第35話:牽勢(けんせい)
「それじゃ、
「はい。仲良くさせていただいています」
母は半ば強引に
「明梨、よくこんなイケメンを落としたじゃない」
「…落とすって…やめて…」
からかうような母の口調に、あたしは尖らせる。
「ですが、問題が一つあります」
「何なに?」
「俺が望んだわけではないですが、あちこちのクラスから女子が出てきて囲まれてしまいます。相手するのも実は疲れます」
「そりゃこんな好青年を女の子がほうっておくわけないわね」
母はすっかり舞い上がってしまい、あたしよりもウキウキと話し込んでいる。
「そんな俺が明梨さんを彼女にすると決めて付き合っていますが、おそらく女子に知られると反発されることが予想されます」
「まあ、そうかもしれないわね」
「年内に交際を公表するつもりで動いていますが、もし年始以後で明梨さんの様子に変化があったら教えてほしいのです。もしかすると嫌がらせを受けたり、何かしら追い詰められている可能性が高いので」
「そういうことなら喜んで協力するわ」
すっかり母は上機嫌になっている。
食後のお茶も飲み終わり、白須賀さんは帰り支度をする。
「…それじゃ…また…」
手を振って玄関から出ていく彼を見送る。
「お母さんはお花に水をあげてくるから、明梨は食器を片付けておいてくれる?」
「…はい…」
白須賀さんの後を追うように玄関を出ていく母を後目に、リビングへ向かった。
「白須賀さん、最後にちょっといい?」
母は外に出た白須賀を呼び止める。
「はい」
母はずいっと迫り
「お互いが好き同士だし、年頃の男女だからいくら止めても無駄とわかっています」
「おっしゃりたいことはわかります」
「分かっているなら結構。ただし、明梨に万一のことがあったら、親としてあなたに一切容赦しません。明梨には二度と会えないと思っていただきます。お互いが学生のうちは厳守してください」
ひた、と真顔で明梨母の目を捉える。
「明梨さんのすべてを求めることは構わない。お互いが責任を取れる立場になるまでは明梨さんの体に女性としての異変を起こすことは許さない。もしそうなった場合は、明梨さんの意思に関係なく二度と会えないということですね。わかりました。その条件、飲みます」
「できれば学生のうちはそういう行為をしないでほしいけど、どれだけきつく止めたところで止められないでしょう。だから明梨とどうするかは明梨とあなたに委ねます。その代わりに動かぬ事実を確認したら…親として断固たる対応をします」
「約束します。断固たる対応に異論を唱えないことも誓います」
母はフフッと表情をわずかに緩める。
「明梨は幸せ者ね。多分聞いたと思うけど、娘は男という存在を怖いものとして恐れているわ。それで口を閉ざしてしまってここまできました。不幸な目にあった分だけ幸せになって欲しい。今日はあなたに会えてよかったわ。明梨をどうか、よろしくお願いします」
深々と頭を下げて背を向けた白須賀を見送る。
「俺は、明梨さんを守ると決めました。泣かせるのは不本意なことです。できれば…いえ、必ず明梨さんと一生を共にします」
「その言葉、いつか明梨に聞かせてあげてね」
「…お母さん…白須賀さんと…何を話してたの…?」
玄関の外から帰ってきてリビングに現れた母に問う。
お花に水をあげてくるってのは建前だとわかっていた。聞かれたくないことを話していることは容易に想像できた。
「どれだけ明梨のことを愛してるかを確認しただけよ。明梨は幸せ者ね。あんないい男、なかなかいないわよ。ケンカしてもいいけど、必ず仲直りしなさいね」
「…うん…」
最後の一皿を洗い終わり、洗いカゴにお皿を入れる。
パタン
自分の部屋に戻って、さっきあったことを思い出す。
彼氏のことを知られた時は反対されると思ったけど、むしろ歓迎された。
これで母からは公認の仲になった。
かあっ!
