出席番号7番「遅刻常習犯」②鬼の子ども

俺は父さんが嫌いだ。

理由は、わかるだろ? 覚えている記憶の一番最初から最後まで、あの人の怒鳴り声だけしか思い出せないよ。顔だってよく思い出せない。もちろん、写真なんて残っていない。


「お前が悪い」


小さい頃からずっと心に染み込まされたトラウマだ。

実際、自分で悪いと思うところもあるから否定できない。ごめんなさい、ごめんなさい。ひたすら謝ることしかできなくて、あの先生に出逢うまでは大人に顔も上げられなかった。大人が恐かった。


保育所だって入れてもらえなかった俺はいつだってひとりぼっちだった。預けられても親が迎えに来なきゃなぁ。

だから、捨てられなかった方が俺としては不思議だったんだ。

実際は生きているのか怪しい状態だったみたいだけど、それは俺の体質がいい方向に働いたんだろうな。死ぬのが遅れていたんだよ。

死に遅れっていうやつかな。え? そんなこと言わない? じゃあ、俺が言うわ。俺は死に遅れていた。


父さんは思っただろうな。

どうしてこいつはそこにいるのか。ってさ。

生きていちゃ悪い奴が目の前にいる。昨日も今日も、ずっといる。




いつからか、父さんが言う言葉が変わったんだ。

いや、もしかしたら始めからそうだったかもしれない。


「おまえが悪い」


から


「おまえは鬼の子だ」


そう、言い始めたんだ。




自分の子じゃない。鬼の子だ。

母親の腹を食い破って産まれた、鬼の子だ。

痛かったよ。

俺は父さんにとっていらない子で、生きてちゃいけない子だった。しかも、人ですらない、鬼の子だってさ。

痛かったさ。

親にそんなこと言われて。それにさ、


オニハタイジサレナイトイケナイダロ?


父さんは、鬼を退治しようとした。叩いて叩いて叩いた。首を締めた。殴って、家に入れようとしなかった。

それでも鬼はしぶとく生きていた。

起き上がって、息をして、血を流していた。痛みなんて感じてないような顔をして、ごめんなさい、ごめんなさいと謝り続けた。


痛かったよ。


鬼の子は、俺は、すごく痛かった。


痛かったんだよ。父さん。


殴られたその時は痛くなかったかもしれない。でも、確かにそれは後からでもやってきたんだ。

逃げられなかった。逃げちゃいけなかった。だって、俺が悪かったんだから。全部、俺が悪いんだから。








そんな毎日が続いて、学校へも行かなくなったある日。

家にあの先生がやって来た。

家庭訪問じゃないぜ? あの人、家に突撃してきた。当時の担任だったあの先生。何にも言わないでさ、俺を家から引っ張り出したんだ。

父さんは何かうるさく言ってたかもしれない。それよりもさ、俺には先生が父さんにぼそっと言ったことの方が衝撃だったよ。


「この余所者が」


子どもの俺には意味が解らなかったけど、今なら解る。俺たちには解るだろ?

先生、マジギレしてたんだって。だって、あの人がこんなこと言うはずないじゃん。







俺たちはいつだって閉鎖的な空間にいる。

とじられた「桜ヶ原」っていう町にとじこもって、一緒にとじたものたちと身を寄せあって生きている。

だから友達や家族や近所の人たちを大事にする。心を許した間には、一種の絆みたいなものが生まれる。

ほら、俺たち同級生みたいにさ。

互いを許せるし、情も厚い。それは好きだとか嫌いだとか、そういうもんじゃないんだ。好きな奴だって嫌いな奴だっている。そういうのを引っくるめて受け入れられるんだ。


俺、知ってるぜ?

こういうのって、普通外の世界じゃ異常に見えるんだ。

古いしきたりを守り続ける田舎、独特なルールが存在する学校、こうでなきゃいけないって押し付ける会社。

古い考え、常識、思い込み。それにとらわれかこまれた閉鎖的な世界。


俺、知ってるぜ。この桜ヶ原も似たような空間だって。

遅れてるよなぁ。

俺がいるから遅れてるのか?

