第44話:処夜(しょや)

明莉あかり、ありがとうね!」

 白須賀しらすかくんと帰っている途中、突然 優愛ゆあちゃんからDirectアプリの通話が来たと思ったら、開口一番興奮した様子で感謝された。

「…どうしたの…?」

塔下とうした先輩と付き合うことになったよ!」

「…ほんと…!?返事は…ホワイトデーじゃなかったんだ…!?」

「うん。ただ、わたしのことを好きとは返事してくれなかったから、好きかどうかはまだ迷ってるんだと思う」

 返事は『付き合ってください』だけで『俺も好きだ』とは返事していなかった。

 優愛はその聞かせてくれなかった一言に隠された真意を的確に見抜いている。

「…でも…終わりじゃなくて…これが始まりなんだから…チャンスだよ…」

「わかってる。絶対に好きと言わせてみせるから。明莉にもらったチャンスを無駄にしないつもりでいるよ。しゃくだけど、白須賀くんにもね」

「…よかった…優愛ちゃんへの協力は惜しまないから…いつでも相談してね…」

 通話を終えて終話ボタンを押したあたしに

「そうか。吹上さんにはおめでとうを言っておかなきゃな」

 全部わかっているかのようなことを言う。

「…あっ…でも…」

「どうした?」

「…別に…好きだから…じゃないみたいで…まだ優愛ちゃんの一方通行というか…」

「だろうな。あいつは自分の気持ちにすら鈍い奴だ。だから吹上さんはこれから苦労するだろうな。でも、これでやっと前に進める」

 優しい微笑みを向ける白須賀くん。

「…前へ…?」

「君と出会ってすぐの頃に決めていたんだ。二人の強い共依存をやめさせて、適度な距離を保つ関係に変えるって」

「…そんなことを…」

「俺から見ても、今の君たちはとても良い距離感になったと思う。明莉と付き合うことになったのは予想外だったけど」

「…そういえば…あたしに文化祭のテーマを押し付けたの…あれはなんだったの…?」

 これは前から抱いていた疑問。

「ああ、期待していたほどの効果は無かった。あの頃にはもう明莉と付き合うつもりだったから、俺の彼女はこんなにすごい人なんだ、と周りにアピールするつもりだった。けど見込みが甘かったせいで、目に見えるような結果にはならなかった」

