第33話:動伴(どうはん)

 ヒュオオッ!

 どこか物悲しく感じる秋風が、足の間を吹き抜けていく。

 あれから白須賀しらすかさんとは特に進展も無いまま時間が過ぎている。

 人目を盗んで抱き合ったり、電話でお話したり、周りにバレないかヒヤヒヤしながらお互いの気持ちを確かめ合う日々。

 付き合い始めてから変わったことと言えば…。


 数週間前。

「なんでこうも飽きずにいるんだろうね?明梨あかり

 どこか冷めた目でいつもの教室に繰り広げられる光景を眺める優愛ゆあちゃん。

「…それは…あたしが一番…わかるかも…」

 あたしの彼氏は、相変わらず入れ代わり立ち代わり女子に取り囲まれている。

 もう慣れたとはいえ、あまり気分のいいものではない。

「あんたは容姿ルックスに惹かれてるわけじゃないでしょ。あの人達は明らかに容姿重視じゃない」

「…そう…なの…?」

「明梨みたいに運営委員を一緒にしたわけでもない人達が寄ってたかってチヤホヤしてるんだから、中身なんてどうでもいいんでしょうに」

「…そう…かもしれない…」

「それはそうと、彼が本当のことを言うのはいつになるんだろ?」

 年内にバラすと言いつつ、まだ特に動きはない。

「…できれば年内に…って言ってたから…冬休みギリギリになるかも…」

 ある日、抱き合ってた時に言われた。


「本当は二人で出かけたい。けどもし誰かに目撃された時のことを考えると、危ない橋を渡ろうと思えない」

「…うん…わかってる…」

「年内には公表する目処が立った。だから、冬休みは二人で出かけよう。早く堂々と見せつけてやりたいよ」


 公表すると、多分いろいろ嫌がらせを受ける。

 それでも構わない。一緒にいたいから、あたしも公表が待ち遠しい。

 それにしても、優愛ちゃんの彼氏か…。

 ちょっと難しいかもしれない。

 白須賀さんみたいな人がダメとなると、まったく逆の考え方を持つ人じゃないと優愛ちゃんは振り向きそうにない。

 この学園は9年半ほどいるけど、そんな人は知らない。

 とはいえ、あたしが人と接するようになったのはここ半年くらいだけど。それもごく限られた数人だけ。

 そんなことを考えていたある日。

「それでミキチーってば、なんて言ったと思う?」

「…なん…だろ…?」

 最近あった話に付き合いながら、帰るために昇降口へ向かって階段を降りていた。

「ユーミンには無理って言われたんだよ!?まだやってもないのに…あっ!」

 隣にいた優愛ちゃんの顔が突然視界から消える。

「おっと!」

 ちょうど階段を登ってきていた男子生徒が、レスリングのラリアットをするような格好で、足を踏み外した優愛ちゃんの体を腰で受け止めた。

 そのまま抱きかかえるような格好になり、優愛ちゃんのカバンは手から離れて階段をズリズリと滑り落ちた。

「危なかった。君、痛いところは無いか?」

 優愛ちゃんは目を見開いて、ハッハッと浅い息を繰り返していた。

「だ…大丈夫。ありがとう」

 以前にあたしも同じような状況で、白須賀さんに助けられたことを思い出す。

 足先で階段の段差を探り、階段に足をつく。

「手、離すよ?」

「うん」

 階段にしっかり足を載せて、優愛ちゃんは姿勢を整える。

 トントンと男子生徒は階段を降りていって、落としたカバンを手に取る。

「ほら、落としたよね」

「うん。ありがとう」

 少し階段を降りて手を伸ばし、カバンを受け取った。

 見ると、その男子生徒は服越しでもわかるくらいのかなり引き締まっている体をしていて、活発そうな面立ちをしている。

 黒い前髪を上へ立てているところが、なおさら活発さを醸し出している。

「足元には気をつけて。それじゃ」

「危ないところをありがとう」

 階段を一つ飛ばしで駆け上がっていき、姿を消す。

「明梨…」

「…何…?」

「今の、誰?」

 半ば呆然とした顔で言葉を吐き出す。

「…ごめん…わからない…」

「あいつは二年卓球部の塔下とうしただよ」

「…えっ…!?」

 聞き覚えのある声は、階段の上から降りてくる白須賀さんだった。

「…どうして…名前を…?」

「塔下…さん…?」

 ポーッと熱に浮かされてるかのような様子で、優愛ちゃんは名前を復唱していた。

「ふむ…」

 一人納得したような顔と仕草をする白須賀は、そのまま階段を降りていった。


 あれから優愛ちゃんの様子が少し変わった。

 今もどこか上の空になっている。

「鐘ヶ江さんと吹上さん、ちょっといい?」

 休み時間に白須賀さんから声をかけてきた。

「…はい…」

「うん」

 優愛ちゃんがいつも白須賀さんに向けている嫌悪感というか、敵意というか、煙たがる様子がない。

「近くのショッピングモールで空きテナントになってたところへお店が入った」

「…そうなんだ…?」

「評判のパン屋らしいんだけど、一緒に行こうよ。イートインスペースもあるから、その場で食べられるんだ」

「うん。いつにしようか」

 えっ!?