俺が遅らせているのか?

そんなわけないよな。


俺たちは一人一人選んで、決めて、ここにいる。

最期に戻る場所を、俺たちは自分の意志で決めた。

そのための約束だ。

ちゃんとここに戻って来れるように「同窓会」っていう約束をした。また、逢おうっていう約束を桜の木のもとに交わしたんだ。


好きとか嫌いとかじゃないんだよ。

俺たちは同級生なんだ。一回しか生きられない道の上で出逢った、唯一の同胞たちなんだ。


遅れることがわかりきってる俺を、いつまでも待っててくれる仲間たちなんだよ。




そうそう。だからさ、仲間内には甘い。大きく見ると、町全体がこんな感じになるんだ。

例外を除いてね。

外から来た奴。まあ、俺たちも人の子だからさ、ほかの奴らとだって付き合うわけよ。人並みにさ。向こうはどうだか知らないけど。

だから、あの時の先生の態度は過剰に見えたんだ。

俺、助産師さんから聞いていたんだぜ?

君の両親は二人とも桜ヶ原の人だよ。これって、母さんも、父さんも、地元の人間ってことだよな。だからもちろん俺も生粋の地元人間。

だからこそ、俺はそれまで生きてこれたんだ。地元の人間は他の地元の人間を助ける。地元の人間が悪いことをしたら。あー、何て言うのかな。ここにすむ「住人」たちが制裁を降す、とでも言うのかな。







ほら、例えば七不思議とか。




『一ツ、切り株


二ツ、停留所


三ツ、砂時計


四ツ、地下通路


五ツ、化獣


六ツ、地図


七ツ




同窓会』







悪いことをしたらさ、人が裁くんだよ。これは罪です、悪いことです。そういうルールを作っておかないと悪いことってし放題になるんだよな。

ニンジンを食べ残しました。悪いことです。だからおやつは抜きです。

こんな感じ。

でもさ、結局人が人を裁くんだよ。法律を作って平等に、公平に。そう言いながら、悪いことをするのもおしおきするのも人なんだろ?

じゃあ、裁ききれないじゃん。

人は隠す。誰だって悪いことを、罪をおかす。心は機械じゃない。常に冷静を努めても冷静でい続けることなんかできない。矛盾が生じる。

悪い人に罰が下される。罰したのが人だと、納得できないと言う人が出てくるかもしれない。

あいつはあんなことをしたのに、たったこれっぽっちの罰しか与えないの?


罰っていうのはさ。本人が自覚しないと意味ないと思うんだ。自分は悪いことをした。それを受け入れて、どうして悪いか、何が悪いか理解するんだ。そんでもって、頭を下げて謝る。

「申し訳ございません」

ごめんなさいって言うのはこういうことなんだろうな。本当だったらさ。これが謝罪するっていう事。


だから自覚しない限り裁くことに意味がないんだ。本当は悪いのに、本人は悪く思ってない。

これじゃ罰にならない。罰を与えられない。

人は間違いを繰り返す生き物だよな。何回間違っても間違いに気付くまで繰り返す。後悔しても、繰り返す。


俺の、父さんみたいに?