今になって恥ずかしさがこみ上げてくる。
真っ赤になった顔を隠すようにベッドへ身を投げ出して、枕を抱きしめる。
「…お母さんに…紹介…しちゃったんだ…」
やり場のない、どうしようもなくソワソワする衝動を持て余すように、しばらくベッドの上でもんどり打っていた。
「…もう…逢いたいよ…」
さっき帰ったばかりなのに、また側にいてほしくなって彼氏の姿を虚空に思い描く。
「…これが恋…なんだ…」
もし優愛ちゃんが塔下先輩とうまく行ったら、同じ気持ちになるのかな。
ずっと負担をかけてきちゃった分、優愛ちゃんはうまくいってほしい。
「ええっ!?もう親に紹介したのっ!?」
誰かに言いたくて仕方なくなって、優愛ちゃんにDirectアプリを使って電話をした。
「…うん…」
今日帰ってからあったことを、全部喋った。
「それで、どうだった?」
「…とても…好感触…だった…」
「そっか。まあ、わたしみたいな人を除いて、彼は誰にでも好かれそうだけどね」
確かにそうかもしれない。
「…朝や夜の…挨拶代わりに…彼氏紹介しなさいって…急かされて…」
「そういえば玄関に仕掛けたカメラで見られちゃったんだっけ」
「…うん…」
「彼氏の顔に加えて抱き合ってるところを見られたら逃げようが無いわね」
「…でも…反対されなくて…よかった…」
「あぁ、それもそうよね。ひとまず家の中では気兼ねなく一緒にいられるわけね」
「…後は…外…よね…」
それが一番の難関だと思う。
こちらの親は一人だけ。その一人が納得すればそれでおしまい。
でも学校内は人数があまりに多すぎる。
様々な思惑が交錯する環境で、攻撃的な行動に出てくる人も可能性としてある。
「今も隠していて、具体的にどうするかは教えてくれないんでしょ?」
「…うん…でも…信じてる…」
「まあ事前に計画を明かすのって、確実に失敗フラグだからね」
お約束を言っちゃったよ、優愛ちゃん。
「あの人は気に入らないけど、やることはうまくいくから、信じていいと思う」
それはわかる。
あたしなんてやることなすこといろいろ裏目に出てしまう。
だから自分で抱えないようにしている。
でも、こんなあたしを見捨てずにいてくれる保証などどこにもない。
少しは自分で自分のことをできるようにならないと。
「明梨?」
「…うん…聞いてる…少し考え事…してただけ…」
「何を考えてたの?」
「…白須賀さんみたいに…スマートな…対応ができるように…なりたいって…」
「彼も彼で、いろいろ苦労してそうだけどね」
そういえば囲んでくる女の子対応をするのって、かなり疲れるって言ってた。
「それでも明梨がどうしたいか。それが全てだよね」
優愛は、無意識のうちに同級生の彼氏を「さん」で呼んでいるのがひっかかっていたけど、変に意識させてしまわないよう胸の奥にしまう。もし人前で下の名前を呼び捨てにしてしまったら面倒なことになる。親しい関係だと周囲に気づかせないためには都合がいい。恋人同士と公表してもまだ敬称で呼んでいるなら、指摘するつもりでいた。
「…面倒な人と…思われたく…ない…」
「それは明梨としての意見じゃないよね。彼氏にどう見られるかだけ考えてるように聞こえるよ。明梨はどうなりたいの?」
「…どう…って…」
優愛ちゃんの言おうとしていることがよくわからず、口ごもる。
「じゃあ聞き方を変える。仮に彼氏が海外へ留学や死別してしまって連絡がつかなくなるようなことになって、彼氏のことは諦めたとする。その上で明梨はどうなりたい?」
具体的な状況を示されて、あたしは思い浮かべてしまう。
「…そんなの…考えたくない…」
「そっちじゃない。白須賀くん抜きで明梨がどうなりたいかを聞いてるのよ」
「…あたしが…って…そんなの…わからない…」
変わるきっかけをくれたのは白須賀さん。
優愛ちゃんが少しだけ距離を置き始めたのも白須賀さんに出会ってから。
今のあたしは優愛ちゃんと過ごした時間が長すぎた。
彼が関わってきてから急激に変わったこの半年ちょっとという時間は、あたしの人生でも特に目まぐるしく濃密だったけど、ゆえにそれ以外の世界を知らなすぎる。
