第45話:執消(とりけし)

「…お母さん…!どうして…!?」

「これは彼との約束です。決して譲歩じょうほしません」

 その日は突然訪れた。しゅんと逢えなくなる日が。


 あたしはふと疑問を抱いた。

「…そろそろ…くるはずなんだけど…」

 あの日が来ない。


 不思議に思いつつ、数日が過ぎる。


 そんなある日の登校中。

「そういえば明莉あかり、彼とんだっけ?」

「…うん…でも…」

「どうしたの?」

「…あの日が…こなくて…」

 優愛ゆあちゃんはわずかに目を見開く。

「いつから!?」

「…いつもだと…三日前くらい…かな…」

「まさかと思うけど」

「…は…コンマミリだけ…離れてくれたけど…」

 ぽん、と両肩を叩かれ

「すぐに検査したほうがいいよ」

 と神妙な面持ちで続けた。

「って今…明莉、って言った!?」

「…うん…」

「どうしたの急に!?やっぱりから?」

「…その時に途中から…自然にそう呼んでた…」

 しゅんはあたしの全部を愛してくれた。

 肌を合わせている内に、呼び捨ての名前がいつの間にか口から出ていた。

「ふふ、やっとカレカノらしくなったね。あ、でも検査はしておきなさいよ。今はドラッグストアに検査キットなんてのもあるから、自分で検査できるよ

「…うん…」


 どこか落ち着かない気持ちになりながら、早く放課後にならないかとソワソワしてしまう。

 帰りがけに検査キットを買って、帰ったら確かめないと。

 まだ瞬にはこのことを言えてない。

 確たることが無い状態で、不安にさせたくないから。

 いつもより長く感じた一日が終わり、放課後になった。

「明莉、今日一緒に帰るか」

「…そうしたいけど…今日は…ちょっと急ぐから…」

 キットを買うところなんて見られたくない。

 あたしはいつもの下校路を外して、少し離れたドラッグストアに足を運んだ。


 パタン


 自分の部屋にたどり着いて、検査キットを開封する。

 説明書をよく読んでキットの準備をした。

 結果はサンプル採取後、数分で出るものだった。

「…嘘…でしょ…?」

 思わず目を見開いてしまい、何度も説明書を確認する。

 何度確認しても、結果は


 


 を示していた。

 瞬とそういう行為をしたのは一度だけ。

 その一度でまさかの陽性がでてしまった。

「…どうしよう…」

 でも、瞬は確実に覆うものを着けていた。

 それでも陽性になったということは、覆うものが破けていたとしか思えない。

 こんなの、誰にも相談できない…。

 相談できないまま数日が過ぎる。

 優愛ちゃんに聞かれたけど、つい「心配ない」と答えてしまった。


「…ごちそうさま…」

 日曜の朝。お母さんの料理を食べ終わってリビングを出ていく。

 今日は優愛ちゃんと出かけることにしていたから、早めに支度をする。

「…いってきます…」

「いってらっしゃい」

 明莉を見送った母は、何となく違和感を覚えた。

「明莉、何か浮かない顔してるわね。学校で何かあったかしら」

 その時、白須賀が来た時に言われたことを思い出す。

『もし年始以後で明梨さんの様子に変化があったら教えてほしいのです。もしかすると嫌がらせを受けたり、何かしら追い詰められている可能性が高いので』

「まさかとは思うけど、確認するくらいはしておいたほうがいいかも」

 ぼそっとこぼして確認のため、明莉の部屋に入る。

「部屋を見たところで何か分かるとは思ってなかったけど…」

 ふと、机の端に置いてあるものに目が留まった。

 手に取ると、血の気がザッと引く事実に気がついた。

「まさか、これ!?」

 手にした物は説明書もあり、照らし合わせると動かぬ証拠として十分なもの。

 一緒に置いてあった袋にそれらを詰めて、部屋を出ていく。


「…ただいま…」

 お昼前に用事が済んで、あたしは家に帰ってきた。

「おかえり。お昼できてるわよ」

「…うん…」

 いつもと変わらないお母さんに後ろめたさを感じつつも、二人で食卓を挟んでお腹を満たす。

「…ごちそうさま…」

「お粗末様。ところで明莉」

 立ち上がろうとしたところで呼び止められて、そのまま座る。

「これは何ですか?」

 テーブルの死角から取り出したのは、あたしが使った検査キット!

