第42話 夜明け前のひととき

「ふぁぁーー。あー、疲れたー」


 食あたりの治療を終えた俺は、治療院に設置された浴場で身を清めると、キララの居室に戻ってきていた。


 周りを見ると、すでに夜が薄っすらと明け始めている。


 本当なら自分の居室に戻ればいいのだが、遅くなると伝えていたキララとエルがミュースの言うことを聞かず、起きて待っていないかだけが気になったので顔を出していた。


 そーっと、キララの居室のドアを開けると、足音を忍ばせて入っていく。


「父親とはいえ、コッソリと娘の部屋に入られるのも、それはそれで犯罪臭がしますね」


 コッソリと部屋の中に入ってきた俺を出迎えたのはミュースであった。


 寝巻に着替えていないところを見ると、ずっと起きて戻ってくるのを待っていたようだ。


「え、あっ……その……すみません。キララとエルは寝てるようだから自分の部屋へ帰ります」


 回れ右をして自室に戻ろうとした俺をミュースが呼び止めた。


「何を言っておられるのですか? ここはパパのお部屋になってますよ。向こうの自室の荷物はほとんどありませんでしたけど、運び込んでもらっていますのでご安心を」


 ミュースが、キララの部屋であるこの部屋を俺の部屋だと言った。


 ちょっとミュースの言っている意味が分からない。


 よく見ると、空き部屋だった場所に俺の居室にあった唯一の私物だった見慣れたベッドが設置されているのが見えた。


「ちょ、ちょっと。なんで私のベッドがあの部屋に?」


「何でと申されましても、キララとエルがこちらで生活してますし、わたくしもここで生活しておりますので、パパもここで寝起きするのは当然だとおもいますが……」


 ミュースが魔法の灯りを単眼鏡モノクルで反射させつつ、さも当然という返答を返してきていた。


 ちょっと前まで『一緒の部屋なんてありえない』って視線を俺に突き刺してましたよね?


「あ、あの。私がこの部屋で一緒に?」


 戸惑う様子を見せた俺にミュースは椅子を勧める。


「ええ、国王夫妻から家族は一緒に住むものだと言われましたので、それにパパもわたくしとお付き合い前提でしたわよね?」


 ちょっぴりとはにかんだ笑顔を見せたミュースに心臓が高鳴ってしまう。


 そういえば、ミュースには結婚を前提としたお付き合いをしたいと申し込んでいたが、いきなり同棲までランクアップするとは思ってなかった。


 ミュースさん、ちょっと積極的過ぎじゃないですか? そのキララもいるし、エルもいるし……。


 俺がベッドをチラ見してモジモジしていたら、ミュースの顔が真っ赤になった。


「ちょ、ちょっと、そういう意味ではありませんから! 一緒の部屋で寝起きしてもいいかなって思っただけですからね! ああ、もう。わたくしは食事を温め直してきますから、お食事を召し上がってから寝てくださいね」


