第49話:供力(きょうりょく)

 やってしまった。

 まさか明莉あかりがあそこまで言うなんて思わなかった。

 俺はいつも先回りして仕込んで、その結果が得られるのを楽しみに観察する癖が付いていた。

 以前に両親を離婚に導く言葉を発してしまったから、喋るようになってからは自分がやることなすことの結果を、常に考えて行動する癖がついていた。

 そんな事情も知らず、吹上ふきあげさんは俺の先回りして結果を待つ態度が気に入らない、と俺を散々嫌ってくれた。

 それでも、明莉にさえ好かれていてくれるだけで十分だった。

 過去の過ちを繰り返すわけにはいかないから、先回りする自分の在り方は決して譲れない考えとして持っている。

 かつての自分と同じく、喋らない明莉に関わった結果、自分と似た状況で口と心を閉ざしてしまったと、付き合う直前に教えられた。

 最初から事情を知っていれば、自分と重ね合わせてしまい、忌まわしい記憶が邪魔をして、明莉と付き合ってなかったかもしれない。

 けど、事情を知らずに喋るよう働きかけていく内に、明莉の存在が自分の中で大きくなっていくのを自覚していた。

 明莉に初めて告白されて、俺の気持ちは決まった。

 ただ、その頃の明莉は変わること自体が目的になっていたような気がしたから、俺と付き合うことで、その変わる在り方を求められたくなくて一度は断った。気づきを与えつつ。

 この時も吹上さんがすぐに連絡してくるであろうことも読んでいたし、押し切られて理由を話すことになるとも見込んでいた。

 ここ最近で計算外なことは、文化祭のキャッチコピーを明莉に押し付けたものの、それ自体は一時的なもので、周囲に明莉の評価を上げる効果は薄かったことと、今日の一件くらいだった。

 それ以外はうまく立ち回ったつもりでいた。

 だが…。


「なあ、司東しとうくんだっけ?」

「なんダ?」

 明莉と瞬がその場を後にして、わけも分からず取り残された四人は、どうしていいのかわからずにいた。

「まさか、しゅんの彼女も同じ理由で心を閉ざしたのか?」

「そうよ。ほとんど同じシチュエーションだわ。違うのはきっかけを作ったのが父と母で逆なことくらいよ。まさか白須賀しらすかくんも明莉とほぼ同じ境遇だとは思わなかったわ」


