第38話:静夜(せいや)
Directアプリのグループメッセージで交際の公表をして日が明けた今日はクリスマス当日。
まさかこんな仕掛けをしていたなんて、思いもよらなかった。
やっぱり
あの後、混乱を避けるため手をつながれたまま彼にすぐ連れ出されて帰った。
予想したとおり、例のグループメッセージは膨大なメッセージで埋め尽くされた。
けれどもShirasoccer(白須賀)の名前で、ここもピシャリと釘を刺している。
『俺の彼女について攻撃的な書き込みをしても特定にかかります。過激な内容を書くのは控えてください。彼女について批判をすることは、彼女を選んだ俺に対するそれと同じです。俺はいくら批判されても構いませんが、彼女に矛先が向いたら黙っていません』
読み進めるほどに内容が少しずつ過激さを感じ始めた頃に、本人からこう書かれては、改めて穏やかな内容に収めるか、黙るしかなくなる。
「年内に片付いてよかった。連休を挟むことで頭が冷えるだろう」
年が明けた場合は生徒会主催のバレンタイン企画にやるつもりだったという。
こっちの場合は翌日も登校するので、頭が冷える時間はなかった。
周りの様子を見て学年末の終業式、その帰り際にやることも考えていたらしい。
「…そこまで…考えていたんですね…」
「まあね。これで堂々と二人きりになれる」
微笑みながら隣を歩く。
夢にまで見た二人きり。
「そうだ明梨」
「…何…ですか…?」
「どうして敬語なんだ?」
「…え…?」
言われて思い返してみる。
「…あ…」
いつの頃からか、白須賀さんに対して敬語で話している自分に気づいた。
「…そう…ですよね…」
「ほら、今も」
「…あ…そうでした…」
「全然ダメ」
「………」
連続で言われて、思わず黙ってしまう。
「ま、焦らないでいこう」
「…はい…」
「こりゃ時間がかかりそうだな」
半ば呆れ顔になっている。
「…ごめんなさい…」
「やっと堂々と二人で出かけられるんだ。今日は夜まで一緒にいよう」
「…はい…」
まだ朝の十一時。
夜までということは短くても十八時くらいまで一緒にいるということ。
こんな長く一緒にいられるのは初めて。もう人目を気にせず二人の時間を過ごせる。
年始からは少し不安があるけど、白須賀さんなら何とかしてくれると信じている。
きゅ
「やっとだ。こうして心置きなく触れることができるのは」
白須賀さんが手をつないできた。
クリスマスパーティーでされた、指を絡ませるつなぎかたで。
こうして手をつないでいると、本当に恋人として扱われていることを実感できる。
「…あの…これから…どうするんですか…?」
「そうだな、お互いあまりお金はかけられないし、どこかお店に入るとしてもお手頃なチェーン店かな。お昼時は混雑してくるし、少し早いけどお昼にするか」
「…はい…」
そう言って連れてこられたのはあちこちに全国展開しているハンバーガーチェーンのお店だった。
それぞれ注文して会計を済ませて席につく。
「付き合ってからしばらく構ってあげられなくて済まなかった。明梨と会いたい時間を惜しんで、昨日のあれをやるために時間を使ってたんだ」
「…そう…だったんですね…」
「でも、これからは遠慮なく二人でいられる。もし嫌がらせや不快な思いをするようなことがあったら、すぐに言ってくれ。俺は、明梨を守ると誓ったんだからな」
ひょいひょいとポテトやバーガーを口に運ぶその様子に、あたしは目を奪われる。
口に視線が釘付け。
これまで、うちに来ては玄関で抱きしめられて、学校では人目を盗んで抱きしめられて、大きな体と筋張った腕に安心を覚えていた。
虐待された過去を思い出して、これまで男の人は怖い存在として遠ざけていたけど、それも白須賀さんと出会ってすべてが変わった。
でも他の男はまだ怖い。けど彼だけは違う。
「ん?どうした?」
あたしの視線に気づいて、食べてる手を止めた。
「…ううん…なんでもないです…」
意識していても、まだ敬語が思わず口から出てしまう。
チラチラと彼の口元に目を奪われる。
恋人ができたことは初めてでも、その二人がどんなことをするか知識としては知っている。