 いつもの優愛ちゃんなら『冗談じゃないわよ!なんであんたなんかと一緒に出かけなきゃならないのっ!?』って返しているはず。

 一体何があったの!?

「次の日曜昼ごろでいいかな?」

「いいよ。明梨はどう?」

「…うん…あたしもいいよ…」

「それじゃそういうことで。待ち合わせはどうするのよ?」

「Directでメッセージを送っておく」

「わかったわ」

 嘘でしょ?優愛ちゃんがこんなあっさりと…。

 白須賀は返事を確認すると、すぐ廊下へ出ていった。最近になってようやく一人になれる時間ができ始める。

 一人でいる時に顔なじみが現れた。

「よう色男。一人とは珍しいナ」

「疲れるからたまには一人で過ごしたいさ。お前こそ彼女はどうした?」

「必要以上にベタベタするつもりはねーヨ。お前とは違って自由な身ダ。それよりも準備が着々と進んでるようだナ」

「予告どおり、年内に仕掛ける。協力してもらうぞ」

「ハッ、いいだろウ。アフターケアは任せナ」

「助かるぜ」

「しかし、本当に年内で準備を済ませちまうとは思わなかったゼ。目を見張る成果だったヨ」

「そのために彼女と会う時間も惜しんで根回ししまくったからな」

「なるほド。てめぇだってことも都合が良かったのカ。まぁ後のことは任せとケ。彼女にも協力してもらうよう言っておク」

「頼むぞ」

 頼れる相棒の背中を見送る。

「さてと、こっちの根回しもしておかないとな」

 そうつぶやくと、二年の階へ足を運んだ。


 そして日曜日の昼になる。

 Directで送られてきた待ち合わせ場所へ10分前には到着していた。

 優愛ちゃんはいつものブラウスに襟なしジャケットを羽織り、長めのスカートで現れた。

 あたしは彼氏ができたことを知って舞い上がったお母さんに連れられて、何着も服を買ってくれたうちの一つを着てきた。

 体が小さいから、甘めのワンピースとカーディガンを組み合わせている。

「…優愛ちゃん…最近…どうしたの…?」

「どうもしないよ。なんで?」

「…だって…白須賀さんと…こうして出かけようなんて…」

「明梨の彼氏だし、普通でしょ。恋人同士になれたとはいえ二人きりで会ってるのを誰かに見られても困るだろうし、三人なら何とでも言い逃れできるでしょ」

 やっぱり違う。

 台風で荒れ狂う海の波よろしく食って掛かる優愛ちゃんの姿がどこにもない。

 様子が変わりすぎていて、そこはかとない寒気を覚えた。

「二人ともおまたせ」

 足先から頭のてっぺんへ向かってゾクゾクとした寒気の波が通り過ぎたころに白須賀さんが現れた。

「…こんにちは…」

「こんにちは。時間どおりね」

 対応が普通すぎて逆に怖い。

 パン屋の前で11:50に合流した。

 けどお店はそこそこ行列ができていて、イートインの席は見た感じ残ってなさそうだった。

「早速だけど、席取ってくるよ。二人はそのまま並んでて」

「わかったわ」

 やり取りは普通だけど、あたしの知ってる普通とは違う。

 この先回りするやり方が気に入らないはずの優愛ちゃんが、いつも怒るポイントでもことごとくスルーしている。

「なんとか席を取っておいたよ」

 すぐに戻ってきた白須賀さんは、鮮やかな手並みで丸テーブル一つとを確保してきた。

 三人に対して椅子四つ。一つは荷物置きにするわけね。ほんとよく考えてる。

 あたしでは到底思いつきもしないこと。

 順番が回ってきて、三人がそれぞれトレーとトングを手に売り場に入った。

「明梨はどれにする?これだけあると迷うよね」

「ここはクロワッサンが評判らしいから、一つは食べてみるといい。ほかはお腹と相談だな」

 そう言いつつ、白須賀さんはクロワッサンを二つとカレーパン二つ。デザート代わりにするのか、フルーツサンドを二つずつトレーに乗せていた。

 それとイートインでもらえる紙コップのコーヒーがなぜか四つある。

 さすが男の子。いっぱい食べるんだ。

 ササッとトレーに乗せた後は、あたしたちの動きを見ている。

「…それじゃ…クロワッサンと…チョコデニッシュ…でいいかな…」

