ちて自重を支えきれずに破損したと伝えた。

 風刃の魔法を使った際にバラバラになってしまった右腕は破片を全部拾って届けてある。この破片を調べれば自分の体重で押し潰したのではなく、内側から破裂するように砕けたのが分かってしまうだろう。その事実が知られてしまう前に何とかする必要がある。


 ――◇ ◇ ◇――


 寮の夜。

 眠る必要のないスズは、委員長が写本を作っている魔導書の原本を読んでいた。

 委員長の実家では片腕を失う事故を起こしてしまったので、それ以上は読ませてもらえず、委員長が寝ている内にこっそりと読んでいるのだった。

 深夜の限られた時間。この魔導書の内容を眼部から取り込んで記憶素子に入れるには一週間程はかかるだろう。

「⋯⋯」

 窓の外から夜の空を見る。

 この写本の記憶が終わったら、最後に頼るべき者に関係する場所へ行く。

 今、彼女は、どこの土地でこの空を見上げているのだろうか。昼だろうか、同じように夜なのだろうか。

「⋯⋯」


 ――◇ ◇ ◇――


 それから一週間経って、スズは第弐海堡の黒龍師団駐屯施設を訪れていた。

「すみません村雨龍那――リュウナ・ムラサメさんに、手紙を一通渡して欲しいのですが」

 受付らしき場所に着いたスズは、中に座る制服姿の女性に願い出た。

「⋯⋯むらさめ――リュウナ・ムラサメですね、少々お待ちください」

 見たこともない機械を動かして女性は調べものをしている。

「リュウナ・ムラサメは今現在特殊な任務を帯びています」

 それはスズも知っている。『雲』を追って世界中を回り、『雲』がどれだけの影響を与えているか調査しているのだ。

「ですからこちらとしても所在を完全に把握している訳ではありません。ここでお預かりしても届けられる保証はありません」

 それはスズも覚悟していたことだ。放浪の旅を続ける彼女の下に手紙が届くなんて絶望的な確率だろう。

「それにリュウナ・ムラサメは高官の一人です。ここで手紙をお預かりするに辺り、あなたの身分を証明できるものはありますか」

「これを」

 スズは雪火から渡されている通行証セキュリティカードを見せた。第弐海堡でも方舟艦隊の所有地であれば、これを見せれば何処へでも行ける疾風弾財団総帥直下の者を表す通行証である。

「失礼いたしました、スズ・ハヤテヒキさんですね。お返しします」

 しかして、この通行証は黒龍師団駐屯地でも効力を発揮するらしい。第弐海堡建設の際には疾風弾重工も協力しているのでその恩恵なのだろう。

「このお手紙は黒龍師団でお預かりいたします。ですが」

 受付の女性は一拍おいて続ける。

「この手紙をリュウナ・ムラサメ本人に届けるのが困難だと判断された場合、親族の何方どなたかに届けることになります。それでも良いですか?」

 それは仕方のない判断だろう。陽子の話によると姉がいるらしいが、彼女の姉であるならば代わりに中身を見ても悪いことに使われることもないだろうと思う。

「はい――よろしくお願いします」

 スズはそう言い残すと、黒龍師団駐屯地を後にした。

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