 そっか。付き合うって決めていたから、あたしにも言えなかったんだ。

「それじゃ、また明日」

 家の前まで送ってくれた白須賀くんは、柔らかな顔で静かな声を出す

「…うん…」


 チュッ


 唇を軽く合わせるだけのキス。

 離れていても心は通じていると確かめ合うスキンシップ。

 玄関に入る前も振り返って、その姿を目に焼き付ける。


 パタン


 ドアを閉めてすぐ思う。

 逢いたい。

 さっきまで一緒だったのに、もう逢いたくなってる。

 もっと近くにいたい。

 キスだけじゃ足りない。

 もっと触れ合いたい。

 一緒にいるほど、どんどん欲深くなっていく自分が怖い。

 今すぐ家を飛び出して、彼の背中に抱きつきたい。

 こんな気持ちを彼に知られて、幻滅されてしまわないか心配になる。

「…抱きしめて…ほしい…」

 クリスマスの夜に交わした長く濃密な口づけを思い出して、切ない気持ちが膨れ上がっている。

 しばらくキュッと胸を締め付けられるような感覚と、どうしようもなく触れていたい衝動を持て余していた。


「…白須賀くん…待った…?」

「いや、そこに用があってね。待ったと言うほどここに居なかったよ」

 数日前にデートの約束を持ちかけられて、今日がデートの日。

 待ち合わせ場所はショッピングモール脇の小さな公園。

「…寒いね…」

「肌が痛いくらい寒い。天気予報では午後から雪が降るらしいな」

 2月も終わりに近づいてるものの、寒さのピークはまだ続いている。

「そういえば明莉の誕生日はホワイトデーだっけ?」

「…うん…白須賀くんはいつ…?」

「それがな、4月1日なんだ」

「…もしあと一日遅れてたら…別の学年だったんだ…?」

「そうだな。そしたら明莉と出逢えてなかったかもしれない」

 これが運命の悪戯というものなのかも。

 カレンダーの年度基準なら4月1日が一番最初の生まれなんだけど、閏年うるうどしの関係で調整が入っていると聞いたことがある。

 2月29日生まれの場合に誕生日を逃すため、その前日である2月28日の23時59分59秒で生まれたことにしている。

 そのため、4月1日生まれは3月31日生まれという扱いにされる。

 4月1日までに満年齢の条件が満たされて、学年の境目が翌日生まれから変わる。


 お互いにあまりお小遣いがあるわけじゃないから、デートコースは商店街やショッピングモール、公園といった出入り自由な場所が中心になっている。

 それでも何をするかは全く気にならない。

 一緒にいられること自体が嬉しくて、幸せを感じることができる。

 前みたいに周りの目を恐れてコソコソする必要もなく、堂々と隣にいられる。

 その分は気が楽だけど、

 外では手袋をしたまま、屋内では手袋を外して手をつなぐ。

 あたしは外でも手袋を外して手をつなぎたいけど、切られるような寒さだから素手では我慢できなかった。

「…でね…優愛ちゃんが…嬉しそうに電話してくるの…ほぼ毎晩…」

 塔下とうした先輩と付き合い始めた優愛ちゃんは、毎日積極的に会っているらしい。

 最近では卓球部に入ろうかとさえ思っている言い出す始末。

「そうか。それで明莉と電話がつながりにくいんだ」

「…電話…してくれてたんだ…?」

「ショートメッセージで通知が行ってないか?」

「…電話切ったら…そのまま寝落ちしちゃうから…見逃してたかも…」

 大きなお店に入ったから、手袋を外して素肌で手をつなぐ。

 指と指を絡めさせる恋人つなぎ。

「塔下の奴、まんざらでもないみたいだよ」

「…そうなんだ…」

 指の間から伝わってくる指の感触が、なんだかキスしている時のような気持ちになってしまう。

 今はこの感覚が心地よい。

 けど、もっと触れたい。手だけじゃなくて、もっと体全体で触れたい。

 止めどなく欲深くなってしまう自分に驚きながらも、その衝動は止められない。

 誰かを好きになるって、こんなにも変わっていってしまうものなのかと、恐ろしささえ感じてしまう。

 もしかして優愛ちゃんもそうなのかな?

「どうしたんだ?明莉」

「…え…?」

「どこか腰をかけられるところがよかったか?」

 どうやらエスコートに不満があると思っているって勘違いさせてしまったらしい。

「…そうじゃないの…ちょっと…優愛ちゃんのことを…考えてて…」

「そうか。かけがえのない親友だもんな」

「…うん…」

「でもさ、吹上さんも同じように明莉のことを考えてるんじゃないかな?」

「…そう…かも…」

 それにしても、優愛ちゃんから見て全く見込みのなかった告白なのに、なぜ付き合うことになったのかがいまだにわからない。

「…白須賀くんは…塔下先輩に…何を吹き込んだの…?」

 彼は優愛ちゃんの告白を見届けた。

 翌日に先輩と話をしていた。

 そしてその日の内に付き合う返事をもらった。

 優愛ちゃんはホワイトデーに返事を聞かせてと条件を付けたのに、それを無視して翌日に返事をした。

 あたしから見ると先輩が自分だけで結論を出したとは思えない。

「…二人が付き合い始めたのって…白須賀くんが…先輩に何か言ったんだよね…?」

「何の話だい?」

「…全然積極的じゃない先輩…見込みのない告白…好きと返事しなかった告白の返事がOK…その返事が…先輩が自分で考えたとは…どうしても思えなくて…返事した日の昼休みに…白須賀くんが…焚き付けたんでしょ…?」

「それは考えすぎだ」

 歩きながら、こちらを見ないで答えた。

 いつも目を見て言ってくれる彼だから、嘘を吐いてると思った。

「…知ったからと言って…優愛ちゃんには言わない…」

「先輩は先輩で何か思うところがあったんだろうな」

 またこっちを見ないで答えた。

「…そっか…いつまでも…立ち止まっていられない…もんね…」

「そうかもしれないな。俺も付き合い始めて気づいたことが多かった。あいつもあいつで色々と気づくことは多いだろう。変わるにはいい傾向だ」

 白須賀くんはこっちを見て答えてくれた。

「…その変わるきっかけに…優愛ちゃん…利用されちゃうのかも…」

「利用じゃない。共に成長するんだと言ったのが決め手になっ…あ!」

「…何が…決め手になったの…?」

 あたしは口を滑らせたと思われる一言を切り口にして詰め寄った。


「…そっか…やっぱり…白須賀くんが…」

 狙ったわけではないけど、白須賀くんはあたしが知りたいことを教えてくれた。

「吹上さんには言うなよ」

「…うん…」


「うわぁ、かなり降ってきたな」

 しんしんと降り積もる雪は、景色を白銀へと染め替えていく。

「…うん…でも帰りは…別に問題ない…」

 幸い電車に乗ることもなく、徒歩圏だけでデートしているから、深く降り積もったとしてもお互いに帰り着くことはできる。

「お客様にお知らせします。大雪警報の発報に伴い、本日に限りまして営業時間を短縮致します。30分後にすべてのお店をクローズしますので、お買い忘れの無いようご注意ください」