手をつないだり、口吻を交わしたり、友達ではありえない距離感でのスキンシップをする。
何もかも初めてのことで、どうしていいのかわからずにいる。
「悪いけど、俺はエスパーではない。だから何をどうしたいのか、言ってくれなきゃ理解は難しい。俺は明梨のすべてを受け入れたいと思っている。やりたいことがあるなら怖がらずに言ってほしい」
「…うん…」
とは言うものの、初めてのデートでキスしたいなんて言えない。
いくらなんでも幻滅されるに決まっている。
「それより早くしないと冷めちゃうよ?」
促されて手にしたポテトやバーガーは、ほんのり温かいくらいまで熱が逃げていたことに気づく。
「…ほんと…ですね…」
食べやすいくらいまで冷めかけていたそれらを、あたしはパクパクと口に運ぶ。
「ところで明梨」
「…何…ですか…?」
「元日は初詣、一緒に行かないか?」
しばらく先まで二人きりは無いと思ってたから、元日は優愛ちゃんのために先輩と三人で行くことにしていたことを思い出す。
「…行きたいけど…優愛ちゃんと…約束があるから…」
「そうか。なら一人加わっても問題ないな」
「…多分…優愛ちゃんが…気を遣って…帰っちゃう…から…」
優愛ちゃんには、本人の希望なく勝手なことをしないって約束したから、四人でいると白須賀さんが優愛ちゃんを差し置いて気を回してしまうのは確実で、こじれてしまう可能性を考えたら入ってきてほしくない。
「そうか、なら仕方ないな」
あたしは内心胸をなでおろす。
食べ終わったあたしたちは、そのまましばらくお店の中で会話をしていた。
昼下がりになるまで暖かいお店の中で過ごす。
ヒュオッ
冷たい風が二人の間を駆け抜ける。
二人で歩いてるときは手袋越しながらも恋人つなぎをされて、あたしは顔が火照る感覚に襲われる。
すっかり赤と白の装飾に染まった、どこか浮足立っている街並みを見ると、思わず抱きつきたくなる衝動に駆られてしまう。
通り過ぎる人の中で、あちこちから視線を感じる。
高校が学区内ということもあって余計に視線が気になって仕方ない。
特に同じ年頃の女子から注がれる視線が痛くて、せっかく一緒に外で過ごしているのに落ち着かない。
「夜まで一緒にいるつもりだったけど、今日のところはこの辺にするか?」
「…ううん…慣れないだけ…だから…」
「周りの目が気になるか」
「………ちょっと…」
誤魔化そうとしたけど、どうせ見抜かれてると思って否定はしなかった。
「…でも…慣れたほうが…いいと思う…だから…」
「わかった。一緒にいよう」
二人でショッピングモールに入って、ウィンドウショッピングを始める。
「これ、明梨に似合いそうだな」
そう言って、花飾りの付いたカチューシャを手にする。
「…こんな可愛いの…とても…」
構わずあたしの頭にカチューシャをセットされた。
「ほらぴったりだ」
肩を掴まれて鏡の前へ連れて行かれる。
「…これ…やっぱり…あたしのイメージじゃないよ…」
姿見の前に立つと、頭の上で大きな花が主張していた。
「それじゃこれは?」
カチューシャは外されて、首の前に紐が垂れ下がる。
それは小さいキラキラする石がついたペンダントだった。
「…これなら…まだ…いいかな…」
「ほい」
ヒラリと黄色い何かが視界を覆う。
目の前が開けた時、それが何かわかった。
「…これ…あたしには…似合わないかも…」
姿見に映ったあたしは、レモンイエローのワンピースを着たように見えている。
白須賀さんが掴んでいるワンピースを、あたしの後ろから肩越しにあてがっていた。
「そうか?俺はこういうの着てほしいな」
「………」
返答に困ったあたしの顔は、複雑な感じになっている。
「今のモノトーン調もいいけど、せっかくなら色鮮やかでヒラヒラしたものを着てくれると嬉しいんだけどね」
「…考えてみる…」
そうだよね。
白須賀さんみたいな素敵な人の隣に立つんだから、こういうのが似合う人にならなきゃ。
「そういえば明梨は初詣に行くとき、振り袖かな?」
「…そんなの…」
「見たいな。明梨の振り袖姿」
「…考えさせて…ください…」
さっきからあたしは白須賀さんの提案に否定的なことばかり。
少しでも彼の期待に応えないと、そのうちきっと愛想を尽かされてしまう。
