第48話:報棄(ほうき)
同時だった。
お互いに軽はずみな一言を発したのは。
はっ!!?
しまった!と思った時には遅かった。
思わず口を抑えるものの、放った一言が戻ってくるはずもない。
小さく体が震えてくる。
目を見開き、見てはいけないものを見てしまったような顔で
自分は何を言ってしまったのだろうか、と言いたそうな茫然自失とした顔をしている。
じり…と無意識に後ずさりして、いたたまれなくて踵を返して駆け出した。
「何なのよ…
抜け殻のようになった白須賀は、フラフラと歩いて無言で離れていった。
「ちょっと、白須賀くん!どこ行くのよっ!?」
「踏んじまったな、あいつラ」
「どういうことよ?」
「まあ、昔話ダ。いいから聞けヨ」
「なら早く聞かせなさいよ。わたしはそれどころじゃないんだけど」
頷いた
僕は、幼い頃に過ちを犯した。
当時幼稚園に通っていた頃、ある男の子と知り合う。
名は司東。
家庭の環境なのか、この頃からぶっきらぼうな素振りを見せていた。
けどその振る舞いは全く深い意味がなく、おそらく親の影響だろう。
実際にはとても面倒見がよくて、保母さんからも可愛がられていた。
それでもぶっきらぼうに見える振る舞いはそうかんたんに治されるつもりも、その気もないらしい。
面倒見の良さから、その人柄に触れて幼いながらも向かいの司東と仲良くさせてもらっていた。
近所の公園で砂場で砂遊びをしたり、ブランコの漕ぎ競争をしたり、ボール遊びをしたり。
そんなある日の昼過ぎ。
俺は向かいの司東家と一緒にお出かけすることになった。
「それではうちの子をよろしくお願いします」
近くでプールが新規にオープンして、司東家は家族で行くことを知り、俺も一緒に行くことを了承してくれた。
僕の父は仕事にでかけていて、専業主婦の母が僕を司東家に預けて見送る。
「え?臨時休業?」
「はい。大変申し訳ございませんが、排水系のトラブルがありまして、本日は休業とさせていただいております」
行くはずだったプールは、トラブルが発生していて休みだった。
係員は丁寧な物腰で対応していて、司東の母は仕方なく引き下がる。
他に行く宛もなく、このまま帰ることになった。
「ねえ僕、家には入れるの?」
「うん、鍵預かってるから大丈夫」
家の前で車から下ろしてもらって、それぞれの家に入る。
「ただいまー」
玄関を見ると、母の靴以外にもう一つ靴があった。
リビングの方で声がしたから、自然に足が向く。
ドアは半開きになっていて中が見えた。
隙間から覗くと、リビングで知らない男の人と母が裸でプロレスごっこをしている姿が見える。
「なんか忙しそうだから遊びに行ってこよう」
プール遊びが中止になった司東を誘い出して、いつもみたいに近所の公園へ行く。
「お前んとこ、お母さんが居なかったカ?」
「いたけどプロレスごっこしてた」
「なんだそリャ?」
ブランコを漕ぎながら、そんな会話をした。
「ただいまー」
夕方になって家へ帰ってきた。
「あらおかえり」
お母さんは変わらない様子で出迎えてくれる。
体を動かしていたからか、スッキリした様子に見えた。
そして、運命の夜。
夜ご飯は家族みんなで食べるのが日課となっている。
普段から会話しているから、食事している時の会話は少ない。
「次のニュースです。プロレスラーの
「なんだ。あいつ結局引退するのか。かつての王者も連敗がかさんでるから、仕方ないのかもしれないな」
お父さんは残念そうな声で胸の内を吐き出す。
引退会見の合間、リングで戦う二人の姿が流れた。
取っ組み合う姿を見て、僕は昼間見たことを思い出す。
「そういえばね、今日のお昼にお母さんが知らない誰かとテレビみたいにプロレスしてたよ」
ピシッ!!