 はあぁぁぁ


 塔下とうしたは大きなため息をつく。

「わたし、明莉のケアがあるから行くね」

「やめとけ。多分もう手遅れだ」

「手遅れだろうとなんだろうと、このまま放っておけるわけがないわよ!」

 止める塔下に、優愛ゆあは構わず走り出した。


「明莉!」

 家の前で姿を見つけて、呼び止める優愛。

「待って!」

 振り向きもせずに家へ入ろうとした明莉の肩を掴んで引き寄せる。

「っ!?」

 その顔を見て、優愛は言葉を失った。

 ボロボロと涙を溢れさせて、声を出さずに泣いていた。

「明莉…喋れる?」

 ふんふんと首を横に振る。

 首を横に振り終わった後、さらに多くの涙を零して無言のまま泣き続けた。


「どうするのよ…この状況。この様子じゃ白須賀くんまで喋らなさそう。もしそうなったら仲直りどころの話ではなくなるわ」

 結局、優愛は諦めて明莉を家の中に送ってから帰ってきた。

「そうだ」

 優愛は白須賀に電話をかける。


 プルルルルル…プルルルル…プルルルル…


「出ない!」

 数分の間、電話を鳴らし続けたけど応答はなかった。

 電話なら喋らざるを得ないと考えたけど、その電話に出てくれない。明莉も同じく電話に出ない。

「こういう時、彼ならどうするかしら…いつも先回りしてよりよい方向へ誘導する彼だったら、どうする…?」

 いつも考える癖をつけていない優愛には、重たすぎる難問だった。


 あたしは翌日になって、いつものとおり登校する。

 挨拶もせずに教室に入るのが後ろめたく、ドアのところでお辞儀をしてから入る。

 未だに言葉は口から出てこない。

 喋ったことで人を不幸にしてしまった。一度ならず二度までも。

 その記憶が、あたしから言葉を奪った。

「鐘ヶ江さん、その姿はどうしたの!?」

 今の姿は去年の春と同じく、化粧もせず髪型も当時みたいに無頓着な手入れなしの状態でいる。

 あたしは口の前で人差し指を交差させて、喋れないという意思表示をした。

 その表情はもちろん浮かないまま。

 続いて瞬も登校してきたけど、いつものイケメンぶりは鳴りを潜めている。

「おはよう!白須賀さん!」

 こくん、と頷いただけで瞬も喋らない。

 あたしと瞬に話かけるけど、一言も言葉を発さない。

「ねぇ、鐘ヶ江さんだけじゃなくて白須賀さんまで喋らないって、何か変じゃない!?」

「声帯がやられちゃったのかも!」

「二人同時に?」

 次第にざわつき始める女子たち。

 噂が噂を呼び、憶測が憶測を生む。

 近くで火災があって、あたしと瞬がその火災で喉を焼かれてしまい、声を失ったという説。

 あたしが再び喋らなくなったから、瞬も同調して喋らなくなった説。

 二人で怪しいクスリを服用やっして、副作用で言葉を失った説。

 デート中、交通事故に遭ったけど至って軽症だったものの、記憶障害や言語中枢をやられたという説。

 様々な憶測が飽きること無く飛び交う。

 どの説も短絡的で的外れ。

 そしてその日の内に広まった噂が、あたしと瞬は別れたか喧嘩中という話。

「明莉。悪いけど前みたいにずっと一緒にはいられないからね」

 小さい声で耳打ちしてきた優愛ちゃんに、あたしは小さくこくんと頷く。

 Directのグループチャットを覗くと、本当に言いたい放題の有様だった。

 中でも瞬が喋らなくなったのはセンセーショナルなニュースらしく、読むのが追いつかないほどの速度で流れていく。

 あたしだって…好きで黙ってるわけじゃない。

 けど、あたしが喋ると人が不幸になる。


 怖い。


 言葉を口にするのが、怖い。


 また口を開いたその時に、誰かが不幸になってしまうのが怖くてたまらない。

 傷つけてしまわないか心配で仕方ない。

 そう思うと、言葉が口から出てこない。

 なぜ今まで喋っていられたのか、不思議で仕方なくなる。

 彼が居たから。瞬が居てくれたから喋っていられた。

 けど今は彼も喋らなくなってしまった。

 付き合ってすぐの頃に、瞬があたしと同じような経緯で言葉を失ったのはなぜなのかを聞かされた。

 それを聞かなければ、あたしは今も喋っていたかもしれない。


 瞬を傷つけた


 あたしに言葉を取り戻してくれた瞬を


 軽はずみな一言で傷つけてしまった


 もう、あたしは瞬の隣にいる資格なんて無い。

 恩を仇で返すとは、こういうことを言うのかもしれない。

 瞬と一緒にいられない現実と反して、あたしはまだ瞬が隣にいてほしくて、胸が締め付けられる思いに駆られる。


 逢いたい。


 好きって伝えたい。


 好きって求められたい。

 

 けど、もう二度と気持ちを交わすことはない。

 それだけのことをしてしまった。


 お手洗いに行くため、席を立つ。

「よう、鐘ヶ江かねがエ。元気カ?」

 あたしは声をかけてきた司東くんを見る。

 けど表情を変えずに視線を逸らす。

「そういや瞬の奴、昨日は何をするつもりだったんかナ?」

 昨日。

 あの記憶が蘇ってくる。

 思い出したくなくて、思い出させてほしくなくて、あたしは足早に女子トイレへ駆け込んだ。

「こりゃ重症だゼ」


「おめえ、ちっと来イ」

 返事すらしない瞬の襟を掴んで引っ張る司東。

 ひとけのないところへ連れて行ってから襟を離す。

「なあ、あれから鐘ヶ江と話はしたカ?」

「………」

 瞬は無言を返す。

「黙ってないで何か言えヨ」

「………」

 やはり喋らない瞬。

「お前が鐘ヶ江にやったようなことを他の女子にされたら喋るのカ?」

「………」

「このままずっと口を閉ざし続けるつもりカ?そんなんでこの先通用すると本気で思ってんのかヨ!?」

 煽られても口を閉ざして開かない。

「てめえが見せるいつもの余裕はどこ行ったんダ!?された方がムカつくほどの先回りはどうしたんだヨ!?てめえの鐘ヶ江を思う気持ちはその程度だっつうのカ!?」

 胸ぐらを掴んで凄む司東だが、瞬には全く響いてない。

 その目は死んだ魚のような淀みすら漂わせていた。

「チッ、見損なったゼ。心を開いたように見えたが、所詮付け焼き刃だったカ!」

 司東は吐き捨ててから瞬に背を向けた。

 

吹上ふきあげさん、何か上の空みたいだな」

「えっ?」

 部活が終わるまで待った優愛は、塔下と一緒に帰る道の途中で言われてしまう。

「……明莉が気になっちゃって」

「昨日の喧嘩はかなり激しかったな。最後の一言で二人とも魂が抜けたみたいに変わってしまったのが印象的だった」

「このまま、明莉が喋らない時…わたしはどうすれば…?」

 その答えは、出ない。


 数日が過ぎていった。

 ピンポーン

 呼び鈴が家に鳴り響く。

 俺は何もやる気が起きず、ベッドで横になっていた。


 ピンポピンポピンポーン!