俺の父さんが本当に悪いことをしていたら、地元の人が裁くはずなんだ。でも、父さんはずっと変わらなかった。

俺に対しての扱いも、ずっと変わらなかったよ。

俺が悪いのか、父さんが悪いのに受け入れようとしなかったのか。もちろん、俺は父さんが悪いとは思っていなかった。




うわ、みんな、そんな顔するなよ。

怒るなって。違うんだよ。

そう思ってたのは先生が家に突撃してくるまでの話。

まあ、聞いててくれよ。




それまで俺はずっと父さんに頭を下げ続けてきた。それは、自分が悪いと思ってたから。

人が裁かなくても、ここには、この桜ヶ原には七不思議を始めとする怪奇現象が人を裁く。人じゃないから、理不尽に裁ける。

でも、父さんがそういうのに遭ったとは思えない。そう見えなかった。だって、いつも変わらなかったんだから。

じゃあ、俺の方が悪いじゃん。

父さんの言っていることが正しくて、俺は悪い子なんだ。悪い鬼の子なんだ。

そうとしか思えなかった。

人が裁かなくても、桜が裁く。父さんは裁かれなかった。




なんで? なんで? 俺が悪い。全部、俺が悪い。

ごめんなさい、ごめんなさい。生きててごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。

この世に産まれてきてごめんなさい。




俺のその声を聞いた時だよ。先生がキレたの。







俺、こう思っているんだ。

罪っていうのは、痛みを伴って喰われるべきもの。それが罰となる。どんなに罪深い悪だって、いつかは喰われ尽くす。

罪がある限り痛みは続く。どんな悪人だっていつかは喰われ尽くされて、その罰は終わる。

ただ、唯一終わることなく喰われ続けないといけない罪がある。




何だと思う?




冤罪だよ。




ないはずの罪はなくなるはずないんだ。だって、始めから喰われるべき罪がないんだから。

冤罪を持たされた人は、永遠に喰われ続けなきゃいけない。痛みは、終わらない。


俺、冤罪だったんだ。悪くなんてなかった。

でも、父さんに悪い子だって言われ続けて、俺、自分が悪いんだって、罪人なんだって。そう、思ってた。思い続けていたんだ。

だから、だから、俺、父さんに叩かれても、殴られても、どんなこと言われても、自分が悪いんだって、悪いんだって、うぅ、思ってたのに。

思ってたのに。

思って、たのにぃ。







俺を家から連れ出したあの先生は、まず最初に教えてくれた。


「君は悪くない」


俺は悪くない。悪い子じゃない。

先生は、俺に優しく教えてくれた。

俺が一番欲しかった言葉だった。

俺、心のどっかで自分は悪くないって思ってたんだ。でも言えなかった。表に出せなかった。

父さんがこわかったから。


誰も父さんのことを悪いとは言わなかった。

地元内で甘いとこがあるから、誰も言えなかったんだと思う。きっとそうなんだよ。

それか、みんな父さんのことが恐かったんだ。

俺と同じように、みんな父さんのことを恐怖していたんだ。


今更思い出すと、町の人たちはみんなどこか父さんと距離をおいていたように思える。

単に他の町から来たとか、人柄的にちょっと付き合いづらいって理由じゃない感じだった。

何て言うのかな。えっと。

そうだそうだ。それこそあれ。


「余所者」


先生の言ってたあれ。過剰だとも思えたあれが、やけにしっくりくる。

なんでだろうな。

なんでだろうね。




まあ、答えはもう出てるんだけど。

それを言っちゃったら、俺のとっておきの話もおもしろくないからさ。

まだ、言わないでおくよ。

最後まで聞いてくれよな。







おい、そこの友人A。

特にお前だ。

この話はお前のためでもあるんだぜ?

ちゃんと最後まで聞いててくれよ。








家から先生に引きずられてやって来たのは学校。そう、俺たちの小学校だった。

文字通り引きずられてきた俺は宿直室に入れられて、まずは寝かされた。布団が柔らかくて、あったかかった。

起きたら腹一杯飯を食った。うまかった。それから風呂に入って、寝た。起きたら飯を食って、授業に出た。

そこからはみんなも知ってる通り。みんなと授業を受けて、給食食って、昼寝して、遊んだ。

先生からは当たり前の常識を教わった。みんなからは、なんだ、色々と教わったよなぁ。遊び方とか、悪戯のし方とか、町のこと。




何にも知らなかったんだ。俺は。

家から出られないで息だけしていた。ほんの少しの餌だけ腹に収めて、父さんの視界にできるだけ入らないようにした。目を見開いて、恐怖に耐えた。意識が落ちるまで目を閉じないから、眠り方がよくわからなかった。