「わたしはクロワッサンにフルーツサンドでいいや」

 そのまま会計を済ませて、三人でイートインのテーブルにつく。

 丸テーブルに対して椅子が四つだから、あたしは白須賀さんの向かい。

 優愛ちゃんは空席と向かい合った。

「…白須賀さんは…ずいぶん食べるんですね…」

「ほんとよね。六個はさすがに食べきれないわ」

「いや、これはな…おー、ここだここ」

 お店の外に目線を移した白須賀さんは、遠くにいる人へ向かって手を振る。

「おお、見つけられるか不安だったけど、無事合流できたな」

「………ええええっ!?」

 声を上げたのは優愛ちゃん。

「…嘘…?」

 あたしも思わず声が溢れてしまった。

 白須賀さんが呼び寄せた人は、空いてる席に座る。

「紹介するよ。彼は卓球部の二年、塔下先輩だ」

 優愛ちゃんは唖然とした顔で、口を金魚みたいにパクパクしている。

 何かを言おうとして、何も言葉が出てこない様子。

 ギッ!

 鋭い目線を白須賀に向ける。

 この一瞬で、いつもの優愛ちゃんが戻ってきた気がした。

「苦情は後でいくらでも聞こう」

 視線に気づいた白須賀さんは余裕綽々よゆうしゃくしゃくの顔で返す。

 ちっ、と音が聞こえてきそうなくらい嫌悪の色を顔に出した。

「苦情って何?」

「サプライズのつもりで塔下先輩を呼んだことは黙っていたんだ」

「そうだったのか。もしかして来ちゃまずかったかな?」

「いえ、歓迎してますよ。向かいの人はどうかわかりませんが」

 そう言われて、優愛ちゃんの顔を見る。

「そういえば君、前に階段で転げそうになってなかったっけ?」

「あの…はい。その節はどうもありがとうございました」

 ぺこりを頭を下げて言う。

 伏し目がちにテーブルを見ているけど、視線はチラチラと塔下先輩を見ているのがよくわかる。

 やっとわかった。

 優愛ちゃんは塔下先輩のことが気になってるんだ。

「…あの…白須賀さんは…塔下先輩と…どういう関係なんですか…?」

「中学で一緒だったんだよな」

「ああ。お前って強くてね、僕がボコボコにされて」

「お前との腕相撲で俺がボコボコにしたんだよな」

 ?

 白須賀さんの声色が少し変わった。被せるように口を開いたのも気になる。

「……ああ、そうだった。一度も勝てなくて参ったよ」

 ?

 塔下先輩の声色も少し変わった。返事するまでわずかに空いた間も気になる。

 ふと、前に白須賀さんから聞いた過去の話を思い出す。

 ………もしかして…。

 いや、そうだとしても触れないほうがいい。

 思い直して、口に出かかった言葉を飲み込んだ。

「先輩、今日は俺のおごりだ。俺と同じもので良ければどうぞ」

「おっとそれはありがたい。そういや司東しとうはどうしてる?」

「あいつは彼女ができたから、今頃デートしてるんじゃないかな」

「そうなのか。あいつも小学生の時は大変だったよな。朝からお前の…」

 白須賀はテーブルの下で塔下の足を蹴る。

「顔を見ることになってたもんな。お前ら、家が近いから」

 なんだろう。この奥歯に物が挟まったような二人の会話。

 詳しく聞きたいけど、聞いちゃいけない気がしている。

 あたしにも告げず塔下先輩を連れてきたのは、間違いなく優愛ちゃんは先輩に気があることを白須賀さんは気づいてる。

 先輩以外の経路から、今日同席することが漏れないように仕組んでいたんだ。

 だからあたしにも黙っていたんだ。

 どこか手持ち無沙汰になって、評判のクロワッサンをかじる。

「…ほんのり甘い…」

「上品な甘さだな。サクサクしていて食感がいい」

「コーヒー、飲み終わっちゃったか」

「俺が持ってくるよ。ここのイートインは二杯まで無料なんだ」

「そうなのか。頼むよ」

 白須賀さんが席を立つ。

「それじゃ鐘ヶ江さん、一緒に来てくれるかな?さすがに四つは持ちきれない」

「…はい…」

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