 全身の毛穴という毛穴がドバッと開いたような、気持ち悪い感覚に襲われた。

「…それは…!」

「覚えがあるのね?ここ数日様子が変だったのはこれが原因?」

 お母さんの目を見ることができず、俯いたまま顔を上げられない。

「………はい…」

「相手は白須賀くん?」

 静かな問いかけが、余計に怖く感じる。

「………はい…」

 バレてしまった以上、隠しきれないと思ったあたしは、聞かれた心当たりを正直に認めた。

 誰にも相談できない以上、バレちゃったけどこれを機に相談できるかもしれない。

「…どうすれば…いいかな…?」

「明莉」

 一呼吸おいて言葉を続ける。

「明日から、今の学校は行かせません。それと引っ越しをします」

 とんでもないことを言い出したお母さんに、あたしはやっと顔を上げた。

「…そんな…勝手なこと…お母さん…!どうして…!?」

「これは彼との約束です。決して妥協しません」

 そう言い放った母の目は、決意の眼差しだった。

「もし明莉がこうなった場合、以後明莉には二度と会わせない。それは白須賀くんも覚悟の上で了承済みです。携帯を出しなさい。もう連絡もさせません」

 嘘…そんな約束してたなんて聞いてない。

「出しなさい」

「…解約してくれば…それでいいでしょ…?」

「ダメ。出しなさい」

 取り付く島もない言い方で切られてしまい、あたしは渋々スマートフォンを取り出してテーブルに置いた。

 家の中やフリーWiFiスポットにある無線を使えば、連絡くらいはできたかもしれないと思ったけど、それすらかなわなくなった。

「…引っ越し先は…どこ…?」

「その日に言います。学校も引っ越し先近くの高校に転校してもらいます」

 そんな…どこに引っ越ししてしまうのか、前もって伝えることもできないなんて…。

「話は終わり。明日からお母さんは引越し準備のためしばらく仕事の休みをもらいます。明莉も一緒に来てもらいます」

「…そんな…一方的過ぎるよ…!」

「お母さんは親として、明莉を育てる義務があります。その義務を果たすためなら何だってやるつもりで明莉を引き取った決意がどれほどのものだったか、わかるの?」

 ピシャリと言われてしまい、返す言葉が見つからなかった。


 部屋に戻って、ベッドに倒れ込む。

 涙が止まらない。

 もう、瞬に会えないなんて…。

 苦しくて、悲しくて、寂しくて、いくら声をこらえようとしても漏れてしまう。


 翌日朝のショートホームルーム。

「突然ですが、家庭の都合で鐘ヶ江さんはしばらく休みます」

「ええっ!?」

 優愛は思わず声を上げてしまう。

 ホームルームが終わってすぐ、優愛は担任に事情を聞きに走った。

 けれども、詳しいことは何もわからないと返されて途方に暮れる。

 すぐにDirectでメッセージを送るけど既読がつかない上に電話番号通話も圏外のアナウンスが流れていた。

 ふたりとも明莉に連絡を取ろうとしても連絡がつかない。

「白須賀くん。これ、ただ事じゃないよ!」

「ああ、何かが起きている。帰りがけに俺が明莉の家に行く」

「ならわたしも行く!」


 二人は放課後になるまで、時間がとても長く感じた。

 逸る気持ちを抑えながら明莉の家にある呼び鈴を押す。

『はい。白須賀くんですね。来ると思ってました』

 インターホン越しに母の声が届けられた。

「当然です。明莉さんに何があったのですか?」

『あの時交わした約束を覚えてますか?』

「あの時…まさか!」

 優愛は事情がわからずポカーンとしている。

『明莉を急いで病院に連れていく必要が出ました。この意味がわかりますね?』

「………それは事実ですか?」

『少なくとも検査キットでは陽性が出ました。けれどこのまま放っておくわけにはいきません。病院で処置してもらいます』

「……っ……わかりました。約束は守ります。もう、明莉さんには会いません。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。失礼します」

