第15話 娘の一言で男親の無力感を感じた

 数日後、体調が完全に戻ったキララは、正式に勇者としての訓練を始めることにした。


 午前中は王城内に作られた孤児院で孤児たちと文字の読み書き練習。


 もちろん、このアレフティナ王国の公用語の方で、日本語の方は俺がときおり時間を見て指導している。


 そして、午後は俺が剣技や魔法の指導をして過ごしていた。


 とは言っても、まだ剣技や魔法を教える前段階の基礎体力作りしかしていない。


 ついこの間まで栄養失調で死にかけていたキララに必要なのは、基礎体力と栄養だからだ。


 なので、今日は軽い木剣で素振りしてもらっていた。


「おっと、お迎えが来たから終りにするか。キララ、素振りはもうおしまいでいいぞ。今日もよく頑張ったな」


「ふぅー、疲れたー。パパ、おんぶしてー」


 まだちょっと体力が戻ってないので、キララは疲れやすい体質であった。


 そのため最新の注意と、万が一に備え最大効果の回復陣ヒーリングサークルを常時発動させておいてはあった。


「だ、大丈夫か? 痛いところとか、気分とか悪くないか? おんぶしてやるから、ほら」


 キララが木剣を地面に置くと、キララは俺の背に飛び乗ってきた。


「ありがとー、パパ。パパは優しいから好きー。おんぶしてもらえて幸せだぁ……」


 疲れたと言ったから体調不良かと思ったが、どうやら俺におんぶをして欲しかっただけのようだった。


 くっ、かわいいやつめ。


 おんぶぐらい遠慮せずに言えばいくらでもしてやるぞ。


 城の中庭で剣技の練習を終えて戻ってきた俺たちを出迎えたのは、神官長を正式に辞任し、教育係になったミュースだった。


 表向きの辞任理由は勇者召喚システムを破損させたことだ。


 だが、本人が強くキララの世話係をしたいと申し出た背景もあり、アドリー王がそれを認めた形の辞任である。


 そんなミュースが、俺におんぶされたキララの額の汗を布で拭き取っていた。


「キララ様、汗をかかれたので、これから湯浴みと参りましょう。リーファ王妃より使用の許可が出ております」


「はーい。今日はパパといっぱい剣の素振りしたから疲れたよー。お風呂でさっぱりしたいけどミュースさんも一緒に入ってくれるのー」


「ええ、わたくしもお世話係としてお供いたしますわ。お背中から全身くまなく綺麗に洗わせてもらいます」


「ミュース殿、キララをくれぐれもよろしくお願いしますぞ」


 ミュースの『性的嗜好』疑惑は、キララの世話係に就任する前に本人に直接聞いて『ありえない』との解答を得ていた。


 彼女が言うには、キララが夭折した娘に似ているそうなのだ。


 あの勇者召喚で死んだ娘そっくりの子が呼ばれてきたことに運命を感じ、重職を捨て俺と取引して世話係になった。


 陰険メガネ女が子持ちだったとそれまで知らなかったが、本人に軽く確認したところ旦那ともすでに死別して身内もないそうだ。


「承知しております。キララ様にはしっかりと汗を落としてスッキリして頂きますのでご安心を。さぁ、キララ様、お風呂のお時間を楽しみましょう」


 亡くした自分の娘の如く、ミュースはキララに対し甲斐甲斐しく世話をしてくれていた。


 ただの陰険メガネ女かと思ったが、案外娘が居た時は優しく母性に溢れたいいお母さんをしていたのかもしれない。


「はーい。パパも一緒にお風呂入るー?」


 キララの悪気のない一言に、ミュースから『てめえ、うんとか言ったらぶっ殺すぞ』的な視線が飛んできた。


 誰も一緒に入りてぇなんて一言も言ってない。


 そこはまぁ、自制しておくぞ。


 俺もキララを残して、ミュースに殺されたくないからな。


「え? いや、私は遠慮しておく」


「ドーラス師は男性ですからね。一緒に入るのはご遠慮してもらいましょう。さぁ、キララ様、浴場へ参りましょう」


「じゃあ、ミュースさんと行ってくるねー」


「ああ、行ってこい。戻ったら、夕食ができるまで私と魔物の生態についてもう少し勉強するからな」


「はーい」


 キララはミュースに伴われて、浴場へ向かい歩き出していった。


 残った俺は練習に使った木剣をしまうと、キララに与えられた居室へ戻ることにした。。


 居室でしばらく待つと、湯浴みから戻ってきたキララの濡れた髪をタオルで拭きながら、俺はこの地に住んでいる魔物の生態をキララに教えることにしていた。


「じゃあ、次。これはこの前教えた復習だぞ。はい、この魔物の名前はなんだ?」


 今は魔物の絵を描いたカードを見せ、その魔物の名前を当てるゲームをしているところだ。


 こっちの方が話して聞かせるよりも、キララが興味を持ってくれるので、宮廷画家を動員して魔物の絵を描いたカードを作ってもらっていた。


「うーーーんっと……。この子は~、うにょうにょしてるからぁ~。あっ! 分かった! スライム~!」


 椅子に座る俺の膝の上にちょこんと座って、カードとにらめっこしているキララの姿を見てほっこりとしていた。


 娘と勉強のひと時を過ごすのが、これほどまでに楽しいことだとは思いも寄らなかった。