助産師さんは俺に言った。生きて欲しいって。だから俺は生きた。生き延びた。

でも、そこには俺が自分の足で生きていく道はなかった。自分の足で立って、道を選んで、前を向くことはできなかった。だって、どうやって生きていけばいいか知らなかったんだ。

父さんみたいな大人になる? あり得ないだろ。

助産師さんみたいな大人になる? 助産師さんと過ごせた時間は短すぎた。彼についてほとんど知らない。探そうにも、その時には彼はこの世にいない。


俺は大人が嫌いだったんだ。それは父さんが大人だったから。

父さんは大人で、大人は父さんだった。俺は、父さんっていう大人しか知らなかった。

じゃあ、他は? 見てなかった。

見れなかった。自分と違う人を見る余裕がなかった。

だからさ、ごめん。俺、小学校の入学式の時の顔ぶれ、覚えていないんだ。

卒業までに亡くなって入れ代わった奴もいたよな。でも、ごめん。俺の頭の中には卒業式の時の顔ぶれしかいない。


此処にいるみんなの顔しか、記憶にない。

桜の木の下に集まった、同窓会を約束した同級生たち。それで、いいんだよな。

あの先生も、助産師さんもいないけど。

これは、俺たちだけの約束なんだよな。




その約束も当然遅刻したけど!!!




じゃなくって。何の話だ?

ええっと、生きる目標?

単純に将来の夢とか、どんな大人になりたいか。かな。




そんなのなかったよ。あるはずないじゃん。

足元を見て立つだけで精一杯の子どもだ。

これから先のことなんて考えられない。




人って他人と自分を比べるよな。どっちが上でどっちが下。対等がいいって言ってても、それだって横を見て揃えてるだけだし。

俺の場合さ、下ばっか見てるから上も右も左もわかってねえの。他の奴がどこ見てるのか、何をどうやってるのか。見る余裕がなかったんだ。

先生が教えてくれたことの一つがこれだよ。人間観察しろ。人だけじゃないけど、自分が人として生きていきたいんだったら周りの人を見ろ。

間違ってることは真似しなくていいから、正しいと思うことを真似して自分の中に取り込め。


俺、人間観察だけは得意になったんだ。

あ、こいつ、今何してもらいたがってるな。こいつ何に怒ってるな。こいつ体調悪いな。こいつ何か隠してるな。こいつ、あいつじゃないな。

すぐにわかっちまうぜ。だって俺、後ろからじ~っとおまえらを見てるんだから。

遅刻常習犯はいつも遅れるんだ。だから後ろから前のやつらを、おまえらを見てたんだよ。


俺はみんなの生き方を真似した。自分のことを「俺」って言うようになったのも家を出てからだよ。

笑うようにもなった。好き嫌いを伝えるようになった。話をもっと聞くようになった。話をしたいと思うようになった。

泣くようになった。痛いと言うようになった。悲しい、寂しい、淋しいって言うようになった。涙を、流すようになった。

怒るようになった。自分は悪くないって主張できるようになった。

ふざけるようになった。みんなと冗談を言い合って、笑い合えるようになった。




あいかわらず夢は語れなかったけど。

俺は、ちゃんと生きていた。




生きていた!




生きていたんだよ!!!

自分の意思で、歩けるようになったんだ! 父さんから離れて! 自分の目で世界を見るようになったんだ!