約束するのは難しいけど、その場で断るのは避けなければ。
「明梨」
「…なんですか…?」
「無理しなくていい」
後ろから抱きしめられて、静かな口調で諭してくる。
「…無理してなんて…」
「こんなに困った顔をしているんだ。わかるよ」
まだ姿見の前に立っているあたしたちは、背中から抱きしめられていても互いの顔がよくわかる。
「不安なことや不満があるなら、何でも言ってくれ。その程度で明梨と離れるほど半端な覚悟で付き合うと決めたわけではない。むしろ、言ってくれないで抱え込まれる方がよほど辛い」
白須賀さん…些細なことを見逃さずにしっかり拾ってくれる、とても気の回る人。
隠してもすぐに見抜いてしまう。
あたしは…それに甘えたくない。
けど、しっかり向き合わないと。
「…やっぱり…外は…まだ…きつい…です…」
「それじゃ、今度はお家デートかな」
「…次は…しっかり…外で…会いたいです…けど今日は…今日だけは…」
「へー、ここが明梨の部屋なんだ」
向き合うと決めて、でも今回だけは家に来てもらうことにした。
「…優愛ちゃんみたいに…可愛くしたいけど…まだ全然…」
真っ白な壁紙、茶色の本棚、焦げ茶の勉強机、黒のクローゼット扉、灰色のカーテンと無彩色が多く統一感がまるで無い部屋と家具が目の前に広がっている。
「吹上さんの部屋ってどんな感じなの?」
「…ピンクや赤が多くて…すごく可愛い…」
「そうなのか。可愛いと思うけど、多分俺は落ち着かないな。
灰色と黒の折りたたみ椅子を出して座ってもらう。
「片付いていてすっきりしてるね」
「…あまり…物が必要なくて…」
「こういう無駄のなさが満点を取る秘訣なのかもしれないな」
「…そんな…大層なものじゃ…」
「無駄がないから気が散らない。気が散らないから勉強に集中できる。集中できるから勉強がはかどる。はかどるからテスト本番に強い。何か変なことでもある?」
そこまで言われると返す言葉もない。
「…変じゃ…ないです…」
「今日は、明梨のことをたくさん知ることができた。けど、もっと明梨のことを知りたい」
そう言って、白須賀さんは立ち上がる。
両手を軽く広げて、その胸に飛び込んでくるよう促されている気がした。
「…あたしも…もっと…知りたい…」
吸い込まれるようにその胸へ体を預ける。
きゅっと抱きしめてくるその腕は、いつにも増して暖かく感じる。
じり、と僅かに白須賀さんは前へ進む。
その分、あたしが後ろに下がる。
ふわっ
目の前が上から下へ景色が流れた。
そして背中は柔らかいベッドに身を預けている。
外の光は赤みが増していて、夜の訪れを告げていた。
「…あの…何を…?」
視界は相変わらず白須賀さんで埋め尽くされていて、その姿越しには天井が見えている。
「言ったでしょ。もっと明梨を知りたいって」
愛しい人の顔が目の前いっぱいに広がっている。
あたしはそっと目を閉じると、頬を白須賀さんの吐息が撫でていく。
ちゅ
これが初めてのキス。
思わず息を止めていたけど、白須賀さんの息があたしの顔をかすめていくのを感じた時に、同じ強さであたしも鼻で息を始める。
「明梨、口を開けて」
触れていた唇を少し離して、囁く様に言葉を吐く。
「…え…?」
薄く目を開けると、近すぎてぼんやりとしている彼の顔があった。
「俺に任せてくれればいい」
言われるままに口を開けると、再び白須賀さんの唇が降りてきた。
「…んっ…!」
唇で口を塞がれるとすぐあたしの口に、白須賀さんの舌が入ってくる。
びっくりしたけど、嫌どころかゾクゾクとした気持ちよさを感じて、あたしは入ってきた舌に自分の舌を夢中になって絡める。
キスって…こんなに気持ちいいんだ…。
体中の皮膚に鳥肌が立ってしまうほどに、体を駆け抜ける気持ちいいゾクゾクした感覚に溺れていく。
いつ終わるとも知れないと思えるほど、とても長いキス。
「メリー・クリスマス」
ポーッとしているあたしの耳元で囁いた時には、外はすっかり暗くなり、部屋も自分の手が見えないほどの闇に包まれていた。
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