 ショッピングモール全体の構内放送が響き渡った。

「まいったな。これじゃ商店街も早く閉まりそうだ。雪もかなり降ってるから公園に行っても雪に降られるな」

「…まだ…一緒に…居たい…」

 ワガママを言ってるのはわかっている。

 けれどこれが偽りのない本当の気持ち。

「だったら、俺の家に来るか?」

「…えっ…?」

「家なら暖房もあるし、雪にも降られない…って、嫌か?」

「…ううん…行きたい…!」

 思わず目を輝かせて提案を受け入れる。

 まだ、一緒にいられるんだ。

「それじゃ行こうか」

 つないだ手を、白須賀くんはコートのポケットにつっこむ。

 あたしの手ごと入ったポケットは、何か不思議な感触だった。

 同時に、もっと白須賀くんに近づけている気がした。


「どうぞ」

 始めて入る白須賀くんの家。

「…おじゃまします…」

 日曜日なのに人の気配がしないことを不思議に思った。

「…ご家族の…方は…?」

「誰もいないから、ふたりきり…って、やめておくか?」

「…ううん…このほうが…いい…」

 いつもどおり、気を回してくれるけど、今に限っては余計な気遣いに思える。

「どうぞ」

 部屋に招かれて、ふたりで椅子とテーブルを挟む。


 PI


 白須賀くんが電源ボタンを押したストーブの稼働が始まるものの、暖機運転中で暖かさはまだ伝わってこない。

「…初めてだね…白須賀くんの部屋に入るの…」

「俺も女の子を部屋に入れたのは初めてだ」

「…そうなんだ…」

 あたしがその初めてになれて、ただ嬉しい気持ちがこみ上げてくる。


 パチチチチチ…ボッ


 暖機運転を終えたストーブが燃焼を開始する。

 点火時の不完全燃焼で一瞬だけ異臭がするけど、ほどなく異臭は紛れて消えた。

 まだ部屋が暖まるまでは時間がかかる。けど…

「…火が着いてるだけで…なんか暖かく感じるね…」

「そうだな。実際に暖まるまではまだ時間がかかる」

 あたしは白須賀くんの隣に座る場所を移す。

 寒さのせいにして、白須賀くんと密着する口実にできる。

「…寒いから…」

 彼に体を押し付ける。

 押し付けた体と反対方向の肩を抱かれた。

 心に灯った小さな火は、次第に大きく燃え上がっていく。

「…白須賀くん…」

「明莉」

 その火は激しく燃え上がり始めて、ストーブの火に負けないくらいの熱量を放ち始めた。

 お互いに目で見つめ合い、どちらからともなく口づけを交わす。

 横で抱えられていたあたしは白須賀くんと正面で向かい合ってまたがる。

 抱き合うような格好で、体の密着度が上がった。

 クリスマスの夜みたいに舌を絡めあうと、ねちっこい水音が耳に飛び込んでくる。

 頬をくすぐる吐息すら気持ちいい。

 目を閉じているから、口をくすぐる舌と唇の感触が研ぎ澄まされている。


 キスって、こんなにも気持ちいいんだ

 互いの気持ちを確かめあう粘膜の接触は、幸せな気分になれる。

「…好き…大好き…けど…キスだけじゃ…足りないよ…」

 思わず口走ってしまった一言に、あたしは両手で口を塞いだ。

「明莉、俺も同じことを考えてた。明莉の全部が欲しい」

「…あっ…」

 あたしはベッドにそっと押し倒されて、目の前が白須賀くんと天井で埋め尽くされた。

「…あ…あの…あたし…初めて…だから…」

「俺も初めてだ。優しくするけど、我慢できなかったら言ってくれ」

 白須賀の頭には、明莉の母と交わした約束が脳裏をよぎる。

 一度たりとも失敗は許されない。確実に防がなければならない。

 そう何度も頭の中で言い聞かせながら、白須賀はベッドに横たわらせた明莉の服にそっと手をかけた。


 明莉が家に帰り着いたのは日が落ちた後だった。

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