「確かに明梨はこれまで自分の意思で選んで行動してきたことが極端に少なかったもんね。選ぶことに慣れてないのは仕方ないと思うわ。けどこの先は進路があるし、わたしや彼氏がいつも側にいられるわけじゃないから、選ばざるをえないことが増えるでしょうね。焦る必要は無いけど、早めに自分で選ぶということに慣れておかなきゃダメよ」
「…うん…」
この後も少しお話をして切った。
自分で選ぶ…か。
友達がいなくて勉強していたのだって、他にやることがないからしてただけで、自分で選んでしていたわけではない。
あたしがどうなりたいのか…。
難しい。
これまで、どれだけ何も考えないで生きてきたかを痛感している。
生きることは選択の連続。
喋らなくなったのは、喋ることで自分が危険に晒されたから。
喋るようになったのは、自分の身に危険が迫ったから仕方なく。
それからも喋るようになったのは、自分の意思で選んだ。
優愛ちゃんに負担をかけていたこと。
白須賀さんから喋らないままでいられる時間は残りわずかと気付かされたこと。
変わろう、と自分で決めた。
思い返せば、あれが口を閉ざしてから初めて自分が選んだことだった。
林間学校であたしが白須賀さんに恋していることを自覚して、バンガローで一緒になった女子から、身だしなみを整えれば可愛くなると言われたことをきっかけにしておしゃれし始めた。
文化祭の実行委員長に立候補したのは、白須賀さんと釣り合う人になるため。
最初から望みがあるとは思っていなかった。
断られる前提で、やれることはやると決めた。
でも頑張る方向性が間違っている、と優愛ちゃんに気付かされて、一所懸命に考えた結果、あたしが白須賀さんに惹かれるのが何故かわかった。
たとえこの選択が気の迷いからくるものだったとしても、自分で決めたことだから後悔はしない。
ヒュオッ…
「寒いねぇ、明梨」
「…もう…12月…だもんね…」
街中はすでにイルミネーションが輝き始める季節になっていた。
赤と白の彩りが溢れ返り、人々がどこか浮足立つ。そんな空気に包まれている。
いつもの見慣れた校門を通り過ぎ、校舎に入っても風がないだけで空気の冷たさは変わらず体温を奪う。
教室の前を通り過ぎる度にほのかな暖かさが頬をかすめる。
「そういえば明梨は出るの?クリパ」
「…そのつもり…」
生徒会主催のクリスマスパーティが12月24日の終業式後に予定されている。
いつもならあたしには関係ない催しとして家に帰ってたけど、今回は白須賀さんに誘われている。
でも一緒にいられるわけではなく、多分優愛ちゃんとサッチとミキチーで固まっているだけで終わると思う。
「…優愛ちゃんは…塔下先輩と…?」
「さあね。あの人が出るなら挨拶と雑談くらいはしておきたいけど」
「あいつなら来るよ」
『ひゃあっ!』
突然後ろからかかった声に、あたしと優愛ちゃんは飛び上がる勢いで驚いた。
「これが証拠」
白須賀さんはメッセージアプリDirectを表示した状態でスマートフォンをこっちに向ける。
Shirasoccer『クリパ、絶対に来い』
TowerUnder『しゃーねーな』
TowerUnderって…塔下と言いたいのね。そのまんまじゃない。
「何よこれ。あんたが先輩みたいな傲慢極まる態度ね」
「気心知れた仲だからな。自由参加のイベントはこうして誘わないと基本スルーしまくる人だ」
「あーあ、これであんたに貸りいくつになってるのやら」
「そんなもん気にするな。俺がやりたくてやってるだけだから」
画面を消してポケットにしまう。
「彼女いる人は余裕…」
白須賀さんはガシッと優愛ちゃんの口を覆うようにして鷲掴みする。
「黙れ。まだ公表してない」
そっと優愛ちゃんだけに聞こえる声量で制止した。
「そうだったわね。忘れてたわ」
掴まれた手を振り払いつつ小さく返す。
その後、掴まれた部分をハンカチで拭いている。
「地味に傷つくぞ、それ」
「何度でも言ってやるわよ。あんたのことは嫌い。正直あんたなんかに明梨を…」
再び掴みに来た白須賀さんの手は、優愛ちゃんがヒョイッと避けて虚空を切った。
「任せたくなんか無いんだからね」
こっそりと小さく最後まで言い切る。
「明梨は大切な親友よ。泣かせるようなことをしたら、二人の間に入って邪魔しまくるからね」
優愛ちゃんはギロッと鋭い視線を送った。
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