第21話 子猫が娘のトラウマを刺激したことで、陰険メガネ女が狼狽した


 真っ白い毛並みに包まれ、尻尾を二本生やした子猫がミュースに首根っこを掴まれ、プラプラして『みー、みー』と鳴いている。


「あーーーー! ねこさんだぁーーー!! ねこさーん!!」


「ちょ、ちょっと待て! キララ、そいつは魔物だぞ!」


 猫の魔物に近づこうとしていたキララを制し、ミュースの持つ子猫を凝視する。


 無害そうな猫だが……。


 あの国の大陸では見たこともない魔物だな。


 おかげで脅威度判定も出ないでいやがる……見た目、可愛いがクソ強い魔物なんて向こうの国ではザラにいたからな。


 でも、生命感知ライフビジョンで赤判定だし、魔物であることに間違いはないはず。


「ドーラス師、二尾猫ツインテールキャットは確かに魔物ですけど人に懐くし、こちらが手を出さない限り大人しい魔物ですよ。アドリー王とリーファ王妃が王城内を繁殖場所に提供してる関係で、毎年この時期には城内に子猫がたくさんいますからね。えっと、ドーラス師は知りませんでしたっけ?」


 知らねぇし! っていうか、王城に魔物が繁殖に来るってどうなのさ!


 普通、魔物は街の外を徘徊してるもんでしょ!


 この時期、王城に居るのが風物詩みたいな顔で言うのやめてもらいます?


 ミュースはいかにも『二尾猫ツインテールキャットが何か問題でも?』という顔で俺たちの方を見ていた。


「みー、みー」


「ねこちゃん。なんか、弱ってるみたいー! 色のついたドロッとした目ヤニが大量に出てるよ。パパ、ねこさん、大丈夫ー」


 手で制していたキララが俺の脇を抜け、ミュースの手に摘ままれていた二尾猫ツインテールキャットに近寄っていた。


「ちょ!? キララ、近づいたら」


「キララ様、この子は目の病気かもしれませんね」


 ミュースが摘まんでいる子猫は、右目にドロリとした目ヤニが大量に付いて開けられなくなっていた。


 涙や充血、少し腫れているのを見るともしかして結膜炎になっているかもしれねえなぁ。


 もしかして、ウィルス性の猫風邪からくるやつだろうか。


 結構、衰弱してそうだし。


 ミュースに摘ままれた二尾猫ツインテールキャットは弱々しく鳴きながら身体を震わせていた。


「ねこちゃん、元気ないよ。だ、大丈夫だよね。死んだりしないよね? この子……。パパ、ミュースさん死なないよね?」


「衰弱が激しそうですから……親もそれで見限って捨てた……はっ!? すみません。今の言葉は忘れてください。わたくしとしたことが大失態を……お許し下さい、キララ様。愚かなわたくしをお許しください」


「この子もやっぱり……」


 悪気はなかったのだろうが、ミュースはキララが一番傷つく言葉を吐き出していた。


 言った本人も『大変な言葉を口にしてしまった』と顔を青ざめさせている。


 つーか、ミュース。


 こっちでのお母さん代わりを任せたお前が、そこまで狼狽えると逆にキララが罪悪感に囚われるだろうが。


 子供が夭折したとはいえ、一度は母親してるだろ。


 代理の親代わりとはいえ、子供にそんな顔をみせるんじゃねぇ。


 話題を変えねえと、キララもミュースもお互いに気を使いあって傷つけ合っちまう。


「というか、今はその子猫が生きるか死ぬかの瀬戸際だろうが。ミュース殿、この場合は回復魔法で魔物を治療できるのか? 私は魔物を治療したことはないんだが?」


「あ、あ、はい、すみません! ま、魔物でも回復魔法は効果を発揮します。この子猫の場合、回復量を調整してやらないと逆効果になりかねませんが……」


「ねこちゃん死んじゃうの? このまま死んじゃうの? わたしみたいに『あの部屋』で死んじゃうの? そんなの嫌だよ! パパ、ミュースさん助けてあげて。キララはもっといい子にするから! お願いだからこの子を助けて……。助けて……お願いだよ」