 ピンポピンポピンポーン!

 ピンポピンポピンポーン!


 何度も呼び鈴が鳴らされ、蹴りの一つもお見舞いしてやりたくなってきた。

 ベッドから起き上がり、玄関に向かう。

 鍵を外し、ドアを開けざまに足を上げた。

 思いっきりドアの向こういる誰かを蹴り飛ばそうと力を込める。

 瞬間、俺は思いとどまった。

 そんな…なぜ、ここに…。

「瞬、久しぶりね。10年ぶりくらいかしら」

 母さんがそこにいた。

 あの時の恐怖が頭に蘇る。

 表情が恐怖に引きつり、腰が抜け、その場にお尻から崩れた。

 声は出ない。

 その場から逃げ出そうとするけど、力が入らない。

 いつもなら軽く踏み越える階段一つ程度の段差すら、瞬にとっては断崖絶壁にさえ感じている。

 力が抜けた瞬は、その背にある段差すら乗り越えられない。

 腕力や体格は今や瞬の方が遥かに上だけど、幼い頃に植え付けられた力関係はよほどのことがなければ覆るものではない。

 覆いかぶさるように手を差し伸べる母。

 恐怖のあまり、気を失いそうになった瞬間。

「瞬、ごめんなさい」

 膝をつきながらふわっと抱きしめて、耳元で意外な言葉が飛び出した。

「…は?」

 やっと、瞬の口が言葉を紡ぎ出した。


「そう、小学校の間はずっと口を閉ざしていたのね」

 落ち着きを取り戻した瞬は、リビングで母と向かい合ってこれまでのことを包み隠さず話した。

「お母さんの都合で、辛い思いをさせてしまったわね。どれだけ謝ったところで、瞬から奪った時間を取り戻せはしないことくらいわかってる。でも、辛い思いをさせて、ごめんなさい」

 母は語りだした。

 瞬が幼稚園に入った頃から、父に浮気を疑われていたこと。

 そんな関係を続けていて、あの日に現場を見られてしまった。

 それからはその相手と会わなくなり、父と和解の話をしようとしても取り合ってくれず、喧嘩が絶えなかった。

 原因は自分にあるのがわかっていつつも、瞬に八つ当たりして、心に大きな傷跡を残した。

 体の傷は癒えても、心の傷は体ほど癒えるものではない。

 会わなくなった相手と再婚して、家庭のバタバタが落ち着いてきた頃に瞬の顔を思い出して、こうして会いに来たということだった。

「八つ当たりしたのは、本当に馬鹿なことをしたと思ってるわ。憎まれても当然と思ってるし、瞬にしたことをやり返されても、それは仕方ないことだわ」

 手に持っているバッグから、鞘に収まった果物ナイフを取り出して目の前のテーブルに置く。

「瞬の気が済むなら、そうして」

「………本気かよ?」

「本気よ。瞬の人生を狂わせてしまった報いくらいは受けるつもりでここに来たのよ。一切抵抗しないことを約束するわ。さあ、どうぞ」

 そう言って、母は決意の光を宿していた目を閉じる。

 瞬は果物ナイフを手に取り


 ドスッ!


 ビイイイン、と果物ナイフの取っ手が左右にブレながら音を立てる。

 耳の近くを通り過ぎた何かに驚いて、母は目を開けた。

 母が背にしている向こうの壁に果物ナイフが刺さっている。

 はらり、と母の髪が数本切れて肩に舞い落ちた。

「そんなことして、何の解決になるっていうんだ!!?」

 ダンッ!とテーブルを叩いて、コップが跳ね上がり、くわんくわんと円を描くように回ってバランスを取りながら、底面がテーブルの天面にくっついて落ち着く。

「何が報いを受ける、だ!どうすればいいか考えることを放棄して逃げ出しただけだろっ!!?」

「瞬、お母さんはそんなつもりで…」

「腹立たしい!なんで俺は明梨のためにできることを考えずに今まで心を閉ざしたままのうのうと過ごしてきたんだ!!」

 立ち上がった瞬につられて、母も立ち上がる。

「お母さんにできることがあるなら、何でも言って」

 心配そうに顔を覗き込んだ。

 考えろ!考えるんだ瞬!どうすれば明梨の心を開いて、言葉を取り戻せるのか!?

 ………そうだ!

「母さん、協力してほしいことがある」

「できることなら、何でもするわ」

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