その一言で、空気が凍った気がした。
「………そうか、それは活発なことだ」
お父さんが反応したけど、そのまま無言で夕食を終える。
お母さんはその表情が固まったまま、箸が進まなかった。
その日から、両親はケンカが絶えなかった。
大声で言い合ってるのが二階の部屋まで聞こえてきて、僕は耳をふさいで縮こまる日が増えた。
明らかにお互いの仲が悪くなり、お母さんから僕への虐待が始まった。
「なんであなたは、余計なことを言うのよ!!この目が!この口があるから!こんなことになったのよ!!あなたなんか!産まなければよかった!!!」
お母さんは口汚く罵り、顔をひっぱたき、爪を立てられ、僕の体はいつも生傷をが絶えなかった。
あの日から一ヶ月程して、お母さんは家を出ていってしまった。
この日をもって、俺の体に新たな生傷が増えることはなく、平穏な日が訪れた。
ただし、癒えることのない心の傷を残して。
「辛かったな、もう大丈夫だ」
しかし、俺はこの言葉に答えられなかった。
いや、この時だけじゃない。
以後十年に亘り、口を開くことすら無かった。
父に連れられて色々な病院にかかったものの、僕の口は開かない。
あの恐怖が、俺から言葉を奪った。
「というわけダ」
………。
優愛は言葉を失った。
「………嘘…でしょ…?」
呆然と立ち尽くす彼女の顔は真っ青になっていた。
「事実ダ。小学校までは一緒だったが、中学校は学区が変則的になっていて、俺があいつをかばってやることができなかっタ。けど中学はあいつの隣にいてやれなかったからイジメのターゲットにされタ」
「なあ、こいつだろ?何やっても黙ってるやつって」
「最初は根暗なだけと思ってたけど、どういうわけか何も喋らないんだよ」
俺に絡んできたのは校内でも煙たがられている三人組。
「…なよ…」
「あ?何か言ったか?」
俺の中で、何かが切れる音がした。
「ざけんなよ…!」
「こいつ喋りやがったよ。初めて声を聞いたぜ」
あざ笑うかのような口調でケタケタと笑っている。
自分でもわかるくらい、目は見開きつつも座っていた。
「ああ?何か言ったか?ざけんなって言ったのかぁ?」
「俺だってなぁ!望んで黙ってるんじゃねえんだよ!!」
自分でも信じられなかった。
二度と口を開くまいと決めていた自分が、あの日から黙ってきた自分の口から、こんなにも激しく口汚い言葉が出てくることに。
「はああああっ!?てめえに口答えする度胸があるんかあああ?がはっ!!!」
その見下した顔に、下から思いっきり拳をくれてやった。
仰け反ったその襟を掴んで、飛び上がりつつ膝蹴りで追撃する。
「だらああああああっ!!」
再び仰け反った体の後ろに回り込み、背中合わせのまま頭越しに両手で顎を引き寄せて背負い投げの要領で投げ飛ばした。
「塔下っ!?ごはっ!!!」
足元にあったモップに目が止まり、それを掴んでモップの持ち手側で名を叫んだ大男の喉に一突きくれてやる。
「なろおおおおっ!!ナマくれてんじゃねえぞっ!!!」
拳を振り上げて駆けてくる残った一人には、モップの布側を向けて投げつけて視界を奪う。
手で振り払うが、足元にあった大きな石を持ち上げて力いっぱい投げつける。
ゴスッ!!