俺は、俺はさ。やっと前を向けるようになったんだ。


そこでやっと解ったのは自分の体質と遅刻癖だったんだけど。

自分が持ってる他人と違うとこを知るのは大切だよな、ほんと。

同じことと、違うこと。周りを見れるようになってやっとわかったよ。







俺はちゃんと人の子だった。

鬼の子なんかじゃなかった。


それを教えてくれたのは、あの先生と同級生のみんなだ。













アリガト








俺の人生で一番楽しかった時期っていうのは、もちろん小学校時代。あ、違う違う。俺は小学校じゃない。

小学生時代。

ランドセルも持ってなかったけど、一番楽しかった。


みんなと遊んだし、知らないことを勉強するのも楽しかった。

すっごく、楽しかった。


ただ、俺は学校の外に出なかったんだけどさ。




先生が家から連れ出してくれた先は小学校だった。それから俺はどこに住んでいたかというと、そのまま小学校。

俺にはもともと親戚とかもいなかったらしいし、行く宛がなかった。あったらもっと早く父さんの所を出ていただろうよ。

誰かの家でもよかったらしいけど、俺はその時外に出たくなかった。だって、父さんに見つかるかもしれないから。

父さんに見つかって、またあの空間に戻るのが怖くて嫌だったんだ。だから俺は駄々をこねた。


「ずっとここにいる!」


普通そんなの通るはずないだろ? でも通ったんだ。

俺が桜ヶ原の人間だったから、先生も他の大人たちも俺を全力で守ろうとしてくれたんだ。ほら、地元の仲間意識が異常に強いだろ? 他の町を知ってれば余計異常に見えるだろうよ。でもこれが俺たち、桜ヶ原の人間なんだ。

間違ってないよな。


桜ヶ原の人は桜ヶ原の人を守ろうとする。

間違ってないよな。


だからなのか、父さんはこの町に居座った。自分もこの町の者なんだから、追い出される理由はない。そう言い張ったらしいんだ。

当然、誰も父さんを町の外に出すことはできない。




あの先生は俺に言った。


「七不思議が君の味方になってくれるだろう」


俺たちに桜ヶ原の七不思議を教えてくれたのはあの先生だ。この町にはこういう七不思議が昔からある。まるで懐かしいものを紹介するように、先生は穏やかに笑いながら語った。

この町の人なら誰でも知っている七不思議。この町に潜んでいる七つの怪異。




オレタチガカイメイヲノゾンダ

七ツノフシギ




俺たちが、解明をのぞんだ不思議たちだ。

桜ヶ原の、七不思議。

桜ヶ原にある、人と一緒にある不思議たち。


七不思議の最後は神隠し。出会った誰かがいなくなる。そういう結末だろ?

誰かが何処かへ消えていく。誰かが何処かへさらわれる。そういう、ものだろ?

七不思議っていうのは、本当だったら誰かを守ってくれるはずのものじゃないんだ。むしろ、誰かを罰するもの。人が裁けなかったものを裁くかのように、制裁やしっぺ返しを与えるもの。




『頭に乗るな』


いい気になってつけあがるな。




父さんを人は裁けなかった。人は父さんを野放しにした。手に負えなかったんだ。

じゃあ、誰が裁くんだ? 誰も裁けない。父さんは悪くない。だから、誰も裁けない。

父さん自身が罪を自覚しない限り、あの人は罰せられることはない。


ああ、今の俺は「あれ」が悪いって思ってるんだけどさ。


人が裁けないんなら、他のモノが裁くしかないだろ? でも、どんな怪異でさえ父さんを裁くことはできなかった。七不思議でさえ、な。


桜の姫様だったらまた話が違ってくるんだろうけど。あの頃はまだ先生がいたから。

姫様も奥手女子だよなぁ。

あ、これは内緒だぜ?


七不思議でさえ父さんを裁けない。

そんなに七不思議って弱いの? って話じゃないんだよなあ、これが。

桜ヶ原では七不思議は姫様に次ぐ怪異だ。それが裁けない父さんがヤバイの。

でも、裁けなくても牽制にはなるんだ。こいつに手を出すな。もしかしたら、自分の上に立つなってことかもしれないな。


小学校の裏庭には切り株がある。

七不思議の一つ目の、切り株だ。


まあ、変な言い方だけど、あれが校内にある限り学校にいれば父さんは俺に手出しできないってこと。

実際、俺はずーっと学校にいた。基本的に学校の外に出ることはなかった。というか、出れなかった。

いつまでだって?