 照れたミュースの表情が可愛くて仕方なかったが、可愛いとか言うとこの先あの表情が見れなくなる可能性があったので、ニヤニヤして黙っておくことにした。


「ああ、ありがとう。助かるよ。ぶっ通しで治療してたから、腹が減って死にそうなんだ。それと、起きて待っててくれてありがとな」


「ベ、別に起きてたわけじゃ! す、少しお待ちください。すぐに持ってきます」


 ミュースがパタパタと台所に駆け出していくと、入れ替わりでキララが部屋から出てきた。


「パパぁー? おひごとおわったのー?」


 どうやらキララはまだ寝ぼけているようで、目が半分しか開いていなかった。


 俺の飯を温め直していたミュースが戻ってきた時には、キララはまだ眠かったようで椅子に座った俺の膝の上で身体を預けて寝ていた。


「あら、キララも起きてきちゃったの?」


「ああ、でもまだ眠かったみたいだ。起こすのも可哀想だし食い終わるまでここで寝かせてやりたいんだが」


 ミュースが俺にもたれかかったままのキララを見て、笑いを堪えていた。


「よっぽど、パパの帰りが待ち遠しかったのね。頑張って起きて待ってたから」


「そうなの?」


「ええ、エルもキララも『パパまだかなー』って待ってましたよ」


 三人が俺の帰りを待っていてくれる姿を想像したら、待たせた申し訳なさを感じた。


 しかし同時に、待っていてくれる人が俺にもできたのだと心がほっこりと温まる気がしている。


「マッマ、キララねーたん……あー、パッパ」


 キララの部屋からぬいぐるみを抱いたエルが寝ぼけ眼で出てきた。


「エルも起きちゃったのね。いいわ、ママの方においで」


 ミュースが寝ぼけているエルを手招きする。


「あーい、そっちいくー」


 トテトテと危なっかしい足取りで、俺の対面に座ったミュースの膝の上に座ったと思ったら、エルはすぐにコックリ、コックリと眠りに落ちた。


「なんか、悪いことしたな。寝てるところを起こしてしまったようだ」


「お仕事でしたからしょうがありませんよ。さぁ、冷めないうちに召し上がってください」


 眠ってしまったエルを抱っこしたミュースに見守られつつ、俺はキララを起こさないように温め直した食事をとることにした。


 眠ってしまい、全体重を俺に預けたキララはここ最近の栄養事情の改善で、出会った時よりも体重が増えてきていた。


 心なしか栄養が身体に行き渡りお腹がぽにょってきてもいる。


 よく食べて、よく眠って、よく運動することで正常な身体に戻りつつあるので、今後ともキララには健やかな成長をしてもらおうと思う。


 そんなことを思いながら、ミュースの作ってくれた食事に舌鼓を打つ。


「ああ、美味いな。こんな時間にママの温かいご飯が食べれるのは幸せ以外の何物でもないな」


「どういたしまして。それにしてもパパはキララを座らせながら器用に食べますね。食べにくくないですか?」


 眠ってしまったエルを膝の上に乗せてあやしているミュースが、俺の食事風景を見て微笑んでいた。


「自分を待って寝てしまった娘の重さくらいどうってことはないさ。むしろ、心地いいくらいだよ」


「パパ、パパってキララがそうやってくれるのも、あとしばらくかもしれませんしね。『キララは大人だからもうパパの膝の上に乗らない』って言われるかもしれませんよ」


「そ、それは困るな……。まだまだ、どんどんと甘えて欲しいぞ。キララにもエルにも」


 娘たちが嫌がらないなら、できる限り自分に甘えてもらって欲しいとは思っている。


「む、娘たちだけですか? わ、わたくしも甘えてよろしいのでしょうか?」


 寝ているエルの髪を撫でながら、ミュースは恥ずかしそうに聞いてきた。


 も、もちろん、婚約を前提にお付き合いする気だから、甘えてきてもいいんやで!


 って、口に出したかったけど、俺も恥ずかしくて無言でご飯をかき込んでしまう。


「ダ、ダメですか?」


 ミュースが視線を逸らして飯をかき込む俺に追い打ちの言葉をかける。


 ……やべえ、超かわいいんですけど……最初の陰険メガネのイメージどこいったのさ。


「あ、ああ、あま、あま、あまま……」


「あま?」


 ミュースの魅力にやられた俺は言葉がどもってしまっている。


 完全に不審者そのものの物言いだ。


 とはいえ、ここで怖気づいて尻尾を撒いてしまっては最強勇者の名が泣く。


「甘えてくれていい。私は君もエルもキララも全力で守る」


 俺の言葉を聴いたミュースの顔に笑顔が満ちるのが見え、自分の決意が伝わったことが分かった。


 その後、照れまくりながらミュースに食べさせてもらったりして、食事を終えると寝ているエルとキララをベッドに運ぶことにした。


「キララ―、ベッドで寝るぞー」


「あー、パパ。わたし、まだ眠たいよー。パパが運んでくれるのー?」


「運んで欲しいか?」


「うん、パパにお願いしたい……」


「ん、分かった。パパがベッドに連れていくことにしよう。ママ、先にキララを寝かせてくる」


「はい、じゃあその後でエルもお願いしますね」


「了解」


 膝の上で寝ていたキララを抱え直すと、俺はキララの部屋に行き、ベッドに寝かしつける。


 急いでミュースのもとに戻り、涎を出して眠っているエルを受け取るとキララの隣に寝かしつけた。


 布団をかけてあと、二人の頭をそっと撫でてやった。


 半分寝ぼけているキララが、頭を撫でていた俺の手を持って呟く。


「パパ……パパはどこにも行かないよね?」


 その言葉で俺が仕事で不在だったため、キララが心細かったことを思い知った。


「ああ、どこにも行かないさ。パパはずっとキララの傍にいる」


「うん、ありがとパパ……」


「ううぅん、パッパ、エルはもうおなかいっぱいー」


 エルが寝言を言って、布団を跳ね除けたので再びかけ直してやる。


「じゃあ、ゆっくり寝ていいぞ。パパもこれから寝るからね。おやすみ、キララ、エル」


「おやすみ……パパ」


 二人を寝かしつけて俺が部屋を出ようとドアに手をかけると、後片付けを終えたミュースがちょうど入ってきた。


 キララがこっちに来て以来、ずっと添い寝をしてもらっているため、このベッドで三人仲良く眠っているのだ。


「ママ、二人とも寝たから後は頼む。私はあっちの部屋で寝させてもらうから」


「はい。今日は少し遅めに起こしますね。キララもエルも夜更かししてたので、十分に寝かせてあげないと。それにパパもお仕事で遅くまで働いてましたので」


「ああ、すまないな。ママもゆっくりと休んでくれ」


「はい、そうさせてもらいます。では、おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


 俺はミュースに別れを告げると、自分のベッドに倒れ込むと仕事の疲れもあり深い眠りに落ちていった。

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