振り払ったモップを追いかけるようにして進んだ石が思いっきり顔面に当たり、もんどり打って倒れた。
「俺だってなぁ!!前からてめぇらには
倒れた三人には、それぞれその顔の前で飛び上がって顔を両足で着地点として踏みつけて叫ぶ。
「俺がどんな気持ちでいたかなんてわからねえよなぁ!!?」
喉を突いたやつは、動くことすらままならない。その両足を左右それぞれの脇に抱えてジャイアントスイングでそのまま木にぶつける。
「わかってりゃこんなことしてきてないよなぁ!!」
塔下に馬乗りのまま顔に拳を浴びせ続ける。
「こっちです!」
殴り合いの騒ぎを見つけて、聞きつけて教師がゾロゾロと駆け寄ってくる。
「君!やめなさい!」
「るせぇ!!邪魔すんならてめぇも二の舞いだぁ!!!」
もはや正常な思考など持っていなかった俺は、数の暴力で取り押さえられるまで暴れ続けた。
「全員、全治三ヶ月だそうだ」
取り押さえられ、頭が冷えるまでに何時間もかかった。
数日が経って俺の頭には後悔以外何も残ってない。
その日から即日自宅謹慎を言い渡され、多忙な父は封筒を開けて中の紙を取り出し、中身を広げてテーブルの上に置く。
学校からの沙汰は、停学処分。
我慢しきれず、やってしまった。
あの不良予備軍三人からは回復した後に報復があるだろう。
先行きが思いやられる。
「どうして暴れた?」
「…説明したとおりだ。執拗なイジメで我慢が限界に達した」
「だから他の人の手を借りずに、自分で解決すべく暴れたと」
「…言葉を失った俺が、どうやって他人の助けを呼べと言うんだ」
はぁ、とため息をつく父。
「そもそも喋らなくなったのは、別れた妻が原因だったな。まさかこんなことになるとは思いもしなかったが」
「…停学が明ける前に、転校させてくれ」
「ダメだ」
「…どうしてだ」
「方法を間違えたとはいえ、お前は自分の意思で自分の問題を解決しようとした。喋るようになった今、これからは他人に頼ることも話し合うこともできるだろう。もし再び暴力沙汰になった場合は、手を出さずに逃げるか耐えろ。その時はワシが出る」
「…そんなの、あんまりだ!」
「病院送りになった三人の前で、同じことを言ってみろ。どう思うかな?」
突き放すような言い方をされて、俺は答えが見つからなかった。
結局話は平行線をたどり、俺の停学は明けた。
そして病院送りにした三人が退院して登校してくるという噂が耳に入ってくる。
よほど学校を休みたかったが、逃げずに立ち向かうと決めた俺は、震えながらも平然を装っていた。
「白須賀、ご指名だぞ」
少し怯えた声で、級友が声をかけてきた。
見ると、例の三人組だった。
逃げても解決しない。そう考えた俺は呼び出しに応じた。
廊下に出て、三人が立ち止まるところまでついていく。
向かい合うと、ぬん。とした威圧と圧迫感を覚えつつ、骨の一本は覚悟を決める。
「お前…」
塔下が切り出す。
「やるじゃねえか。見直したぜ。やっと喋るようになって安心したよ」
ニカッと笑って握手の手を差し出した。
「は…?」
わけも分からず、釣られるように手を差し伸べて、握手を交わす。
「ほとんど不意打ちに近かったが、三人相手によく立ち回ったよな」
「安心しな。一方的にやられたとはいえ、拳で語り合った仲だ。もう争うつもりはねえよ」
もう一人の男が続けた。
「はああぁぁぁ…」
強張っていた体の力が抜けてへたり込んだ。
「おい大丈夫か?」
「心配ない。力が抜けただけだ」
それから塔下は、人が変わったかのように片足を突っ込んでいた不良じみている行動をやめて、帰宅部から卓球部に変え、二人も運動部で汗を流し始めた。
そのうちの一人が、花火大会で飲み物を運んできた人だった。
不良に片足を突っ込んでいた塔下と仲間をボコったことで、しばらくの間は不良グループの仲間入り扱いを受けたが、やがてその噂も鳴りを潜めて消え去った。
「あいつは度重なるイジメにブチ切れて大暴れして、中一の秋に停学処分を食らっタ。それ以後、やっと喋るようになったんダ。塔下とはそれ以来の仲ってわけヨ」
「…口を閉ざした経緯が…明梨と…同じじゃない…。だから…あいつは、明梨を自分と重ね合わせて、あれだけ必死に明梨を!?」
「ちなみに、この全容を知ったのは俺が中学二年になってからダ。本人の口からナ。何があったのかは小学三年くらいに大体推測はできていタ。あの時に聞いたプロレスごっこのフレーズを思い出してネットで検索して概要くらいは把握しタ。それと俺は学区見直しの関係で中学からここへ編入されタ。あの地域は学区の
「冗談じゃないわ!それが本当なら、お互いに同じ状況で深いキズを抉ったってことじゃない!仲直りするにも、二人とも同じ理由で心を閉ざしてしまったなら、仲直りの
「と言っても、二人の問題だロ」
「もうイヤよ!明梨をかばって過ごす日々なんて!白須賀くんに出会うまでは、それが自然と思ってた!あんなの普通じゃなかったって、今なら分かるわよ!彼の言ってた『君たちはまるで被介護者と介護する関係だ』って見えるのが普通の感覚だってことが分かるわ!!」
「そんなことを俺に言われてもナ」
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