「正解だっ! では、スライムの攻撃で気を付けることは?」


「うーーーんと……。金属の武器で攻撃しないこと! 溶けちゃうんだよ」


「すごい、正解だ。キララの言う通り、スライムの体液は金属を腐食させるからな。見つけたら、魔法か木製の武器で倒すようにした方がいいぞ」


「うんっ! わたしキチンと覚えておくからね」


「キララの記憶力はいいからな。すぐに覚えられると思うぞ」


「えへへ。パパに褒められちゃった。ねぇ、でも、わたしいい子かなぁ」


「ああ、いい子だぞ。キララはいい子だ」


 俺に褒められたのがよほど嬉しいのか、キララはこちらに身体を預けてもたれてきた。


 今まで育児放棄していた母親に甘えられなかったのか、こっちに来てからのキララは甘えん坊になっているようだが、それだけ俺を信頼してくれていると思い全力で甘えてもらっている。


「よしよし、じゃあ次いこうか。この魔物の名前はなぁーんだ」


 スライムのカードを束に戻すと、新たな一枚をキララの前に差し出す。


「ううぅんとねぇ……。この子は~、紫の皮膚でピョンピョンする子だったはず……。う~んとポイズントードだよっ!」


「おぉ、また正解。えらいぞ、キララ。じゃあ、ポイズントードと戦う時に気を付けることは?」


「この子は毒液の攻撃をしてくるんだ。それに触れると毒になるのー。だから、毒液攻撃に気を付けて戦わないといけないんだよ。もし、毒になったら解毒魔法か毒消し草を使うんだ」


 キララはこのカードでのゲームを気に入っており、魔物生態についてどんどんと知識を吸収していた。


 この大陸の魔物は強くはないとはいえ、油断すればフミヒコにように倒される可能性はあるため、知識を蓄えておいて損はない。


 ただ、実戦はまだまだ先の話であるが……。


 というか、実戦させられるだろうか……。


 きっとキララに実戦とかさせたら、心配のあまり俺の心臓がもたない気がしてならない。


「正解だっ! キララは天才だな。さすがパパの娘だ」


 実戦への心配もあるが、とはいえ娘の成長する姿を見れたことで嬉しさがこみ上げてくる。


 褒め称えたい衝動が止まらずにキララの頭をワシャワシャと撫でていた。


「パパぁ、髪の毛が乱れちゃうよー」


「んんっ! ドーラス師、キララ様の髪を梳かしていただく件はどうなっていますか?」


 俺がキララの頭を撫でていたら、浴場から戻ったミュースにお仕事をしてくださいと咳払いされてしまった。


 ミュースはキララと一緒に湯浴みしていたようで、まだ髪は濡れたままでトレードマークの単眼鏡モノクルも外していた。


「あっ! ママー、じゃなかった……ミュースさん。ちゃんと今からパパに梳かしてもらうからー」


 キララの言葉にミュースの顔が固まっていた。


「キ、キララ様。今何と……」


「ご、ごめんなさい。間違えちゃったの。ごめんね。ミュースさん、許して。もう間違えないから……怒らないで……」


 キララとしては気負わずに話せる大人のミュースに対し、思わず出た言葉だと思われる。


 身近で甘えさせてくれる同性のミュースに思わず母親の姿を重ねたのだろう。


 固まっていたミュースは、謝り続けるキララに駆け寄るとギュッと抱きしめていた。


「いいえ、謝る必要はありませんわ。ちょっと、間違えてしまわれただけですものね。わたくしは気にしませんわ」


「うん、ごめんね。ミュースさん」


「あー、キララ。そんなに気にしなくてもいいぞ。ミュースも怒ってないから大丈夫だ。それより、今から髪の毛を梳かすぞ」


「キララ様、わたくしは嬉しかったですよ……。だから、気にしないでくださいね。さて、わたくしは夕食の支度をいたしますので、きちんと髪を梳かしてもらってくださいね」


「はーい。パパぁ、お願いします」


 キララを抱き寄せていたミュースは優しく頭を撫でると、夕食の支度をするため台所に向かった。


 再び俺の膝の上に腰かけたキララの髪をブラシで綺麗に梳かしていく。


「キララ、さっきのことだが……」


「ごめんなさい。つい……。ミュースさんは優しかった頃のお母さんと同じ匂いがする人だから『ママ』って言っちゃったの……」


「そうか……」


 虐待されていたとはいえ、キララから母親を奪ったのは俺である。


 先ほどのことは、幼い彼女にはまだ母親の存在が必要であると知らされた格好になった。


「あ、あのな。キララがどうしてもミュース殿を『ママ』と呼びたいなら、私から申し出るが……」


「だ、大丈夫だよ。キララにはパパがいるもん。それにミュースさんにも迷惑かけちゃうし……わたしが我慢すれば大丈夫だよ」


 キララは日本に居た時と同じように自分が我慢しようとしていた。


 娘に我慢させて、それで俺はキララの父親と言えるのか……。


 そう自問しながらも、俺は静かにキララの髪をブラシで梳いてやることしかできないでいた。

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