最期の日までだよ。




俺、見てたよ。

切り株の上に立つ刃物を持った処刑人。

それに、校庭の向こうの道を走るバス。ある同級生に熱い視線を送る軍服を着た異国の車掌さん。

今夜は猫会議だって同級生を呼びに来たとある町の白い猫。尻尾が二本の化け猫裁判長。

前日まではなかったはずのトンネルの入り口。不穏な気配と吐息が漂う、蛇の口。

同級生におやつの催促をしに来たイヌ。モフモフの肥えてしまったタヌキのはずの、イヌって名付けられたタヌキ。

まだまだあるぜ?




みんなも見てただろ? 見えてただろ?

え、そんなの知らない?

そうなの?

じゃあ、今言う。俺、見てたよ。

見えてたよ。







昨日、ツバメが巣から飛んでいった。小鳥は、親鳥に追い付こうと必死に翼を動かしていた。


今日、ツバメが巣から旅立っていった。飛び立てなかった小鳥は、巣から落ちてただの肉の塊に成り果てていた。







小学校卒業と同時にみんなは学校から離れていった。もちろん俺もずっとそこにいるわけにはいかなかった。




先生が、亡くなった。




本当に急だったよな。

俺らの卒業式が終わって何日か経った後に、連絡がくるんだもん。ははっ。冗談だと思ったよ。そう思った奴は俺だけじゃなかったはずだろ?

俺は、家に戻ることになった。

学校の裏庭から誰かに見られている気もした。ここから去るのかって、その誰かに言われてる気もした。

でも、俺は中学生になるんだ。中学の入学式の日、俺は家の玄関に立った。その時の俺には、そこしか帰る場所がなかったんだ。

そりゃ嫌だったよ。俺の帰る場所はここじゃない。みんなと先生のいる場所だ。そう思ってたのに。


俺は覚悟を決めた。父さんと向き合うんだと、ちゃんと目を見て話をしようと、決心した。

顎が外れるんじゃないかってくらい歯を噛み締めて、手も真っ白になって血が出るまで拳を握った。親の敵を睨む顔で玄関の扉の前に立った。自分の家だと思えない雰囲気だよな。これが俺の家なんだよ。

みんなにはわかんないだろうな。

いいんだよ。あんな気持ち、わかって欲しくなんてないから。


玄関に立って、持たされた鍵を突き刺して、静かに戸を開いた。静かに静かに、音を立てないように。

家の中は空気が籠っていた。外とは全然違う雰囲気で、薄暗かった。ぞくりと、寒気がした。


父さんはその時眠っていて、起きてこなかった。

自分のスペースがある部屋に足音を立てずに忍び込んで、用意していた南京錠で鍵をした。更に扉の前に重い家具を置いてバリケードにした。そこでやっと、俺は止まっていた息を吐いて寝床に飛び込んだ。

俺の家にある自分の部屋は、押し入れだった。


その日、俺は持ち込んだタオルケットにくるまって眠った。

父さんが近づいてこないことだけを祈って、膝を抱えて眠った。




異常だよな。

落ち着いて今思い出すと、家に帰るって行為じゃない。それだけあの時の俺は父さんに恐怖していたんだ。


でも、一個だけラッキーだったことがある。

俺は遅刻常習犯だ。いつだって時間にも遅刻する。


俺が家に帰るはずだった時間は、本当だったら昼過ぎ。まだ明るい時間のはずだった。でも、俺は遅刻した。

俺が家に帰ったのは、もう真っ暗な真夜中だった。

だから父さんは眠っていてくれた。俺なんかを父さんが待つはずないだろ。とっとと飯食って、眠っていてくれた。

そのおかげで、俺は父さんと会わずに押し入れの中へ入り込めた。

その時ほど俺は自分の悪癖に感謝したことはなかった。







なんで遅れたのかって?

おまえんちでゲームしてたからだよ、友人A。

小学校のすぐ側にあるおまえの家。そこにおまえは俺をギリギリまで匿ったんだ。

あの日、最後までおまえ言ってたよ。帰るな。ってさ。


思い出したか?

思い出さねえか。

まあ、いいさ。ゆっくり俺のとっておきを聞いててくれや。

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