「ちょっと待って白須賀くん!一体何の話!?」

 明莉の家から離れながら、明莉母との約束に今起きてる事を伝えた。

「何よそれ…結局あんたがしくじっただけじゃない!どうしてくれるのよ!」

 白須賀は言葉を失った。


 明日はとうとう引っ越しと転校の日。

 クラスには今朝、もう転校の話が伝わったらしい。

 どんな方法を使ったのか、わずか四日でここまで準備を進められてしまった。

 お母さんに連れられて、総合病院の産婦人科前で待合室のベンチに腰をかける。

 この四日間、散々抗議したけどまったく取り合ってくれない。

 おまけに瞬だけでなく優愛ちゃんにも連絡が取れなくて、八方塞がりになった。

 今日の診療を終えて明日になったら、あたしはどこか遠くへ連れて行かれる。

 二度と瞬に会えず過ごすことになる。

 せめてもの抵抗として産む決意をしたけど、それすら許してくれなかった。

 瞬とのつながりを、全部消されてしまう。

『5番の番号札をお持ちの方、診察室へどうぞ』

 あたしのお母さんが持っている札は5番だった。

 診察室に入ってから、あちこちの検査室へ通されては検査を受ける。

 そして再び診察室へ通された。


「各種の検査しましたが、ですね」

「そっ…そんなはずはありません!実際この検査キットで陽性が出ています!」

 お母さんは取り乱した様子で担当医に食って掛かる。

「その陽性が出た検査キットを見せてもらえますか?」

 慌てた母の様子とは対象的な落ち着いた様子で返す担当医は、お母さんが差し出した検査キットを受け取る。

「あぁ、でしたか」

 ため息交じりで担当医が漏らす。

「………やっぱり?」

 冷水を掛けられたように落ち着きを取り戻したお母さん。

「これ、メーカーから回収するという報道プレスが出ていますよ。製品リコールです。最近このキットをきっかけに検査してくる人が多いのです」

「リコール!?」

「製造過程で不純物が混ざって、検査結果の信頼性が低下したと発表されています」

「それじゃ…」

「はい。またそういう兆候があったらおいでください。今日のところは担当医として断言します。まだ陰性です」

「…でも…あの日が…来ないのは…?」

「食生活の乱れや悪性のストレスがかかった時によくあることです。心配なら薬を出しますが、どうしますか?」

「…いえ…その日を…待ちます…」


 この後、担当医は陰性の証拠を複数突きつけて、お母さんは冷静になっていった。

 病院を出たあたしは家でお留守番になり、お母さんは再びあちこち駆けずり回ることになる。

 診察を受けた夜に、それは来た。

 自分でもわかる、完全に陰性が証明された瞬間だった。


 翌日


「白須賀くん…」

 ずいぶん悩んだ様子を見続けていた優愛は、頭を抱える白須賀にたまらず声をかける。

「もう、正攻法では明莉に会わせてもらえない。だが、諦めない!」

「どうするつもり?」

「時間はかかるが、大学を出て社会人になって、責任を取れる立場になって、もう一度明莉を迎えにいく!それまでに明莉が他の誰かを選んだなら、その時はきっぱり諦める」

 いつも余裕綽々よゆうしゃくしゃくの顔を見慣れている優愛は、どこか新鮮な気がしつつも明莉と連絡も取れなくなった今の状態については、白須賀へ対する憤りが積もっていた。

「もし今後明莉と連絡が取れた場合、頼みたいことがある」

「何よ?」

「時々でいい。明莉に彼氏ができてないか、独り身かを探ってほしい」

 眉をひそめる優愛。

「勝手なことばかり。そもそもあんたが失敗したからこんなことになってるんじゃない。そこにわたしを巻き込まないでよ」

「頼む」

 失敗したことの後悔と、一人の女を愛しぬく決意が同居したような目で見つめる。

「………協力してあげたいけど、明莉の引っ越しについてはわたしにさえ何の情報もくれないから、難しいでしょうね」

「分かってる。もしどこかでばったり会うようなことがあった場合でいい」

「明莉を泣かせたくせに…と言いたいところだけど、あんたが余裕を無くした姿を見て少しスカッとしたから、万一会えたらね」

「助かる。今は吹上さんだけが頼りだ」


 二人の話が終わり、朝のショートホームルームが始まった。

「今日はみなさんにお知らせがあります。入ってきなさい」

 あたしは再び戻ってきた。

 瞬がいる教室に。

「ご家族の都合で、転校は取り消しとなり、再び一緒に学ぶ運びとなりました」

 ポカーンとだらしなく口を開けている瞬の顔を見て、あたしはやっと戻ってきた実感を噛み締めている。

 ホームルームが終わった後、あたしは嬉しさのあまり泣きじゃくる瞬に、連絡が取れなくなってからの事情をすべて伝えた。

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