 キララは弱った子猫を抱くと、眼から大粒の涙を流して喚いていた。


 自分が死にかけていたあの部屋の寂しさと恐怖を思いだしていたのかもしれない。


 やっぱり、病気で親に捨てられた子猫と自分と重ねちまったな。


 キララの境遇を考えれば、そうするなと言うのが無理なことだろう。


「パパに任せておけ。回復魔法が魔物に効くなら、アレフティナ王国一の治療師であるパパに癒せない者はいない。そのことはキララが一番良く知ってるだろ」


「う、うん。えっく、う、うん。パパ、お願いこの子を助けて!!」


「キララ様、でしたらお部屋の方に! わたくしがすぐにその子の寝床とミルクもすぐに用意いたします」


「う、うん。ミュースさん、ありがとー。ねこちゃん、大丈夫だから、きっと大丈夫だからね!」


 俺たちはキララが抱えた子猫を助けるために、剣の訓練を中断して自室に戻ることにした。


「この子は生後三週くらいですね。脱水症状はなさそうですし、緊急用で申し訳ありませんが、ぬるめの牛乳に、卵黄と無糖練乳でミルクを作りました。キララ様、この子は衰弱して吸いつく力が弱いです。スポイトを使い、数滴ずつ舌に垂らすようにして飲ませますよ」


 部屋に戻ると、大慌てでミュースとキララが震える子猫を毛布で包み、机に腹ばいにさせてミルクを与える準備を終えていた。


「っと、その前にこっちの回復魔法を先にやらせてくれ。治癒力を微調整しないといけないから、暴れないようにしておいてくれるか、キララ」


「う、うん。大丈夫だよね? この子、生き延びてくれるよね?」


「ああ、パパが治療するからには誰も死なせない。約束するぞ」


 キララが眼にいっぱいの涙を溜めて俺を見上げていた。


 暴れるのを抑えてもらっている間に、子猫へ回復魔法をかけていく。


「キララ様、わたくしが子猫を押さえておきますので、ぬるま湯で濡らした布で目ヤニを拭き取ってください」


「う、うん。すぐに準備する。ねこさん、待ってて。すぐにお湯もらってくるから!」


 子猫を押さえるのをミュースに代わり、キララが湯をもらいにダッシュで部屋から出ていった。


「で、ミュース殿。なんで、キララの前であんな顔をした?」


 子猫の治療をしながら、ミュースに話しかける。


「あ、いえ。あ、あの……そのわたくしは別に……」


「誤魔化すな。自分が言った言葉で、キララが『母親に捨てられて可哀想な子だった』って思い出して狼狽えた顔を晒しただろ」


「……その件につきましては、わたくしはキララ様に対し謝罪いたしました……よ」


「お前は、本当にそれでよかったと思ってるのか? 私はお前がキララの母親代わりをしてくれてると思っている。そのお前がキララと壁を作って、大人に対するような型通りの謝罪に終始して本当にいいと思うのか?」


「……っ! そのようなことをドーラス師に言われる筋合いは……ない……はず。それにわたくしは『教育係』ですわ!」


 そんなのは分かっている。


 これは、俺のわがままだ。


 キララに悲しい思いをして欲しくないために、ミュースにわがままを言っている自覚はある。


 いくら自分の子に似ているとはいえ、他人の子に自分の子みたいな関りを求めることの愚かしさも理解している。


 けど、俺はキララの悲しむ顔が見たくない。


 俺はミュースに対し、厳しい要求をしていた。


「あるさ、私はキララの父親だからな。キララが悲しむことを見過ごすことはできない。あいつはミュース、お前のことを『優しかった時のお母さんと同じ匂いがする人』だって言ったんだぞ」


「だ、だから謝りました。きちんと謝罪しました。許しを乞いました。それ以上、わたくしに何をしろとドーラス師は言われるのですか!」


「謝るとか許しを乞うとか、そんなんじゃないんだよ! そんなのは他の家の子にする対応だ! 少なくともキララのことが大好きなら、彼女の眼を見て『自分がいるから大丈夫』って言って抱きしめてやるだけだ」


 そんなことを言われても、ただの教育係であるミュースには何ら関係ない酷い言い掛かりの話である。


「……キララ様に対し、そのように恐れ多いことを『子殺し』のわたくしが……母親みたいなことをするわけには……ドーラス師はわたくしのことを全然知らないのに……」


「ああ、知らないさ。ミュースに何があったかなんてこれっぽっちも私は知らない! けどな、あの場面でキララはミュースに抱きしめて欲しかったと私は思う。抱きしめてキララのこと大好きだって伝えてやって欲しかった……」


 言い掛かりだと分かっている。


 分かっているが、ミュースなら受け止めてくれるという幻想が俺の中にあった。


 その幻想を破られた苛立ちから、思わず言葉を荒げてしまった。


「……っ。う、うぅ……ドーラス師もわたくしのことを知れば、絶対にそんなことは言われないはず」


 俺が大声を出したことで、ミュースの目に光るものが零れ落ちていた。


 やべえ、泣かせるつもりはなかったが……。


 俺は子猫に回復魔法をかけながら、泣き出したミュースのことを持て余してしまう。


 神官長という役職に就いていたから、もっと強い女かと思っていたが、それは俺の思い違いだったのかもしれない。


 それとも、無理にそういった仮面を被っていたのか……女ってわけ分かんねぇ……。

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